今日は先日のドライブプチ旅行「紀伊大島」~~「潮岬」編です。
「橋杭岩」を後にして、此処は串本~むかいは大島~~の歌でおなじみの「紀伊大島」へ渡ってみる事にしました。
次男が前にバイクで来たことがあるというので、駐車場からは、岬の灯台まで案内してもらいました。
「樫野埼灯台」に向かう遊歩道入り口にある「トルコ記念館」です。館内には1890年紀伊大島沖で遭難した「エルトゥールル号」の模型や乗員の遺品、写真等が展示されてるそうです。2階展望台からは軍艦が座礁した地点を見ることが出来るそうです。5時過ぎてたので閉まってました(残念)。
灯台までの途中の橋の上から(左)来た道寄りを振り返り、トルコ軍艦遭難慰霊碑と、(右)南東側の太平洋の水平線を・・
灯台までの遊歩道脇には「トルコの民芸品」を売られてるお店がありました。ゆっくり見る時間がなくて・・・(ここでも断念)
大島の東端、樫野の断崖に建つ灯台は、明治3年初点灯(日本最初の回転式閃光灯台)した日本最初の「石造り灯台」だそうです。2002年に完成した展望台には時間が遅くて、素晴らしいはずの眺望が出来ませんでした(これも残念)今度は灯台技師のイギリス人が植えたとされる水仙が咲く頃に来て見たいと思います。
此方にも「和歌山県朝日夕陽百選」ノモニュメンとが・・右の写真は「この~木なんの木・・・」のようだったので撮ってみました。
では潮岬へ・・・
灯台へは当然時間が遅くて入れません。「潮御崎神社」への参道入り口に「花山法皇・・・ここにます かみにてむけの みてぐらなれや しおのみさきに よするしらなみ」と「白河天皇・・・あなうれし なにわのみやの こととはん しおのみさきの みつなかしわに」の伝承御製歌碑がありました。
因みに「御綱柏(みつなかしわ)」は、古事記日本書紀にも載っていて、此の地では(マルバチシヤの木)を(みつなかしわの木)と伝承されてるようです。
参道脇の「浜木綿」(だとおもいます)息子二人鳥居をくぐってます。
(左)本州最南端潮岬突端に鎮座する「潮御崎神社拝殿」祭神は「少彦名命」。日本書紀の神話にちなんで祭祀をはじめられたようです。(右)神社から突端の西端に向かう途中に咲いてた花です。名前解りません~
西端に向かう途中に撮った「潮岬灯台」です。此方は「樫野埼灯台」と共に着工された当初八角形のわが国最初の洋式木造灯台だそうです。曲折があって仮点灯より3年遅れの明治6年本点灯となり、明治11年には現在の「石造灯台」に改修されたそうです。
本州最南端、潮岬西端からの真正面の夕陽です。
(左)西端から戻る途中の右手の南側の大西洋の水平線と、(右)左手北側の入り江ですが、波が入り込んでる右奥(撮り辛くて断念しましたが・・)に洞窟のようなところがあったんです、たぶん其処が日本書紀の神話に因んで勧請されたという「御崎の静之窟」だと思うのですが・・・
日も暮れ始めた6時頃此方を後にして、帰路に着きました。42号線をひた走り、「南紀田辺IC」を目指しました。
途中立ち寄りまして・・先月にもUPしました「双島」です。今回は夕暮れ時です。
「南紀田辺IC」近くに来るともう19時45分道路情報でもナビでも阪和道では11キロの渋滞和歌山市内での夕食は諦めて解ってるSC内の飲食店(此処しか営業してない~)で済ませてからまたpekoの運転で走りました。
阪和道の渋滞11キロは6キロに変わってましたが、20分程ロスして、帰宅したら22時30分。この日は15時間遊んだということになりますね~