goo blog サービス終了のお知らせ 

「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県宇佐市 「 天津駅跨線橋 」

2016-01-27 01:22:32 | 写真







スキーのジャンプ台のような坂を上ると
目の前に山が連なり、その中に円すいの山が見える。
「 いつかは撮りたい 」 と思っていた景色である。
そのうちコデジではなく、7Dで撮りたいと思っている。


第6位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 靴下 」

2016-01-26 06:01:11 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

    昨日の寒さで凍結していた水道管の氷が溶けて
    L ( エルボー ) が破裂して大変だった。
    すかさず水道管を切り替えたが、
    あくまでも仮設管なので週末には切り替えなければならない。
    そんな今日の順位は6位で、
    ラッキーポイントは、
     「 靴下 」 である。

    友達に相談し、問題解決!
    さぁ、今日も頑張りましょう。


沖縄県大宜味村 「 旧大宜味村役場 」

2016-01-26 03:39:41 | 沖縄の文化財










現在は村史編纂(さん)室になっている。






八角形のデザインが台風の暴風をいなす。
一般にも開放されていた屋上では、住民が漁の様子を見たりしていた。







工事の途中で付け加えられた2階の村長室。










明治30年代中頃、沖縄本島北部の大宜味(おおぎみ)村で一つの騒動が起きた。
事の発端は、村の工事の入札で地元大工が古都、首里の大工を負かしたことだった。
納得できない首里の大工は「9坪大工に200坪余が建てられるものか」と言って村に居座った。
しかし村の大工は見事に工事をやり遂げ、その鼻を明かした。

大宜味村史に紹介されているこの出来事は、
「大宜味大工(イギミゼーク)」の名を世に知らしめた。
夜明けとともに現れ、道具が見えなくなるまで働いたといわれる大宜味大工は、
早くて精巧な仕事ぶりで、都会の大工を脅かすほどの人気を集めた。

沖縄県内に残る最古の鉄筋コンクリート建築といわれる旧大宜味村役場庁舎を、
わずか半年で完成させたのもイギミゼークだった。
その時、棟梁として敏腕の大工集団を率いたのは弱冠22歳の金城賢勇だった。
金城は、晩年に記した自伝の中で 「 八角形というこれまでにない型枠工事は難しく、
かなりの技術を要求されました 」 と工事を振り返っている。

「 これまでにない斬新な庁舎 」 を設計したのは、国頭郡の建築技手、清村勉だった。
「 沖縄のコンクリート建築の父 」 と呼ばれる清村は熊本に生まれ、
26歳の時に沖縄に渡って来た。
鹿児島の高校で教員をしながら日本に導入されて間もない
「 鉄筋混凝土 ( コンクリート ) 」 を独自に研究していたことが伝わり、
郡役所に招かれたのだ。

着任早々清村は、南北約70キロに広がる郡内を自転車でくまなく見て回った。
そして、島の木造建築が台風や白蟻(あり)の被害に悩まされる様を見て、
耐久性に優れた鉄筋コンクリートこそ沖縄に適していると確信した。

しかし清村の考えはなかなか島民に浸透しなかった。
美里工業高校教諭の木下義宣さんは、生前の清村からこんな話を聞いた。

「 『 生きている人間が何でイシヤー(石屋)に入らないといけないのか 』 と、
強い反発があったそうです。
沖縄では石の建物イコールお墓のイメージでしたからね 」 と振り返る。

それでも清村はあきらめなかった。
実際に小さな建物を造ってみせるなどして台風や火事に強い最新工法をアピールした。
その努力が実り1925年、旧大宜味村役場庁舎が誕生した。

洋館風の外観デザインは、洋行する知人に送ってもらった絵葉書を参考にした。
茅葺き屋根が並ぶ村に瀟洒(しょうしゃ)な近代建築が立ち現れた時、
村民はさぞかし驚いたことだろう。
材料の海砂を自分の舌でなめて塩分濃度を確かめたというエピソードなど、
数々の設計秘話を残した清村も感無量だったに違いない。

「 鉄筋を曲げる道具さえなく全てが未体験という中で、
研究を重ねてそれを技術者に伝え、完成させた。その熱意に感動します」

誰も成し得なかった最初の鉄筋コンクリートの建造物。
清村のパイオニア精神と、
彼の先駆的ビジョンを受けとめた大宜味大工の職人魂。
米寿を過ぎて卒寿に達した白亜の建物には、
両者の運命的な出逢いが厚く塗り込められている。

晩年になっても当時の設計をミリ単位まで記憶していたという清村は、
沖縄に約20年滞在した後、熊本に戻った。
その間に手がけた建築のほとんどは姿を消したが、
戦時中も銃弾一つ受けなかった旧庁舎が清村と大宜味大工の功績を語り続ける

旧大宜味村役場 
所在地  / 大宜味村字大兼久157-2 
電話  / 0980−44−3009 
平日9時〜12時、13時〜17時(土・日・祝日休み)


九州の冬点描 「 R10 」

2016-01-26 00:06:46 | 写真






   雪に不慣れな九州
   いつも渋滞する国道が
   スッカラカンの
   すいすいすいだった



長崎県野崎島 ・ 鉄川与助 最初の煉瓦造教会 「 旧野首教会 」

2016-01-25 09:09:01 | 教会



































































































































































野首教会は、五島列島の北に位置しながら、平戸藩だったので、
小値賀島や宇久島とともに北松浦郡になる野崎島には、
野首と船森集落があった。

野首は、寛政年間の大村から五島移住で野崎島に定住した二家族に始まり、
瀬戸脇は、大村の海岸で明日処刑されるという三人を小値賀の船問屋が連れ帰り、
移住させたのが始まりという。

禁教令廃止後も貧困の連続だったが、それぞれに木造の教会を造り、
その後、野首では明治40年(1907年)に18戸の信徒が結集して
本格的な教会建設に向かう。

明治41年(1908年)に、教会建築の名工、鉄川与助によって設計・施工されたもので、
鉄川与助としては初の煉瓦造りの教会であった。
鐘塔はもたないが、正面全面を玄関部とし、正面の柱頭の頂部などには、
城壁の物見櫓のような装飾物があり、正面両脇の頂部にも百合の紋章に似た装飾物がある。
これらは中世ヨーロッパの建築を思わせる。

教会建築が木造から煉瓦造に変わる時期の建築で、創建当時の原形が保たれており、
全国の教会の中でも秀逸したものと高い評価を受けている。

この教会が創建された背景には過酷な環境の中で生き抜いた
この島の隠れキリシタンたち18世帯の歴史が刻まれている。
無人状態の島になってしまった今もなお人々の祈りの象徴として、
小高い丘の上からこの集落を見守っている。

瀬戸脇は昭和41年に、野首は昭和46年に全員が移住して、
平成13年には残った一人も島を離れ、野崎島は廃村となった。
無人となった教会は一時期は荒れ果てた状態にあったが、
小値賀町が重要な文化財として昭和60年に巨額を投じて全面改修し、現在に至っている。
平成元年3月に県の文化財に指定され、
平成19年には 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として
ユネスコの世界遺産暫定リストに追加された。


所在地  /  長崎県北松浦郡小値賀町野首郷野首

教会の保護者  /  聖フランシスコ・ザベリオ


第4位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 最近お気に入りの写真 」

2016-01-25 07:01:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ







   今朝は雪は降っていなかったが、よく冷えた。
   人が歩いていないところはスノーパウダーのようで、
   足を踏み入れるとギュギュと音を立てたが、
   道路はバリバリに氷り、轍はツルツルと滑った。
   それに昨日までフカフカだった雪は冷えて固まり
   縮んで薄くなっていた。

   西の空には丸い月が浮かんで雪あかりと相まって
   明るく照らしていた。
   そんな今日の順位は4位で、
   ラッキーポイントは、
    「 最近お気に入りの写真 」 である。

   長年の悩みが解決し満足
   ストレートな言葉で感謝しよう!

   雪に負けないで頑張りましょう。


我が家の 「 雪見障子 」

2016-01-25 01:08:41 | 日記 ・ イベント
































   九州北部を襲った冬将軍は
   今までにないくらいの雪を降らせ、
   ズンズン積もらせた。

   それは、「 これほどまでの雪を見たことがない 」 と思わせた。
   そのくらい凄い雪だった。



1月24日 雪の日 「 ムサシは喜び庭かけまわる 」

2016-01-24 11:14:41 | 柴犬 ムサシとピース





























朝、7~8センチだった雪も、またたく間に20センチ近くまで積もった。

今年ふたたびの雪で、ムサシは庭を駆けまわった。
それは、ボクも同じで、童心にかえるときでもある。



「 ムサシと友待ち雪の上を歩く 」

2016-01-24 06:49:41 | 日記 ・ イベント



















日曜日なのでゆっくりと起きて散歩に出ると、
昨夜から降った友待ち雪は7~8センチ積もっていた。
この後、友雪が友待ち雪の上に積もるのだろうな。

誰も歩いていない雪の上をムサシとボクの足跡がついていくのは、
ある意味 ” 早起きの特権 ” みたいなものかもしれない。



福岡県築上町 ・ 本庄のパン屋さん 「 じゅあん 」

2016-01-24 03:37:51 | パン ・ ケーキ ・ お菓子

















































昨日、天気が悪かったので仕事が休みになった。
それで新聞で知った本庄のパン屋さんに行って来た。
このパン屋さんは、宇都宮鎮房ら宇都宮氏によっておさめられていた城井谷にあり、
自然の中で作られている。
大阪出身のご主人と地元の奥さんが関西時代に色んなパン屋さんを食べ歩き、
その味を活かそうと、自分でパン作りを始めたのがきっかけで開いた店である。

人気のいちじくライ麦パンやクリームパンやごぼうパン。
それにメロンパンなど、どれも美味しく頂いた。

昨日は買って帰ったが、
ここのカウンターで素晴らしい景観を眺めながら頂くこともできる。
雪景色や新緑。さらには紅葉などの季節を感じながら
焼きたてのパンを食べるのもいいかもしれないな。


住所  /  福岡県築上町本庄1963
定休日  /  月・火・水
営業時間  /  10:00~17:00 ( 売り切れ次第閉店 )
電話  /  0930-31-7411

長崎県五島市 ・ 八幡瀬上空 「 頭上の旅客機 」

2016-01-24 01:30:41 | 写真

























長崎県五島市富江町の勘次ケ城に居たら、
八幡瀬の上空を旅客機が飛んで行った。


熊本市東区 ・ 横井小楠 ( よこいしょうなん ) 旧居 「 四時軒 」

2016-01-23 11:29:51 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣











































「 四時軒 」 は、幕末維新の開明思想家として知られる横井小楠の旧居である。
内坪井 ( 現在の熊本市坪井 ) に生まれ、
安政2( 1855 ) 年に沼山津に移り住んだ小楠は、家塾 「 四時軒 」 を開き、
多くの門弟を養成しました。

かの坂本龍馬や 「 五か条の御誓文 」 を起草した由利公正 ( ゆりきみまさ ) 、
「 教育勅語 」の起草に尽力した元田永孚 ( もとだながざね ) 、
「 大日本帝国憲法 」 の草案をつくった井上毅 ( いのうえこわし ) らも、
この 「 四時軒 」 を訪れています。

「 四時軒 」 の隣りには横井小楠記念館が建てられており、
小楠に関する資料のほか、勝海舟や吉田松陰、西郷隆盛などの、
小楠にゆかりのある人々の書も展示されています。
また、 「 四時軒 」 から北東方向へ10分ほど歩いたところに、
小楠の銅像や頌徳碑などが建てられている小楠公園もある。


第4位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 ヘッドホン 」

2016-01-23 07:01:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

        今日から記録的な寒さになるらしい。
        その言葉を聞いて、井上陽水の「氷の世界」の歌詞が頭に浮かんだ。
        ♪ 今年の寒さは記録的なもの ♪
        そんな今日の順位は4位で、
        ラッキーポイントは、
         「 ヘッドホン 」 である。

        全力投球の姿勢が高評価
        徹底的にこだわってOK
        
        週末は凍結などに注意して過ごしましょう!


熊本市東区 「 秋津あたり 」

2016-01-23 01:41:41 | 写真






健軍から益城に向かって走ると沼山津を通る。
ここは沼山津神社があり、
さらに秋津川沿いには、
かつて横井小楠が開いた家塾 「 四時軒 」 がある。



大分県宇佐市 ・ 駅館川河口 「 豊前長洲港導流堤灯台 」

2016-01-23 00:37:41 | 大分の灯台



豊前長洲港導流堤灯台































































灯台表番号 / 5263
ふりがな / ぶぜんながすこうりゅうどうていとうだい
標識名称 / 豊前長洲港流導堤灯台
所在地 / 大分県宇佐市 ( 長洲港流導堤外端 )
北緯 / 33-34-44.9
東経 / 131-22-15.3
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度25カンデラ
光達距離 / 3.5海里
地上~頂部の高さ / 7.57m
平均水面上~灯火の高さ / 10.6m 
地上~灯火の高さ / 7.5m
業務開始年月日 / 昭和36年11月1日
現用灯器 / LED灯器( Ⅱ型白 )


豊前長洲港導流堤灯台へのアクセス
中津市から海岸線に沿って走る県道23号線 ( 中津高田線 ) を道なりに進み、
JRの柳ヶ浦駅を過ぎて、駅館川を渡ると信号機がある。
その信号機を左に入った突き当たりが長洲港になっており、灯台がある。
防波堤の上を歩いて灯台まで行ける。