漸く陽が射した。何日ぶりだろうか?初買い物に出かけた日の小雨の時にしか記憶がない。前夜は初豚煮肉の極上の味わいに、蒸し塩ジャガイモとキュウリの酢漬けを付け合わせて食した。ご相伴は辛口のリースリングに尽きる。昨年春の試飲会以来その酸にやられてきたが、ここでどうやらそれが落ち着いてきたようだ。12本購入して残りは4本ほどしかないレープホルツ醸造所の2016年「オェコノラート」である。毎年ドイツのリースリングで最も辛口の最左翼リースリングである。
酸が表に出ていたので売れ行きは悪かったようだが、今ここで楽しむことができて幸せなのだ。やはり信用してよかったと思い、改めてこの醸造所の一貫したコンセプトには頭が下がる。酸が少しだけでもその鎧を綻ばせると、そこから何と表現しようか、趣きに富んだ味わいに溢れるのである。所謂ミネラル風味というものであるが、直截なわらとか何とかよりもう一つひねてい乍ら純度が高いのである。石灰の混じっていない雑食砂岩特有の味わいなのだが、これは糖を落とすことで始めて味わえる愉楽なのだ。立ちはだかる鎧のような酸にめげずに付き合ってきたご褒美である。
これだけの質が確認されるとその上位の「フォムブントザンドシュタイン」や「ガンツホルン」の熟成への期待がより一層膨らむ。前者は6本購入してまだ5本ある筈だが、じっくりと二年を待つのが一苦労である。どうしても手が出てしまうからである。
年末年始の食材で期限切れにしてしまったものが見つかった。一杯入っていて完全に忘れて気が付かなかった。27日までのチーズであるから、クリスマス前に購入したものだ。一口も食していないので包装ラップの内側に青カビが生えていた。もともとは青カビがついていない筈である。開けて切ってみないと分からないが、これは駄目かなと思った。切ってそのままごみ箱行の可能性が強い。食料品を腐らすことはまずないのだが、これは仕方がない。
半年前ぐらいからノートブックの充電が不安定になっていた。充電ラムプが長く点いていたり、電源を外すと落ちたりするようになった。充電可能でその都度使えるので充電池買え替えの必要は感じなかったが、将来を考えている。HDDをSSDに取り換えてPCオーディオ専用に使うとなると電池駆動も欲しいような気もするからである。純正品は高価でありそこまでの価値があるのか、モデルタイプは質が悪いと決まっているので、SSDの価格を考慮するとそれほどフラッシュアップには投資出来ない。
木曜日から「指輪」再演が始まる。前夜祭「ラインの黄金」からである。ツィクルスAは土曜日からである。急いで一場だけを聞いた。2015年バイロイトからの中継録音である。そこで気が付いたのはラインの乙女たちの歌が若干行き詰まりの感じになっていて、あの動き回る舞台からするととも思うのだが、作曲家がその歌に何を求めていたかを見るとやはり詰まり気味になっていると思う。
個人的に昨年のオペラ上演でのゲルハーハのタンホイザー三幕の「夕べの星」とヤホの「修道女」フィナーレの歌唱はオペラ上演のその音楽的可能性を改めて感じた場面であって、後者のイタリアでの批評にも「インテムポのペトレンコが珍しくテムポを」とあり、前者の「ペトレンコにしては超低速」とあったのと対応している。実際にはテムポの問題ではなくて拍子どりの間やタメなのだが、このバイロイト公演では若干息が短くなり過ぎている。なるほどパーヴォ・ヤルヴィ指揮の不自然に窮屈な過呼吸のような息使いとは異なるのだが、もう少し歌手の留意しているアーティキュレーションを活かすと更にテキストの表現がその音色と共に拡大するのは、前記二回で確認したことである。特に蓋の無い奈落と精妙に合せてくるとなると、その結果として言葉の明瞭さと共に声の表情が活きて楽器との色合いがとても出て来る筈なのだ。
最近はキリル・ペトレンコリスナーとして予めその演奏を予想するようになって来ているのだが、まさしくそうしたところが聴き所であることも間違いない。録音されたものから二年以上経って、蓋の有無に関わらず、その間の東京などでの公演記録も加味すると、我々大凡人でさえも、ここはこのようにというような新たな期待が生じてくるから不思議なものである。
参照:
キレキレのリースリング 2017-11-11 | ワイン
胸パクパクでラインに転覆 2015-07-29 | 音
酸が表に出ていたので売れ行きは悪かったようだが、今ここで楽しむことができて幸せなのだ。やはり信用してよかったと思い、改めてこの醸造所の一貫したコンセプトには頭が下がる。酸が少しだけでもその鎧を綻ばせると、そこから何と表現しようか、趣きに富んだ味わいに溢れるのである。所謂ミネラル風味というものであるが、直截なわらとか何とかよりもう一つひねてい乍ら純度が高いのである。石灰の混じっていない雑食砂岩特有の味わいなのだが、これは糖を落とすことで始めて味わえる愉楽なのだ。立ちはだかる鎧のような酸にめげずに付き合ってきたご褒美である。
これだけの質が確認されるとその上位の「フォムブントザンドシュタイン」や「ガンツホルン」の熟成への期待がより一層膨らむ。前者は6本購入してまだ5本ある筈だが、じっくりと二年を待つのが一苦労である。どうしても手が出てしまうからである。
年末年始の食材で期限切れにしてしまったものが見つかった。一杯入っていて完全に忘れて気が付かなかった。27日までのチーズであるから、クリスマス前に購入したものだ。一口も食していないので包装ラップの内側に青カビが生えていた。もともとは青カビがついていない筈である。開けて切ってみないと分からないが、これは駄目かなと思った。切ってそのままごみ箱行の可能性が強い。食料品を腐らすことはまずないのだが、これは仕方がない。
半年前ぐらいからノートブックの充電が不安定になっていた。充電ラムプが長く点いていたり、電源を外すと落ちたりするようになった。充電可能でその都度使えるので充電池買え替えの必要は感じなかったが、将来を考えている。HDDをSSDに取り換えてPCオーディオ専用に使うとなると電池駆動も欲しいような気もするからである。純正品は高価でありそこまでの価値があるのか、モデルタイプは質が悪いと決まっているので、SSDの価格を考慮するとそれほどフラッシュアップには投資出来ない。
木曜日から「指輪」再演が始まる。前夜祭「ラインの黄金」からである。ツィクルスAは土曜日からである。急いで一場だけを聞いた。2015年バイロイトからの中継録音である。そこで気が付いたのはラインの乙女たちの歌が若干行き詰まりの感じになっていて、あの動き回る舞台からするととも思うのだが、作曲家がその歌に何を求めていたかを見るとやはり詰まり気味になっていると思う。
個人的に昨年のオペラ上演でのゲルハーハのタンホイザー三幕の「夕べの星」とヤホの「修道女」フィナーレの歌唱はオペラ上演のその音楽的可能性を改めて感じた場面であって、後者のイタリアでの批評にも「インテムポのペトレンコが珍しくテムポを」とあり、前者の「ペトレンコにしては超低速」とあったのと対応している。実際にはテムポの問題ではなくて拍子どりの間やタメなのだが、このバイロイト公演では若干息が短くなり過ぎている。なるほどパーヴォ・ヤルヴィ指揮の不自然に窮屈な過呼吸のような息使いとは異なるのだが、もう少し歌手の留意しているアーティキュレーションを活かすと更にテキストの表現がその音色と共に拡大するのは、前記二回で確認したことである。特に蓋の無い奈落と精妙に合せてくるとなると、その結果として言葉の明瞭さと共に声の表情が活きて楽器との色合いがとても出て来る筈なのだ。
最近はキリル・ペトレンコリスナーとして予めその演奏を予想するようになって来ているのだが、まさしくそうしたところが聴き所であることも間違いない。録音されたものから二年以上経って、蓋の有無に関わらず、その間の東京などでの公演記録も加味すると、我々大凡人でさえも、ここはこのようにというような新たな期待が生じてくるから不思議なものである。
参照:
キレキレのリースリング 2017-11-11 | ワイン
胸パクパクでラインに転覆 2015-07-29 | 音