雪の上を走った。土曜日の雪で音が鳴った。日曜日から冷えているからだ。先週書いた零下7.5は間違いであったことが判明した。ディスプレーの液晶表示が傷んでいるので0.5度を錯覚したらしい。街と森の間で5度差はおかしいと思っていたが、間違いだった。朝はその零下0.5度の森だ。
路面等は開いているのだが氷結していて、坂を走って上がれるかと思ったが、森に入ると雪が乗っていて比較的問題なく走れた。陽が当たる部分は殆ど雪が無かった。下りは日向が続くので助かった。曇天で気温が下がらなかった分比較的気持ちよく走れた。それでも流石に駐車は少なく、樵作業が沢沿いで始まっていた。代替コースを検討しておかないといけない。
前日に頂上を目指さなかったのは正しかった。走っていたら積雪量と氷でとても苦しいことになっただろうと思う。無理をして身体を壊していた可能性もある。疲れて、終日タブレットの修理どころではなかっただろう。それでも雪の上を30分近く走ると芯から冷えてしまった。
ベルリンのフィルハーモニーでの演奏会評が新聞に載っている。来シーズンに先駆けそこでデビューする指揮者などがズビン・メーターの休演で続いている。注目されたのはヴァイオリニストのミヒャエル・バレンボイムであるが、そのシェーンベルクに関しては既に書いたので、改めて紹介する必要はない。一流の奏者である。そこに合わせた指揮者がまたデビューで、このデビューは蛇足だったと書かれている。日本で人気のあるペトレンコである ― SNS上ではサクラも沢山いるのだろうが。勿論キリルではなくヴァシリーである。その指揮に関してYouTubeで盲目らしきピアニストと共演しているのを少し見たので分かっていた。その通り、一流ヴァイオリニストと共演して一流交響楽団にデビューするような事が蛇足だというのだ。
フィルハーモニカーの反応も明らかに怠く、受け身でしか無く、適当でいい加減な「伴奏」ではこのソロに対応するにはどうしようもないと、将来が危惧されている。しかし、もう一人のペトレンコがいるからと閉じる。要するにこのデビューは、二人のペトレンコの紛らわしい状況を、コミュニケーション戦略的に見れば、もう一人のペトレンコを場外に送り出すことで解消したことになる。ラヴェル作品では少し改善されて、不器用な若者の、気分に乗って病気の如く空を掻き回わす指揮者の潜在能力を見せたと精々書かれている ― なんて潜在能力だ!。私には流石にここまで辛辣な内容を綴る力はない。流石ドイツでトップの高級紙だけのことはある。
要するに会場のお客さんにもはっきりしたということだろう。ファンにも本人にも気の毒なことなのだが、悪いのはその周りで銭を毟る業界であり、皆ご本人たちがその業界のお陰で自己実現をしているのだから、こうした無謀なサドンデス興業も断れないのだろう。そしてこれだけ叩かれると便利屋さんにもなれない。容赦ない罠に引っかかったのは誰だ?
同じような若々しい容姿の指揮者もいてメディア産業が市場を開いているが、それは丁度身障者の芸がコミュニケーションテクニック上脚光を浴び易く、それによって知名度が出て市場が開けるという構造と全く同じである。それが商業メディアによる主な仕事であり芸術とはあまり関係ない芸能界なのである。そもそもオペラ歌手などの世界はまた別の世界であるが、そこには身障者はなぜかあまり出ない。それでもまだ容姿が良いとか身障者ならば分かり易い明確な市場が開けるのだが、豚のような男がメディア戦略に乗ったのがどうしても解せないのである。要するに紛らわしいのである。
個人的にはこれを読んで、2018/19年はまだ知られていない若手がフィルハーモニーの指揮台に立つとされているが、本当に30歳代で将来を期待出来る人がどれぐらいいるのだろうかと訝るのである。キリル・ペトレンコにしても30歳過ぎには気鋭として既に注目されて無名ではなかった訳だから、20歳代ぐらいの経験の薄い人しかありえないと思う。要するに残りは二流の指揮者しかいないということになる。新聞ではないが、大丈夫だろうか?
参照:
十二音の対位法の映像化 2013-12-20 | 音
零下7.5度の寒さを超えた 2018-02-17 | アウトドーア・環境
論評できない異次元 2018-02-12 | マスメディア批評
路面等は開いているのだが氷結していて、坂を走って上がれるかと思ったが、森に入ると雪が乗っていて比較的問題なく走れた。陽が当たる部分は殆ど雪が無かった。下りは日向が続くので助かった。曇天で気温が下がらなかった分比較的気持ちよく走れた。それでも流石に駐車は少なく、樵作業が沢沿いで始まっていた。代替コースを検討しておかないといけない。
前日に頂上を目指さなかったのは正しかった。走っていたら積雪量と氷でとても苦しいことになっただろうと思う。無理をして身体を壊していた可能性もある。疲れて、終日タブレットの修理どころではなかっただろう。それでも雪の上を30分近く走ると芯から冷えてしまった。
ベルリンのフィルハーモニーでの演奏会評が新聞に載っている。来シーズンに先駆けそこでデビューする指揮者などがズビン・メーターの休演で続いている。注目されたのはヴァイオリニストのミヒャエル・バレンボイムであるが、そのシェーンベルクに関しては既に書いたので、改めて紹介する必要はない。一流の奏者である。そこに合わせた指揮者がまたデビューで、このデビューは蛇足だったと書かれている。日本で人気のあるペトレンコである ― SNS上ではサクラも沢山いるのだろうが。勿論キリルではなくヴァシリーである。その指揮に関してYouTubeで盲目らしきピアニストと共演しているのを少し見たので分かっていた。その通り、一流ヴァイオリニストと共演して一流交響楽団にデビューするような事が蛇足だというのだ。
フィルハーモニカーの反応も明らかに怠く、受け身でしか無く、適当でいい加減な「伴奏」ではこのソロに対応するにはどうしようもないと、将来が危惧されている。しかし、もう一人のペトレンコがいるからと閉じる。要するにこのデビューは、二人のペトレンコの紛らわしい状況を、コミュニケーション戦略的に見れば、もう一人のペトレンコを場外に送り出すことで解消したことになる。ラヴェル作品では少し改善されて、不器用な若者の、気分に乗って病気の如く空を掻き回わす指揮者の潜在能力を見せたと精々書かれている ― なんて潜在能力だ!。私には流石にここまで辛辣な内容を綴る力はない。流石ドイツでトップの高級紙だけのことはある。
要するに会場のお客さんにもはっきりしたということだろう。ファンにも本人にも気の毒なことなのだが、悪いのはその周りで銭を毟る業界であり、皆ご本人たちがその業界のお陰で自己実現をしているのだから、こうした無謀なサドンデス興業も断れないのだろう。そしてこれだけ叩かれると便利屋さんにもなれない。容赦ない罠に引っかかったのは誰だ?
同じような若々しい容姿の指揮者もいてメディア産業が市場を開いているが、それは丁度身障者の芸がコミュニケーションテクニック上脚光を浴び易く、それによって知名度が出て市場が開けるという構造と全く同じである。それが商業メディアによる主な仕事であり芸術とはあまり関係ない芸能界なのである。そもそもオペラ歌手などの世界はまた別の世界であるが、そこには身障者はなぜかあまり出ない。それでもまだ容姿が良いとか身障者ならば分かり易い明確な市場が開けるのだが、豚のような男がメディア戦略に乗ったのがどうしても解せないのである。要するに紛らわしいのである。
個人的にはこれを読んで、2018/19年はまだ知られていない若手がフィルハーモニーの指揮台に立つとされているが、本当に30歳代で将来を期待出来る人がどれぐらいいるのだろうかと訝るのである。キリル・ペトレンコにしても30歳過ぎには気鋭として既に注目されて無名ではなかった訳だから、20歳代ぐらいの経験の薄い人しかありえないと思う。要するに残りは二流の指揮者しかいないということになる。新聞ではないが、大丈夫だろうか?
参照:
十二音の対位法の映像化 2013-12-20 | 音
零下7.5度の寒さを超えた 2018-02-17 | アウトドーア・環境
論評できない異次元 2018-02-12 | マスメディア批評