Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

釈然としないネット記事

2018-10-03 | マスメディア批評
もはや指揮者ティーレマンについて語ろうとは思わなかった。それがたまたま隣席に座った北イタリアの女性に話しかけて、ゼムパーオーパーファンと話すことになってしまった。バイロイトの話しから、私の訪問がブーレーズの「パルシファル」とペトレンコの「指輪」で、その趣味が分るだろうと言っておいたのだが、あの人たちはその意味が分からない可能性もある。共通に良かったというのがラトルの「パルシファル」で、「トリスタン」は喧し過ぎたと言ったのは理解したが、満足した様子だった。それがペトレンコのミュンヘンの座付きではお話しにならないというので、ああ、ラトル指揮のバルリナーフィルハーモニカーは市場ではそういう位置づけだったのかと改めて習った。勿論彼女はバーデンバーデンでのペトレンコのヴァークナーに期待していて、カウフマンはヴァ―クナー向きではなくて、明らかにフロリアンフォークト派だったようだ。

九月の中旬にザルツブルクの復活祭にミュンヘンの現支配人バッハラーが2020年からの支配人に推挙された。同時にバーデンバーデンの退任する支配人メーリッヒズェップハウザ―が応募していたというからクロスしている ― この情報はにわかに信じられない、なぜならばバーデンバーデンで金蔓を管理すると表明していたからで、その方が悠々自適となる。後者を焚き付けたのは音楽監督ティーレマンで、それでも誰がどうしてザルツブルクにバッハラーを呼んで再びべルリナーフィルハーモニカーをバーデンバーデンから奪い返す画策をしたのか?これが不思議だ。勿論ティーレマンは、「それなら辞める」と言い出した ― この言葉を皆が待っていたのだ。少なくとも2019年は楽劇「マイスタージンガー」上演となっているが、その先は怪しい。そこでこの10日にザルツブルクの関係者がティーレマン詣をする。機嫌を取ることが目的だが、なにかそこにまるでヴィーンでのような得体の知れない陰謀を見てしまう。それどころか指揮者とシュターツカペレの契約も一年ごとの延長となっているので、あまり安定していないらしい ― 次は東京に行くのだろうか。そして何よりも不思議なことにバッハラーの意向について触れている記事は一つも無い。つまり電話一本の取材もしていない。どうも、おかしい。

バッハラーがオーストリア人でその関係からよりよい発展をザルツブルクは目指しているとしても、よほどティーレマンが邪魔になっているようで ― 「トスカ」の演出家変更でゼムパーオパーとの共同制作を没にしたことが恨まれているようだ ―、指揮としても一つのコンサートプログラムを一度しか指揮しないようになるなど、やはりこちらもおかしい。そしてこのようなおかしな情報が北ドイツのメディアにまで流されているのも不思議である。この状況を整理して、テーレマン・シュターツカペレとペトレンコ・ベルリナーでスワッピングしろというのまである。それらの情報のいい加減さは、「2020年にザルツブルクへペトレンコと戻ってくる」としていて、ベルリナーフィルハーモニカ―が新たに締結したバーデンバーデンでの五年間の契約の存在のみならず、ベルリンのツェッチマン女史の対応などが全く無視されていることで分かる。

恐らく画策しているのはザルツブルクのフォンカラヤン財団だと思う。この積み木崩しのリセットを見ると序にここでティーレマンを切ってしまおうという魂胆ではないか。今から考えるとカラヤン財団が再びザルツブルクに戻ってしまったのもペトレンコがベルリンを継承することが決まってからであるから、何かそこに政治があり、またここで新たな動きがあったとみるのが正しい。その裏にはソニーなどのメディアの戦略などもあるかもしれない。強引にペトレンコをものにしたいのだろう。ティーレマンではやはり具合が悪いようだ。ヴィーンでのノイヤースコンツェルトもそろそろメディアの準備に入るので、この10日辺りに何かあるかもしれない。ブロムシュテットという強い助っ人がいて、来年以降のスケデュールにフィルハーモニカーの支配人が言及していたのはただの偶然だろうか?

隣のおばさんのその「趣向は理解しているよ」と言ったが、やはりオペラにはああしたジンタみたいな楽団の方が手回しオルガンで歌うみたいなのが気持ちが良いのかもしれない。その意味からは今回ツェッペンフェルトがポーグナーを一幕で歌った声などはマイクで拾ったものよりも些か弱く感じた。三幕の高台での声が通ったのとは対照的だった。バルコンの視角は悪くは無かったが最初に貰った席の券も返して貰いながらも譲ることも無く試しもしなかったが、指揮者を横から見る形だった。音響は真ん中横はサイドからの反射があって最高ではなかった。但し管弦楽は、特に今回の場合はヴァイオリンが左右に別れて壁の向こうで、ヴィオラとチェロが右左に見えるのは悪くなかった。もう少し上の方がやはり楽しいかもしれない。視角も悪くなかったが一寸遠いかもしれない。今後の参考にしたい。王のロージュも少し遠いかなという気もする。隣のおばさんも普段は上階にいるらしく、カメラ設置で私と同じように移動したので、お互いに笑った。



参照:
職人の技が導くところ 2018-10-01 | 音
解klassisch gegen rechts 2018-09-14 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする