Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

存続危機状態の裸の王様

2015-07-23 | 文化一般
安倍首相が在外大使にお願いしていたと、本人がTV出演で話していた。それどころか「それが大使館の仕事だ」と圧力を掛けていたことを吹聴する。それが外務省のFAZ日本特派員への会食の誘いであり、フランクフルトの本社への領事の殴り込みであったようだ。日本国外務省もいい加減にしないと通常の外交を大幅に逸脱していて、間違いなく将来に禍根を残すことになる。それにしてもヒトラーやムッソリーニでも自らは手を汚さなかったようなことをTV番組で自慢しているのには腰が抜けた。

まさしくこれは、先日学者の会記者会見で、立教大学の哲学教授が強調していたことで、マスメディアが知性云々と質問するのに対して、「全くその反対で通常の理性を持っている一般市民が知性などなくとも判断できる」ようなことを詭弁を使って正否を捻じ曲げようとしている現在の日本社会の権力構造そのものの事象なのだ。

YOUTUBEに上げられているあの映像を喜んで多くの人に見て貰うようにしている。要するに言葉とか文化とかを超越したバカだからだ。その内容も含めてこの映像は世界のビックリ映像として残るような気がする。それによって命までを失った中川何某外相の酔っぱらい会見に相当する。そして未だにDL出来るのを見ると、政府がフジTVに抹消を依頼するどころか、皆に見せたいと考えていることが分かる。子供達に正しく指摘して貰おう。

土曜日に初日を向かえる「トリスタン」上演を前に、バイエルン放送が初代音楽監督ティーレマンにインタヴューしていて、そのVIDEOを観た。なるほどマザーコムプレックスを示すお気に入りのピンクのシャツを着ていて、どこか自信無げに答えている。こうしてその人物像を観察するのは初めてだが、今まで数多く接してきたインタヴュー記事の答え方そのものの受け応えだった。

要するにとてもその反応が鈍いので、誠実に答えているかに見える話し手の脳内の働きを想像することになる。なるほど職人的な経験についてはある程度実感をもって反応されるが、その経験や事象を聞き手にメッセージとして送ることなどは一切計算されておらず、あまりにももナイーヴ過ぎる ― 極右のポピュリストではないのだから仕方がない。その音楽へのアプローチの仕方もどことなく朝比奈隆などを思い起こさせて面白い。そして、彼が考える職人技の積み重ねとしての伝統的なもしくは自らが保守と呼ぶものの本質にまでは頭脳が回りかねるようだ。そうした職人芸的な継承は結構なことなのだが ― それゆえにレパートリーが小さ過ぎて、当然次期監督は駄目だったということになっているらしい ―、残念ながらこうした芸術部門ではそうした過去の典型が固定観念となって響いているようではどうしようもないのである。そうしたものは結局はどんなに巧く運んだとしてもアナクロマテリックでキッチュなアイデアから逃れ得ないものなのである。

その下に、「指輪」演出のカストルフのインタヴューがついているので、それも聞いてみた。とても興味深いと思ったのは、何度も繰り返されている言説で、彼の演出は「子供でも分かるが、分からないのは高等教育の教授だけだ」という言い方で、そこに「裸の王様」事態が繰り広げられているとすることだ。まさしく彼が示すような、世界の複雑化の中で、一般市民の理性を頼りに物事を判断すること、これはメルケル首相を代表とするように「連邦共和国の純粋理性」へと高められてきている事象でもある。

今、日本で進行している学生たちを筆頭とする「文化革命」は、68年に欧州が為しえたが日本では成就しなかった脱構造もしくはポストモダーンと呼ばれるようなイデオロギーから更にもう一つ進むと、今のようなことになるというものである。日本国外に長く住んでいる者は誰でも気が付くが、彼らはその二段階の「発展」を軽く一挙に超えてしまっているのだ。



参照:
エリートによる高等な学校 2014-11-03 | 文化一般
異常なI’m not Abeな事態 2015-04-30 | マスメディア批評
コメント
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