Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

若き芸術家の癌病闘日記

2009-06-07 | 文化一般
ここで紹介したクリストフ・シュリンゲンジーフ著「天国も、これほど素晴らしい筈がない!」の前半部の感想だけでも書き留めておこう。読み返して細部を読み直すような書体でも内容でもないからだ。日記として書かれているから当然なのかも知れない。

就寝前や昼寝の時にちらちらと読むような本であるが、殆ど倒れるように寝床へと向う生活をしているので、購入してから一月ほど経つがいまやっとその書き様が分かってきた。

肺に腫瘍が見つかってから、それが悪性の疑いあるものとして、結局は片肺が除去されてICUから普通病棟へと戻るまでの日々が前半として描かれている。

不安や疑心暗鬼と揺れ動く心理状態がそこに赤裸々に描かれているのだから、なにも目新しいものは見付らない。しかしこの書物を売りものにしているのは、舞台映像演出家のその主観的な視線と自己認知の仕方に他ならない。有名人が自らの「死の床」を赤裸々に綴ったとしても必ずしも興味を引くものとはならないのは、例えば役者がそれを最後まで演じても、もしくは知識人がそれを綴ったとしても、あくまでも自らの世界観を読ませるものとなるに違いないからだろう。

疑心暗鬼の不安の中で語られる言葉は、舞台のもしくは映像の中で内省として語られる演技指導の言葉に他ならない。最も印象的な場面を挙げておこう。

今まで生きて来た四十七年の生涯を、同じだけ生き延びることが出来るならば、「芸術家らしく短命である」ことなどはくそくらいだと叫ぶ。そんなことなら、職業的人生など今からでも捨てて、一寸でも長生きしたいのだと慟哭する。

成功した手術をICUで体験して、息がゆっくりとしか出来なくても段々と正常に戻り、一般病棟に移って牛肉に舌鼓を打って満足しながらも、同時に転移による再発のその日と自らの最後を考えて動揺する。

そして真に月並みながら、二十年間以上も禁煙しているのに、杯を少々適量以上に重ねているだけなのに、なぜ自分がこのような病に倒れるのかと嘆く。

五年の生存率は如何にせよ不治の病に侵されて、心理的に「制限された将来」を意識するところからこの日記は始まっている。有限の日記が始まるのである。そうした有限の中にこそ、初めて無限の境界が認知出来るかどうかが後半の焦点だろうか。



参照:
Christoph Schlingensief, So schön wie hier kanns im Himmel gar nicht sein!
現を抜かすインフルエンザ 2009-05-01 | 生活
循環する裏返しの感興 2009-04-27 | 雑感
コメント (6)
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