Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

目的と効果の情念の表現

2007-10-15 | 文学・思想
1826年ベルリンのフンボルト大学での「美学の講義」を180年先からの聴講生として垣間見ていると面白い。そのヘーゲル教授の講義自体は、1820年の冬の学期に始まっていて、その土台となるのは更に遡る1818年のハイデルベルク大学での夏の学期に、教授が1817年に出版したエンサイクロペディアでの仕事の続きとして纏められたものらしい。

それ故にハイデルベルクでは、芸術哲学と宗教哲学が同じように扱われていて「精神の現象学」がそのもの後者を表わしている。そのような理由からベルリンでも同様の講座が持たれる予定であったが、その講義控えを紛失した事から新たに構築し直したと言う。そして、その影響を得た芸術哲学の構想の発展を見た。

1831年の突然の死に至るまで「美学」の出版は行われなかった訳だが、その理由は最後までその思索の発展状況にあって、1828年には再び講義の全体の構成を変更している。そしてその後、やはり上のエンサイクロペディアの方へと戻っているようだ。

その細かな相違は判らないが、カントの哲学を離れて、その歴史的な推移を織り込んだ芸術哲学が従来から知られているヘーゲルの「美学」とすると、ここで語られているのは、そこでは箇条書きにされるようなものとは「同時代の文化の意味」として内容的に正反対の広がりを見せているらしい。

例えば、前者においてロマンティックへの文芸の流れを、ユークリッドもしくはカーテジアンの古代文化を基礎とする古典に対応させ、そこでは「美」も「醜」も同じように扱う事となる。そして、後者では箇条書きにされる「文化の使命が国から教育へと移る」、その「同時代芸術」の逐一を前者で語っている。

例えば「情念」を見れば、従来の古典的「心情」とは相容れないが、これをしてお悔やみの社会風習を挙げる。さらにその行為によって得られる客観化をフランス語でレーゾンとしているのは啓蒙主義者ヴォルテールを思い浮かべればよいのだろうか?情念の表現と形式について語る。

― 目的は明らかなのである。そこで芸術によって情念が呼び起こされ、同時にそれはそれによって浄化されるべきなのである。そして、そのある定まった表現によって浄化が更に必要となれば芸術の目的とされるモラル上の目的が更に呼び起される。情念の表現は、浄化の効果と共にそれ自体へと直接導かれるのだ。 ―

シラーやゲーテのみならず同時代の芸術や哲学が取り上げられて芸術論となっている。そして、熟慮の末に結論を出せなかった教授の美学的考察に、その後の歴史の流れの中での問題がなんと多く含まれていていることに思い当たるであろうか。



参照:
George Wilhelm Friedrich Hegel „Philosophie der Kunst“ 1826/2005
考えろ、それから書け [ 音 ] / 2005-12-19
古典派ピアノ演奏の果て [ 音 ] / 2007-10-11
独精神についての疑問視 [ 音 ] / 2007-10-13
Vintage:1826,1907,1921,2006 [ 暦 ] / 2007-10-14
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