(承前)休憩後のマーラーの交響曲と最初の新曲はほとんど同じ楽器編成だった。それでも鳴りが全く異なった。勿論違うように楽譜が書かれている訳なのだが、そのように両方を正しく演奏するのはとても難しい ― その交響曲の正しい響きかどうかはとても興味深い議論である。開演前は数十分前まではこの新曲を合わせていた。初演からよくなって来ているのだろう、中々力のある作曲家である。
今回久しぶりにアルテオパーで大管弦楽団を聞いた。前回はSWRフライブルク・バーデンバーデンでマーラーの交響曲6番そしてハースのピアノ協奏曲だったと思う。後の多くはバロック音楽だった。席は似たようなものだが、今回は最初から売れていなかった価格領域へと移動していた。フランクフルトのような典型的な銀行の街となると日曜日の興業はとても寂しい。五割かどうかといった入りだったろう。皆が立ち止まって凝視するポスターはベルリナーフィルハーモニカーがアジアに飛ぶ前に立ち寄る公演の告知である。なるほどフィルハーモニカーの方が音量は出すだろうが、ホルンなどでも明らかにゲヴァントハウス管弦楽団のような響きは無い。どちらがドイツ的で文化的な響きかというとこれはまた高度な判断となる。
本拠地ゲヴァントハウスを鳴らし切るのとアルテオパーを鳴らし切るとの差は分からないが、アルテオパーとしてはなるほど鳴り切っていなかった。21代カペルマイスターとゲヴァントハウス管弦楽団の関係はまだ始まったばかりなのだが、ペトレンコとべルリナーフィルハーモニカーにおける果敢な挑戦と比較するとやはり物足りなかった。今後どのように鳴らしていけるのかは未知だった。その分とても美感は維持されていて、19代カペルマイスターがバーデンバーデンでブルックナーで鳴らしていたのとは大分異なった。勿論ブルックナーとマーラーの書法が異なることも大きいのだが、ハイティンク指揮でコンセルトヘボー管弦楽団が全奏するのともまた異なる。面白いことにやはり力の抜けた爺さんの棒の方が大きな音が素直に鳴るのである。その正反対にサイモン・ラトル指揮などがあったが、アンドリス・ネルソンズもまだまだ若過ぎるのだろうか。
グスタフ・マーラーはライプチッヒで第二カペルマイスターだった。五つ年長のニキシュが君臨していたからのようだが、劇場で振る傍ら、病気の節に代わりを務めていたようだ。26歳というからやはりこの交響曲を作曲した時は充分に若い。今回のツアーの一つにこの曲が選ばれたのはこうした背景がある。その独自の組織構成から劇場の指揮者とカペルマイスターが上手く行くかどうかも問われているようだ。それにしても四楽章のヴィオラが引っ張るところなども創作にこの管弦楽団の優秀さと響きがそこにあったのではないかと思わせた。ドイツ配置の第二ヴァイオリンの働きも、またシュヴァルツヴァルト出身のコンツェルトマイスターのブロイニンガーもとても良い仕事をしていた。その風貌から突飛なことをしそうだが、とても丁寧な仕事をしていたように思った。やはり超一流の指揮者が振れば、たとえ自由度が増す指揮をすると言っても、自らの仕事に集中できる余裕が生じるのだろう。ブロムシュテット指揮の時とは全く違う仕事ぶりだった。ホルンの良さについても語ったが、管楽器類も、兎に角、世界最大の管弦楽団なので適格なメムバーを選択すれば可成り程度が高い。
ブロムシュテットが言うように、なるほどコンツェルトマイスターを先頭に思い思いに舞台に出て来ても、座らずにこちらを向いているものだから最後の楽員が出て来るまで拍手も止められない。律儀な人達だなと思わせると同時に、コンサートの作り方だけでなく教育にもなっている。流石に教会で毎日曜のお勤めをする楽団だ。空き席があったことから観光客のような、一楽章の後で拍手をする人たちが入っていたが、それも教育の一つである。
管弦楽団の総奏に関しても、シュターツカペレドレスデンも混濁して全く駄目なので、それよりはバランスを壊すことなく透明性を保っていて、ここら辺りはカペルマイスターの腕の見せ所かもしれない。この指揮者に任せておけば決して伝統を壊すようなことはしない安心感がある。つまらない噂話のように、シュターツカペレがバーデンバーデンでフェスティヴァルをするぐらいならばゲヴァントハウス管弦楽団でフェスティヴァルをして欲しいと思った。カペルマイスターの指揮でのオペラも決して悪くないのも分った。別れた嫁んさんと握手するぐらいならば、色々なスターと興業を打つ現体制のバーデンバーデンにはお誂らい向きだった。それほどに、この組み合わせで、今回のような興味深いプログラムならば今後も聞き逃せないと思う。現在欧州で否世界でも数少ない聞き逃せない音楽的なイヴェントを打って出れる組み合わせの一つであることは間違いない。
とは言っても、指揮者も楽団もまだまだ片付けないといけない課題があって、楽団からDNAを呼び起こす一方、指揮者がここでみっちりと音楽芸術をものに出来たなら、番付で言えば一人横綱体制の大関昇進もあり得ると思う。ヴィーンがこの指揮者を必要とするときが遠からず必ず訪れるだろうが、それからでも全然遅くないのである。(終わり)
参照:
冷や汗を掻いて避暑 2018-08-07 | 生活
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音
今回久しぶりにアルテオパーで大管弦楽団を聞いた。前回はSWRフライブルク・バーデンバーデンでマーラーの交響曲6番そしてハースのピアノ協奏曲だったと思う。後の多くはバロック音楽だった。席は似たようなものだが、今回は最初から売れていなかった価格領域へと移動していた。フランクフルトのような典型的な銀行の街となると日曜日の興業はとても寂しい。五割かどうかといった入りだったろう。皆が立ち止まって凝視するポスターはベルリナーフィルハーモニカーがアジアに飛ぶ前に立ち寄る公演の告知である。なるほどフィルハーモニカーの方が音量は出すだろうが、ホルンなどでも明らかにゲヴァントハウス管弦楽団のような響きは無い。どちらがドイツ的で文化的な響きかというとこれはまた高度な判断となる。
本拠地ゲヴァントハウスを鳴らし切るのとアルテオパーを鳴らし切るとの差は分からないが、アルテオパーとしてはなるほど鳴り切っていなかった。21代カペルマイスターとゲヴァントハウス管弦楽団の関係はまだ始まったばかりなのだが、ペトレンコとべルリナーフィルハーモニカーにおける果敢な挑戦と比較するとやはり物足りなかった。今後どのように鳴らしていけるのかは未知だった。その分とても美感は維持されていて、19代カペルマイスターがバーデンバーデンでブルックナーで鳴らしていたのとは大分異なった。勿論ブルックナーとマーラーの書法が異なることも大きいのだが、ハイティンク指揮でコンセルトヘボー管弦楽団が全奏するのともまた異なる。面白いことにやはり力の抜けた爺さんの棒の方が大きな音が素直に鳴るのである。その正反対にサイモン・ラトル指揮などがあったが、アンドリス・ネルソンズもまだまだ若過ぎるのだろうか。
グスタフ・マーラーはライプチッヒで第二カペルマイスターだった。五つ年長のニキシュが君臨していたからのようだが、劇場で振る傍ら、病気の節に代わりを務めていたようだ。26歳というからやはりこの交響曲を作曲した時は充分に若い。今回のツアーの一つにこの曲が選ばれたのはこうした背景がある。その独自の組織構成から劇場の指揮者とカペルマイスターが上手く行くかどうかも問われているようだ。それにしても四楽章のヴィオラが引っ張るところなども創作にこの管弦楽団の優秀さと響きがそこにあったのではないかと思わせた。ドイツ配置の第二ヴァイオリンの働きも、またシュヴァルツヴァルト出身のコンツェルトマイスターのブロイニンガーもとても良い仕事をしていた。その風貌から突飛なことをしそうだが、とても丁寧な仕事をしていたように思った。やはり超一流の指揮者が振れば、たとえ自由度が増す指揮をすると言っても、自らの仕事に集中できる余裕が生じるのだろう。ブロムシュテット指揮の時とは全く違う仕事ぶりだった。ホルンの良さについても語ったが、管楽器類も、兎に角、世界最大の管弦楽団なので適格なメムバーを選択すれば可成り程度が高い。
ブロムシュテットが言うように、なるほどコンツェルトマイスターを先頭に思い思いに舞台に出て来ても、座らずにこちらを向いているものだから最後の楽員が出て来るまで拍手も止められない。律儀な人達だなと思わせると同時に、コンサートの作り方だけでなく教育にもなっている。流石に教会で毎日曜のお勤めをする楽団だ。空き席があったことから観光客のような、一楽章の後で拍手をする人たちが入っていたが、それも教育の一つである。
管弦楽団の総奏に関しても、シュターツカペレドレスデンも混濁して全く駄目なので、それよりはバランスを壊すことなく透明性を保っていて、ここら辺りはカペルマイスターの腕の見せ所かもしれない。この指揮者に任せておけば決して伝統を壊すようなことはしない安心感がある。つまらない噂話のように、シュターツカペレがバーデンバーデンでフェスティヴァルをするぐらいならばゲヴァントハウス管弦楽団でフェスティヴァルをして欲しいと思った。カペルマイスターの指揮でのオペラも決して悪くないのも分った。別れた嫁んさんと握手するぐらいならば、色々なスターと興業を打つ現体制のバーデンバーデンにはお誂らい向きだった。それほどに、この組み合わせで、今回のような興味深いプログラムならば今後も聞き逃せないと思う。現在欧州で否世界でも数少ない聞き逃せない音楽的なイヴェントを打って出れる組み合わせの一つであることは間違いない。
とは言っても、指揮者も楽団もまだまだ片付けないといけない課題があって、楽団からDNAを呼び起こす一方、指揮者がここでみっちりと音楽芸術をものに出来たなら、番付で言えば一人横綱体制の大関昇進もあり得ると思う。ヴィーンがこの指揮者を必要とするときが遠からず必ず訪れるだろうが、それからでも全然遅くないのである。(終わり)
参照:
冷や汗を掻いて避暑 2018-08-07 | 生活
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音