Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

蕎麦きし麺と蕎麦ポレンタ

2007-09-01 | 料理
早朝四時前に起床する。準備をしていたサンドウッチなどに食らいつく食欲も無い。地階に引っ越してきているタクシー会社に予約していたように、五時前に出発する。

墓場の横に駐車して置く事も出来たのだが、16ユーロ程度で済むならばこれも悪くはない。

通常ならばサンモリッツを通りマロヤパス越えで当日の目的地フォルノ氷河へと入る所であるが、なぜかナヴィは峻しいスプルガ峠へと導く。

さて、マロヤパスから坂を下ったところからフォルノ渓谷へと脚を踏みいれる。重い荷物ながら氷河が表れるまでは平坦で歩き良い。そしてフォルノ氷河上を少し行くと、左の崖上に今夜の寝床である標高2574メートルのヒュッテが見える。

幾らかガレた針金を張ったような登路は、重荷と高度順応で苦しい。しかし、これも顎を上げる頃には汗グッショリで辿り着く。

着替えると間も無く夕食となる。期待を大きく裏切って、麦のスープにヌードルと野菜煮込みの菜食である。菜食主義者メニューどころか肉食主義者メニューが無い。そして、この夜に食したものこそが、蕎麦であったことを翌日に知ることとなるのである。

翌日もイタリア北部地方共通の名物トウモロコシ粉のポランタに蕎麦粉が沢山混ざられていたまさにこの地方の典型的な食事であったからである。そして、唐辛子の利いた豚肉とその煮込みソースがこれにまぶされる。

まさに、貧しい寒村で蕎麦団子等を強い醤油などにまぶして食するのに似ている。現代の都会人にはあまり受ける味覚ではないようである。

鞘エンドウと蕎麦きし麺など野菜煮込みにはイタリアのシードルや赤ワインを試し、翌日の辛い煮込みにはビールを開ける。

小屋の娘には、日本の蕎麦を教えておいたので、醤油と山葵を携えた日本人や朝鮮人が今後訪れればこれが大量に振舞われるかもしれない。



参照:
イタリア人より始末が悪い [ 料理 ] / 2006-09-06
舌鼓を打つ山の料理 [ 料理 ] / 2006-08-01
コメント
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