落穂拾いである。来週7日(月)のアルテオパーでのベルリナーフィルハーモニカー米国ツアー壮行会の席をグレードアップした。マーラー作曲交響曲七番で大きな成果が期待される。既に夏のツアーではルツェルンの優れた会場でそこそこの音響で聴いた。しかし、今回は米国のカーネギーホールでの10日(木)初日演奏生中継に先駆けた最終的な調整となる。それなり以上の演奏が期待されるところで、夏のツアーから更にどれ程進化させて来るかが聴きどころだ。
特に米国の聴衆にとっては、バーンスタイン指揮のマーラー演奏のルネッサンス更にショルティ指揮における近代管弦楽団演奏の頂点との比較となり、就任披露のペトレンコにとってもそして大管弦楽団の今日のあり方を問うベルリナーフィルハーモニカーにとってもそこでの反響はエポックメーキングとなる。言及した様にそれにふさわしい演奏となるのは既に確認している。
その為にもこちらのしっかり聴きたいと思っている。既に手ごろで決して悪くない席を確保していた。しかし、今回も各種の定期演奏会シリーズに組み込んであったので、本当に欲しい席は出ていなかった。その中でアルテオパーの長年の常連さんとして最も価値の高い席を選んだに過ぎなかった。
今回は長い売り切れから直前になってお零れが幾らか出た。最終的には十数席出るのだろうか。勿論個人的には、最初に出ていたところを買い足す必要もなく、それ以上に価値のある席しか必要ない。そこで零れてくる席を観察していた。雰囲気からすると各々の定期演奏会などをやっているところから定期会員割れのような席が出ていた感じだった。予期していた招待席はまだこれから出るのかもしれない。
ハムブルクでのエンゲル指揮ポーランド国立放送交響悪団の演奏会もほぼ完売に近い感じだった。一時はそのエルフィーの入券が容易になっていたようだが、今でも大交響楽団演奏会となるとモダーンな音楽でも人が入るようだ。ベルリンでのフィルハーモニー演奏会前の予行演習のようなものだが、興行的には成功している。演奏は放送されればと思うので少し調べていたら、夏のエアルでのブラームス連続演奏会の練習ヴィデオなどが出てきた。観た記憶がなかった。出かけなかった初日のブラームスの交響曲一番の様子も少し出ていた。音の印象は翌日の二番、三番よりラフな感じである。但し「アルトラプソディ」の音はとても興味深い。やはりエンゲルは歌物が上手いなと改めて思う ― 交響曲のフレージングに関しても歌詞のそれが参考になったようだ。
カメラータザルツブルクの奏者へのインタヴューで苦心点などが語られていて、特に弦楽奏者の注意点が列記されていた。そこではコンツェルトマイスタリンに招かれたカタリーナ・シュライバーの思惑は語られていなかったが、折衷的な楽団なのでその辺りはフルート奏者の話しにも表れていた。しかしやっぱりなんといっても興味深かったのはエンゲルが、三つの狙いを挙げて、一つはヴィブラートの制限的装飾的な使い方、もう一つはそこからポルタメントに繋がる表現、そしてもう一つフレージングについて語っていたことである。ブラームスだからヴァ―クナーの様な長い大きな弧を描くようなフレージングではなくて、短いものを重ねて山を作っていくというところだった。勿論その様な短いそれは嘗てのガーディナー指揮のフランクフルトの連続演奏会でも同じだったが、明らかに考え方が異なると理解したので、それだと合点がいった。
参照:
エリカ薫る夏の草原の風 2022-08-05 | マスメディア批評
一先ずガラガラの席を 2022-11-02 | 雑感
特に米国の聴衆にとっては、バーンスタイン指揮のマーラー演奏のルネッサンス更にショルティ指揮における近代管弦楽団演奏の頂点との比較となり、就任披露のペトレンコにとってもそして大管弦楽団の今日のあり方を問うベルリナーフィルハーモニカーにとってもそこでの反響はエポックメーキングとなる。言及した様にそれにふさわしい演奏となるのは既に確認している。
その為にもこちらのしっかり聴きたいと思っている。既に手ごろで決して悪くない席を確保していた。しかし、今回も各種の定期演奏会シリーズに組み込んであったので、本当に欲しい席は出ていなかった。その中でアルテオパーの長年の常連さんとして最も価値の高い席を選んだに過ぎなかった。
今回は長い売り切れから直前になってお零れが幾らか出た。最終的には十数席出るのだろうか。勿論個人的には、最初に出ていたところを買い足す必要もなく、それ以上に価値のある席しか必要ない。そこで零れてくる席を観察していた。雰囲気からすると各々の定期演奏会などをやっているところから定期会員割れのような席が出ていた感じだった。予期していた招待席はまだこれから出るのかもしれない。
ハムブルクでのエンゲル指揮ポーランド国立放送交響悪団の演奏会もほぼ完売に近い感じだった。一時はそのエルフィーの入券が容易になっていたようだが、今でも大交響楽団演奏会となるとモダーンな音楽でも人が入るようだ。ベルリンでのフィルハーモニー演奏会前の予行演習のようなものだが、興行的には成功している。演奏は放送されればと思うので少し調べていたら、夏のエアルでのブラームス連続演奏会の練習ヴィデオなどが出てきた。観た記憶がなかった。出かけなかった初日のブラームスの交響曲一番の様子も少し出ていた。音の印象は翌日の二番、三番よりラフな感じである。但し「アルトラプソディ」の音はとても興味深い。やはりエンゲルは歌物が上手いなと改めて思う ― 交響曲のフレージングに関しても歌詞のそれが参考になったようだ。
カメラータザルツブルクの奏者へのインタヴューで苦心点などが語られていて、特に弦楽奏者の注意点が列記されていた。そこではコンツェルトマイスタリンに招かれたカタリーナ・シュライバーの思惑は語られていなかったが、折衷的な楽団なのでその辺りはフルート奏者の話しにも表れていた。しかしやっぱりなんといっても興味深かったのはエンゲルが、三つの狙いを挙げて、一つはヴィブラートの制限的装飾的な使い方、もう一つはそこからポルタメントに繋がる表現、そしてもう一つフレージングについて語っていたことである。ブラームスだからヴァ―クナーの様な長い大きな弧を描くようなフレージングではなくて、短いものを重ねて山を作っていくというところだった。勿論その様な短いそれは嘗てのガーディナー指揮のフランクフルトの連続演奏会でも同じだったが、明らかに考え方が異なると理解したので、それだと合点がいった。
参照:
エリカ薫る夏の草原の風 2022-08-05 | マスメディア批評
一先ずガラガラの席を 2022-11-02 | 雑感