Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

胸パクパクでラインに転覆

2015-07-29 | 
ネット生中継放送を聴いてまた不覚にも感動してしまった。昨年の前夜祭「ラインの黄金」では、初めての指揮者であり、ロシア人のヴァーグナーなどとけちの付け所を探していたのだが、弦楽器の漣が押し寄せてくるときには完全にローレライの岩礁に引き込まれていた。そして、MP3では聞き逃してしまうが、生中継ではPCでもホルンの合奏のうねりが実感できて、改めて腰を抜かしてしまった ― 土曜日の更年期のおばさんと同じように胸がパクパクしてしまった。その見事なアーティキュレーションから、ただの三和音ではない殆どライヴエレクトロニクスのうねりを引き出してしまう譜読みは天才のなせる技としか考えられない ― あの奈落ゆえに反射が定常波として出てくるのを逆利用しているのだろう。というよりも楽匠の創作過程を考えると恐れ多い、とそのように感じさせる必然性のある解釈実践がこの指揮者の真骨頂であって、そこがベルリンのフィルハーモニカーの選考理由の一つになっていたのだ。

そうした必然性を感じさせた指揮者にカール・ベーム博士などもいたが、今日からみるとそれは新即物的と呼ばれるような美学的イデオロギーでもあり、独特の弦楽の運弓の扱いなどに執拗な厳しさを感じさせたところも嫌味でもあり、当時の管弦楽の最も美しい鳴らし方でもあったのだろう。そこで気がつくのは、ペトレンコ指揮の時々印象的な弦楽の強い響きに、名手オイストラフなどに聞いた流派を思い出させて、ヴァイオリニストの父親もそのような音色を奏でるのかと思わせる。

バイエルン放送局のレイポルト氏がコムパクトに三年目の「ラインの黄金」初日を伝えている。新加入歌手などについても紹介しているので詳しくは触れないが、映像撮影の関係か、とても準備が出来ているのを感じた。歌唱の質やアンサムブルが昨年よりもよくなっていて、独特の緊張感があった。どうも最初に予定されていたように第ニツィクルスのものが映像化されるのではなくて、その都度出し物によって選択されて組み合わされるようだ。「ラインの黄金」は音楽的にも最も完成度が高かったので、新たなローゲやアルベリヒを迎えてとても引き締まっていた。

生中継を流してから、総譜を一挙にダウンロードした。そしてまた、第一場への序奏の聞き比べをしてみた。ペトレンコ以上に声部間のバランスを「ミキサー調整」しているのは作曲家ピエール・ブーレーズの指揮だった。しかし、弦の小波は押さえ気味でそこに木管が浮かび上がったりするのだ。そして最後の転覆もスムーズに第一幕へと流れ込んでいる。

フルトヴェングラーはそうした具象性を排する方向にあることは想像できていたが、意外にもクナッパ-ツブッシュ指揮が表情豊かで、ベーム以降のカイルベルトやフォン・カラヤンそしてサヴァリッシュまでの世代は寧ろ純音楽的な演奏解釈を心掛けている。一番最後の転覆を強調していたのはクレメンス・クラウス指揮で、ペトレンコが遣っているように思い切った表現をしている者は居ない。もしかすると作曲家の協力者であったハンス・リヒターなどが似たことを遣っていたのではないだろうか。楽匠自身がその効果を喜んでいたに違いない。



参照:
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