Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

超一流奏者とは如何に

2024-09-14 | 
ルツェルンではいつものように前座催し物に出かけた。今回は昨年に続いて音楽祭コンテムポラリー楽団による世界初演の練習であった。無料の催しとあって若干異なる層の地元の聴衆が殆どなので興味深い。昨年はメルキ指揮のポッペの曲の練習だった。今回は初演で作曲家のリサ・シュトライも注文を付けていた。指揮者はヴィーンのクラングフォールム代表で五月にもエンゲル指揮で北京で公演を敢行したベアト・フーラーで、お友達仲間でもある。作曲家としては馴染みなのだが、指揮者としては初めてで、痩せて若干印象が異なっていた。

楽団はアカデミーのそれとどこが異なるのかはよく分からないがいつものように若い面々で、今回の初演曲のトラムペット協奏曲のソリストも嘗てのアカデミー生として活躍したジモン・へ―フェレで、フリードリッヒの弟子でもあって、恐らくトップクラスの奏者であるのだろう。

曲自体が協奏曲とは謳っていてもメタムジーク表現であることは間違いなく、殆ど楽団以下の小さな音しか出さない。如何にそれを成すかが音楽的な腕であるが、楽団の腕と作曲家の腕との両面でどこ迄その効果が出ていたかには大きな疑問が残った。

然し乍らソリストの風切り音でもない微小音のコントロールとホース迄をつけての音出しは見事で見ものでもあった。現在の超一流の奏者はそこまでの特殊奏法を自らのものにしていないと仕事にならない。それは旧態とした大管弦楽団で演奏しているようなものでは全くなく、一つの出来上がった技術としてコンクールで披露するようなものではない演奏実践上の楽器の可能性を拓く革新性がないと務まらない。

まさしくソリストと所謂オーケストラムジカ―とは職業が違う。勿論前者の公的資格を取って大管弦楽団でも活躍している人も少なくないだろう。然し抑々違うものである。先頃コンクールなどで優勝したフルートの奏者がベルリンのフィルハーモニカーとしてソロストとして試用期間を超えられなかったと発表があった。若干驚いた。なぜならば楽団のソリストとしてそつのない仕事をしていたからだ。勿論同僚のパユの様にこれは正真正銘のソリストがなぜ大楽団で仕事をしているとスイスの音楽家などは皆驚くのとは違う。

正直技術的な問題点はこれといって気が付かなかった。同僚に比較すれば明らかに個性が弱く、フルートという楽器ながら背後に沈んでしまうことも少なくなかった。なるほど確かに目立つことはなかったのだが、二人と同じスイス人の先ほど亡くなったオーレル・ニコレの透き通って硬質な音のような強い個性はなかった。コロナ期間中にワクチン接種拒否から退団した元シカゴ交響楽団のデュルフォーはそれなりに目立っていた。

フィルハーモニカーにどれだけのフルートソロが必要なのかなどは計り知れないのだが、そこまでを求めないと木管アンサムブルも決まらないということになるのだろうか。弦楽器奏者とは異なり、小さなアンサムブルではあまり出番もなく力を発揮できないということで、例えばヴァイオリン奏者などよりも管楽器奏者の方がソリストなのだが、今度は木管や管楽器のソロで一流の舞台で生活していける奏者などは殆どいない。そこから上のトラムペット奏者が如何に楽器奏者の頂点に立っているかがしれようというものである。
Highlights Sommer-Festival 2024 | Lucerne Festival




参照:
ルツェルンからの光景 2024-09-11 | 音
無料前座演奏会の光景 2019-08-28 | 音
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