Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

覚醒の後の戦慄

2005-10-15 | 歴史・時事
グローバル化とオールド産業の代名詞のようなGM社が、自動車部品会社デルフィの倒産で揺れている。連鎖的な状況もその子会社の年金対策などによっては憂慮されているようだ。合衆国政府の救済組織PBGCもあるようだが、北米での販売の回復が見えない限り厳しそうである。

結局は物作りを疎かにして来た経営方針に責任が凝縮されている。金融部門のGMACが既に動き出していると言うが、安定した廉価な部品の納入無しには市場での営業回復は望めない。様々な危機管理も出来ているのだろうが、投機的市場の動き方によって本業も儘ならないようになるのでないだろうか。

世界的な吸収合併をその社是のように繰り広げ、世界最大の企業として君臨して来たGM社が辿った道のりは興味深い。世界的販売網だけでなく、仕入れから組み立てまでを一貫させる事によって、経営の合理化を図り、需要供給を速やかに行うと言うアイデアは子供でも分かる。

しかし実態は、アダム・オペル社に見るような品質の低下と市場での信用を失いスタンダード商品すら供給する事が難しくなった。決してここに反多国籍企業やアンチ・グロバリズムの意識が関与したのではなくて、製品の市場での購買慾や工業の製品開発生産への意欲を失わせたのが元凶となっている。

VW社も資本を18.5%買い付けたポルシャ社やダイムラー社の関与と協調で揺れている。伝統的な共通シャーシの利用や上面の乗せ代えただけで遣ってきた究極の合理的な生産がGM社と共通しているのが可笑しい。米国の消費者ならいざ知らず、欧州では品質に細かな味付けが出来ない限り、牛刀で全てを切りまくるような商品は、より易い産地の商品との競合を生き抜いていけない。製造や商品開発に万全のノウハウが必要となる所以である。

流動資金や社債などの金融面での経営が重要な事も分かるが、産業が物作りの実業に十分な配慮無しに執り行われる時、表面上の金融ゲームの影で空洞化していく産業構造やまやかしの経済成長に気が付かない。幹部のミリオンダラーに及ぶ賞与自体が、このような生産無き産業を証明していないか?

今年になってから頻繁に議論されている資本主義再考論で、上場企業の幹部の給与をその企業成績から上限を定めて行こうと言う些か過激な議論の根拠はここにある。保守層の視点から産業構造の変換が遅れるのは困るが、金融ゲームを許さない事が、産業環境文化を根絶やしにする事無しに、新たな若葉を茂らせる事になるように思われる。

グローバル化の弊害を除きながら十分な投資環境を準備して、赤字財政を脱却していく事を、ベルリン政府はEUの会議で求められた。原油高の影響に関わらず一先ず金融引き締めへの動きは見られないので、世界第二位の輸出額を守る為には柔軟な経済・財政政策が鍵を握るのだろう。そこでは、カオスも生まれない代わりに安易で過激なイデオロギーである新自由主義を 純 粋 培 養 する事も無い。将来の覚醒の戦慄に怯えることなく現実的継続的に生きて行ける。



参照:
資本主義再考-モーゼとアロン(3) [歴史・時事]/2005-05-04
イナゴの大群-FAZを読んで [数学・自然科学]/2005-05-05
コメント (2)
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