Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

最も同時代的な芸術家の死

2010-08-24 | 文化一般
ラジオに電話出演したベルリン高等芸術学校長はシュリンゲンジフのアーカイヴを提供すると話していた。生前から身近な立場にあったようで、その人柄を語る声にしばしば気持ちの高まりが綯い交ぜと成っていた。癌患者にも二通りあって、「死の宣告」を聞いて、その自らの弱みを見せまいと閉じこもる人と、そうではなくてこの若くして逝った芸術家のように公にする者との両方があると語る。

先週末のクリストフ・シュリンゲンジフの死は、週明けも毎朝のようにラジオの文化波ではその余波が伝えられていて、FAZ新聞の第一面最上部と文化欄第一面を使った弔事を含む記事でも述べられていたように、まさに死へと至る最終幕の芸術的なメッセージは連邦共和国の文化界のみならず社会に残した余韻は大きい。余韻といっても本人が述べていたように「近世の宗教改革以降のロマンティック」なそれではなくて、改めて現代の生を浮かび上がらせたといっても過言ではないだろう。

本人のBLOGの最後の投稿などにも触れられているが、それ程特別な内実を吐露したわけでもないが、流石に死の二週間前には筆を折っている。痛み止めの処置をすればそれも当然かもしれない。しかしそこまでを含めて最終章と考えておかしくは無い。まさに現実の現代の生を映し出している。本日のTAZ新聞の記事によると最後のインタヴューが存在しているとされる。

先の教授も語ったように、テロ事件の前にニューヨークのワールドトレードセンターを訪れ、自由の女神へとユダヤ人の格好をして行ったパフォーマンスなどの賛否もありながら、ヨゼフ・ボイスと比べと比較を試みている。また新聞の記事では、映像作家としての手本であったファスビンダーのような虚栄心からではなく、その人柄がややもすると受け入れがたいパフォーマンスにも拘らず人々に理解されることを強く欲していたと、その殆ど一か八かに見えるパフォーマンスの数々を解析する。

また、ニューヨークのMOMAに逸早く取り上げた理事は、シュリンゲンジーフの作品の形式を語り、その社会の彫像化を指す ― なるほどバイロイトの「パルシファル」の表現がこの十年間で最も完成した造形芸術表現の一つであったとするのは納得できる。その文章の中で1997年のカッセルでのパフォーマンスにおいて踊り子の日本女性「はなよ」が嗾けられた犬に噛まれて怪我をする騒動となり、逮捕された事件に触れて、そのパフォーマンスの事実を当局に証明する必要があったとされる。

同じ日本関連では、ゲーテインスティチュートの招待で若い文化人として東京のドイツ映画際に参加したときの聴衆と一体となったパフォーマンスの力を追想するのはそこに同席したスイスの演出家ヨッシ・ヴィーラーである。

先のアーカイヴに関連しているが、こうした一面型破りにも見え、一方一種の亜流にもみえるパフォーマンスの危うさと、その最終章まで続く成功の背景に並々ならぬ才能が隠されているとする意見もあり、同情や共感を超えた次世代へと引き継がれるであろう影響を以って、連邦共和国で最も同時代的な芸術家であったとする見解が比較的的を得ているのではないだろうか。



参照:
Aus einem ziemlich zerschnittenen Herzen, Michael Althen,
Ungeheuerliche Begabung, Christian Thielemann,
Aufs Glatteis, Klaus Biesenbach,
Der Schalk in seinen Augen, Jossi Wieler,
Das Ganze im Blick, Susanne Gaesheimer, FAZ vom 23.08.10
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