録ってあった番組をやっとゆっくり見れるようになってきまして、今日は「歴史探偵」で、ほんとに?そうだったの?という「忠臣蔵」の新説?検証をみまして(見られた方も多いと思いますが・・)
ちょっとそうなのかも‥と思ったものですから、ご紹介します。
驚いたのが「吉良邸」です現在の地図との比較ですが80倍(今の地図は86分の1と書かれてますね)の大きさだったんですって、サッカー場より広いようです。
「血荒い井戸」も残ってるようですねそれと、このお屋敷が、「幕府」の命令で転居させられたというのです。(この転居が討ち入りには好都合だったようです)
「高家」だった吉良邸は「江戸城」近くからドラマなどでよく出てくる転居先(城から遠い下級の武家が住むようなところ)へ幕府の命で転居さされるんですね
刃傷事件の数か月後と書かれています。(物語は討ち入り前のが多かったような・・)
当時のこの辺りは番所が一つという開発途上の地だったそうです。
江戸じゅうが討ち入りを期待している中で、邸宅の引っ越し先の状況を考えて、「討ち入りするべき時」が来たと、「大石」の意を決するまでの心中がつづられた手紙は「高揚」した状態で書かれた、右肩上がりの「大石」そのものを感じられる筆跡だったということでした。
ドラマでもよく登場する「泉岳寺」までの行進はゆうに13キロもあったそうです。
途中のお役人たちは、「ねぎらいの言葉」をかけて「お茶」も振るまったそうです。
「綱吉政権」は「若い旗本登用」のために「高家 吉良」を排除したいという意向もあったようです。
「討ち入り後」は、「泉岳寺」に近いがわの江戸城への入口をこちらに移動させたほどで、民衆たちに「忠臣蔵」を広げていったようですね。
「幕府」がプロデューサーだったといわれたときは「そうかもしれない」と思いましたが・・
「佐藤次郎さん」は「吉良がかわいそうだ、もし忠臣蔵遣るなら(吉良)を演じたい」なって、おっしゃってましたね。
ちょっとそうなのかも‥と思ったものですから、ご紹介します。







刃傷事件の数か月後と書かれています。(物語は討ち入り前のが多かったような・・)






ドラマでもよく登場する「泉岳寺」までの行進はゆうに13キロもあったそうです。











