(承前)夜中にニューヨークからのライヴを聴いた。流石にヘッドフォーンで聴いた。未明二時から四時頃に掛けては最も眠い時間帯である。数時間前にベットに入ったが寒かったので泡風呂に入ることにした。右足の親指の関節がフランクフルトから帰って来てから調子悪く、走るどころか歩行さえ不自由になっていた。だから風呂は良かった。これも夜更けなので水を流さずに静かに入っておいた。
放送が始まる半時程前からタイマー駆動にしてあった録音などを手動に切り替えて、サブのシステムも準備していたらギリギリになった。それでも問題なく聴視録音可能となった。先だ録音は全て確認していないが、悪くないと思う。
さて演奏の方は既に真夜中に批評を出していて、それを読む。アメリカの人のようで、現地の人の様に体験できていないのだがと、ペトレンコの音楽には多大なる関心を持っていて、様々なものを聴いているらしい。だから一般的に評価されるその指揮も外面的な効果を狙うものでなくて、抑制されてと書いている。そしてベルリナーフィルハーモニカーの演奏する一楽章から二楽章への大編成はそれだけでなくてソロが集まって受け渡しが魔法のようだと驚愕している。
これはここでもシカゴ交響楽団との比較で言及した点で、今回のツアーの一つの評価の焦点だった。しかしこれまたここでも言及していたフィナーレのロンド形式の音楽の在り方は批判の対象となった。つまり、ペトレンコの音楽と知られるオペラ指揮においても情感的にならない面があって、フィナーレが盛り上がらなかったという事である。そして想定通りにバーンスタイン指揮のマーラーではそうならずそれが好きだとまで述べる ― ライヴ放送サイトにはバーンスタイン指揮のヴィーナーフィルハーモニカーの方が弦主体でいいとかコメントする人も現れた。
実はアルテオパーのフィードバックに感想を書いた。無記名だったので支配人であり元ベルリナーフィルハーモニカ―の芸術顧問からアドレスに個人的なメールを貰った。私が往年のショルティ指揮シカゴ交響楽団を顧みて、フィルハーモニカーは最頂点の管弦楽団だと書いて、ツアーの成功を確信しているとしたのだった。それに対して、ペトレンコや楽員と打ち上げの席で同様の感想が出たとあった。そして、カーネギーホールのサイトのリンクを張り付けていた。そこにあるヴィデオは、ペトレンコ就任の時に今後の楽団を語るものだった。
そして、そこで今回マンドリンを弾いたアメリカ人のヴィオラ奏者が語っていたことに耳が止まった。そこで大事なことを語っていた。お客さんが一斉に立ち上がってスタンディングオヴェーションをするような指揮者や音楽ではなくて、徐々に拍手が盛り上がってくるような指揮であって、家路に語られ持続的にその意味に立ち戻るような学ぶ音楽をするのがペトレンコだというのである。まさしく今回のマーラーの交響曲にも当てはまり、そして翌日のコルンゴールトで終えるプログラムを考えるときに、何かの回答があるのに違いない。
上の支配人が意味したのもアルテオパーの聴衆に対する感謝もそこにあるということで、なるほど講義はあまり良くはなかったのだが、決して悪い聴衆ではないのは間違いない。
Kirill Petrenko & Berliner Philharmoniker: Dawn of a new era
参照:
一人称、二人称、複数! 2022-11-09 | 文学・思想
歴史的な瞬間にいること 2022-11-08 | 音
放送が始まる半時程前からタイマー駆動にしてあった録音などを手動に切り替えて、サブのシステムも準備していたらギリギリになった。それでも問題なく聴視録音可能となった。先だ録音は全て確認していないが、悪くないと思う。
さて演奏の方は既に真夜中に批評を出していて、それを読む。アメリカの人のようで、現地の人の様に体験できていないのだがと、ペトレンコの音楽には多大なる関心を持っていて、様々なものを聴いているらしい。だから一般的に評価されるその指揮も外面的な効果を狙うものでなくて、抑制されてと書いている。そしてベルリナーフィルハーモニカーの演奏する一楽章から二楽章への大編成はそれだけでなくてソロが集まって受け渡しが魔法のようだと驚愕している。
これはここでもシカゴ交響楽団との比較で言及した点で、今回のツアーの一つの評価の焦点だった。しかしこれまたここでも言及していたフィナーレのロンド形式の音楽の在り方は批判の対象となった。つまり、ペトレンコの音楽と知られるオペラ指揮においても情感的にならない面があって、フィナーレが盛り上がらなかったという事である。そして想定通りにバーンスタイン指揮のマーラーではそうならずそれが好きだとまで述べる ― ライヴ放送サイトにはバーンスタイン指揮のヴィーナーフィルハーモニカーの方が弦主体でいいとかコメントする人も現れた。
実はアルテオパーのフィードバックに感想を書いた。無記名だったので支配人であり元ベルリナーフィルハーモニカ―の芸術顧問からアドレスに個人的なメールを貰った。私が往年のショルティ指揮シカゴ交響楽団を顧みて、フィルハーモニカーは最頂点の管弦楽団だと書いて、ツアーの成功を確信しているとしたのだった。それに対して、ペトレンコや楽員と打ち上げの席で同様の感想が出たとあった。そして、カーネギーホールのサイトのリンクを張り付けていた。そこにあるヴィデオは、ペトレンコ就任の時に今後の楽団を語るものだった。
そして、そこで今回マンドリンを弾いたアメリカ人のヴィオラ奏者が語っていたことに耳が止まった。そこで大事なことを語っていた。お客さんが一斉に立ち上がってスタンディングオヴェーションをするような指揮者や音楽ではなくて、徐々に拍手が盛り上がってくるような指揮であって、家路に語られ持続的にその意味に立ち戻るような学ぶ音楽をするのがペトレンコだというのである。まさしく今回のマーラーの交響曲にも当てはまり、そして翌日のコルンゴールトで終えるプログラムを考えるときに、何かの回答があるのに違いない。
上の支配人が意味したのもアルテオパーの聴衆に対する感謝もそこにあるということで、なるほど講義はあまり良くはなかったのだが、決して悪い聴衆ではないのは間違いない。
Kirill Petrenko & Berliner Philharmoniker: Dawn of a new era
参照:
一人称、二人称、複数! 2022-11-09 | 文学・思想
歴史的な瞬間にいること 2022-11-08 | 音