月曜日の夜はミュンヘンの劇場からの中継があった。それ意外にも二種類のコンタクトがあった。一つは「パルシファル」公演予約のキャンセルの申し出の確認の個人的なメールで、もう一つは昨秋日本にも帯同してツイッターでコンタクトのあった広報責任者の名前でのアンケートのお願いだった。オペラフェストの特別販売でのアンケートだった。なるほどこちらもノウハウが蓄積されてきたが、あと四つか多くても五つぐらいの新制作を残すぐらいで、キリル・ペトレンコと同じようにフェードアウトする心算である。しかし劇場はスタッフも充実しているが、SNSなどを使って独自の広報活動を積極的に繰り広げていて天晴だ。ヴィーンのように観光客目当ては夏のフェスティヴァルだけなのだが、同時にこうして常連さん対策も欠かさないのは偉い。
ネット中継は音量が最初あまりに絞ってあって、また二幕で誰かがマイクに息を吹き付ける事故があったが、それ以外は素晴らしいサウンドで放映された。やはり専門のバイエルン放送局の方がドルビーサラウンド対応でステレオには難がありそうだ。そして前回の「三部作」の時にはアジア向きにもライヴを流していたが、誰も見ていなかったのだろう、今回は取り止めになっていて、その分本放送のキャパシティーが上がったようで、ストレスの無いストリーミングが可能になっていた。但しこちらのネット事情でHD1080Pは再生は不可能なので落とした形で、録音を主体に流した。録音はどうも完璧なようで、映像も今回から48000kHzFlac対応にしたので音質は上がった。あとはオンデマンドで高品質映像が落とせれば完璧である。最初の音量がどのように修正されているかも気になる。
次シーズンのプログラムお披露目の話しが出ていて、個人的には先週末にこの夏までのシーズンの予定が立ったところなのだが、既に次シーズンへと関心が向けられている。なにか劇場の広報戦略と言うよりも音楽監督ペトレンコの芸術的思考形態などをどうしてもそこに感じさせる。今回の「指輪」から「パルシファル」への流れと同時にどうしてもベートーヴェンの第七交響曲がそこに繋がってくるのである。
面白いのは、上のアンケートの回答者に抽選で入場券が当たるのだが、2018年9月下旬10月初めに掛けて劇場200年祭「ゲリープト・ゲハスト ― 愛されて、憎まれて」のフェスト週があり、ペトレンコ指揮「マイスタージンガー」再演のあることが分かった。ペトレンコは、ベルリンのフィルハーモニカーと8月末には七番「舞踏の神化」を振る。そして、ロンドンには6月にマーラーの「夜の歌」で登場するので、結局一度参加を断られたプロムスには参加しないから ― BBCのバカバカ! ―、9月はそこまでお休みなのだろう。しかしヴァルターを誰が歌うのか、エーファーには誰が入るのかとても気になるところだ。コッホのザックスは間違いないだろうが、ベックメッサーにアイへが入るかどうかはあの演出では大きい。
更に気になるのはアニヤ・カムペの任命式で、宮廷歌手になるとミュンヘンに現われなくなるという笑い話で、次の「トリスタンとイゾルデ」での彼女の登場は欠かせないと思われるのだが、それは意味深なのである。いずれにしても、「マイスタージンガー」に続いて春に「トリスタン」があるだろうか?「トリスタン」でヴァークナーは打ち止めだとすると、その他三つは一体何が掛かるのか?コンサートの方でプロコフィエフとデュカとシュミットが入っているのが気になる。劇場でリヒャルト・シュトラウスの「エレクトラ」はあるのかどうか、それよりプフィッツナー、ブゾーニやヒンデミットの辺りがあるのか。
ストリームの映像を観ていて、やはりクリンゲンブルクはそのアイデアに関しては別にしても技術的にはとても職人的に程度が高いと思った。金曜日の公演に関して書き忘れていたが、とても小劇場的な音楽とそのセリフならぬ歌の細やかさは、アップにした映像からはあまり伝わらなかったが、左右に分かれたペア―の間を黒子が取り持つなど中々上手い解決法をしていた。劇場では細かな黒子などは殆ど背景に沈んでしまうのだが、ズームするとそれに気が付く。
秋からSWR放送管弦楽団に就任するカラヤン二世の演奏会評がフランクフルターアルゲマイネに載っていた。いつものように疑問しか湧き起こさない状況が報告されている。逐一、散々に叩かれている。 仕事とはいいながら態々シュトッツガルトまで出かけて、無駄な活きない批判をするのもご苦労様だ。ブルックナーの第九で最初からクライマクスを作ってしまうのであとは喧しいだけで、カトリックのこの作曲家のそれがまるでフォイヤ―バッハ風に料理されて、指揮者ご本人は音楽哲学的と自称しているからと嘲笑されている。あれが自称精神的で、今やその意味が変わっているのだろうかと、この新聞を読む各世界のリーダーにこのまやかしものの正体を見せつける。ソニーの広報の資金がどのように交際費として処理されているか知らないが、SWR文化波などは州の重要な文化の泉である。この指揮者が就任しても長持ちする可能性はないと思う。これだけはっきりと書けるということは当日のリーダーハーレの会場の反響にそれほど反してはいないと言うことだろう。放送局自体がその関連で大きなスキャンダルとなりそうである。次はバイロイトで「指輪」指揮か、能力の無い初代監督とは比較にならないぐらいの才能と魂胆があるからこそカラヤンの本当の後継者である。
参照:
金ではない、そこにあるのは 2017-08-23 | 雑感
熱心なもの好き達 2018-01-21 | 文化一般
ネット中継は音量が最初あまりに絞ってあって、また二幕で誰かがマイクに息を吹き付ける事故があったが、それ以外は素晴らしいサウンドで放映された。やはり専門のバイエルン放送局の方がドルビーサラウンド対応でステレオには難がありそうだ。そして前回の「三部作」の時にはアジア向きにもライヴを流していたが、誰も見ていなかったのだろう、今回は取り止めになっていて、その分本放送のキャパシティーが上がったようで、ストレスの無いストリーミングが可能になっていた。但しこちらのネット事情でHD1080Pは再生は不可能なので落とした形で、録音を主体に流した。録音はどうも完璧なようで、映像も今回から48000kHzFlac対応にしたので音質は上がった。あとはオンデマンドで高品質映像が落とせれば完璧である。最初の音量がどのように修正されているかも気になる。
次シーズンのプログラムお披露目の話しが出ていて、個人的には先週末にこの夏までのシーズンの予定が立ったところなのだが、既に次シーズンへと関心が向けられている。なにか劇場の広報戦略と言うよりも音楽監督ペトレンコの芸術的思考形態などをどうしてもそこに感じさせる。今回の「指輪」から「パルシファル」への流れと同時にどうしてもベートーヴェンの第七交響曲がそこに繋がってくるのである。
面白いのは、上のアンケートの回答者に抽選で入場券が当たるのだが、2018年9月下旬10月初めに掛けて劇場200年祭「ゲリープト・ゲハスト ― 愛されて、憎まれて」のフェスト週があり、ペトレンコ指揮「マイスタージンガー」再演のあることが分かった。ペトレンコは、ベルリンのフィルハーモニカーと8月末には七番「舞踏の神化」を振る。そして、ロンドンには6月にマーラーの「夜の歌」で登場するので、結局一度参加を断られたプロムスには参加しないから ― BBCのバカバカ! ―、9月はそこまでお休みなのだろう。しかしヴァルターを誰が歌うのか、エーファーには誰が入るのかとても気になるところだ。コッホのザックスは間違いないだろうが、ベックメッサーにアイへが入るかどうかはあの演出では大きい。
更に気になるのはアニヤ・カムペの任命式で、宮廷歌手になるとミュンヘンに現われなくなるという笑い話で、次の「トリスタンとイゾルデ」での彼女の登場は欠かせないと思われるのだが、それは意味深なのである。いずれにしても、「マイスタージンガー」に続いて春に「トリスタン」があるだろうか?「トリスタン」でヴァークナーは打ち止めだとすると、その他三つは一体何が掛かるのか?コンサートの方でプロコフィエフとデュカとシュミットが入っているのが気になる。劇場でリヒャルト・シュトラウスの「エレクトラ」はあるのかどうか、それよりプフィッツナー、ブゾーニやヒンデミットの辺りがあるのか。
ストリームの映像を観ていて、やはりクリンゲンブルクはそのアイデアに関しては別にしても技術的にはとても職人的に程度が高いと思った。金曜日の公演に関して書き忘れていたが、とても小劇場的な音楽とそのセリフならぬ歌の細やかさは、アップにした映像からはあまり伝わらなかったが、左右に分かれたペア―の間を黒子が取り持つなど中々上手い解決法をしていた。劇場では細かな黒子などは殆ど背景に沈んでしまうのだが、ズームするとそれに気が付く。
秋からSWR放送管弦楽団に就任するカラヤン二世の演奏会評がフランクフルターアルゲマイネに載っていた。いつものように疑問しか湧き起こさない状況が報告されている。逐一、散々に叩かれている。 仕事とはいいながら態々シュトッツガルトまで出かけて、無駄な活きない批判をするのもご苦労様だ。ブルックナーの第九で最初からクライマクスを作ってしまうのであとは喧しいだけで、カトリックのこの作曲家のそれがまるでフォイヤ―バッハ風に料理されて、指揮者ご本人は音楽哲学的と自称しているからと嘲笑されている。あれが自称精神的で、今やその意味が変わっているのだろうかと、この新聞を読む各世界のリーダーにこのまやかしものの正体を見せつける。ソニーの広報の資金がどのように交際費として処理されているか知らないが、SWR文化波などは州の重要な文化の泉である。この指揮者が就任しても長持ちする可能性はないと思う。これだけはっきりと書けるということは当日のリーダーハーレの会場の反響にそれほど反してはいないと言うことだろう。放送局自体がその関連で大きなスキャンダルとなりそうである。次はバイロイトで「指輪」指揮か、能力の無い初代監督とは比較にならないぐらいの才能と魂胆があるからこそカラヤンの本当の後継者である。
参照:
金ではない、そこにあるのは 2017-08-23 | 雑感
熱心なもの好き達 2018-01-21 | 文化一般