Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

埃と戯れてフットワークを磨く

2010-08-23 | 生活
寝室を片付けている。主に旅行関連の資料と称する束を整理しているのである。なにも特に心境の変化があった訳でも、引越しの予定がある訳でもない。寝室で過す時間が多くなったので、あまり用事の無い資料を整理しているだけである。埃の量が少しでも減るであろう。

なによりも、一回り要するに中国の干支でつまり十二年以上上の者が片付けものをしていたのを思い出した。身軽になれるというのである。そうした心境になるにはあまりにも未練やら自分自身での柵が多過ぎるのであるが、やはりフットワーク軽く、活き活きとした日常を得るためには時々リセットのような行為が必要であると感じたからである。

とは言っても過去の記憶とか想い出をきっぱりと切り取ってしまおうとするのではない。どうせ整理する資料は旅行関連のものであり、何処そこへ行って、次に再訪するときに役立てようと思ったような資料を捨てに掛かっているだけである。

なぜこれほどまでにそのようなものが溜まったかははっきりしている。登山ガイドの舟橋氏が再三使うように、記憶と記録の前者の方の整理が出来ないからである。旅行関係に限っても嘗ての欧州旅行などは一度きりのこともあるのかも知れないが手許にスマートにファイル化されてその記憶が残っている。それに比較して近隣から島国まで走り回った記録は整理がついていない。

その一つにこの情報は次回の旅行に役立つかもしれないとかの、殆ど豆腐屋の舟のようなものが沢山溜まっているのである。それに目を遣ると今やネットに最新の情報が溢れており、記憶を刺激するキーワードさえ見つかれば殆ど無価値なものだと直ぐに理解した。嘗てのように泊まった町やホテルの領収書やパンフレットは記憶を呼び出すのに必要かもしれないが、それ以外一挙に処分することが出来た。

兎に角、身を軽くして、つまりリセットしないことには資料のみならず経年変化でフットワークが重くなって仕方ない。その反面、所謂記録に属する例えば山の行程を辿れたり、地図類の貴重な資料を整理することで、そのアーカイヴが一挙に活きてくる。現行の雑誌になる前のドイツアルペン協会の古い機関紙もページを捲ってみる楽しみが出てくる。もう少し埃と戯れる必要がありそうだ。
コメント
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