Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

一様に誤解なく伝わる芸術

2016-10-26 | 
承前)一寸安心していると風邪を引きそうになる。特に食事が足りなく寒々したところで仕事をしていると頭が痛くなってきて駄目だ。気温があまり下がっていない時が注意。

日曜日は午後に陽が二三時間出た。幾らか温かみがあるので、暖房の無いリヴィングでLPを鳴らすことが出来た。お勉強中の「マクベス夫人」の第二面から第四面までを聞けた。第一幕三場への間奏曲から第二幕四場と第三幕五場である ― 改訂版のこの通し番号の意味合いは?。

パン屋への早朝のラディオでニコライ・ゲッタ歌唱のバッハのオラトリオが流れていて、あの当時はこういう人が西ドイツでも重宝されていたのだなと感じた。ここでは夫人と情事を持つセルゲイの声が聴ける。

譜面を見乍ら音を流しているが、それとは異なる可成り短縮されたところが演奏されていた。確かめてみるとロシアのサイトからDLしたのは歌劇「カテリーナ イズマイローヴァ」に改定されているものだ。なるほど、強姦のところが短縮され、その他も激しいところが切り取られている。

しかしここで演奏されている音楽は昔感じていたようなものではなくて、例えば交響曲四番などと比較も可能だが、寧ろ抒情的で分かりやすく明晰な音響である。自分自身正直驚いている。調べると1934年初演なので、当時の作品群と比較するとなるほどシャープなところもあるが、ヒンデミットやブリテンなどと比べて抒情的な直截的な美しさに溢れている。

なるほど交響曲四番的な音楽は修正されるに充分な美学的な根拠があったのは追体験できる。その点に関しては作曲家も鉾を収めるに吝かではなかったのではなかろうか。モーツァルトをこよなく愛する独裁者スターリンに至っては到底受け入れられなかったであろうが、我々が興味あるのはそこではなく作曲家の創作態度である。

今ここで初演版世界初録音盤を途中まで聞いた。楽譜には明晰な音符が書かれていて、おいしいところが何事も無く演奏されている。初演のようなものだからそこまでの表現には至らなかったのは理解できるのだが、プロデューサーの突っ込みどころ満載の録音である。当代最高の大チェリストとして精緻乍ら大ホールをも唸らす演奏をしていた指揮者ロストロポーヴィッチの演奏は、なるほどそのチェロも粒の揃った音色で新素材の弓を使っているようにまるで凝縮され磨きをかけられたようなものだったが、同じように指揮者としても二十世紀後半の特徴である綺麗な放物線を描こうとしているためなのか肝心の音楽が響かない。更に自分で演奏するのとは違って、指揮のテクニック上の問題か、音にするのが精一杯といった感じで、特にテムポのメリハリなどその演奏の精妙さまでは、健闘しているロンドンのフィルハーモニーからも引き出されていない。タイトルロールを歌う奥さんのヴィシネススカヤの歌もその領域を出ないのは、ラフマニノフなどよりショスターコヴィッチの音楽に共感を持てないということだろうか。

譜面にはもっともっと沢山の楽想が詰まっているのだが、逆に言うとそれが私にでも読み込めるほどに単純明快な創作がここに為されていて、これこそが社会主義リアリズムだなと再び納得させられるのである。要するに誰にでも誤解なく伝わる芸術音楽ということになる。(続く)



参照:
六十禁が必要な場合とは? 2011-11-05 | 文化一般
瞳孔を開いて行間を読む 2006-10-22 | 音
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