クリスマスオラトリオ全曲を生で通して聴いた。流石に19時に始まるというのに当日のアルテオパーの会場の入りは比較的良かった。しかし休憩を挟んで後半が始まっても、一体この曲を態々コンサートホールで通してやる必要があるのかという気持ちは拭えなかった。
なるほどバッハは舞台作品を書いていないので、こうしたオラトリオの中にはイタリアのそれどころかフランスの同僚の作品の質には及ばないまでも、様々な劇的な味付けには配慮しているのは見えるのだが、中部ドイツがどうしようもない辺境にしか映らないのは致し方ない。
更に当日の合唱団は、現代の音楽も得意にしていると言うが同僚のアムステルダムの合唱団の凄さの足元にも及ばない程度で、ロレーヌからやってきた楽団と共になんとも冴えないのである。しかしローカルな活動をしている楽団としては上等であり、こうして大会場に人を集めるだけの技量はある。
この曲のCDは、リヒャルト・ハウクをプロディーサーとしたファン・ゲーストの録音でヘルムート・リリング指揮の録音をソニーの廉価版で所持している。実は、このシュツッツガルトの楽師たちの演奏も暫くは古楽器を聞いていた耳にはなんとも物足りなさを感じていたのであるが、先月のチューリッヒの室内楽団と東京でも活躍しているパウル・マイヤー指揮などの演奏実践と比べると必ずしも悪くないことに気がつくのである。それどころかなかなかどうして嘗てはインターナショナルなセミナーを開いていただけのバッハの音楽の実践の権威者の一人であったことを思い出して、改めてその演奏実践に耳を傾ける。特にロバート・レヴィンのチェンバロとの協奏曲の録音は、改めて聞き直すと、市中のサロン音楽的なバロックの様相も十分に描き出していて秀逸であった。
自らも態々シュトッツガルトでの日曜の朝の音楽礼拝を訪れたことがあり、どうしてもそうした宗教的な意味合いが錯綜しやすいのだが、今回のオラトリオの全曲上演はその意味からもやはり価値があった。もちろん華やかな第一部などの、如何にも替え歌や、教会唱の安易な利用などと、その出来に文句をつけることは容易なのであるが、その第二部のサブドミナントの音調においての天使と牧童の、そして再び第三部で歌が戻り、イタリアバロックの模倣をしながらの、田舎臭い芝居を繰り広げ、三部から四部へと再びエコーなどを登場させながらの劇作法を駆使する訳である。しかし、それだからこそ少し教養のある人間ならばこうした内容には誰もついてこれないであろう。
しかし、第五部が如何にも借り物のシンフォニアを省いてドミナントの音調から合唱で始まり、イエスの生まれとその存在が認識されるとき、まさに三重唱「Ach, wann wird die Zeit」がはじまるその時に、上で繰り広げられた日曜礼拝の偽善者然とした牧師の礼拝のような風景が、急に引いたカメラへと切り替えられて教会の入り口から参列者の居並ぶ後頭部を映し出すような「自省のアングル」の視野なる。要するに、その福音書の「馬小屋で生まれた王」の確信の内容が同時に信仰の告白の客観化であり、それはイタリアバロックの模倣のような田舎芝居がここに来てはじめてプロテスタント芸術の精華となる瞬間でもある。そこまで来れば、誰も元へは戻れない、天を劈く鋭塔の如く第六部が合唱「Herr, wenn die Stolzen Feinde schnauben」がフーガによって、堅牢な信仰に揺るがない時を謳われるのである。
こうしてみるとそれを代表とするバッハの音楽芸術が、プロテスタンティズムの高度な修辞法とその殆ど過激な宗教告白を十二分に表していることを改めて体験すると共に、その背景に矢張り高度なヘレニズムの影響を考えずにはいられない。まさに、アルテオパーの門番の親仁に「何時もご贔屓有難うね」と迎えられて、「お元気で、何もかも上手くいくようにね」と送られるように、確信に満ちた世界観に根ざしたクリスマスオラトリオの一夜であったのだ。
試聴:
Concentus Musicus Wien, Nikolaus Harnoncourt
Collegium Vocale Gent, Philippe Herreweghe
Gewandhausorchester Leipzig, Riccardo Chailly
Münchener Bach-Chor & Orchester, Karl Richter
Collegium Japan, Suzuki
English Baroque Soloists, Gardiner
Ensemble Vocalensemble & Kammerorchester Lausanne, Corboz
参照:
スポック副船長が楽を奏でると 2010-11-08 | 音
地域性・新教・通俗性 2006-12-18 | 音
コン・リピエーノの世界観 2005-12-15 | 音
聖なるかな、待降節の調べ 2009-12-14 | 音
全脳をもって対話(自問)するとは? 2010-04-05 | 音
お手本としてのメディア 2008-01-20 | 雑感
なるほどバッハは舞台作品を書いていないので、こうしたオラトリオの中にはイタリアのそれどころかフランスの同僚の作品の質には及ばないまでも、様々な劇的な味付けには配慮しているのは見えるのだが、中部ドイツがどうしようもない辺境にしか映らないのは致し方ない。
更に当日の合唱団は、現代の音楽も得意にしていると言うが同僚のアムステルダムの合唱団の凄さの足元にも及ばない程度で、ロレーヌからやってきた楽団と共になんとも冴えないのである。しかしローカルな活動をしている楽団としては上等であり、こうして大会場に人を集めるだけの技量はある。
この曲のCDは、リヒャルト・ハウクをプロディーサーとしたファン・ゲーストの録音でヘルムート・リリング指揮の録音をソニーの廉価版で所持している。実は、このシュツッツガルトの楽師たちの演奏も暫くは古楽器を聞いていた耳にはなんとも物足りなさを感じていたのであるが、先月のチューリッヒの室内楽団と東京でも活躍しているパウル・マイヤー指揮などの演奏実践と比べると必ずしも悪くないことに気がつくのである。それどころかなかなかどうして嘗てはインターナショナルなセミナーを開いていただけのバッハの音楽の実践の権威者の一人であったことを思い出して、改めてその演奏実践に耳を傾ける。特にロバート・レヴィンのチェンバロとの協奏曲の録音は、改めて聞き直すと、市中のサロン音楽的なバロックの様相も十分に描き出していて秀逸であった。
自らも態々シュトッツガルトでの日曜の朝の音楽礼拝を訪れたことがあり、どうしてもそうした宗教的な意味合いが錯綜しやすいのだが、今回のオラトリオの全曲上演はその意味からもやはり価値があった。もちろん華やかな第一部などの、如何にも替え歌や、教会唱の安易な利用などと、その出来に文句をつけることは容易なのであるが、その第二部のサブドミナントの音調においての天使と牧童の、そして再び第三部で歌が戻り、イタリアバロックの模倣をしながらの、田舎臭い芝居を繰り広げ、三部から四部へと再びエコーなどを登場させながらの劇作法を駆使する訳である。しかし、それだからこそ少し教養のある人間ならばこうした内容には誰もついてこれないであろう。
しかし、第五部が如何にも借り物のシンフォニアを省いてドミナントの音調から合唱で始まり、イエスの生まれとその存在が認識されるとき、まさに三重唱「Ach, wann wird die Zeit」がはじまるその時に、上で繰り広げられた日曜礼拝の偽善者然とした牧師の礼拝のような風景が、急に引いたカメラへと切り替えられて教会の入り口から参列者の居並ぶ後頭部を映し出すような「自省のアングル」の視野なる。要するに、その福音書の「馬小屋で生まれた王」の確信の内容が同時に信仰の告白の客観化であり、それはイタリアバロックの模倣のような田舎芝居がここに来てはじめてプロテスタント芸術の精華となる瞬間でもある。そこまで来れば、誰も元へは戻れない、天を劈く鋭塔の如く第六部が合唱「Herr, wenn die Stolzen Feinde schnauben」がフーガによって、堅牢な信仰に揺るがない時を謳われるのである。
こうしてみるとそれを代表とするバッハの音楽芸術が、プロテスタンティズムの高度な修辞法とその殆ど過激な宗教告白を十二分に表していることを改めて体験すると共に、その背景に矢張り高度なヘレニズムの影響を考えずにはいられない。まさに、アルテオパーの門番の親仁に「何時もご贔屓有難うね」と迎えられて、「お元気で、何もかも上手くいくようにね」と送られるように、確信に満ちた世界観に根ざしたクリスマスオラトリオの一夜であったのだ。
試聴:
Concentus Musicus Wien, Nikolaus Harnoncourt
Collegium Vocale Gent, Philippe Herreweghe
Gewandhausorchester Leipzig, Riccardo Chailly
Münchener Bach-Chor & Orchester, Karl Richter
Collegium Japan, Suzuki
English Baroque Soloists, Gardiner
Ensemble Vocalensemble & Kammerorchester Lausanne, Corboz
参照:
スポック副船長が楽を奏でると 2010-11-08 | 音
地域性・新教・通俗性 2006-12-18 | 音
コン・リピエーノの世界観 2005-12-15 | 音
聖なるかな、待降節の調べ 2009-12-14 | 音
全脳をもって対話(自問)するとは? 2010-04-05 | 音
お手本としてのメディア 2008-01-20 | 雑感