Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

オール回旋からの主題

2022-11-06 | 
承前)第七交響曲の作曲過程は興味深い。先ずフィナーレが先行して創作されて、中間の夜の音楽を書き、最後の第一楽章となっている。ルツェルン音楽祭でもこの冒頭楽章は最も聴き甲斐があった。実際に作曲家は七転八倒していたのが伝えられている。最も知られるエピソードは導入部となっていて、1910年に手紙に本人がアルマ・マーラ―に書いている言葉が有名だ。

「ドロミテへといつものことを繰り返すまで、この夏も無駄になったと諦めて帰宅しようとしたとき、君は、帰宅の意思を知らせなかったので、クラムペンドルフで待っていないということで、ボートに乗った。そこでオールの一掻き目で、導入部の主題が思い浮かんだ。その四週間以内に第一、第三、第五楽章を完成させたんだ。」。

オールの回旋はとても興味深い運動だと思うのだが、それに見合うだけのユニークな導入部となっている。ゆっくりとアダージョとしか記入されていないのだが、テノールホルンと低弦の付点動機、これが四分の四でと、今回の演奏では特にベルリンでは早急な感じを与えた。ここが大きく印象を与えたと思われる。ルツェルンでは音響に合わせることでより音楽的な解決法が取られて、それはその動機のリズムの扱いにも大きく影響していたと思われる。

久しぶりに改めて直弟子のオットー・クレムペラー指揮の名盤を鳴らしてみたのだが、やはりこの一楽章においては正しいテムピ設定をすることと、そして四分の二拍子の扱い方が重要だと実感する。ペトレンコの指揮で若干弱拍において拍が喰われた感じがするのもこの曲の演奏の困難さだと分からせる。ベルリンでは若干それがとっかかりなく進んでしまったような感じがしたのもその音響故であったろう。その点でルツェルンでは取り分け第一楽章が優れていたのは、その後のこれまた音響も異なるロンドンのアルバートホールからの中継でも伺えた。やはりアンサムブルが合わせ易いというのはとても重要になるのだろう。

テムピの正しい出し方はそのもの分割されたリズムを刻む能力で、ペトレンコの指揮においての拘りが、この曲においてとても厳格さを増している。そうすることによって初めて弦と管の主題の受け渡しや重なり合いが本来の効果を生じるのであって、ペトレンコ指揮の真骨頂である。だから曲が聴者に良く入っていなくても、そこから生じる音色の多彩さは折からの会場の音響によってそれどころか照明によって視覚的にも多大な効果を上げた。

米国お披露目ツアーに先駆けて、キリル・ペトレンコがネット会見で語ったこと、つまりベルリナーフィルハーモニカーの特徴として「美しく、巨大で透明な弦」を挙げつつ、そこに「木管、金管、打楽器を組み合わせて大きく透明性と軽みのある」音響を目指すというのはまさにこの曲の特に一楽章によってその方向性が示されているということなのである。

この第一楽章におけるその長短調からの光と影そしてその攻防はそのような音響でしか表現されないものであったことをバーンスタインのルネッサンスでのマーラー演奏の伝統のまたショルティ指揮シカゴ交響楽団での大管弦楽団演奏の頂点を築いた本場米国に今後の可能性と同時に指し示すことになるだろう。(続く
Mahler - Symphony No.7 in E minor (Solti)




参照:
水風呂で「覚醒」を促される 2010-07-19 | マスメディア批評
お友達の輪の序奏部 2022-08-29 | 雑感
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