Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

切れが良いだけでは駄目

2011-09-15 | アウトドーア・環境
今日は二本集中して石切り場を登った。どちらも七級マイナスなので個人的には限界粋なのだが、難しい方は二度目の挑戦で完全にものにしてしまった。次の三回目は完璧に登れるだろう。もう一つの方は横ばいに進む動作が多くてもう一つ重心が安定しない。

もともと傾斜があまり強くないところは得意であったのだが、手掛かりが殆ど無い場所なので、それはそれなりに体力勝負となっていた。しかし最近は皆が汗止めマグネシウムをつけるところがきっちりと握れるようになったのである。やはり筋力が付いてきたのかもしれない。少なくとも筋力を調整できるようになってきている。

先週の金曜日は並びにあるルートで完全に力を使い切った。しかし今日は力を完全に制御できた。だから幾らでも必要なときに再び力を入れることが出来るのである。

丁度車のブレーキと同じように、踏み代と効き加減が綺麗にコントロールできるのが良いので、切れが良いだけでは駄目なのである。それと同じようにメリハリや力を抜いた使い方とここぞの粘りが必要なのである。それは脳の問題でもあるので面白い。

しかし何と言っても簡単に息を上げてしまうようでは、もしくは足元が定まらないようではそうした知的な作業も出来ないので、岩肌を十分に見れるようになったのは日頃のランニングの賜物としか言いようが無く、何キロ走ったか、どれぐらい詰めてきたかの成果でしかない。

兎に角、秋になってから漸く登れる困難度が一クラス上がったのは確かであり、何とか5.10が手に届くようになってきた。十代のときから5.9領域でお茶を濁してきたのだが、これでなにかを打ち破ったのではないかと思えるようになってきた。体重オーヴァーや筋力のバランスが悪いとやはり超えられない領域であったのだろう。
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引き継がれるとても重い遺産

2011-09-14 | マスメディア批評
福島の六ヶ月を迎えたFAZの記事の一つである。科学技術的観点から現象を纏めてある。

先ずは大気中に放たれた総放射線量から、チェルノブイリと比較してセシウム137で六分の一、ヨウ素131においては十分の一として、最初の数週間を総計している。そのセシウムのうち五分の一が陸地に落下していて、その他は海上への落下としていて不幸中の幸いとしている。結局3月15日から21日の陸へと吹いた風向きによる汚染であり、それが東京を直撃していたならば状況は全く変わっていただろうとしている。

その結果もたらされた汚染は、チェルノブイリの150KMに亘っての強い汚染地域に相当するのは、東北方向へと広がった僅か幅10KMほどの40KMの長い汚染地域として、IAEA提供の汚染地図を提示する。つまり20KM圏以内の僅か八万五千の避難者を出したような規模で広がる地域と、チェルノブイリにおいての三十三万六千人の避難者出した地域とまた逃げ遅れた七百万人の居住地域に相当する中長期的に居住不可能な汚染地域が相当する。

その汚染地域の広がり方の差異は、原子力炉のタイプ以上に当時は標準であった格納容器に包まれていなかった「むき出しの圧力容器の破裂だ」としていて、少なくとも福島の炉は格納容器の中に入っていたことが幸いしていると技術的解析を放射能防護協会理事のロルフ・ミヒェルは試みる。つまり、格納容器が無ければ大量のプルトニウムとストロンティウムが飛び散って、十キロ以内圏の放射線量は全く異なっていただろうとする。

福島の場合は、格納容器の存在に加え幸いにも核反応の暴走も無かったことから、問題となるのはセシウムだけで、先ずは30年間の汚染を考えればよいとなっている。そこで、どうしても浮かび上がるのが、原子炉自体の現況であり、ただただ確実なのは、第一号機と三号機で完全にメルトダウンしていることだけで、そうなると1千℃を超える熱で格納容器が抉られていて、そこに穴が開いて地面にメルトアウトしているかどうかは釈然としないとしている。原子炉の専門家であるカールスルーへの研究所のヨハヒム・クネーベルは、恐らくそうした状況は起きていないと予測する。その理由は、もしそのような状況となっていたならば地下水の甚だしい汚染が計測されている筈だとする。つまり、その場合は、最初の時点で溜まっていた水の量が千度の熱を冷やすに十分なだけあったと言う結論になる。

これは、東電などが説明しているメルトダウンと地震からの経過に反していて、改めて東電らの説明や技術的な解析への疑惑の念が強く沸き起こる。そうなると京大の小出氏が語るように万が一の水蒸気爆発の危険が今も残っているということになるのではないだろうか。

さて汚染水の話題となると、これまた小出氏が漏らしているように、今も海へと汚染水が流れ続けているのは明らかとしている。しかしそれは放射線としての影響は少ないと、海岸線の強い潮流の影響で広く薄められているからとミヒェル氏は語る。しかしそれに反して、淡水魚への影響は、野菜やお茶同様に、憂慮すべきだとしている。

もちろん消費されてしまった牛肉問題は、今までの最大のスキャンダルであったが、菅前首相の後任者である野田氏にとっても、保安員のやらせや原子力むらの政党への献金などでの信用の失墜を回復するのは容易ではなく、日本の社会が求めているのは核汚染の軽減でしかないとしている。

つまり、実際の放射能がどれぐらい強く、それが健康被害を齎すかどうかを明白にすることであると言明している。先の統合会見においても惚けたことを政治家は発言するが、世界の誰もIAEAと合衆国政府を除いて、日本国民に知らされる情報以上の情報を教えてくれなどとは要求していない。世界の国が日本政府に要求しているのは日本の市民への正確な情報提供なのである。それは事故当初から一貫している情報先進国の姿勢である。

その代表的なものに福島における不十分なモニターリングデータが挙げられている。より地震被害の強かった岩手県においてのみ最初の数日の子供の被曝量が提供されていて、100ミリシーヴェルトを下回っていることから、チェルノブイリの何千件かの甲状腺がんの増加の資料を加味しても、明らかな発症率の増加は認められないだろうとする大変喜ばしい予想をミヒェル氏はしている。逆に福島での今後の発症率は予想できないと、国連の専門部会がその結果を纏める早くとも2013年までは疑心暗鬼の日々を多くの家庭が送らなければいけないのである。

そしてテプコがあれこれ策を巡らしている、事故を起こした原子炉の核燃料の処理は、即死を意味する10シーヴェルトを指すような強烈な放射能下においての格納容器を修理してからが前提であって、スリーマイル島の30トンの燃料体を細かく刻んで処理するのに五年以上掛かったことを考えれば、福島の100トン以上のそれは如何に条件が良くても遥かに長い期間が必要になるとしている。

環境への放射能漏れを防ぐために、地下水の流出防止に地下ダム、また既に着工されているが第一号機でカヴァーを被せるなどの方法がとられているが、その後はやはり四つの建屋全てを鉄筋コンクリートで包み込むことが必要になるとクネベル氏は予想する。そして、その中で気の長くなる解体作業が始まるというのだ。

チェルノブイリでは今日も3500人が解体作業に従事しているが、現在の福島における1200人ほどでは到底人員が足りないとしている。まさに小出氏の見解の如く、我々今生きている者が福島の最後を見ることは無いという「世代間にまたがる工事現場」の表題通りの見解なのである。



参照:
Eine Baustelle für Generationen, Robert Gast, FAZ vom 12.9.2011
細野補佐官のついた嘘 2011-06-08 | テクニック
核廃棄物の無毒化の錬金術 2011-06-24 | 数学・自然科学
真実に与しない東京の官僚 2011-08-15 | マスメディア批評
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没落への日本近代史を読む

2011-09-13 | 歴史・時事
日本の政府高官は何処までとぼけているのかそれとも官僚のサボタージュで泳がされているのか釈然としない。本日の枝野経産相は新任の挨拶記者会見でフリーランスの田中氏の質問に答えて ― 先日の鉢呂氏辞任会見での時事通信記者への叱責や熱血漢らしい質問がせめてもの涼感である ―、スピーディーに関してはサボタージュであることを説明した。これは大変な重要証言である。

事故を起こしたマルクールの設備にはアレヴァの実験施設が併設されているようで、ここで再処理されたMOX燃料が福島へも送られているということである。事故は低濃度の廃棄物の処理施設で起きたようだが、場所が場所だけに最終的な安全宣言はまだ出ないだろう。

さて六ヶ月経過で、FAZ新聞にいくつもの記事が出ている。19日の行動に向けての大江健三郎らご老体の活動記者会見でのあまり意味の無い取材は含まれていない。所謂「九条を護る会」が中心になっているようなその活動に関しては、その記者会見を見れば明白で、あまりにも時代遅れで、まるで三島由紀夫の盾の会のそれの雰囲気を思い出す。ノーベル賞文化人がこうした反核市民運動に名を連ねるのは良いが、彼らこそが京大の小出氏が自責を表明する以上に日本社会の没落の一躍を朝日新聞らと担っていたのではないか?戦前世代として戦後処理から現在を読み取る「自小説」などはもはや不必要なのである。ヴァイツゼッカー氏が大統領だったのはもういつのことか?そのときでさえ若者には重荷を掛けまいと明確に声明している。いみじくも日本の指折りの文化人である。なにも文明批評を期待するとまでは言わないが、オピニオンリーダーであるためには「私の史観」では困るのである。

先日来ベットで読む「小さな日本史」がとても面白い。権力の分散から統合へと、丁度西欧の中世から近代への流れと重ね合わせられて、それが地政学もしくは社会学的な視座を以って端的に語られるとき、戦後の「大正デモクラシーの発見」と反対方向にさらに長い時間的座標を以って、安土桃山時代から二十世紀後半の日本へと一気にその発展が見通せる。そして福島へと、昨年の秋に発行されたこの書物は引き継がれるのである。

賢明な読者は既にお分かりになったと思うが、大江氏が敗戦に続いてメルクマールとして福島を挙げているようではお話にならないということである。新聞記事に関しては改めて纏めよう。



参照:
2011/09/12 枝野幸男経済産業大臣 就任記者会見
2011/09/10 鉢呂経済産業大臣 辞任会見
2011/09/06 「さようなら原発」一千万人署名市民の会 記者会見 (岩上安身オフィシャルサイト)
Le CEA Marcoule
Den schwarzen Schiffen war nicht zu entgehen, Manfred Osten, FAZ vom 2.8.2ß11
フランスにおける福島の影 2011-04-24 | マスメディア批評
原発銀座で息を吸えるその幸福 2011-04-26 | アウトドーア・環境
ゼオライトか?、減酸か? 2011-06-08 | テクニック
レヴィ・ストロースの福島感 2011-07-02 | 文学・思想
アルザスの原子力発電所 2011-07-06 | アウトドーア・環境
二十五年前の市民の連帯 2011-08-13 | 歴史・時事
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懲りないゾンビの死のむら

2011-09-12 | 歴史・時事
9.11のラジオは十年前の話題ばかりである。車を走らせながらあの時のコルマーからシュヴァルツヴァルトへと走った秋を思い出して、そして何処となく居心地の悪さを感じる。それはなぜかというと、一つにはテロ事件の真相や背景を考えると途轍もない疑惑が生じることで、ブッシュ政府はその後二度もでっち上げの大きな戦争で多大な人命を奪ったことだけでも疾しさに満ち溢れている。

しかしそれだけではないのである。彼らテロ集団のアルカイダの行動で近代の終焉が明白となったからであり、我々はそうした世界に生きていることをはっきりと思い知らされたからである。その思想の底辺にある敵は、もはや社会主義思想に謳われる米国の帝国主義でもなく、物質主義を含む西洋文明が推し進めてきた近代そのものであったからこそ、容易には脱することが出来ないのである。

まさに原子力発電のエネルギー政策というのは、嘗ての地下資源からの植民地政策とは異なり、解決策の無い核廃棄物の一例だけを取り上げても、確実に将来への負担が確実で、環境の不可逆性という点で全く違った次元の課題となっている。そして福島のような原発事故は、そうしたエネルギー消費の物質的に豊かと信じられている生活を享受している我々の視座を強く揺さぶるのである。

経済産業相がぶら下がりの記者にはめられたとか、官僚とその記者クラブが画策したとか言われているが、日本の善良な市民もマスメディアの凶暴性といよいよ形振り構わずに攻撃性を見せてきた政財学界の原子力むらの力をまざまざ見せられることになった。なるほど日本学の教授が到底政治家ぐらいでは変えられない強力な一団だと分析する理由はそこにある。

それだけで終わるどころか、なんと新原子力発電所は新設しないが工事中の原子炉は完成させるという信じられない政策までが聞かれるようになった。まるでヤクザを刺客にして全く政策を変えていくような按配で、如何に原子力むらの一味がもはや猶予なら無いところまで追い詰められているかが感じられるのではないだろうか?

新しい原子炉が出来ることで通常ならばまた何十年も原子力発電を続けることが出来る。その内に日本人の世論もかわり、安全そうな技術で再び全てを建て替えるようとの魂胆だろうか。やはりここまでの執着を見るにつけ、原子力むらというものがとても尋常な圧力グループではないことが知れ渡る。その意味からすれば日曜日に行われたように人のチェーンで経済産業省を囲んで問題の要点を明白にする示唆行為にも大いに価値はあろう。

しかしやはりそうした流れを止めるには、資金源を抑えて金が流れないようにすることであり、発送電分離以外には道は無いだろう。そしてそれを推進するにはやはり議会において議論と世論から多数派攻勢を掛けていくしかないのであろう。そしてそれを阻止するために原子力むらは全ての力を投入するに違いない。逆に発送電分離が実現するような立法府が生まれれば、あらゆる面で日本の政治が変わっていくだろう。そうした改革すらも出来ない持ち回りの二大政党制などはどうにもならないことは日本の有権者は既に気がついているに違いない。そしてそのような制度を盛んに推し進めようとしたのが第四の権力を自負するマスメディアであることは、もはや付け加えることも無かろう。



参照:
溶融落下の政治手腕の必要 2011-07-09 | マスメディア批評
金じゃない営みの表現をする 2011-09-11 | マスメディア批評
はなの憂鬱 - 情報操作 2011-03-21 | アウトドーア・環境
神の手に手を出すな! 2008-11-19 | 生活
痴漢といふ愛国行為 2007-11-26 | 雑感
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金じゃない営みの表現をする

2011-09-11 | マスメディア批評
原発事故から半年経つ911に様々なイヴェントがあるのだろう。福島を熱心に紹介しているのは独第二放送ZDFだけではない。第一放送網ARDのTVやラディオ放送では半年経過の番組が目白押しで、ネットでのそれを全て聴取するには何時間も掛かる。それでもバイエルン2の四十分間のラディオと最新のTVニュースは回した。

前者は政治的な影響を現地取材を交えて ― 先日の増山麗奈女史が司会した院内集会「安全なお米を給食に」の紹介など ― 日本学の専門家が語った番組であるが、重要な点は市民運動の盛り上がりがどのような影響を与えるかの問いかけであり、話者は三島憲一教授の言を借りて、一過性の現象で終わるとしている。その背景には、現在の日本の先進工業国としての基礎がエネルギー政策にあった事実と「政治など如何でも良いぐらいに強い原子むら」の存在がある。

これに関しては、なんども主張しているように議会活動として環境政党が定着しない限り、何もかわらないというほかないのである。逆にそれが達成されるときには環境政策だけでなく、政治が日本社会が変わるということになるだろう。

TV取材は、先日来日本で話題となっているZDF「フロンタル21」の報道姿勢とは全く異なる落ち着いた報道である。しかしそれは報道の制作方針の差でしかないのである。どうも多くの日本人は今でも報道は中立というような透明人間としての表現が出来ると思っている社会層が存在するようで、環境どころか表現や演出の集積であるメディアですら自らの自意識世界と混同しているのである。これは教育の問題であり文化の問題であろう。

さてその内容は、南相馬に居残る人へのエイドアクション「ハートケアレスキュー」を繰り広げる沖縄のサーファー上がりの僧侶Bansho Miuraの活動を通して、政府に突き放された避難地域を紹介する。増加した自殺者数とそして将来を展望する。同じスタッフは先日の一時帰宅にも同行していたようであり、ZDF取材陣と比べて環境が静かに描かれているのが特徴だろうか。

どちらの報道がその現実を正確に伝えていて、視聴者により多くを語るとは言い切れない。あるのは表現の違いだけである。「政府を信用する者は皆無」で「安全に食するものも水もなく」、「本当の援助もなく」、「そこには生活の崩壊」しかないのである。

そして、表現がなにかを訴えることが出来るかどうかは、吹き替えが巧くいっているとかどうかの問題などでは全くないのである。それどころか適当な日本語字幕を見て云々議論するような中途半端な教育をしている文部省がいけないのである。



参照:
MoMa-Reporter: Überleben in Fukushima, Philipp Abresch (WDR/ARD Madiathek)
「[安全なお米を給食に]~目指せ、子どもたち内部被曝ゼロ緊急院内集会!」 (岩上安身オフィシャルサイト)
桃色のゲリラ眠れる我起こす (壺中山紫庵)
目が黒いうちに食いてぇ秋刀魚 2011-09-05 | 歴史・時事
消し去ることの出来ない無理 2011-05-30 | 雑感
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狂人集団テプコの大罪

2011-09-10 | 歴史・時事
福島の情報は独第二放送ZDFで引き続き放送されている。今度は先の日曜日の午前中に流された「ブリック・プンクト」に先日の新学期までの取材VIDEOが新たに編集されて、対談を付け加えて放送されていたようだ。これで熱心なTV視聴者はどこかの時間帯で必ずこれらのVIDEOの一部を観ていることになるだろう。

既に紹介されている内容に付け加えて、父親の仕事を理由にして結局居残った子供のいる一軒の家庭が映し出される、そしてその他には主に除染とその表土の処理などの問題が紹介されている。要するに新統合会見でも話題となっていた縦割り行政の管轄の問題と地方自治体での対応のちぐはぐさである。

本日注文していた「日本の小歴史」の書籍を受け取った。本当に読みたい近代史に入る前に過去の歴史を捲った。大化の改新についての記述である。聖徳太子、そして権力闘争からクー後の統治官僚制のあり方に関する記述である。しかしそこには主権者の立場が制定化されて文章化されていないというのである。また中央集権などまさにこれを現在の日本の礎とすることが出来よう。

日本へ郵便を送るためにDHLのサイトを開けた。そして赤字で書いてある大書きの文章が目に入った。

日本の郵便局は、地震被害ならびに原発事故に遭った受取人の宛先だけでなく、現在仮に避難して過ごしている避難所への配送も請け負っている。受取人が見つからない場合は郵便は発送人に返送される。これは、原発事故で そ の 場 所 に 留 ま り 続 け て い る 受取人への郵便にも当てはまる。しかし、受取人が日本の郵便局に支局ならびに扱い所などで郵便を受け取ることを通知している場合には例外としてこれにあたらない。

とても厳しい現実が福島には存在する。しかし東電の態度を見ていると、どうも頭がおかしい人達のカルト集団としか思われないのである。オウム真理教と法人としての東電と構成員として彼らは殆どかわらない連中だとますます分ってくるのである。



参照:
Thema der Woche: Kinder von Fukushima blickpunkt, 04.09.2011 10:15 (ZDF/Mediathek)
Informationen für Ihren Versand nach Japan (DHL)
桃色のゲリラ眠れる我起こす (壺中山紫庵)
奴らのとんでもない口を塞げ! 2011-09-02 | マスメディア批評
とても怪しいセシウムさん! 2011-08-30 | マスメディア批評
議論を喚び起す試算の公表 2011-08-26 | 文化一般
福島から明日が変ってくる 2011-03-27 | 歴史・時事
輪番停電という外出禁止令演習 2011-03-13 | マスメディア批評
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無知で偽善な社会的大罪

2011-09-09 | 雑感
統合記者会見が再開されたようだ。新しい政権の継続意思と評価すべきであろう。しかし、環境モニタリングなどの最重要課題は東電におけるそれとは切り離されるようで、今後最も白熱するような食料汚染の修羅場からは東電が逃げれるようになっている。汚染水による海洋汚染と陸地以外に落ちた全ての環境に放たれた放射能物質の責任も全て東電の対応にあるのだが。それは決して天災でなく人災であり、いづれ刑事責任が問われる。

しかし、善意面した市民団体やヴォランティアーと呼ばれるものの活動ですらこうした責任から一切逃れられるものではないことも明白である。福岡の共同購入団体やヴォランティアが、福島の農作物を買い付けて福岡で売り捌いていたのだが、流石に危ないと思ったのか活動を停止したというのである。

その産地や検査の徹底でそれほど汚染されていないものを売り捌くことは可能だろうが、態々金を払って汚染されたものを喜んで購入するものは皆無だろう。もしいたとしたら偽善か無知な者だけだろう。そもそもこうした活動自体がそうしたものなのである。

そして、これに関してなによりも責任があるのは安全デマを撒き散らした政府行政であり、国民を代表する政治家でありながらいわきのトマトをがぶりと頬張って世界に醜態を晒した前枝野官房長官のような者の政治的はもとより社会的な責任を本当に放置しておいてよいのだろうか。



参照:
目が黒いうちに食いてぇ秋刀魚 2011-09-05 | 歴史・時事
二十五年前の市民の連帯 2011-08-13 | 歴史・時事
安全デマで五山の恥さらし 2011-08-08 | 文化一般
弾劾すべき官僚らのサボり 2011-08-30 | 歴史・時事
予測可能な環境の修辞法 2011-04-08 | マスメディア批評
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月が丸いのも東電が悪い

2011-09-08 | マスメディア批評
武田教授の発言に苦情があったという。識者であるから理由がなくして、「東北の岩手県一関市の野菜は危ない」とはいわない。ご本人にはご迷惑かもしれないが勝部修市長が風評被害で訴えればよいのだ。恐ろしい食品汚染と隠蔽の事実が浮き彫りになるだけだろう。

汚染地図をみると大文字のときに話題となった陸前高田よりも放射能雲が被っている。陸前高田とは異なって殆どホットスポットに掛かっている。さて調べてみると、有名な北に伸びたプルームにしっかりと掛かっていて、降雨があったのだろうか、早川氏のBLOGで六月に話題となっていたのだった。岩手県や一関市がクレーマーとして話題となっていて、司法の場で争うように切り返しているようだ。

そもそも気象庁などが当時のプルームの状況とその直後の降雨や降雪の状況を纏めた図面を出していないことが異常であり、それがあればスピーディーの原発近辺のものの情報よりも広範な地域での汚染状況が一目瞭然であり、所謂風評被害を避ける手段にもなる筈である。ドイツやフランスの気象台は公表していても、日本の気象庁は、IAEAへの報告以外には、そのような情報すら流していない。少なくとも詳しい気象状況を加味すれば恣意的なモニターリングなどをしなくても土壌汚染だけでなく農作物の汚染状況も殆ど分ってしまうに違いない。当然のことながら政府は全ての情報を初めから握って道化芝居をうっていたに過ぎない。

とんでもない妄想をしているのはなにも東北の田舎だけではない。日本の航空会社が路線を拡大して日本への観光客が戻ってくることに期待を掛けているという。未だに不要不急の日本旅行を控えるのは常識である。なるほど大気中の放射能の値は東京はミュンヘンより低くても、「一体何を日本で口にすればよいのか?」と、友人が日本へ飛ぶなどと漏らせば直ちに引き止める。少なくと来年の春までは渡航すべきではない。

日本人がこうしたことにとんでもない妄想をぶち上げるならば、必ずそれ以上の激しさで現実を思い知らされることになるだろう。何もかも悪いのは東電である。空が汚染されたのも、海が汚染されたのも、土壌が汚染されたのも、食料品が汚染されたのも、日本人が安全デマで汚染されたのも東電の責任である。



参照:
トピックス (一関市)
一関市長さんへのご返事 (武田邦彦 (中部大学))
放射能汚染地図(三訂版)
岩手県と一関市からの苦情、軽井沢町の放射能対応 (早川由紀夫の火山ブログ)
茨城県の新しいワイン産地になろうとしている町です。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
ニュースのその後 (クラシックおっかけ日記)
☆放射性物質汚染の「痛みを日本全土で分かち合うことが国としての配慮」と細野豪志環境大臣が・・・。 (風信子(ひやしんす)の☆本の紹介)
目が黒いうちに食いてぇ秋刀魚 2011-09-05 | 歴史・時事
安全デマ被害補償の一時金 2011-08-19 | マスメディア批評
東北・関東の農産品の廃棄 2011-08-11 | アウトドーア・環境
チェルノブイリ後の土壌汚染 2011-08-10 | 歴史・時事
開かれた議論のない技術大国 2011-06-20 | 文化一般
再生不可能な科学的教養 2011-08-09 | 文化一般
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無駄が聞こえない環境作り

2011-09-07 | テクニック
ベルリンでIFAが盛大に開かれている。インターナショナル・フンク・アウスステールングの略であり、世界で最も古い電気博覧会で、今でも最も重要な家電博覧会である。嘗ては生活の豊かさを示したような家電がもはや先進工業国では重要な消費対象でなくなったが、それでも白物家電は必需品には変わりなく、特にスマートグリットなどの消費節約と、より再生可能なエネルギー消費が目指されているので、技術的には大きな進展が期待されている ― この九月から60W以上の電球が不売になったので駆け込み需要があったらしい。

新聞でのその報告の横に、音のしないPCの紹介があって、興味深く読んだ。それによると90年代から騒音を減らすように空冷無しの電源部を開発して、十年ほど前から「サイレントマックス」というシステムに様々な工夫を盛り込んできたようである。これまでの商品が雑音を感じないパーツに、耳を近づければハードディスクの回転だけだったのが、今回はSSDハードディスクを利用して、殆ど聞こえないシステムに近づいたということである。立ち上がりが早いとか、サブのハードディスクにデーターを引き継ぐとか、落ちてしまう可能性が高まるとかの様々な議論はあっても、こうした全体の傾向は変わらない。

静かなものに限ったことはない。ノートブックなどはもはや殆ど聞き取ることが出来なくなっており、大きなデスクトップで如何に作動を安定して雑音を減らせるかにあるのだろう。自身ワークステーションに、故障からファンの付いていないグラフィックカードを設置するようになって、若干の作動上のラグタイムは生じるようになったが、音が静かになっただけでも満足している。

特にPCで音楽を聴くというようなマルチメディアの使い方が盛んになってきていることを考えれば、こうした技術的進化はHIFIやTV受信機に変わる将来性のある市場に違いない。

十年前ではマッキントッシュのスタジオシステムにおいても、本機を室外に置くことで何とか音響のポストプロダクションシステムとして使用できていたが、現在のiMacでも上記サイレントマックスよりは喧しいという事で、こうしたシステムの発展には期待が高まる。

その場合もカタログに記載されているようなデシベル表示では実際の喧しさとはかけ離れていてソーン表示に留意している。1Kz に置けるサイン波の40dbを基準として、二倍にやかましければ2Soneとなる。通常のPCの場合は、0.5から1.0ソーンで、上の新製品の場合は0.1ソーンとなるようだ。

家庭で、PCで音楽を聴きたいとかの目的ならば、今後はこうした商品を選ぶことになるのだろう。兎に角、事務所においても雑音は無い方が歓迎されるのは当然で、更に熱工学的に考えれば出来るだけ無駄な発熱をしないようなシステムが今後のハイテク電化製品の主役となるのだろう。その意味からはIFAでの最新の商品の動向もあまり変わらないに違いない。



参照:
Die erholsame Ruhe des leisen PC, Michael Spehr, FAZ vom 6.9.2011
ハードの問題、ソフトの問題 2011-05-09 | 雑感
越えてはいけない収束への道 2011-05-03 | 雑感
テクニックそれでも収束に向かわなかった 2011-04-30 | テクニック
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フモーアー満ち溢れた環境

2011-09-06 | 文化一般
週末は殆ど外出しなかった。夜に雨が降って野外活動するにも足場が悪く、霧勝ちの秋の風景となると、夏の疲れを癒したくなる。

とはいっても室内でじっくり落ち着いてとまではいかなく、半ズボンでうろうろするのが関の山である。

夜になってからウィッシュリストに長く挙がっていた二冊の本と序に安売りCDを物色した。CDの方は本格的な買い物ではないのでヒット商品を覘くと、ハイドンの交響曲シリーズが廉価で出ていた。もちろん百何曲にも上る交響曲の父の全集を持っているわけでもなく、その音盤を集めているわけでもないが、ばらばらに買い求めているうちに、可也揃ってきた。全部で半分ぐらいの曲数のモーツァルトのものに比べると各々に工夫があって楽しめるので飽きない。

そして今回投売りされていたのは今まで録音を殆ど持っていなかったホグウッド指揮のアカデミーオブアンシェントムジーク楽団のものである。それでもモーツァルトの交響曲全集が古楽器演奏のものとしては可也初期に出ていたのを漏れ聞いて、その奏法やサウンドに驚かされたのが記憶に残る。

試聴を聞く限り、あの時期のものよりも遥かに大人しく聞こえて、現在手元にあるクイケン指揮のラプティット楽団のものよりもしかすると良いかもしれない。初期のものではアーノンクール指揮のコンツェルテュスムジクスのものもあるのでこの辺りの演奏実践も比較してみたい。

月曜日から昼食抜きで野暮用に追われた。生産的に忙しいのは必ずしも悪くはないのだが、秋の行方や環境を考えるとどうしてもそれほど晴れやかでもない。しかし、ハイドンの交響曲に代表されるようなヒューマニズムと高度な文化的精華に救われる想いがするのである。一枚3ユーロ33の三枚組みボックスの感興である。

情操とも呼ばれるユーモアに溢れた感興、まさに啓蒙思想の精華である。注文した日本の小さな歴史書には、プロイセンを見本としたその近代社会創生から、大正デモクラシーを通した一貫した視座が据えられているらしい。



参照:
Joseph Haydn (1732-1809): Symphonien Vol. 5 (jpc)
消し去ることの出来ない無理 2011-05-30 | 雑感
彼らの勇気と行動を讃えよう 2011-06-27 | BLOG研究
人道的公正への感受性 2009-01-02 | マスメディア批評
モスクを模した諧謔 2007-10-02 | 音
大芸術の父とその末裔 2006-11-24 | 音
西欧の視座を外から再確認 2011-02-19 | 文化一般
ユダヤ啓蒙主義者の社会活動 2010-08-25 | 文化一般
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目が黒いうちに食いてぇ秋刀魚

2011-09-05 | 歴史・時事
講談や落語などでも有名な目黒の秋刀魚である。盛んに日本のマスメディアは東北沖のそれの全国販売を伝えているが、最後に北海道沖で調査されて以降敢えて放射能検査がされていないことは伝えていない。所謂安心デマに加担した報道であり、そのようなメディアの反社会性は甚だしい。秋刀魚はこれから銚子沖へと南下していくようなので、徐々にその汚染濃度は猛烈に高まっていっていくことに違いない。

福島の食品汚染について独第一放送が伝えている ― リンクVIDEO18分18秒から。福一から百キロ離れた桃農家の苦難について現地取材をしている。農家自体はガイガーカウンターで農園近辺を自己調査するのが関の山で、農家を守る政府の元で将来福島の農産品が消費者に大惨禍を招かないことを願うだけである。疑心暗鬼のままに生産者は製品を出荷して、疑心暗鬼のままに消費者はそれを頬張るのである。まるで何も無かったように、いつものように頭を空っぽにしながら。

あのような低能面の前官房長官を戴く国民に似つかわしい低能ぶりなのである。フランス人の神の御心と言って被曝を受け入れる馬鹿さ加減にも勝るとも劣らない素晴らしい民度である。

もし津波の被害者と連帯感を持ちたいのならば、全てを東電に弁償させるように運動を盛り上げるべきである。そもそも世界的なロビー活動を繰り広げる環境保護圧力団体グリーンピースが社会的に認知されていないような国ではどうしようもない。

同じニュースで核再処理燃料中間貯蔵地ゴーアレーベンの格納建屋外で基準一年分に迫る放射線が測定されたことが伝えられる ― リンクVIDEO15分12秒から。その原因は不明でさらにそれはガンマー線だけでのことだけであり、中性子線の放出が数えられていないことから、今後放射能が下がらない限り、更なるフランスの処理工場などからの受け入れが停止される。日本では六ヶ所村に当たるのだろう。更にその後には死の灰の永久保存の場所としても考えられており、環境団体・反核団体の活動拠点ともなっている。

そしてそのニュースに続いて伝えられたのが、上の福島の桃園のニュースである。「こうして強いナショナリズムの連帯意識」とナレーションされるように、汚染された農作物を消費流通させてはいけない。そもそもこうして消費流通してしまえば、汚染された農作物として「福島の桃」は永遠に危険な食物として烙印を押されかねない。深読みをすれば、市場でそれらを流通させることで東電の存続を支援していることになっているのである。

秋刀魚の安心デマを流すマスメディアは当然のこと、福島の農作物を個人責任で購入するだけならまだしも人にまで勧め、子供の手に届かせるような者は児童虐待に相当するような同罪である。同じ穴の狢となったものが政府を追及できる道理がないのである。



参照:
tagesthemen 22:15 Uhr, 30.08.2011 (ARD/Mediathek)
目黒のさんま 2-1 (三代目三遊亭金馬),
目黒のさんま 2-2 (三代目三遊亭金馬) (YouTube)
魚からストロンチウム (風のたより)
☆ 「放射能をただしく怖がる」は、原発推進派の洗脳-マインドコントロール-の言葉です。,
☆ 世界中の学者は「フクシマの児童を救え」と、大々的なキャンペーンを展開しています。 (風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句)
奴らのとんでもない口を塞げ! 2011-09-02 | マスメディア批評
とても怪しいセシウムさん! 2011-08-30 | マスメディア批評
毒は勝俣に呉れてやれ 2011-08-25 | マスメディア批評
イデオロギーよりアイデア 2009-10-18 | マスメディア批評
核融合へと舵を切るエネルギー政策 2010-02-02 | 女
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九月一日はグランクリュ解禁日

2011-09-04 | 
グローセスゲヴェックスの解禁日であった。ダイデスハイムのフォン・ブール醸造所で試飲した。今年初めてなので下位のものから試した。ご無沙汰していたので、2010年は酸が強く時間をおいた方が得策なのだということになった。試飲する前からその年のその醸造所のワインを予測できるようになれば、もはや通人である。

実際にダイデスハイムのヘアゴットザッカーの区画からのリースリングは、ここの醸造所の売りなのであるが、まだまだとてもシャープであり、旨みに欠ける。あまりリースリングを飲まない層には逆にシンプルさとフルーティーさが受けるのだが、今年は薦め難い。寧ろ、いつもは苦味が残るキーゼルベルクのそれの方が酸とのバランスが効いていてワインとしては上出来であり、グレープフルーツ味は買いである。

当然のことながら例年酸が更に強いムーゼンハングは更にシャープで戦闘的なので現時点ではなかなか売れないだろう。どうしても雑食砂岩の酸はスレートのような甘みが少ない分とても攻撃的となりやすい。モイズヘーレは黄色い果実風味なのだが、もう一つその苦味でミネラルの豊かさが隠されてしまっていてもう一つである。

さて、グランクリュの前落としのウンゲホイヤーとペッヒシュタインの葡萄を混ぜたF・Pブールは流石に腰もあって良いのだが酸に押され気味である。ここまで飲めばグランクリュの方に興味が移ってしまう。

さて今年の最初のグローセスゲヴェックスはルッパーツベルクのライタープファードである。あの重い土壌の黄色い粘土っぽい感じが11グラムを越す酸と見事にバランスしている。これならば二年後ぐらいにはとても魅力的なリースリングになっているに違いない。未だ嘗てライタープファードのグランクリュを購入したことは無かったのだが初めて手をつけた。同じようにスパイシーさの強いウンゲホイヤーの七癖を美しい酸が綺麗に装っているのも秀逸である。2010年は文字通り怪物的なウンゲホイヤーの年となりそうである。

ペッヒシュタインは色も薄く全くこれからなのであるが、その酸の質は2008年よりも明らかに繊細であり、こうした繊細きわまるワインが悪い訳がない。残酸11G、残糖6.3Gに誰が文句をつけようか?

イエズイーテンガルテンはその分糖も9.9Gとハイアヴェレージであり明らかに高次のバランスに達している。もちろん買いである。若干酸の暴れと荒さは気になるが。

さて最後のキルヘンシュトュック、2010年は生産量が少ないため安売り価格でないので手が出ない。もちろん将来性も高く、オークション価値も間違いなくつくだろうが、それを飲む楽しみを待ち続けるのはいささか難しい。

その他、ゴールデンムスカテラーの返品ものを試して購入。これはブーケの良さでもあり、お楽しみで開けた。ソービニオン・ブランも悪くはなかったが、若干マットな感じも拭えなかった。2007年産のイエズイーテンガルテンを試飲したが、どうもこの年は購入していなかったようだ。理由は覚えていないが、試飲して感心しなかったのだろう。そのためか、今試飲しても若干ペトロ香があって既に過ぎているのを感じさせた。その点を考えれば価格が倍ほどのビュルクリン・ヴォルフがまだ十分に開いていないのと比べれば当然なのかもしれない。またウンゲホイヤーの甘口アウスレーゼも酸の良さから推奨できる。

ヴィニンゲンやクニプサーと並んで減酸処理をしていないと主張するが、そのあたりの技術的な細かなこととは別に、品質と価格の関係は、好き勝手な時期に開けて美味いとか不味いの問題では全くなくて、正しい時期に開けることの難しさとその壮大な時間に比例しているのである。要するにリースリングの良いものは高価であるが、それを分ってしかるべき時に購入できる者も極選ばれたエリートしかいないということなのである。幾ら金を積んでもなかなかそれに見合った一品を見つけることが容易ではないグローセスゲヴェックスリースリングは、この酸の強い2010年の品質を以って二十年後から三十年後へのタイムスパンが開かれることになるのではないか。


写真:ゲオルク・モスバッハーのキーゼルベルク



参照:
先ず体感することが一番 2011-02-05 | ワイン
よーみよドイツワインガイド2010 2010-12-31 | ワイン
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漸く歩みだした廃炉への道

2011-09-03 | アウトドーア・環境
福島のお陰でモラトリアム停止となったフィリップス一号機 ― ヘッセン州にはビブリス一号機の再稼動も提議した。バーデン・ヴュルテムベルク州を統治する緑の党の環境政策からマンハイムの火力発電所の再稼動は阻まれた。しかし、連邦の管轄局は、冬場の電力供給不足のリザーヴとしてその原発一号機を再び稼動の待機をさせるようにと強請った。そして州政府は火力発電所の再稼動を認めた。

こうした火力発電所の再稼動が将来のエコ発電が整うまでの需要体制の基礎となる。更に寒さが厳しくなった場合にはオーストリアの二つの古い石炭発電と三つのガス発電所が高圧電線で繋がれて、福島後に七つの原発が停止した南ドイツの電力需要をサポートすることになった。

具体的には、福島以降8400KWの供給力が低下したので、それを埋め合わせる為には、節電以外に五つの火力発電で1009KW(マンハイム火力発電ブロック3、エンスドルフブロックB、マインツ・ヴィースバーデンガス発電2、ミュンヘンのガスヒーター発電、オバーラインのガス発電)、オーストリアから1076KWを織り込んだ。経済相のレスラー博士は、「これは企業がこれでこの冬の供給を賄える指標」となったと歓迎しており、緑の党のジルビア・コッチンク・ウール女史も「古い老朽炉無し」に供給確保できると評価している。

そしてその高圧電線ネットの確保と発電所の待機準備のための費用は、電気料金と配線料金に上乗せされる。これをして、FAZは、当局の脅しを以ってはじめてこれで老朽化原発炉が再び操業されることはなくなり、法制上の権限を駆使した正しい処置であったと評価する。そして環境に火力発電が良い訳が無く、これで供給が保証された訳ではない。しかしそれもこれも新たな安定したむしろ再生可能では な い エネルギーの供給量が確保されない限りとしている。

要するにフランスやチェコの原発からの電気補給や外国からの援助無しにはやっていけないということであり、電気を未だに効率的に保存しておけないということに尽きるのである。


写真:ハイデルベルクを背景としたマンハイムの巨大火力発電所



参照:
Kein Atomkraftwerk als Reserve,
Reserve mit Risiko, Andreas Mihm, FAZ vom 1.9.2011
脱原発よりも遥かに偉大な罪 2011-08-27 | 雑感
原発の水蒸気塔の見える町 2011-04-09 | アウトドーア・環境
裏町のパブリックな対応 2008-02-18 | 試飲百景
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奴らのとんでもない口を塞げ!

2011-09-02 | マスメディア批評
昨夜、ZDFのホイテ・ユルナールで新学期を迎えた福島が紹介された - リンクのVIDEO13分43秒から。それを観て平静でいられる人はいまい。先ずは、現在の福島の現状が報告される。

秋に入って秋風が吹くようになると放射能の塵が飛び散ることから、今まで以上に発電所からの放射能が気になるというのである。それを囲おうとする作業も紹介されるが、既に環境に広く飛び散った放射性物質はそれでは避けようが無い。

そこでガラスバッチといわれるものだろう簡易な被曝計が新学期を向かえた子供たちに手渡される。子供たちには、「通常は原発などでの従事者に渡されるものだが、残念ながらここでも使わなければいけない」と説明される。

このような理不尽なことが許されるのか?東電は現在進行形で労働者だけで無く数多くの善良な市民を被曝させている。そのような反社会的な犯罪組織ががいまだに存在しているのが信じられない。

教育などとのたまう教育者や役人や政治家がいたならば、即刻子供たちを避難させたまえ。何も出来ない連中に今後とも口を開かすな!



参照:
heute-journal vom 01.09.2011,
Lernen mit Dosimeter/Mediathek (ZDF)
弾劾すべき官僚らのサボり 2011-08-30 | 歴史・時事
求められている安定した決断 2011-08-29 | 雑感
真実に与しない東京の官僚 2011-08-15 | マスメディア批評
自主避難の自主判断基準 2011-08-14 | マスメディア批評
誰の生活が第一なのか? 2011-08-04 | マスメディア批評
食品による内部被曝の予想 2011-07-29 | 生活
お役目御免の福島汚染予想 2011-07-28 | BLOG研究
たとえ昨年の茶葉であろうとも 2011-07-05 | 生活
情報の隠蔽も未必の故意 2011-07-01 | マスメディア批評
彼らの勇気と行動を讃えよう 2011-06-27 | BLOG研究
開かれた議論のない技術大国 2011-06-20 | 文化一般
もやしと呼ばれるカイワレ大根 2011-06-06 | 生活
市民を無視する政治社会背景 2011-06-05 | マスメディア批評
次世代にとって途轍もないこと 2011-06-01 | 歴史・時事
消し去ることの出来ない無理 2011-05-30 | 雑感
中継のネット配信の面白さ 2011-05-23 | マスメディア批評
歴史に残る宰相 菅直人 2011-05-20 | 雑感
「生活」などある訳がない 2011-05-14 | 生活
下卑た振る舞いの日本人 2011-05-05 | 雑感
備えあれば憂いなしとは 2011-04-05 | 歴史・時事
なにが嬉しくて被爆したいのか 2011-03-29 | 雑感
共同体に警報が鳴り響くとき 2011-03-27 | アウトドーア・環境
脱東京、脱原発、脱近代 2011-03-16 | アウトドーア・環境
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あの時の気立ての良い娘

2011-09-02 | 
朝のジョギングで体を解した。帰ってきてからポストの中のタウン誌を見ると表紙に大きくワインプリンセスの写真が出ていた。プファルツのそれが選ばれて、さらに全国で女王が選ばれる。

身近に会うことのある旧女王は二三人しかいないが、プリンセスは数多い。女王で最も有名なのは先ごろラインラントプファルツ州のCDUの代表となったクロッカー女史だろうか。

さてその写真にはワイン街道周辺の五人の娘が目に入ったが、どこかで見かけた顔がある。なかなか気がつかなかったが、漸く分った。何度か話したこともあり、一度は車のところまで態々来てくれた娘さんではないか?あれはもう四五年前になるだろうが、それから二度と会っていないが印象に残っている。

情報を見るとその話に合致して、二十二歳になるという。そうか、当時は十八歳ぐらいだったのだろうか。少々何処となくくしゃくしゃとした顔をしていたのだが、流石にふっくらと女性的になっているではないか。今は税務署で働いている。あの時はまだ地元のギムナジウムに通っていたに違いない。

彼女がプファルツ地区の代表に選ばれることを確信しているが、今回は初めてローカルTVが生中継するという。TVは観ないがネット配信されたら観てみたい。あの時のとても気立ての良かった彼女を確かめてみたいのである。



参照:
Wahl der 73. Pfälzer Weinkönigin
Neue Weinprinzessin heißt Gabi I.
福島から明日が変ってくる 2011-03-27 | 歴史・時事
コマンタレヴー, Mme? 2005-10-11 | 雑感
偏屈者の国際市場戦略 2008-05-28 | 試飲百景
新極右翼親仁に学ぶこと 2009-01-26 | マスメディア批評
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