南伊勢町のすぐ北側に度会郡があります。
山の中の田舎町なのですが、その度会郡の一之瀬という地区に城跡があるというので行ってみました。
一之瀬城は愛洲氏の城であったそうで、南北朝時代に後醍醐天皇の皇子、宗良親王を迎えたことで知られています。
今は廃校になっている一之瀬小学校を挟んだ東西の小山に別れて城跡が残っています。
↑旧一之瀬小学校
東側の山には一之瀬神社があります。
明治以降に近辺の神社の合祀が行われたときに、この場所に造られたそうで
これに拠って城跡も少し改変されているらしい・・・
主郭には神社本殿の裏側から登ります。
堀や曲輪を示す案内板は真新しいのですが、道はあまり人が歩いた形跡がありません!
今までに行った南伊勢周辺の城跡はどこも南北朝から戦国までの城跡で、
どこも似たような感じですね・・・
まぁ、城マニアではないので、あくまで感想ですけどね(笑)
一之瀬川に沿った断崖の上には見晴らし台があり、宗良親王の記念碑が建てられていました。
木が生えているので写真では解らないですが、碑の裏の文字を読もうと回ってみると
すぐ裏は相当な崖で落ちたら死ねます(笑)
お次は県道を超えて西側の城跡へ!
それにしても西と東に別れていて真ん中を攻められたら、どうやって守るつもりだったんでしょうね?
この頃の城跡を見るとわかるんですが、戦国時代と違って規模が小さく、城に兵士が籠るといっても
せいぜい数百人・・・実際には百人もいなかったかもしれないんですよね・・・
一時しのぎの砦なんですかね?
登る手前の場所に向井将監館跡とあるけれど、よく分からないスルー!
今は尾根沿いに上り路が造られていました。
よく見ると空堀や廓の跡がわかります。
こちらの主郭も大きなものではありません!
こちらの城跡は西側に続く山脈の東の先の尾根に造られているようで
西側に続く山からの攻撃を避けるための幾条にも掘られた空堀が
きれいに残っていました。
↑こちらには寺もあったということなのですが、お堂一つ分ぐらいの広さですね!
今でも一之瀬の集落に残るお寺の前身にあたるそうです。
当時の地方豪族としては頑張って造った村の中心地だったんだろうけれど
都から落ちてきた皇子にとっては寂しい場所だったんでしょうね・・・
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