録ってあった「ぶらぶら美術博物館」の編集作業をしていましたら、思わぬカルチャーができまして・・・
「戦後から未来まで日本のファッション史をたどる大規模展」が国立新美術館で9月初めまで開催されていて、「隈研吾展」の紹介前に少しだけ紹介されてましたのでUPしますね。
戦後から未来までで、820点もの展示だそうですが、東京近辺の方がうらやましいです。実際に見てみたいな~~って思いました。
もんぺスタイル、国民服等、戦時中に着られてたものが、「洋服」の流行の原点となっていたようです。
明治維新に洋装が出回っても、流行にならなかったらしくて、「婦人標準服」なんかは「大丸」で少しは売られていたとか・・・当時の婦人たちは自分達で縫っていたそうです。
洋裁学校の入願の長蛇の列です。「ドレスメーキング」の雑誌、今見てもおしゃれですよね。私は友人が洋裁を習ってて、作ってもらったことがあったのですが、自分で作れたらいいなと思って「装苑」(そうそう今女優さんですが、私が読んでた頃、小西真奈美さんがモデルさんでした)等の雑誌を買って型紙を作って我流で縫い始めたのが・・手が短いせいで、当時の既製品がどうしても合わなかったのもあって、今に至ってます。
杉野芳子さんが「ドレメ」を創設されたんですね。杉野さんの作品を観れるのも貴重ですね。
「森英恵さん」は主婦をしながら「ドレメ」で洋裁を習われていたのですね。卒業後「裕次郎さん」をはじめ数々の俳優さん達の衣装を製作されてたようです。
「水引」や、「麻の葉」など和のテイストでデザインされてるようですね。
「山本寛斎さん」は「コシノジュンコさん」のアトリエで働かれてたんですね。「デビットボーイ」の衣装は凄いですね。
DCブランドはちょっとわからないですが・・
「コムデギャルソン」は外国から買いに来るという社会現象で知り、「川久保玲さん」のお名前も知りましたが・・都会での話で・・
「ボデイコン」も流行ってましたよね。
「キョンキョン」の衣装制作は「中野裕通さん」でした。
一世を風靡してました。
「裏原宿」っていってたんですね。知りませんでした。「木村拓哉さん」が来着てたような・・そして「ファストファッション」ですね。
ファッションの変遷をみれたのですが・・残りまだ800点程あるんですよね~~どんなんかな~~
「戦後から未来まで日本のファッション史をたどる大規模展」が国立新美術館で9月初めまで開催されていて、「隈研吾展」の紹介前に少しだけ紹介されてましたのでUPしますね。
戦後から未来までで、820点もの展示だそうですが、東京近辺の方がうらやましいです。実際に見てみたいな~~って思いました。
もんぺスタイル、国民服等、戦時中に着られてたものが、「洋服」の流行の原点となっていたようです。
明治維新に洋装が出回っても、流行にならなかったらしくて、「婦人標準服」なんかは「大丸」で少しは売られていたとか・・・当時の婦人たちは自分達で縫っていたそうです。
洋裁学校の入願の長蛇の列です。「ドレスメーキング」の雑誌、今見てもおしゃれですよね。私は友人が洋裁を習ってて、作ってもらったことがあったのですが、自分で作れたらいいなと思って「装苑」(そうそう今女優さんですが、私が読んでた頃、小西真奈美さんがモデルさんでした)等の雑誌を買って型紙を作って我流で縫い始めたのが・・手が短いせいで、当時の既製品がどうしても合わなかったのもあって、今に至ってます。
杉野芳子さんが「ドレメ」を創設されたんですね。杉野さんの作品を観れるのも貴重ですね。
「森英恵さん」は主婦をしながら「ドレメ」で洋裁を習われていたのですね。卒業後「裕次郎さん」をはじめ数々の俳優さん達の衣装を製作されてたようです。
「水引」や、「麻の葉」など和のテイストでデザインされてるようですね。
「山本寛斎さん」は「コシノジュンコさん」のアトリエで働かれてたんですね。「デビットボーイ」の衣装は凄いですね。
DCブランドはちょっとわからないですが・・
「コムデギャルソン」は外国から買いに来るという社会現象で知り、「川久保玲さん」のお名前も知りましたが・・都会での話で・・
「ボデイコン」も流行ってましたよね。
「キョンキョン」の衣装制作は「中野裕通さん」でした。
一世を風靡してました。
「裏原宿」っていってたんですね。知りませんでした。「木村拓哉さん」が来着てたような・・そして「ファストファッション」ですね。
ファッションの変遷をみれたのですが・・残りまだ800点程あるんですよね~~どんなんかな~~
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