Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

あれこれ存立危機事態

2015-07-14 | 歴史・時事
日本は暑い夏を迎えているようだ。戦後七十年の節目に新たな決断に迫られている。自衛隊の海外派兵に表れる軍事強国化には反対の意見が多いようだが、自衛力に関してはさまざま意見があるのだろう。しかし、今日本で転機を迎えているのはもっと本質的な事象であるというのが、いつものことながら日本のマスメディアでは伝えられていないようである。自らの特権や既得権益を侵すような情報は、特に合衆国との関係で生じる利権情報は、一切流さないのが日本のマスメディアであり、そのことは311以降多くの日本人も気がついたに違いない。

それでもまだまだ安倍政権への内閣支持率が充分すぎるほど高いのを見て感じるのは、つまり懸案の自衛権の解釈問題にのみ焦点が当てられていて、より本質的な安倍政権による「立憲精神の蹂躙」が問題点として充分に報じられていないからではないのか?それは九条云々といった問題ではなくて、そのようなことをものともせぬ政治手法への検証の欠如であり、今なぜ違憲問題が話題となり、強制加入団体の弁護士会が日本全国で反対運動をしているかの大枠が充分に解説されていないからではないのか?その本質から逸脱したところでは、政府の正当性が問われて、国民の民意が問われるところとなる。法治や遵法精神が育っていないからああした総理大臣や政治家が割拠するのか。

非西洋の国において、植民地の網から逃れると同時に自ら近代化した国として、とても稀有な存在である筈なのだが、それから百五十年も経たずに完全にメッキが剥げるようなことになるのだろうか?その近代精神と呼ばれるものが問われているのだ。いかに日本のマスメディアが商業的であるだけでなく、権力を支える為政者のために翼賛的な機構であるかということが分かるであろう。

オーストリアの新聞記事にバイロイト音楽祭を絡めて一連のゴシップが纏められている。時系軸がはっきりしていて面白い。それによると、ベルリンの教会で5月11日に催されたフィルハーモニカ―次期監督推薦への投票は、二時間後に圧倒的多数でペトレンコで決まっていたとある。そして本人に電話すると、ミュンヘンでの仕事を理由に辞退したとある ― これならば楽員の一人に個人的に訊ねれば分かっていた筈だ。しかし実際にはマスメディアは全く異なった情報を流した。そして、その固辞の態度が余計に信頼感に繋がったと書かれており、昨年12月のズル休みキャンセルにも通じる一連の行動への評価となる。その辞退を受けて、繋ぎの監督としてヤンソンスが推挙されたがバイエルンの放送局との契約が延長されて、ネルソンズはボストンに固執した ― これも興味深い。

しかし噂のあったデュダメルの方は問題外であったとされる。それでは下馬評の高かったティーレマンは、既に書いたように執行部での拒絶があったので最初から議論外であったとされる。二番手の繋ぎとして、またアバド就任時も人気のあったバレンボイムが推挙されていて、実際に辞退が申し入れられた。しかしペトレンコが固辞した場合は、再びバレンボイムに白羽の矢が向かったとされる。

そこで、六月以降騒がしくなったバイロイトからの動きの背後が想像できる。先ずは、代表を退くパスクエ女史へと出入り禁止の沙汰が話題となり、直ぐにバレンボイムやペトレンコがそうした動きに警告を発して、重要な役の歌手の首が取り替えられる事態が発生した。五月中に全てが定まっていたことになる。そして、今後ミュンヘンの方は2018年までは年二回の新上演をペトレンコに課す一方、それを延長しても年々任務を減らして行きながら関係を続けたいとしていて、ベルリンへと本拠が移るのは予想よりも早まるかもしれないとされている。



参照:
日本国全権大使の敵対行為 2015-04-21 | マスメディア批評
アルベリヒは南仏に消えて、 2015-06-14 | 雑感
Bayreuther Chaos, Berliner Coup, Gert Korentschnig (Kurier)
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