コミュニケーションにおける人の教養や直感が話題であった。ルターの友人でもある父ルーカス・クラーナッハの展覧会に行った。そこで様々なもの見つけたが、そのなかでも宗教改革の創成期における創作のアレゴリーなどは語り尽くしても語りきれない時代背景を感じさせた。
特に「砂漠の聖ヒロニムス」は有名で、方々で解説される見方が一般的な鑑賞法となっている。そして、こうした鑑賞法と 見 せ ら れ て い る 鑑賞者の視点を鑑みると、やはりどうしても「不釣合いな男と女」シリーズに目が行くのである。
夫婦ものは、ローマでも観光名所となっている「真実の口」の裁定シーンなども含めて、プロテスタントの教条的な表現が明白で、ややもすると平面的で底の浅いクラーナッハの画風と相俟って、鼻について態々見る気を起させない絵にしてしまっているかもしれない。しかし、今回の展示会におけるようなエンターティメントとしてそれが系統立てられて展示される場合、上の絵解きの盛んなアレゴリー表現と共に、鑑賞者の視点や思考が予め充分に考察された創作であることが充分に知れるのである。
この点に関しては、同時代のグリューネヴァルトの展示会における感想として、「ゴルゴタの丘の磔」を創造する様々な同時代の画家の中で既に比較対照した。ここでそれを言い変えると、アレゴリー表現による事象の抽象化と鑑賞者の現実環境の認識の両面が図られている。地面から強く太く生えた木のようなそれは、ドイツ人的な肉体的量感に「力感と衰退」を表現して、「そのなされた救済は、内的に力強く抵抗力を漲らせる」となるのだろう。
スコラ哲学から改革に至った経過における空間把握を「古い信仰」との差異として見る時、もしくはその差異の認知ゆえの認識の拡がりとして捉えることが出来る。ゆえに「古い信仰」からの視点は、例えばここでもマインツ大司教のブランデンブルク伯を聖ヒロニウスとして描いた絵にも同じように視差を存在させている。同じように、聖フランチェスカの絵を挙げておいても良い。
また、有名なルターの画像のなかでも、その妻カタリーナ・フォン・ボーラと並んだ衝立二枚組みのポートレート画は、敢えて庶民のような様相で描かれているようだが、その深みのない絵にやはり即物的な表現としてのメディア利用が意図されている。
旧約聖書のユディート記は架空の読み物と呼ばれているが、ここで描かれる彼女によって切断された克明な進駐軍司令官ホロフェルネスの首の描写もあまり気分は良くないながらも見ものである。その解剖学的に拘るでもなく、グロテスクとは異なる、今や血糊も付いていない太刀とユーディットの冷めた表情と切り取られた首の情けない表情ほどザッハリッヒな表現は少ないであろう。
同様な心理的背景をもったルクレチアとヴィーナスの対になった、二十世紀の画家キルヒナーが気に入り部屋に飾ったと言う、少女の肉体画像においては、「水浴びするニンフ達」シリーズ同様、全く透けた形式だけのベールで隠された女性器までを克明に描きながら、付かず離れずの「解釈不可能な微妙な距離感」をとることになる。それが、「エヴァ像」や「ヴィーナスとミツバチ像」の各々のシリーズになると明らかな教示的な意図をもって、改革精神の表れでもある「僧侶の修道女との妻帯」に象徴されるパラダイスからの追放がアレゴリーに具象化されているのである。もちろん、魔女であるダイアナも忘れてはいない。
これらのシリーズを、まるで時間差があるかのように画面を少し替える事で、この世に一つしかない物を注文主に渡す手腕は改めて触れるとするが、古い信仰と改革派の双方から後々まで注文を受け、裕福な好事家の注文主には少女ヌード画像などを提供して、尚且つルター聖書の一グルデン(豚一頭の価格)もする豪華本を大量に売り捌いたことは、商業的な大成功のみならず改革への大きな貢献となっている。
なにやらこのように記述するとまるで売れない学術書を扱いつつ裏商売をするヤクザな出版社のようだが、「シカ狩の情景」などに見られる表現には、既に当時のヴィーンで芽生えていたヒューマニズムと、封建世界への厳しい視線があると言われる。またアトリエを構えたヴィッテンベルク市内では、出版のみならず画剤にも転用する薬品や香料・砂糖・菓子を売る薬局以外に、市議会のラッツケラーに続く第二の規模を持つワイン酒場を出し、自蔵ビールを方々に納入していたと言う。インフレに備えた不動産投資と不動産業で罰金を命じられた以降にも、市長として選出されている事から最後まで市民の信任を受けた名士であったようだ。
宮廷画家としての職業から、ヴィーンで知り合いお抱えとなったヴッテンベルクのフリードリッヒ・デム・ヴァイゼン候の屋敷を辞去して、市中にアトリエを構える。自由な職人芸術家から企業家への出世街道において、徐々に富を得て、プロテスタントの祖でもあるルター博士と親交を結びその信仰に一役をかった状況は、だからそれほど唐突には写らない。そのような歴史的な社会状況が、この画家の作品の背景にあって、現在においても有効に活きているからだ。
アメリカ大陸発見の数年後には、フッガー家はカリブ、東欧、インドに支店を開き莫大な富を掻き集めて、1509年になって初めてコペルニクスが丸く四角い世界像を示し、1517年になってルターの『95ヶ条の論題』が提議されるその状況は、クラナッハがメディアに託した目的と効果を、こうしてグローバリズムの大波の中でネットにおいて、その意味合いを考察吟味する社会状況と殆ど変わりないのである。(続く)
参照:腹具合で猛毒を制する [ 生活 ] / 2008-01-17
特に「砂漠の聖ヒロニムス」は有名で、方々で解説される見方が一般的な鑑賞法となっている。そして、こうした鑑賞法と 見 せ ら れ て い る 鑑賞者の視点を鑑みると、やはりどうしても「不釣合いな男と女」シリーズに目が行くのである。
夫婦ものは、ローマでも観光名所となっている「真実の口」の裁定シーンなども含めて、プロテスタントの教条的な表現が明白で、ややもすると平面的で底の浅いクラーナッハの画風と相俟って、鼻について態々見る気を起させない絵にしてしまっているかもしれない。しかし、今回の展示会におけるようなエンターティメントとしてそれが系統立てられて展示される場合、上の絵解きの盛んなアレゴリー表現と共に、鑑賞者の視点や思考が予め充分に考察された創作であることが充分に知れるのである。
この点に関しては、同時代のグリューネヴァルトの展示会における感想として、「ゴルゴタの丘の磔」を創造する様々な同時代の画家の中で既に比較対照した。ここでそれを言い変えると、アレゴリー表現による事象の抽象化と鑑賞者の現実環境の認識の両面が図られている。地面から強く太く生えた木のようなそれは、ドイツ人的な肉体的量感に「力感と衰退」を表現して、「そのなされた救済は、内的に力強く抵抗力を漲らせる」となるのだろう。
スコラ哲学から改革に至った経過における空間把握を「古い信仰」との差異として見る時、もしくはその差異の認知ゆえの認識の拡がりとして捉えることが出来る。ゆえに「古い信仰」からの視点は、例えばここでもマインツ大司教のブランデンブルク伯を聖ヒロニウスとして描いた絵にも同じように視差を存在させている。同じように、聖フランチェスカの絵を挙げておいても良い。
また、有名なルターの画像のなかでも、その妻カタリーナ・フォン・ボーラと並んだ衝立二枚組みのポートレート画は、敢えて庶民のような様相で描かれているようだが、その深みのない絵にやはり即物的な表現としてのメディア利用が意図されている。
旧約聖書のユディート記は架空の読み物と呼ばれているが、ここで描かれる彼女によって切断された克明な進駐軍司令官ホロフェルネスの首の描写もあまり気分は良くないながらも見ものである。その解剖学的に拘るでもなく、グロテスクとは異なる、今や血糊も付いていない太刀とユーディットの冷めた表情と切り取られた首の情けない表情ほどザッハリッヒな表現は少ないであろう。
同様な心理的背景をもったルクレチアとヴィーナスの対になった、二十世紀の画家キルヒナーが気に入り部屋に飾ったと言う、少女の肉体画像においては、「水浴びするニンフ達」シリーズ同様、全く透けた形式だけのベールで隠された女性器までを克明に描きながら、付かず離れずの「解釈不可能な微妙な距離感」をとることになる。それが、「エヴァ像」や「ヴィーナスとミツバチ像」の各々のシリーズになると明らかな教示的な意図をもって、改革精神の表れでもある「僧侶の修道女との妻帯」に象徴されるパラダイスからの追放がアレゴリーに具象化されているのである。もちろん、魔女であるダイアナも忘れてはいない。
これらのシリーズを、まるで時間差があるかのように画面を少し替える事で、この世に一つしかない物を注文主に渡す手腕は改めて触れるとするが、古い信仰と改革派の双方から後々まで注文を受け、裕福な好事家の注文主には少女ヌード画像などを提供して、尚且つルター聖書の一グルデン(豚一頭の価格)もする豪華本を大量に売り捌いたことは、商業的な大成功のみならず改革への大きな貢献となっている。
なにやらこのように記述するとまるで売れない学術書を扱いつつ裏商売をするヤクザな出版社のようだが、「シカ狩の情景」などに見られる表現には、既に当時のヴィーンで芽生えていたヒューマニズムと、封建世界への厳しい視線があると言われる。またアトリエを構えたヴィッテンベルク市内では、出版のみならず画剤にも転用する薬品や香料・砂糖・菓子を売る薬局以外に、市議会のラッツケラーに続く第二の規模を持つワイン酒場を出し、自蔵ビールを方々に納入していたと言う。インフレに備えた不動産投資と不動産業で罰金を命じられた以降にも、市長として選出されている事から最後まで市民の信任を受けた名士であったようだ。
宮廷画家としての職業から、ヴィーンで知り合いお抱えとなったヴッテンベルクのフリードリッヒ・デム・ヴァイゼン候の屋敷を辞去して、市中にアトリエを構える。自由な職人芸術家から企業家への出世街道において、徐々に富を得て、プロテスタントの祖でもあるルター博士と親交を結びその信仰に一役をかった状況は、だからそれほど唐突には写らない。そのような歴史的な社会状況が、この画家の作品の背景にあって、現在においても有効に活きているからだ。
アメリカ大陸発見の数年後には、フッガー家はカリブ、東欧、インドに支店を開き莫大な富を掻き集めて、1509年になって初めてコペルニクスが丸く四角い世界像を示し、1517年になってルターの『95ヶ条の論題』が提議されるその状況は、クラナッハがメディアに託した目的と効果を、こうしてグローバリズムの大波の中でネットにおいて、その意味合いを考察吟味する社会状況と殆ど変わりないのである。(続く)
参照:腹具合で猛毒を制する [ 生活 ] / 2008-01-17
クラナッハは特に好きな画家というわけではありませんが、妙に引き寄せられます。理想的なプロポーション追求など念頭になく描かれ、それでいてどこか官能的な女たちなど、画家としての修業過程に興味が湧きます。父親の工房で主に修業したのでしょうが、当時の画家としては晩成型ですね。その後は別人のように大発展、制作の傍らヴィッテンベルグ一の資産家になり、市長を務めたり、80歳台まで生きるなど、波乱万丈で興味津々。強靭な精神と肉体の持ち主だったのでしょう。まさに時代を動かした企業家ですね。
「真実の口」などの新シリーズも世俗的な画題をとりあつかい、変幻自在のようで、時代の枠組みに納まっていたこの画家。続きを楽しみにしています。
ドイツでも誰にとっても人気と言う点ではもう一つのようですが、関心はとても高いようです。昨年も中央ドイツで展示会があって、この展示会も三月からロンドンのロイヤルアカデミーに移されるようです。
会場での何人ものガイドを聞いていても、まるで古城見学のようにあまりに話題が多すぎて今一つ説明を絞れないような感じがありました。
宗教改革を身をもって体現しているのかどうか、そのあたりへの興味が尽きないように、子供から高齢者までドイツでは広範な関心が寄せられて当然とも感じました。
ルターに身近な芸術家を通して当時の状況が伺い知れます。僧侶の妻帯禁止やその他の「古い信仰」の上からの組織的な枠組みに対して、下から基礎を作るためにはクラナッハが示したような教示を越えて自省を呼び起す「なかなか微妙な表現」が必要だったのが伺えます。
しかし実際の改革には、「農民戦争」や「魔女狩り」の歴史として、そのような表現の及ばない否定的な影響も当然ながら反動として存在しますね。今回の展示でもこれをメディアの影響力とする場合、どのように影響するかは今日でもとても興味深いことです。
追記:幾らか予想されていたように、上の内容の幾つかの用語は、幾つかのサーヴァーではデーターバンク化をしない規制に含まれていたようです。つまり検索してもこの記事ともども出てきません。この現象は、まさにプロテスタンティズムの本質が現在においてもとても十分には普及出来ないという証明とはならないでしょうか?
ルター個人の反ユダヤよりも、現在の教会合同の流れの中でもルター信仰自体がユダヤの信仰と厳しく対立するのは否めません。
しかし、注意しなければいけないのは、マンの「ファウストュス博士」においてもそうした単純な対立構造のみをアンチセミティズムとして浮き彫りにしていないことです。ユダヤ文化がドイツ文化の一部であることの方が重要でしょう。