燃料は結局昨日と同じ130.90セントで満タンにした。現状としてはベストだったろう。走りながらいくら違えば残り量からどれほどの差額になるかなどを計算していた。二回に別けたことで、その差額は大した額にはならなかったのだが、昨日と同じ価格まで下がってよかった。シャツ回収の序に、久しぶりに峠を攻めた。結局頂上攻めは時間的にも精神的にも余裕がなく一度しかやっておらず、月曜日にパン屋が再開するので、日曜日にしか機会がない。全ては前夜祭「ラインの黄金」の興奮度合いだろうか。
(承前)一回目の公演はやはりキャストも良かったという評判のようで、カーテンコールも想定よりも賑やかだったようだ。一場のラインの乙女の場面を調べていると、それこそ指示動機に気持ちを奪われていると、肝心の繋がりが分からなくなる。歌芝居でも台詞芝居でも同じだが、そこに至る流れや経過こそが聴き所、見所なので、迂闊にもラインの流れに気を奪われているうちに、楽匠の匠を聞き逃していた。するとその次のフリッカの愚痴の場面も気になりだした。今晩は食事を遅らせてでもこれに集中しないといけないかもしれない。
カーテンコールの写真などを見ていて、直ぐにフライヤ役のゴルダ・シュルツが識別出来なかった。理由は役に決められているブロンドだけでなくファンデーションで色が白塗りされているからだ。そして彼女のインスタグラムなどの最新映像を観ると、これをネタにしていた。日本では先頃黒塗りが問題になったと知ったが、これは丁度反対の白塗りである。これは勿論クラシックな楽劇の役柄としての判断での白塗りであり、ブロンドと同時にある意味定まったようなものではあるかもしれないが、勿論肌の色は白くしないでもあり得たかもしれない。この辺りは判断次第だろう。ラインの乙女のジェニファー・ジョンストンも彼女のインスタグラムなどでブロンド鬘をネタにしているように、メーキャップも演出としてもキーポイントで、まさしくバロックだ ― 因みに2015年暮れには中村恵理も「神々の黄昏」のラインの乙女を歌っていたことを付け加えておこう。
少なくとも本人はこれをネタにしたということで、合衆国の黒人歌手ラッセル・トーマスのような「黒人のための黒人の上演」までの明確なメッセージはないのであるが、少なくとも注意を向けたことにはほかならない ― そもそも上記のカーテンコールでの疑問に答えている。確か「ばらの騎士」のソフィー役はそこまでしていなかったと想像する。またニューヨークでのコンツェルタント上演には、先輩格のハンナ・エリザベート・ミューラーが歌うことになっている。
新聞の文化欄にパパーノ指揮のセントチチーリア管弦楽団ドイツ公演の評が載っていて、ドイツ音楽で勝負するその指揮者の意識が伝えられている。イタリア人歌手のもとに英国に生まれた指揮者で、オペラの世界では超一流とされている指揮者である。そしてオペラを知らない交響楽団を再びそのオペラの演奏実践から交響楽実践へと伝統を導こうとしているらしい。その録音などでの指揮風などから大体分かっているつもりなのだが、アンネ・ゾフィー・ムターとの共演がなかなかいいようでと読んで、急いでバーデンバーデンのサイトを見ると、残念ながら29ユーロの席は売っていなかった。彼女のヴァイオリンを聞こうと思うと通常はその額では無理なのでお得だと気が付いたのが遅かった。やはり地元だけのことはある。
参照:
ザルツブルク、再び? 2017-11-17 | 文化一般
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事
(承前)一回目の公演はやはりキャストも良かったという評判のようで、カーテンコールも想定よりも賑やかだったようだ。一場のラインの乙女の場面を調べていると、それこそ指示動機に気持ちを奪われていると、肝心の繋がりが分からなくなる。歌芝居でも台詞芝居でも同じだが、そこに至る流れや経過こそが聴き所、見所なので、迂闊にもラインの流れに気を奪われているうちに、楽匠の匠を聞き逃していた。するとその次のフリッカの愚痴の場面も気になりだした。今晩は食事を遅らせてでもこれに集中しないといけないかもしれない。
カーテンコールの写真などを見ていて、直ぐにフライヤ役のゴルダ・シュルツが識別出来なかった。理由は役に決められているブロンドだけでなくファンデーションで色が白塗りされているからだ。そして彼女のインスタグラムなどの最新映像を観ると、これをネタにしていた。日本では先頃黒塗りが問題になったと知ったが、これは丁度反対の白塗りである。これは勿論クラシックな楽劇の役柄としての判断での白塗りであり、ブロンドと同時にある意味定まったようなものではあるかもしれないが、勿論肌の色は白くしないでもあり得たかもしれない。この辺りは判断次第だろう。ラインの乙女のジェニファー・ジョンストンも彼女のインスタグラムなどでブロンド鬘をネタにしているように、メーキャップも演出としてもキーポイントで、まさしくバロックだ ― 因みに2015年暮れには中村恵理も「神々の黄昏」のラインの乙女を歌っていたことを付け加えておこう。
少なくとも本人はこれをネタにしたということで、合衆国の黒人歌手ラッセル・トーマスのような「黒人のための黒人の上演」までの明確なメッセージはないのであるが、少なくとも注意を向けたことにはほかならない ― そもそも上記のカーテンコールでの疑問に答えている。確か「ばらの騎士」のソフィー役はそこまでしていなかったと想像する。またニューヨークでのコンツェルタント上演には、先輩格のハンナ・エリザベート・ミューラーが歌うことになっている。
新聞の文化欄にパパーノ指揮のセントチチーリア管弦楽団ドイツ公演の評が載っていて、ドイツ音楽で勝負するその指揮者の意識が伝えられている。イタリア人歌手のもとに英国に生まれた指揮者で、オペラの世界では超一流とされている指揮者である。そしてオペラを知らない交響楽団を再びそのオペラの演奏実践から交響楽実践へと伝統を導こうとしているらしい。その録音などでの指揮風などから大体分かっているつもりなのだが、アンネ・ゾフィー・ムターとの共演がなかなかいいようでと読んで、急いでバーデンバーデンのサイトを見ると、残念ながら29ユーロの席は売っていなかった。彼女のヴァイオリンを聞こうと思うと通常はその額では無理なのでお得だと気が付いたのが遅かった。やはり地元だけのことはある。
参照:
ザルツブルク、再び? 2017-11-17 | 文化一般
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事