Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

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2018-01-18 | 生活
日本からのツイッターで三月の「ばらの騎士」発券の話題が散見された。私は敢えて一年前に出かけた。今年再び話題になることも分かっていたので、早めに終えておきたかったからだ。そもそもキリル・ペトレンコはこのポピュラー名曲楽劇に関してはベルリン時代に出来上がってしまっていたような気配が十年前のインタヴューにも窺がえ、こちらもそうだと納得していた。しかしやはり実際に聞いてみなければ、放送もなさそうなので、批評も出来ないので出かけたのだった。結果は既に書き留めた通りだが、その時はキャスティングが不完全なものであり、今回はニューヨーク公演に先駆けた完成度の高さも期待できたので考慮したのも事実である。今回はミュンヘンで練習を兼ねて四回演奏される。発売状況を見ると、2015年以前の状況とあまり変わらないようで、一般発売されてもまだ最上階の端の方とは言っても最前列が余っているぐらいで ― 舞台は見れなくても指揮と管弦楽はよく見れるお得な席なのだ ―、最近のミュンヘンでペトレンコ指揮の中では売れ足が遅い。最終的には完売するかどうかというどころだろう。

夜中も荒れていた。雨も断続的に横殴りに降っていたと思う。明け方は少し落ち着いていた。雪となっていたが、街道筋は雨だった。晴れ間が出てきたのでパン屋に行って峠を攻めた。思っていたよりも寒い。森の中に入ると白くなっていた。外気温も摂氏2度まで落ちた。風も強く、走り出す前には再びパラパラと来た。あられのような雪である。ヘアーバンドではなくて帽子にしておいてよかった。流石にパンツは脱げなかった。風が吹くと辛かった。何とか戻ってくると汗を掻いた。

「ヴァルキューレ」二幕に入った。一幕の単純な三部構成とは異なって、金儲けのためのポピューラー楽劇では終わらない。五場の中に盛り沢山になっていることも多いが、その中にレチィタティーヴォから抜けきれないジークフリート後半以降にはない展開なので、更に音楽的にとても複雑になる。フリッカの場面などが聴き所なのだが、今回の配役からするとそれほど期待出来ないかもしれない。その反対に二場のヴォータンとビュルンヒルデは楽しみだ。また三場のカムペの歌も2015年とどれほど異なるか。四場でいよいよシュテムメの実力を吟味出来るか。まあ、演出によって大分変わってしまう。

先日から気になっていたバーデンバーデン復活祭での残り券を購入した。発売当時には無視していた、ペトレンコ指揮でルツェルンでのプログラムにあり話題性の高い、ベートーヴェンの第七交響曲を前任者サイモン・ラトルが振るというものだ。後先になったのだが、同じ曲が前任者と後任者で同じ管弦楽団で数か月の間に演奏されるという稀な機会を逃すわけにはいかない。思えば第七交響曲を最後に生で聞いたのはカルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団だった。今年は数か月以内の「パルシファル」上演など偶然とは思えない企画となっている。そこまで行くと来年はバーデンバーデンでの「トリスタン」上演も期待したくなる。どのように決まっているのかは知らない。

べート―ヴェンの前にバーンスタインの「不安の時代」が演奏されるのだが、後半は日程的には楽な英雄交響曲との会もあった。しかしラトル指揮で英雄交響曲を聞いても仕方ないとも思った。ベルリナーフィルハーモニカーでベートーヴェンの交響曲はカラヤン時代も興味が無く、今まで二年前の合唱交響曲以外は聞いたこともない。先ずはラトルがどのような編成でどのような音楽を奏でるのかとても興味深い参考試聴になると思う。なんといっても29ユーロであり、ユロウスキ―指揮ロンドンフィルハモニカ―などよりはるかに安い、いざとなれば捨ててもよい。因みにロンドンのはより知名度の高かろうエッシェヘンバッハがフランクフルトと同じようなプログラムを振るようだが、ユロウスキーはきっと忙しいのだろう。



参照:
良いこともある待降節 2017-12-15 | 暦
キリル・ペトレンコの十年 2017-11-12 | 文化一般
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
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