石灰質のドロミテに似た岩場から降りてきて、ワインを試飲した。そこを通る観光街道はボージョレー街道などと書いてあるが、シャドネーが栽培されている。ブルゴーニュであるから赤ワインとも思うが、ボージョレーに繋がる南ブルゴーニュのそれはピノノワールとは違いガメー種である。
その地方のガメーはスイスのそれとは異なり酸も薄く飲み易いが、口の中に広がるガメーとした草ぽっさは変わらない。安物のボージョレーなどに共通するそれである。
その点からすれば、シャドネー村にも近いそこでシャドネーを試すように催したマコンのアルペン協会の仲間の判断は正しいだろう。
若いオーナーの演説は、錯綜する土壌による差を如何に各々のワインに出すかと言うモットーと、バイオクラシックから出来ればバイオダイナミックへと進みたいとする強い意志を示していた。そして、全てをバリック樽による熟成をすると言うのだ。
さて、地下見学に向うと、我々仲間から、何故またバリックかと言う声が聞かれる。赤ならば分かるがと言うので、「ドイツでもブルグンダー種を中心にバリック仕立てを試みたが、不味くて売れなかった」と情報を流した。
最後までこの疑問は我々の中にあって、「土壌の違いをバリックの同じ味付けで薄めているのは何故だ」と声が飛ぶ。「それは売りの良い口実でしょう」と意見の述べておいた。様々な点で、合点が行かなかったが、まあ、それはそうとして試飲が始まる。
そしてとても嬉しい事に我々の仲間にも、ワインの試飲会に17ユーロを投入して70種類のリースリングなどを飲み干す兵まで出てきた。プフェルツァーも量だけで無く質にも拘るようになって来たのだ。
彼らは言う「そりゃー値段も違うが、スーパーで売っているワインと見本市のそれを比べるのが間違っているわな」とウンゲホイヤーの名前などが出てくるから益々嬉しくなる。
試飲は、2005年産を含む2006年産の三段階の六種類が提供された。大量の人数なので全くその程度の量しかなかったが、それなりに試すことが出来た。一挙に雰囲気は宴会ムードとなる。
我々の中に、大きく好みを二分割する二グループが出来上がった。一グループは、リースリング愛好家で、シャドネーでも清涼感のあるものを評価した。もう一つは、丸みが上手くついているシャドネーを評価したグループで、普段リースリングの産が苦手なグループである。興味深い事に両グループとも「自らが気に要らないワインのグループ」を各々が「バリック臭い」とこぼす。
こうして、盛り上がりを見せると尻を叩かれるように注文票に書き込み、帰宅へと急がされる。決して、ここの33haほどの醸造所のワインの評価は悪くはなかったが、醸造の方向と市場選択には疑問が残った。
価格においても、ドイツリースリングの比較的早飲みで大変良いものがある八ユーロを挟んでいたり、もしくは十ユーロ以上の濃くのあるものを提供している。それなりに楽しめる事とは別に、リースリングのそれと比較をするとワインとしての質は、醸造技術栽培技術共に全く足元にも及ばないと見た。
それでも、米国やアジア市場ではこうした質の低いワインの方がドイツのそれよりも珍重されているのだろう。ルフトハンザで提供されたワインではないが、こうしたワインは量が飲めない分価格も高い。そして質も低い。経済とはそうしたものだろうか。シャラクセー。
誰かが言った:「天から与えられた葡萄を今更また味つけする事はないよ」。
一つのグループの選択と感想は、「大変価値のあった試飲だった。なんと言っても我らリースリングの世界競争力が確認されたのだから」と言ったものであった。
その地方のガメーはスイスのそれとは異なり酸も薄く飲み易いが、口の中に広がるガメーとした草ぽっさは変わらない。安物のボージョレーなどに共通するそれである。
その点からすれば、シャドネー村にも近いそこでシャドネーを試すように催したマコンのアルペン協会の仲間の判断は正しいだろう。
若いオーナーの演説は、錯綜する土壌による差を如何に各々のワインに出すかと言うモットーと、バイオクラシックから出来ればバイオダイナミックへと進みたいとする強い意志を示していた。そして、全てをバリック樽による熟成をすると言うのだ。
さて、地下見学に向うと、我々仲間から、何故またバリックかと言う声が聞かれる。赤ならば分かるがと言うので、「ドイツでもブルグンダー種を中心にバリック仕立てを試みたが、不味くて売れなかった」と情報を流した。
最後までこの疑問は我々の中にあって、「土壌の違いをバリックの同じ味付けで薄めているのは何故だ」と声が飛ぶ。「それは売りの良い口実でしょう」と意見の述べておいた。様々な点で、合点が行かなかったが、まあ、それはそうとして試飲が始まる。
そしてとても嬉しい事に我々の仲間にも、ワインの試飲会に17ユーロを投入して70種類のリースリングなどを飲み干す兵まで出てきた。プフェルツァーも量だけで無く質にも拘るようになって来たのだ。
彼らは言う「そりゃー値段も違うが、スーパーで売っているワインと見本市のそれを比べるのが間違っているわな」とウンゲホイヤーの名前などが出てくるから益々嬉しくなる。
試飲は、2005年産を含む2006年産の三段階の六種類が提供された。大量の人数なので全くその程度の量しかなかったが、それなりに試すことが出来た。一挙に雰囲気は宴会ムードとなる。
我々の中に、大きく好みを二分割する二グループが出来上がった。一グループは、リースリング愛好家で、シャドネーでも清涼感のあるものを評価した。もう一つは、丸みが上手くついているシャドネーを評価したグループで、普段リースリングの産が苦手なグループである。興味深い事に両グループとも「自らが気に要らないワインのグループ」を各々が「バリック臭い」とこぼす。
こうして、盛り上がりを見せると尻を叩かれるように注文票に書き込み、帰宅へと急がされる。決して、ここの33haほどの醸造所のワインの評価は悪くはなかったが、醸造の方向と市場選択には疑問が残った。
価格においても、ドイツリースリングの比較的早飲みで大変良いものがある八ユーロを挟んでいたり、もしくは十ユーロ以上の濃くのあるものを提供している。それなりに楽しめる事とは別に、リースリングのそれと比較をするとワインとしての質は、醸造技術栽培技術共に全く足元にも及ばないと見た。
それでも、米国やアジア市場ではこうした質の低いワインの方がドイツのそれよりも珍重されているのだろう。ルフトハンザで提供されたワインではないが、こうしたワインは量が飲めない分価格も高い。そして質も低い。経済とはそうしたものだろうか。シャラクセー。
誰かが言った:「天から与えられた葡萄を今更また味つけする事はないよ」。
一つのグループの選択と感想は、「大変価値のあった試飲だった。なんと言っても我らリースリングの世界競争力が確認されたのだから」と言ったものであった。
ブルゴーニュに行かれてたのですね。おっしゃる通り、リースリングの素晴らしさを再確認出来る旅なんて最高ですね。私の場合は旅でそれを実感する余裕はないですが(他の土地へ行く暇があったらリースリングの産地に行きます・笑)、同じことがワイン会(もちろんドイツワインでない)で体感することが出来ます。他のワインを飲んだ後、やっぱり神から授かった葡萄なのだという想いに浸りながら家路につくのもまんざらではないです。
そうした技の歴史の探訪が、実は今回の訪問の隠れた主要目的でした。それに関しては改めて纏めます。
リースリングとドイツの醸造技術は、そのビールなどと比較出来ないほど凄みのある伝統と思いました。こうして地元の人もその価値に目を開いて行く事が出来ると、今後の国内市場の展開が楽しみです。
それを考えると、如何に日本市場では容易ならざるかが演繹されます。結局ですね、日本などは何事も翻訳文化なので、翻訳家を通してしか、個人で判断出来る人が育たないのですね。その翻訳家がまた利権に群がる。
おまけに昨今の日本経済の没落。結局ワインだけでなくビールなどにも見られるように「安かろう良かろう」の次元な訳で、文化とは程遠いのが現状かと思われます。ご指摘の通りの容易ならざる状況です。ドイツワインの日本市場での復権など、ほとんど不可能ではないかと思ってしまうほど悲惨だと感じています。結局、一部のマニア向け市場に限定されてしまう方向ではないかと。
売れなきゃ売れないで価格が高騰せずありがたいのですが、それも詮無いことで...。
やはり、これも端的に言えば自分で判断の出来ない日本の国民性とか教育の問題が根底にあると思います。
語学の距離感とか生活感とかとはまた異なる事象と考えますが、強いて言えば「世界観」に収斂するかもしれません。
戦後教育で骨抜きになったもののその芯を未だに解析出来ない所が接木たる所以なんですね。
その経済もだらしない消費市場に「許認可・規制」の利権が集められて、本当の自由経済にならない日本社会の特殊性が、銀座の一件にもよく出ているように感じます。
なにもドイツワインブームは必要ないのですが、一部マニア層があまりにも小さ過ぎるようです。三十人に一人、もしくは三パーセントぐらいはリースリング愛好家であっても良いと思うのですが。