Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

隠しカメラやスキャナーの使い方

2010-12-17 | 雑感
銀行の引き出しカードが変わった。期限も変わらないのだが、犯罪防止のために変えられた。どうも外国から、不正な引き出しの試みがあったようだ。自分自身はかなり長く外国では使っていない。だからそのカードのナムバーは国内のどこかでのコピーから知られたのだろう。それも使う場所は限られている。

大手銀行の自動引き出し、スーパーと飲食店、醸造所だけである。千ユーロぐらいの犯罪を試みるのにそこまでやるということは、どこかで暗号を盗みする場所があったか、もしくは読み取り機で読み込めた可能性もなくはない。最初の所では隠しカメラなどで写されていれば暗号も大体分かる筈だ。思い当たりはないが、天井から監視カメラの横から写されていれば気がつかない。

いづれにしても引き出しは成功しなかったようで、カードの番号も新しくなり、暗証も新しくなった。長く使っていた暗証が変わるのは不便であるが、馴れるのも早いかもしれない。

キャノンのオールインワンのプリンターの使い勝手が大分分かってきた。特に FAXにおける紙無しでの受信には関心があったが、キャノンはインクを売らなければいけないので何とか印字させようとするが、印字しないでも何とか問題なく内容を確認して消去する方法の手順が確立できた。少なくとも週に一枚は不要なFAXが入ることを考えれば、手軽に確認消去するのは重要である。

最初危惧されていた印字の費用は、デフォルトとして最速の白黒を入れておくと、現在の所殆ど四百ページに至ろうかとしているが、まだインクカートリッジは空になっていない。既に新しく容量の大きなカートリッジを買ってあるので安心して最後まで試せる。予想に反して、先代のプリンターよりも安く印字できそうで、これにも満足である。
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僅か二十ユーロ程度の極上感

2010-12-16 | 文化一般
夕方に時間が出来たので、ワイシャツを新しい洗濯屋に出して、パンを買う序に一つ走りしてきた。車に戻ってきたときは雪が強く振り出していた。

先日スキーを抱えて上がった登りは、踏み跡だけでなくマウンテンバイクのシュプールもバンビのそれに混ざってあった。手袋を忘れたのに気がついたときには時既に遅かった。ポケットに手を入れるとバランスが取り難いので手が冷たかった。それでも雪がクラストしていたわりに思いのほか速く登れた。どうも雪で凹凸が少なくなってマタギのように大またでどんどん進めることにその理由がありそうだ。新雪は五センチほど上に乗っているだけなので、日本の雪渓の日が出たときの柔らかさに近いが、トレイルランニングシューズのグリップが良く効いて気持ち良い。これなら日本の岩場なら荷物さえ軽ければこの靴で殆どアプローチ出来そうである。

さて、峠から前回はスキーで滑走した所をジョギングとなるが、走ってみて改めて可也の溝が走っていることに気がつく。自分のスキーのシュプールは融けてしまっていたようだが、先日よりも更に枝などの落下が目立って走りやすくはなかった。それでも、丁度汗を掻くぐらいで戻ってきた。流石に下りは一分ほど余分に時間が掛かっていた。

汗が冷えないように車のシートヒーターを入れて走り出す。吹雪の中を肉屋によると、ロールラーデンがあった。今日はザウワークラウトでお茶を濁しておく心算だったが、これで決りだ。人参も胡瓜も酢漬け唐辛子もある。「おかあさんにそれを注文すると、今日のはなぜか知らないけど小さいのよ。それでも良い?」と言うので、てっきり長さが短いものと思って、二つ貰った。広げて見せてくれると、長さよりも幅が短かった。巻くのには問題がないので、一枚で良いかなと思ったが、二枚で二百七十グラムほどである。中の入れるつなぎと共に五ユーロを越えたので、予算以上であったが、一枚は週末まで残しておこう。こうなればワインは、レープホルツ醸造所のナテューウアシュプルングである。

熱いシャワーを浴びて、パン屋で購入したラウゲン・ブレツェルと一杯やると、もうこれ以上の幸せはないという極上感である。序に美しい雪化粧の森を走り、世界の君主が食した肉屋の売りを買い、特別なリースリングを愉しむ。ビル・ゲートであろうとも用意に味わえない高級感をこれほど手軽に味わえる幸福感。必ずしもその行いだけが幸福感を呼ぶのではなくて、スキーなどのアウトドアーの体験を追体験するような、要するにプルーストの作品のモデルのような感覚の統合としての教養の謳歌である。

午前中は人待ちのような思索にあまり集中できない一日であったが、終わり良ければ全て良し。



参照:
朝飯前スキーの夢の実現 2010-12-09 | 生活
本能に従って進むもの 2010-06-25 | 料理
認知、直感的に安心させるもの 2010-07-11 | アウトドーア・環境
ラァウゲンが引っかかる 2005-07-16 | 料理
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なんちゃって日本食を体験

2010-12-15 | 料理
車の中でニュースを聞いた。北海の漁業制限が厳しくなるようだ。世界中が魚を追う様になると、EU外からの依頼を受けたような国の漁もEU内で問題となっている。それによって地中海だけでなくて、アフリカ沿岸での漁も更に狭き門になると言う。もはや遠洋漁業や遠隔地への輸出などは商売としては成り立たなくなるだろう。

なんちゃって日本食を食べた。もちろんおかしなものは口にしたくないので、中華風のものから揚げシュウマイを食したが、野菜てんぷらの注文は間違いだった。ただのかき揚である。なるほどからっとは揚げてあるが、それだけで味が定まらない。

ビールとチップを入れての十一ユーロもあれば、幾らでも美味いものは巷に溢れている。そもそもシナ人がうろうろする所は不潔で騒がしく雰囲気が悪い。シナ人自体も洋服がシナ料理臭くなると嫌がる。駐車場を降りるとそこは甘酸っぱかった。

中国では、日本の若者の中国感が悪くなって来ていると伝えていて、中日友好を信じている人の心配事となっている。その報道内容が事実だとすれば日本の商売人の行った日中友好という名の過剰宣伝の誤った国際感覚の後遺症であろう。我々本当の知中華主義・知極東派は、世界中で溢れる腹を空かしたシナ人はますます嫌われはじめているという事実を重視する。



参照:
欧州からみる和食認証制 2006-11-03 | 料理
絵に画いた牡丹餅 2007-03-18 | BLOG研究
MAY I HAVE A KNIFE? 2007-07-13 | 料理
おかしな正月料理の記録 2008-01-24 | 料理
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テンションが上がる待降節

2010-12-14 | 
二十何日かぶりで森を走った。相変わらず今日も新雪が上に乗っていた。ジックリ歩く時間も無く、未だ本格的に走る自信もなかったので、さらにスキーが出来るほどの雪がなかったので、川沿いの道を往復十五分ぐらい走っただけである。それでも足元は滑り易く、小幅に進んで、確りと汗を掻いた。バンビの足跡があるだけだから、自分が往路来た歩幅や足取りが良く分かって面白い。もちろん今日は可也狭かったが、復路はもっと狭かっただろう。外気温零下摂氏五度ぐらいであった。それでも帰りには老夫婦のジョッガーと入れ替わりとなった。物好きもいるものだ。

何時も通っている場所でも季節によって、それだけでなくその日によって僅かな時間差だけで風景が異なることに気がつく。少なくとも今日は駐車場まで道が開いてなかったので、殆ど処女雪の上を走った。通勤通学でこうした移り行きを感じないのはやはりその環境がおかしいと言うことに違いない。

汗を掻いたその足で年末年始の肉類の注文をしてきた。フォアグラのパイがあったのでそれも用意してもらうことにした。レバーのパテはアップルの入ったレバーにした。23日にとりに行くようにしておいた。

散髪屋に行って、先週のスキー行の話をした。息子さんは丁度スイスに滞在していて、いい雪が降っていると言うことだった。散発代が一ユーロ上がって、13ユーロになったので14ユーロが払い易くなった。ホワイトクリスマスが想像されるだけでなく、親仁が言うようにバーデンバーデンに行くまでも無く、もしかしたらまた朝飯前にスキーも出来るかもしれないので、否応なく独りテンションが上がる。



参照:
胸躍る年末年始の食事の計画 2010-12-12 | 料理
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寿限無 食う寝る処に住む処

2010-12-13 | 文化一般
「ベートーヴェンやブルックナー、マーラーの巨大な交響曲をただ単に抽象的な芸術として演奏するときなにか間違っている」と語るのは、ポストメルケルの首相候補ツ・グッテンベルク防衛相の父親でありフォン・ブール醸造所を売り払ってしまった指揮者エーノック・ツ・グッテンベルクである。

つまり彼は、自らの信仰告白などよりも例えば大バッハのそれを確かに掴んでないといけないとして、その演奏実践の手本として指揮者アーノンクールを筆頭に挙げる。つまりどんな革新的な芸術作品であろうともその演奏実践の変遷を考えれば今の我々には耳馴染みとなってしまっているので、お手本を示すその指揮者のような「誇張の演奏実践」が必要だとするのである。それによって指揮者として批判を受けるリスクは犯しても仕方ないと主張する。そのようにベートーヴェンの「ミサソレムニス」においても商業主義のカラヤン化を批判しつつ、「内と外環境の平安を」を政治的なメッセージを強調すると語る。

少なくともツ・グッテンベルク家は騎士として十三世紀へと遡れ、今もってそのノイグッテンベルク城を居城とする領主様として誉れが高い正式名ゲオルク・エノック・ロベルト・プロスペル・フィリップ・フランツ・カール・テオドール・マリア・ハインリッヒ・ヨハネス・ルイポルト・ハルトマン・グンデロッホ・フライヘル・ウント・ツ・グッテンベルクは、インタヴューに答える。

同時にナチス統治下のヒットラー暗殺計画には王派の保守として祖父は軟禁され、大叔父カール・ルードヴィッヒは、カナリス将軍の近くでクライザウワーグループに属してヒトラー暗殺を企て1945年春に獄死している。その一方父親であるカール・テオドールは、ポーランドにおいてユダヤ人を射殺せずに親衛隊の手先を射殺したかどで軍法裁判で処刑されそうになったが、地元フランケンの好の司令官により死を間逃れたと言う。そうした名誉ある近過去から、その父親は戦後の民主主義体制の中で保守与党のキリスト教社会同盟を発足させ、ブラント首相の親東欧政策に反対する立場から元ナチスのキージンガー政権を成立させ、その後は反共の実力者ヨゼフ・シュトラウス・バイエルン首相を結果支えることになる。そうした環境において、歴代のツ・グッテンベルク家には芸術家がいないのを押し切って作曲家・指揮者を目指したご本人は、その父親と最後まで家庭内の葛藤があったと語る。

同時に特に興味深い活動として、この指揮者の環境保全への取り組みであって、昨今の緑の党とCSUの政治的な接近の歴史的な背景になっているかに見える。要するに保守的な領主としては自らの元領土である「郷土を護る」ためには原子力発電所の建設などに環境保護グループBUNDとして強い政治力を発揮する必要があったのである。その環境団体の総裁ヴァインッィールの誕生日祝いの席に招待されていた環境大臣レェットゲンが遅刻して、ぬけぬけと国会のためと釈明して彼らの顰蹙を買ったように、公務を大切にする政治家と彼らの相違をマックス・ヴェーバーの言葉を借りて、片や義務倫理の人間、片や信念倫理の人間とその差異が説明される。

要するに同じ社会的な目標を定め、その商いが上手くいくように善処する前者と、妥協の余地のない活動運動家である後者の相違は、まさにツ・グッテンベルク氏が緑の党のトリティン前大臣を称して、「自動車の制限速度や温暖化への取り組みに代えて、瓶の回収に摩り替えた」と激しく非難する所以でもある。

そうした信念は、まるで「葉隠れ」を思い起こさせるような「そのときは死をも辞さない」騎士道精神としてツ・グッテンベルク家に伝わるものだとするのには、それなりの歴史の必然性もあるが、大きな名誉として彼らを精神的に支えるものに違いないのである。当然の事ながら、食う寝る処に住む処が困らないことが、その信念の独立性を保障することは認識している。そこには同時に、また社会的な活動家がその社会主義精神から、理想主義として神風的な姿勢を示す信念にそれと同じような事象があることも思い起こさせる。

我々はここまで考察すれば、市民活動家でもあったホワイトハウスの主人がそれ故に電光石火の如く権力を掌握して、その理想の欠片も実現できないこと、嘗ては市民活動家であった総理大臣がいつの間にか政治的な権力の風見鶏となってその信念すら「葉隠れ」してしまった状況を称して、力も能力も無いジャーナリストがあれやこれやと非を指摘するだけで、何一つ状況を指し示すことが出来ないジャーナリズムこそが無用だと実感すべきなのではあるまいか。

この指揮者を必ずしも単純に保守的信念家と切って捨てれないのは、まさに氏が神の存在を否定するときであって ― その長男が総理大臣候補であることのように、その家庭を取り巻く歴史の顕現を見れば、明らかかもしれない。最後に氏の音楽家としてのその芸術観が、シェーンベルク作曲「モーゼとアロン」が完成されなかったことをして、その後の混沌と自らが作曲出来なかった言い訳としているのだが、これは氏が「もしミュンヘンの安アパートに住むマイヤー姓であったなら」とする考えと同様に、その貴族的な感覚が嘲笑の対象となるのを避けられないのである。こうして、名門ツ・グッテンベルク家が新興のチンピラ貴族のようなフォン・ヴァイツゼッカー家などとは違って、一流の芸術家どころか学者も輩出しない立派な家庭であることが実証されているようですらある。



参照:
Plötzlich kennt man ihn als Vater, Christian Wildhagen, FAZ vom 24.04.2010
Der Dirigent und seine Natur, Alard von Kittlitz, FAZ vom 6.12.2010
新社会市場主義経済構想 2009-02-11 | 歴史・時事
まだ言論の自由がある? 2006-02-17 | BLOG研究
リースリングに現を抜かす 2006-01-23 | ワイン
素朴さ炸裂のトムちゃん 2009-01-25 | マスメディア批評
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胸躍る年末年始の食事の計画

2010-12-12 | 料理
そろそろ年末年始の食事の計画を立てなければいけない。何よりもクリスマス前に店仕舞いしてしまう肉屋で週明けには注文しておかないと欲しいものは確保できない。

先ずは恒例となった栗入りのザウマーゲンである。栗を特別に入れてもらわないと、折角の丸侭のザウマーゲンの醍醐味が半減する。既にワインは下準備と情報を入れてあるので、先ずは間違いないものが食卓に上るであろう。楽しみである。

お次に、年始までのことを考えるとシュヴァールテンマーゲンも欠かせないだろう。これは燻製を効かせて貰おう。またまたワインとサラダの組み合わせが楽しみだ。

似てはいるが、矢張り本格的なにこごりとしてリースリングズルツェもも欠かせないだろう。平素は高いのでなかなか手が出ないが、特別な食事にはこれがまた嬉しい。

あとはレバーパテと鴨の胸肉といった所だろうか。合わせるワインはリストアップされているが、2007年産を中心にグランクリュ大放出の予定である。
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クリスマスオラトリオの修辞法

2010-12-11 | 
クリスマスオラトリオ全曲を生で通して聴いた。流石に19時に始まるというのに当日のアルテオパーの会場の入りは比較的良かった。しかし休憩を挟んで後半が始まっても、一体この曲を態々コンサートホールで通してやる必要があるのかという気持ちは拭えなかった。

なるほどバッハは舞台作品を書いていないので、こうしたオラトリオの中にはイタリアのそれどころかフランスの同僚の作品の質には及ばないまでも、様々な劇的な味付けには配慮しているのは見えるのだが、中部ドイツがどうしようもない辺境にしか映らないのは致し方ない。

更に当日の合唱団は、現代の音楽も得意にしていると言うが同僚のアムステルダムの合唱団の凄さの足元にも及ばない程度で、ロレーヌからやってきた楽団と共になんとも冴えないのである。しかしローカルな活動をしている楽団としては上等であり、こうして大会場に人を集めるだけの技量はある。

この曲のCDは、リヒャルト・ハウクをプロディーサーとしたファン・ゲーストの録音でヘルムート・リリング指揮の録音をソニーの廉価版で所持している。実は、このシュツッツガルトの楽師たちの演奏も暫くは古楽器を聞いていた耳にはなんとも物足りなさを感じていたのであるが、先月のチューリッヒの室内楽団と東京でも活躍しているパウル・マイヤー指揮などの演奏実践と比べると必ずしも悪くないことに気がつくのである。それどころかなかなかどうして嘗てはインターナショナルなセミナーを開いていただけのバッハの音楽の実践の権威者の一人であったことを思い出して、改めてその演奏実践に耳を傾ける。特にロバート・レヴィンのチェンバロとの協奏曲の録音は、改めて聞き直すと、市中のサロン音楽的なバロックの様相も十分に描き出していて秀逸であった。

自らも態々シュトッツガルトでの日曜の朝の音楽礼拝を訪れたことがあり、どうしてもそうした宗教的な意味合いが錯綜しやすいのだが、今回のオラトリオの全曲上演はその意味からもやはり価値があった。もちろん華やかな第一部などの、如何にも替え歌や、教会唱の安易な利用などと、その出来に文句をつけることは容易なのであるが、その第二部のサブドミナントの音調においての天使と牧童の、そして再び第三部で歌が戻り、イタリアバロックの模倣をしながらの、田舎臭い芝居を繰り広げ、三部から四部へと再びエコーなどを登場させながらの劇作法を駆使する訳である。しかし、それだからこそ少し教養のある人間ならばこうした内容には誰もついてこれないであろう。

しかし、第五部が如何にも借り物のシンフォニアを省いてドミナントの音調から合唱で始まり、イエスの生まれとその存在が認識されるとき、まさに三重唱「Ach, wann wird die Zeit」がはじまるその時に、上で繰り広げられた日曜礼拝の偽善者然とした牧師の礼拝のような風景が、急に引いたカメラへと切り替えられて教会の入り口から参列者の居並ぶ後頭部を映し出すような「自省のアングル」の視野なる。要するに、その福音書の「馬小屋で生まれた王」の確信の内容が同時に信仰の告白の客観化であり、それはイタリアバロックの模倣のような田舎芝居がここに来てはじめてプロテスタント芸術の精華となる瞬間でもある。そこまで来れば、誰も元へは戻れない、天を劈く鋭塔の如く第六部が合唱「Herr, wenn die Stolzen Feinde schnauben」がフーガによって、堅牢な信仰に揺るがない時を謳われるのである。

こうしてみるとそれを代表とするバッハの音楽芸術が、プロテスタンティズムの高度な修辞法とその殆ど過激な宗教告白を十二分に表していることを改めて体験すると共に、その背景に矢張り高度なヘレニズムの影響を考えずにはいられない。まさに、アルテオパーの門番の親仁に「何時もご贔屓有難うね」と迎えられて、「お元気で、何もかも上手くいくようにね」と送られるように、確信に満ちた世界観に根ざしたクリスマスオラトリオの一夜であったのだ。


試聴:
Concentus Musicus Wien, Nikolaus Harnoncourt
Collegium Vocale Gent, Philippe Herreweghe
Gewandhausorchester Leipzig, Riccardo Chailly
Münchener Bach-Chor & Orchester, Karl Richter
Collegium Japan, Suzuki
English Baroque Soloists, Gardiner
Ensemble Vocalensemble & Kammerorchester Lausanne, Corboz



参照:
スポック副船長が楽を奏でると 2010-11-08 | 音
地域性・新教・通俗性 2006-12-18 | 音
コン・リピエーノの世界観 2005-12-15 | 音
聖なるかな、待降節の調べ 2009-12-14 | 音
全脳をもって対話(自問)するとは? 2010-04-05 | 音
お手本としてのメディア 2008-01-20 | 雑感
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ご進物の決定プロセスの紹介

2010-12-10 | 試飲百景
十一月から頼まれ物を含むと、四本のグランクリュ、六本のプリュミエクリュをご進物対応として購入した。

そのグランクリュに関しては、十一月の終わりに飲ましてもらって確信以上のお勧めが出来ると実証された。機会があれば格安で入荷できるので、まだまだ買いたいぐらいだ。ひとりでも多くの人に喜んで頂きたいと同時に現在のドイツの高級ワインの一端を実感してもらいたいのである。格安に入荷出来ているのは、2007年産ルッパーツブルクのガイスビュールで、とても万人受けすると同時に確りとくさむしのような独特の香味が漂い出して来て尚且つ角が立ちだした。只者ではないなと想定外の悦びであるのは、年末年始にあけようと思っていた候補であり、もっとも飲み頃を気にせずに楽しめるから購入しておいたものだったからである。しかし、想定外の展開に、もう少し寝かすとどうなるだろうと言う色気も出てくるのである。兎に角、自分自身で自宅で開けて吟味するべきだろう。

それに引き換え難しいのはプリュミエクリュであって、2007年産のゲリュンペルを既に二本ご進物にしたのだが、これは失敗であった。先日自らパイロットとして購入してあるそれを開けてみると、酸が引っ込んでいてバランスが崩れていた。一体次に開くのは何時のことか?一年半ほど先だろうか?逆にそれは既に多くの2007年産グランクリュが飲み頃であることを示しているだろう。年末年始が楽しみである。

さて、それでは開くの遅く早く閉じる傾向のある2009年産の難しさの中では、一体今自身を持ってお勧めできるものは何だろうかと、相談したビュルクリン・ヴォルフ醸造所のトムに言わせると、2008年産のベーリックだと言う。殆ど記憶に無いので、飲まして貰うと、やはり2007年ゲリュンペルほどではないが、2008年産特有の押しの強い酸が丸くなってエグイ角が奇麗に取れた分、若干苦味のような要素が気になる。やはり、2008年産はグランクリュ以外はあまり買えなかったことになる。

序に2007年産ゲリュンペルの苦情もしておいたが、店の新入りの売り子さんは確りと勉強しただろうか?しかし今度は友人に贈るものであって、継続性があるものなので、教育的であり且つ絶対的に気に入って貰わなければ話にならない。一度一緒に試飲して、そのお客さんの好みを十分に理解していないとなると、職業的?沽券に係わるのだ。十月に購入したレッヒベッヒェルをあけて貰う。若しかすると更に良くなっているかもしれないと思わせた。新鮮で酸が活き活きしているのは当然であるが、素晴らしい香りが沸き立って、それだけでもご馳走である。自分にも一本買う。

先の試飲では、嫁さんの方は新鮮なものの方が飲みやすそうだったので、これは間違いない。旦那の方は、ミネラルの奥行きとか複雑さと同時に旨みが徐々に気になってきているので、もう一度まだ熟れていない、こうした複合的なそれを体験してもらって、改めて美味しいリースリングとは何処にあるかを確認して貰いたい。ペトロール臭の裏にあるそれを吟味することなしに、こうした新鮮な非常に愛想の良いリースリングでも十分にそれが体験できることを知ることで、「ペトロールは明らかに否定的な要素ではあるが、必ずしもそれだけで可否を判断出来るものではない」ことを知るべきなのである。二日目は,その沸き立つ香りは弱まったが、逆に中に核のように潜む干し葡萄の味が感じられて、これはこれでとても楽しめるワインである。明らかにこの一月で磨きが掛かった。
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朝飯前スキーの夢の実現

2010-12-09 | 生活
まさか、パンを取りに行く序にスキーをするとは思わなかった。それもノルディックでなくアルペンである。昨晩からひっそりと計画していたのだが、駄目は元々で板を担いでいった。

そもそも車を止めるのに、除雪車が最後に押したところの横に停める場所を探した。除雪車以外は殆ど入っていないようだった。何時もの道を覗き込むとどの方向にもシュプールすらない。日曜日以降殆ど人が入っていないようである。

これならば滑れると思って、何時もの道を板を担いで上がった。足元は確りしているが結構潜る。予定通り、クラスとしたアイスに奇麗に木から落ちた雪が乗っていて、落ちた小枝やなぎ倒された下草以外はきれいに隠れている。ひぃひぃ言いながら立ち止まると、斜面の下のほうから黒っぽいバンビがこちらを見ていて、つがいでなくて三匹もいた。何処の物好きがと言う顔をしてこちらを見ているようにしか思えない。保護色なのだろ、あのように毛皮が黒っぽくなっているのをはじめて見た。

何時もより三分以上は時間をかけて峠までやっと辿り着いた。スキーをテールから刺すと問題なく立った。これならばいける。椅子の上の雪の量から三十センチほどの積雪だが、誰も訪れてた様子が無いないのには驚いた。我ながら呆れ気味の、まるでこれこそ「子供の時の夢」がかなえた瞬間ではないかと思うほど馬鹿げた動機付けに自嘲気味である。

久しぶりにスキー靴に足を入れると矢張り普段の生活には無い状況を思い出した。気合を入れてと思っていると林道を保安らしきジープが通り過ぎていった。「物好きが」と思われたに違いない。ストックを入れていざ滑降である。

何時も走っているところなので地形は良く分かっているのだが、傾斜が弱く、後形姿勢でしか上手く雪を掻かない。それでも止まることなく、最後の長い坂の上までやってきた。どうも上手く板に乗れていないので足が痛くなり、靴を抜いて小用をして、最後の滑降へともう一度気合を入れる。

それでも矢張り雪が重くカーヴィンとはいかず、殆どグライドするのが精一杯である。更に倒木もところどころにあって、飛ばすまでもいかない。しかし車まで一気に降りてくると、もう一台の車両が止まっているのが見えて、川沿いの道をおばさん方がノリディックスキーを試していた。

「やあー」と言いながら、お互いに照れ笑いするのであった。
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湿気が高い想定外の冬景色

2010-12-08 | 
先日独日協会の例会にゲストで訪れていた韓国人女性が言った。「ドイツは気温は韓国ほど低くは無いが寒い」と。なるほど今年は勧告よりもこちらの方が湿気が高いかもしれない。これでも日本よりも遥かに乾いている英国から比べたら雲泥の差の乾燥度なのだが、一体どうなっていることやら。

連日の雨雪で、屋根からの雪崩は地面を雪で埋めて、それが雨で溶かされて洪水になっている。明日は零下摂氏四度が予想されているので、厚い氷のリンク化している可能性が強い。

先日からドイツでも冬タイヤが義務付けられたが、法文の一部を読むと「現行犯」への罰金のようで、エンジンをかけた車の中での自動通話装置無しでの携帯電話使用に似ている。要するに夏タイヤで交通の妨害をしている車に対して罰金が科される。しかし、アイスリンクとなると冬タイヤでは対処の仕様が無い。一年に何度も無いとは言っても明日はそうした交通状況が予想される。

未だ春にもならない時期でのこれだけの降水量は経験したことが無い。更にこの温度は想定外である。明日晴れると予想されていたので朝起きが出来たら久しぶりに森に出かけようかと思っていたが、この様子ではそこまで辿り着けるかどうか分からない。
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とても痛ましい娯楽TV生中継

2010-12-08 | マスメディア批評
毎日のようにラジオのニュースで伝えられる独第二放送の最高視聴率を誇るTVショーでの生中継中の事故をVIDEOで確認した。とても痛ましい事故であり、同じような事故で亡くなった友人の姿と重なる。

TVショーは土曜日のようだったが、車をホッピングのけんけんで飛び越えるスタントを披露した学生の息子が、母親が会場で心配そうに見守る中、親父の車のフロントグラスで弾かれて、後頭部から着地した。その瞬間を見ると、手を伸ばして致命傷から庇おうとしているようだが、一度体が回転していると前に突くことも出来ない両手は全く役に立たない。逆に背中から落ちるのを後頭部で庇うことになるのではないだろうか。通常のスポーツにおける空中姿勢からの着地事故とどこが違うかと言うと、衝突による回転エネルギーの急上昇で、そのエネルギーを処理・反応出来るだけの運動をはじめからしていないということになるだろうか。宇宙における物体で言えば、予期せぬ質量の十分に大きな対象物にぶつかるような事故に違いない。

もちろん背中から落下しても脊髄などを損傷させて不随になる可能性は高いだろうが、首の骨を逝かすと、友人の場合のように不随になるだけでなくその寿命は限られる。金曜日にその故人の思い出が話題になっていたのだった。その致命傷の事故の原因は、慢性糖尿病のインシュリンの欠乏のための無防備と説明されているが、実際には今回の事故のように両手では保護できない体勢がありえるのも納得できる。

TVショーで倒れたサミュエル・コッホ君は既に人工昏睡状態にされているようだが、デュッセルドルフの病院に運ばれても意識はあり、両親が傍にいることも理解していたと伝えられる。この二十三歳の若い生命力に期待するしかないのであろう。


追記:既に二度の手術が成功して、昏睡状態から醒めて意識があるそうだ。それでも、麻痺は確認されている。
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To be or not to be - のT.B.

2010-12-07 | 文化一般
知らず知らずに足を突っ張ったりして週末歩いたので、全身に疲労が残っている。あれだけトレーニングしていても、使う場所や使い方が違うとその筋肉への負担はあまり変わらず、昔から言われるように、使いたい筋肉を使う運動をしなければ本当に強化したことにはならない。更に昨晩のフランクフルトのアルテオパーの客席は咳が途絶えなかった。CDを配達した郵便のお兄さんも同じ咳をしていて、肺炎かインフルエンザか知らないが全く同じ風邪が大流行している。私が何処で感染したかは知らないが、三週間目の今も咳は完全に止まらず愚図愚図した状態である。

先日来話題となっている天文学者ティコ・ブラーエの遺体発掘と調査は意外な興味を持たれて行われていると知った。デンマークを旅行して一度は戯曲「ハムレット」に所縁のあるといわれるヘルシンボーの城を見学したことのある者なら、その謎解きが一層興味深い筈である。それは全く奇想天外なペーター・アンデルセンの仮説である。その根拠をなすのが天文学者の従兄弟のエリックの「私の罪」と称する日記であり、疑惑である。

それによれば、当時のデンマーク国王クリスチァン四世により、国王の母親と天文学者の情事の噂を受けて、特命を受けたと言うのである。つまり、国王はハムレットであり、ブラーエは父親を殺害した義理の父クラウディウスとなる。丁度それは、ヨン・ヤコブソンの「地道説者の国王の側近に修正天動説のブラーエが狙われた」とする説にも符合することになる。その辺りが、シェークスピアに与えた創作動機となるらしい。

さらに、 - To be or not to be – T.Bとこの天文学者のイニシャルまで挙がる。水銀中毒とされるその質量を細かく調べると、それが当時天文学者が従事していた錬金術によるものなのか、それとも他殺によるものかが判明するだろうと期待されている。



参照:
War Hamlets Onkel Astronom?, Lorenz Jäger, FAZ vom 18.11.2010
ヨハネス・ケプラーのワイン樽 2004-11-17 | 数学・自然科学
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そこは五センチ以上の積雪

2010-12-06 | 
雪の中をフランクフルトに出かけた。足元が悪いので具合悪かったが、ダルムシュタットから先は全く降っていなかった。更に驚くことにフランクフルトは雪こそ道路脇には寄せられていたが、全く乾いていた。気温も三度ぐらい高く、僅か百キロの距離でこれほど気候が変わるとは驚きである。

帰りもある程度は予想していたが、ルートヴィヒスハーフェンを過ぎるとアウトバーンは雪であった。アウトバーンを降りるとそこはスキーリゾートのような道であり、雪道走行となった。

二百十キロで飛ばしてきて、家に近づくと時速三十キロも出せなくなった。未明には除雪車が活動するだろうが、雪は降り止まず、気温が下がると明朝はスケートリンクになるであろう。

昨晩は屋根の雪が雪崩となる夜であったが、一度解けた雪が凍結すると手が付けられない。スケート走行をしながらワイン街道を走り、車をガレージに入れると、そこは五センチ以上の積雪であった。
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フリーライダーの履き心地

2010-12-05 | アウトドーア・環境
三月以来はじめて月例ハイキングに参加した。気温は零下五度ぐらいで午後にはプラスに転じたのだが、雪はまだまだ乾いていた。予定を変更して短い距離となったが、それでも新しい靴で三時間以上歩くのははじめてであった。それも雪中ハイキングとなってその真価が問われた。

厚い靴下を履いたお蔭で全く寒くなく、更にゴアテックスの威力は凄まじく、足は乾いたままで快適であった。本日の道路状況は、凍ってはいなかったが、霜柱の所も多く、バランスの崩しやすい所も快適に進めた。更に横方向に指示があるので、どのような状況の場所にも臆せずに足を進める事が出来る。まさにフリーライダーのカーヴィンスキーのような靴である。

凍っている場所もそこが柔らかい分、プロフィールが雪面に馴染んでグリップ感も決して悪くはない。ストックを持ちながら一度も使わなかったことでそれが分かる。足の疲れもはじめての長距離で少しは感じたが、可也よい疲れ方をする。基本的には走るときと変わらない。


写真:氷のストローの中を流れる水



参照:
トレイルランニングに使える靴 2010-10-29 | アウトドーア・環境
濡れた丸太に滑り打っ飛ぶ 2010-11-09 | 生活
蛙の繁殖行為と自覚の無い加齢 2010-03-25 | 雑感
ランニング・シューズ (写真、徒然に・・・ '' 雲遊庵 '')
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厳寒の忘年会での散財

2010-12-04 | 
昨晩は久しぶりの散財であった。山岳協会の忘年会の食事会で、メニューが恐らく二十ユーロもしていないのに、チップ込みで四十ユーロも払う豪遊振りであった。一人でこれだけ払うのは十年ぶりぐらいだろうか。マルクなら七十台であるから高級レストラン並みだ。

それだけ飲んだのは今年購入していないミュラーカトワールのグーツリースリングであった。六ユーロから七ユーロになってすっかり食指をなくしてしまったが、飲んだ感想は矢張り水臭かった。2009年産の特徴でもあるが、価格を上げて水っぽくなったのは営業上大変具合が悪い。

これでまた足が遠のいてしまいそうである。是非とももう一頑張りを期待したい。今年行われたスェーデンの王室の結婚式ではここのビュルガーガルテンが供されたのだが、まあ、新しければ悪くはなかったであろう。

道は開いていて凍結はなかったのだが、往きは良い良い帰りは酔い酔いで、午前様で帰宅するまるで売れっ子歌舞伎役者のような結構ヤクザな夜であった。

アウトバーンから鋭いブレーキを掛けて、バイパス道に乗り移ると、前に茶と白のウサギがヘッドライトに浮かび上がる。走行車線の丁度左のタイヤの内側の位置ぐらいに外側を向いて座っていた。落ち着いた様子はまるでデュラーのウサギのようであった。幸いながら更に右へと避けることが出来て事故に至らず、後続の車も回避出来たと思われる。

これで一挙に酔いが醒めたが、車庫入れに雪もあり何時もより手間取った。最近は経済的に馬鹿らしいので外であまり酒を飲むことはなくなったのであるが、丁度中途半端な距離にあるとついつい飲んでしまう。
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