Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

否の無いスマートさ

2016-02-14 | 雑感
山小屋で過ごしていると普段聞かないような話が聞ける。今回初めて会ったハイデルベルクの銀行に勤めている女性はお店であった強盗の話をしてくれた。全く目立たない格好で入って来て、金を奪って、また目立たない格好で町の中に消えていった強盗の事である。一体何で脅したのか知りたくて尋ねると、箱を見せて、爆弾が入っていると書いてあるという紙を示しただけらしい。ナイフも拳銃も必要ない。上手く行けば冗談でも済みそうな鮮やかな犯行である。勿論犯人は捕まっていない。額は非公表ということでああるが、資金が掛かっていないので丸儲けである。その鮮やかさにはスマートささえ感じる。

転倒で鼻当てを曲げてしまったので眼鏡屋に持って行った。調整して貰わなければいけないのと、購入して最初の機会なので自分では一切弄らなかった。曲がり方からして、それほど酷くはないので、何回もやらない限り折れる心配も無いと思ったからである。今回の経験を話しておいた。つまり、最新の撥水性のグラスのコーティングで汚れも付きにくく、何よりも吹雪でもそこに溜まらないのでなかなか曇らなく、少々の吹雪では視界に影響を与えることが無かったことである。転倒の後に雪塗れになっていたのだが、それも直ぐに落ちてくれて、曇りも直ぐに晴れた。やはり細かなことであるが技術の進歩は市場と共に成長している。

心配していたUVカットの問題も今回の陽射しは春ほどではないとしても、横から強く入ってくる感じも無く一度もゴーグルをつける必要もなく、問題も無かった。視覚が効くのはスポーツには何といっても肝心なので大分助かっている。眼鏡を吹っ飛ばした時は、ヘアーバンドも止め紐もしていなかったのだが、通常はどちらかをしておけば問題は無かろう。

今回初めて使ったのがクライミング用のヘルメットであり、その下にヘアーバンドを上手くすれば全く問題なくスキー用として使えることが分かった。スキー用としても十分に軽い方ではなかろうか。但し転倒の場合は中に雪が入ってきた感じはする。それでもヘアーバンドさえしておけば帽子よりは寒くはなさそうだ。

シューマッハーの頭がゴープロによって砕かれたおかげで、スキーにおけるヘルメットは大きく普及したようだ。今回でも七人中三人はヘルメットを被っていた。とても良いことだと思う。登るときには邪魔になる場合が少なくないだろうが、自分自身は使えなくもないと感じた。滑降に関しては安心感さえある。雪崩に巻き込まれたとしても大きな利点があるぐらいで、欠点はないだろう。

山小屋では、炉端の一番良い場所で管理人家族の飼い猫が居座っていた。タイガーと名付けられた猫であった。犬派の自分自身としてはあまり猫に関わることはないのであるが、あまりにも快適そうな顔をして機嫌が良さそうなので、写真を撮ってしまった。

痛めた膝は、日に日に良くはなってきているが、まだ正常に歩ける状態ではない。毎日のストレッチなどは欠かせないが、それによって直ぐに改善されるわけではない。まさしく一歩一歩と前に進むしかないのである。それでも一進一退の退が全く無いというのは、ツアースキーの技術と同じくとても大きな肯定的な要素である。



参照:
ドナウヴェレという菓子 2016-02-12 | 料理
無アイゼンのピークハント 2016-02-13 | アウトドーア・環境
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無アイゼンのピークハント

2016-02-13 | アウトドーア・環境
今回のツアーの中で最も充実していたのは三日目のトリストコップ2361Mへの登頂だろうか。山としても標高としてもそれほど大した山ではないのだが、眺望も効き、滑降も頂上直下から滑れたので嬉しかった。

今回のリーダーは頂上に拘らないので、個人的にはいつも欲求不満を覚える。なにもピークハンターではなくても苦労して登って、しっかりとした頂点が無いとやはり物足りなく感じる。クライミングでも最後から二ピッチ下で引き返しては何にもならないのと同じだ。スキーを脱いで頂上稜線を二分ほどの岩稜を登るだけだった。小屋からも聳える十字架はとても立派だった。丁度日本アルプスの西穂高独標ぐらいの感じである。

距離もそれほど長くはなかったが、頂上稜線への登りの斜面は中級者向きで、このツアープログラムの「簡単なツアー」の域を少し超えていた。それでも木材職人が悪態をついていた以外は皆上手に熟していた。数メートルだけはスキー用アイゼンが必要な斜面があった。そのような場所は初めてだったので、ああしたところで使うのかと初めて合点がいった。

そのような按配で、技術的には大分慣れてきた感じだ。一方、今回は登って、降りて来る時に結構下半身に堪えていた。昨年は更に高度があっても殆ど感じなかったのだが、なぜか今回は足に十分に酸素が回っていない感じがあった。やはり、出かける前からのインフルエンザの影響があったのだろうか?

兎に角、登りで足が重くなるなどはここ暫く感じたことがないもので、大した高度でもないのに不思議に感じた。最近はトレーニングのランニングでも若干その傾向があったので、体調が万全でないということなのか?もう一つはやはりシーズン最初ということで、下から突き上げる感じなど、どうしても靴のチューニングに関わる問題だった。マイスターが「最低四回ぐらい使ってから再調整だ」と言っていたのは正しいのだろう。次回は全く異なった足入れ感を得れる筈だ。それでも駄目なところが直すところだ。

膝の負傷は日に日に良くはなってきている。買い物に行くにはゆっくり歩けばそれほど他人には気がつかれない。それでもまだ完全に通常の生活が出来る状態ではない。風呂に入ったり、期限切れの湿布薬を貼って、またストレッチをして、痛めた筋を固まらない様に無理に動かしている。もし傷ついたところがそのまま瘡蓋状になってしまっては到底一週間ぐらいでは元にも戻らない。無理して動かすのみである。それでも走りに行くほどの状況ではなく、日常生活でもまだ身障者である。それでも少しづつ改善されて行っているので心強い。今日よりは明日、明日よりは明後日への希望が持てるだけでも有難いのである。

膝と同時に同じように捻った左足首が少し悪くなってきている。理由は分からないが、膝よりも足首の方が後で痛みを増してきたのはそれだけの理由があるのだろうか?少なくとも、膝を庇って無理な歩き方をしているうちに余計に負担を掛けた可能性も捨てきれない。



参照:
新品を使ったスキーツアー 2016-02-11 | アウトドーア・環境
求めるフリーライドの醍醐味 2015-02-19 | アウトドーア・環境
塚原サルト崩れの謝肉祭 2016-02-10 | 暦
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ドナウヴェレという菓子

2016-02-12 | 料理
今回スキーに同行した三人は初顔だった。一人は元教師で、フライブルクの下宿で、日本人の音楽学生と一緒だったと語った。名前をHORIといってヴァイオリンの学生だったので、その風貌を話していると、直ぐにN響のコンサートマスターの堀正文だと分かった。帰宅後調べてみると、ドイツの音楽畠の一つのドンであったマリュシュナーに習っていたと分かってなるほどと思った。あそこの弟子は大体分かる。1980年就任となると、サヴァリッシュ監督時代のコンサートマスターだったとなるのだろうか。

スキーツアーでは、午前中に仕事を終えてしまうと、午後は昼食後に午睡とシャワーと食前酒といったもったりとした生活になるので、持ち込んだ新聞を隅々まで読んでいた。面白かったのは「何故キリストは苦悩の姿しか描かれていないのか」から始まる歴史美学・歴史哲学的な命題を説く新書の紹介だった。カッシラーやヘーゲル、レッシング、カントへと幾つかの絵画が扱われているようだが、そのモデルやクラシズムなどに言及するなかなか手強い美学的な内容だった。

N饗の歴代コンサートマスターを調べていると偶然に岩淵龍太郎が先週亡くなっていることを知った。なんという偶然だろうか。岩淵氏のコンサートマスター時代は記憶にないが、ここでも氏が指揮した「浄夜」について書いている。その後にCDでバレンボイムがシカゴの交響楽団を指揮した録音を聞くまでは最も優れた演奏実践だった。これは、上の教師が最も好きなシェーンベルクの作曲として自らも弾いたことがあるとして作品19番を挙げたので、最も優れた録音として名指ししたそのCDに収められているものである。

山小屋では、AfDのようなポピュリズム政治と共にマスメディアの世論操作の話が出ていた。その話をしていたのが、今回のグループの中で最も教養も無く荒っぽい人間性の木材職人だった。先日のSWRの問題からそうした話が多く出るようになっているのだろうか。その反対に、元教師は「よいことをしている首相が責められる可笑しな国だ」と話していた。中々中途半端な教育や教養などでは乗り越えられない壁があるのをこうしたところにどうしても感じる。

その教師が、FAZを高級紙の難しい新聞だと思って話すので、文化欄の特に音楽欄の程度の悪さを指摘しておいた。これなども高級新聞だと皆が信じていると余計に害悪を流すという問題例である。勿論、ランランとキット・アームストロングやキリル・ペトレンコなどの事を付け加えるの忘れなかった。

面白かったのは、ヴォルフガンク・リームの初演者ウルフ・ヘルシャーの話で、元教師の音楽の師はこのノイシュタット出身のヴァイオリニストの父親だったようだ。だからヘルシャーとといっても三人の誰になるのかということになった。妹は有名だが、父親のことは知らなかった。

我々のオーストリア人のリーダーが、マンハイムでヴィーンの座付管弦楽団を聞いたといっていた、てっきりマゼール指揮かと思ったら、調べてみるとジョルジュ・プレートルが指揮していたようだ。全く知らなかった。高額だったようだが、「あれほど素晴らしい管弦楽は聞いたことが無い」と、それはそうだろう。

新聞には、ヴィーンの舞踏会が終わりを遂げると書いてあった。陣営が変わるからで、今後は政財界の名士が集まるような会になるかどうかは分からないらしい。



参照:
新品を使ったスキーツアー 2016-02-11 | アウトドーア・環境
舌鼓を打つ山の料理 2006-08-01 | 料理
チーズ黴とケーキのショコ 2005-11-10 | 料理
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新品を使ったスキーツアー

2016-02-11 | アウトドーア・環境
今回のツアーの中で幾つかの新品の道具を使った。その一つがK2WAYBACKスキーのソールに着ける専用シールである。最初の駐車場からの登りでは時間が無かったので、手の空いている者に準備をして貰った。両脚とも同じところで同じように接着面についている仮のカヴァーが引き千切れていた。破れたという。そのようなものかどうかは分からない。保存用のカヴァーはあるのだが、それは道中には使わないようになっている。何故かは分からない。

なによりもおかしく感じたのは、シールが前に滑らないことである。前方には十分に滑って貰わないと、足が前に出ないので歩幅が極端に狭くなる。そもそも登り出しで、靴を滑降用にしていたので最初から足が疲れた。一時間以上してから初めて緩めて、足首が曲がるようになった。

肝心の滑りの悪さは今回のツアーの中では殆ど続いていて、僅かにましな感じがあったのは風に吹かれたパウダスノーの薄く乗っている場所だけだった。それ以外ではブレーキが掛かる感じで調子が悪かった。何回か使うとマシになることを期待する。

実際に批評を読むと、粉雪や重い雪、残雪などには素晴らしいらしいが、抵抗の多い雪面ではそのように肯定的な評価に繋がっていくのだろうかどうか、もう少し使ってみないと評価は下せない。考えられるのは、締め具を含めてとても軽いので、自重だけではなかなか前に進まないのかもしれない。足を前に振る勢いが今まで以上に必要になるのか?

デュナフィットの締め具に関しては、このシールの滑り難さからそれほどの優位性までは感じられなかった。勿論メカニックのモーメントが小さく、とても軽く邪魔にならないのだが、前に滑ってくれないとあまり快適さは考えられなかった。但し、折り返しの場合などはあまりに軽すぎるぐらいの感じで、また板も短いことからとても気楽に折り返しが出来る。

今後、スピード滑走なども試しながら、結論を出すしかないだろう。意外に問題を感じなかったのは滑降での性能で、殆ど違和感はなかった。一度だけ深みに落ち込んで板を外したがその挙動も悪くはなかった。

但し慣れていないと、装着は細かなピンと靴の穴を合わせないといけないので細かな作業となる。その一方で慣れれば綺麗に容易に装着できるようになる可能性も高い。問題は、短い距離をシールを着けて滑り降りる時に、態々板を外さなければいけないことだろう。今回も一度だけあった。

なによりも軽さは嬉しいが、リュックサックを担いでいるとどうしてもその軽さの恩恵は感じ難くなる。また、シーズン最初故に中々足に靴が合わなかったが、右足の踵の内側に水ぶくれが出来たのには驚いた。理由は分からない。

板に関しては、今回は十分に滑り切れていなかったので、最終評価には遠い。少なくとも登りには文句のつけようがないが、登りだけなら先端が狭い方が抵抗が少なそうだ。なにも太いスキーは要らない。但し、その長さから直線安定性を犠牲にしていることでは、既に紹介したとおりである。



参照:
塚原サルト崩れの謝肉祭 2016-02-10 | 暦
初めてのスキンを装着 2016-02-01 | アウトドーア・環境
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塚原サルト崩れの謝肉祭

2016-02-10 | 
列車事故の町を通り抜けて帰って来た。カーニヴァルヴァ―ケションで、行きも帰りも一時間から一時間半の渋滞に巻き込まれた。この時期にスキーシーズンだが、薔薇の月曜日に掛けて出かけることはあまりなかったので、正直この渋滞はあまり馴染みが無かった。いつものミュンヘンまでは、ベルギー人の大移動とシュツッツガルト周辺の渋滞で、その後はやはりミュンヘンリンクで、皆がスキー休暇という感じである。欧州のウィンタースポーツのベースは未だに狭まる感じがしない。

なるほどスキー人口には限りが出てきたかもしれないが、スノーボードを含めてのその人口はアルプスから離れた地域も巻き込む形で決して減少していないという感じである。特に経済的に余裕のある国からの旅行はある意味ステータスでもあるのだろう。その反面、ミュンヘンなどを中心に嘗てのアルパインスポーツの先進地域では、ロープウェーやリフトに乗っての開発されたスキーピステでのそれはもはや人気が無くなって、ツアースキーこそがその関心ごとになっているのは間違いない。

それでも、雪崩対策などなかなか容易に観光対象とはならないのだが、ドイツ山岳協会を中心にそのアルパイン人口は尋常ではないので、なかなか山小屋などが予約できなくなってきている状況もある。

暖かい日から再び冬型に移行するところだったので天候的にはあまり期待できなかったが、入山の日はそれほど寒くはなく、夜中中強風が荒れくれていた。翌日日曜日も予想ほどに吹雪かなかった。しかし月曜日に掛けて綺麗に深雪が乗って、晴天となった。今回唯一サンクリームが必需となった日である。

いつものことで、谷の駐車場を出たのが午後五時半で、小屋に到着したのは九時を大きく過ぎていた。本来ならば七時、八時に着くのだが、一人の元教師のリュックサックを誰かが担ぎ、何とか小屋まで足を滑らせたという感じだった。そのお蔭で、夕食を終えて就寝したのは11時を超えていて、日曜日は天候もあってそれなりであった。最終日は谷へ下りるのに峠まで上がり、スキーを走らせて下りてきた。

これぞという最後の斜面で飛ばして、平地に差し掛かり凹凸で、短いスキーのためか大転倒した。満杯のリュックサックを背負っていたので、思いがけず二回転した。殆ど塚原二回転サルト―崩れの捻り入りとなって、左膝をねじた。眼鏡の鼻当てが曲がり、被っていたヘルメットの下から飛んだ。その場は、大見世物の大花火となったが、帰りの車の給油などの時に足を引きずるようになった。帰宅後風呂に入ってもどうなるかわからないが、見た目上腫れてはいなかった。

起床して酷くはなくなっていなかったのを確認して、無理して伸び縮みさせている効果は出てきているようだ。次のツアースキーにまで完治するかどうかが最大の関心ごとである。先ずは普通に歩けるようにならないといけない。さてどうなることか?



参照:
初めてのスキンを装着 2016-02-01 | アウトドーア・環境
ナヴィで目指すところ 2016-02-06 | 雑感
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緑の屋並みにはいない泥鰌

2016-02-09 | ワイン
2008年産のリースリングを開けた。グリューンホイザーのアブツベルクのカビネットである。試飲の時の期待に一度も応えてくれなかったリースリングなので、寝かしておいたのだが、アルコール11%から期待できないので、他のものが無くこれを開けてみた。勿論、年度からすれば瓶詰め後五年半経過しているので、これで瓶熟成していなければ逝かれているだけなのだ。

そして注意してコルクを開けた。とてもきれいな感じで熟成が期待できた。実際グラスに注ぐと大分黄色みが出ていたので間違いないと思った。そして香りも開き気味で可笑しな臭いはあまり感じなかった。

飲んでみると細身ながら驚くほどに締っていて、瓶過熟成などは全く感じさせない。どちらかというと閉じ気味なのだが、エアーリングの必要を感じさせない閉じ方である。細身のリースリングにありがちな硬質な感じでありながら、2007年産の同じもののような鋼のそれは感じない。それでも2008年特有の開き切るような酸の感じもなく、このアルコールの弱さでこれほど崩れていないリースリングは無い。殆ど感動して、翌日に早速電話して注文や試飲会の予約などを相談しようと思った。それほど感動させるに十分な特別なカビネットだった。

そして二杯目、三杯目を惜しみながら注ぐ。何故ならば当日は肉食だったが、これほどのしまった感じならばサケに合わせたかったからである。そう思った矢先に片頭痛が走った。鼻から来たようだ。それほどエンジンのエンジニア―のように敏感な方ではないが、JJプリュムの甘口の最初に二年ほどのあれ程ではなくてもある程度は分かる。それがあまり感じさせないのだ。しかし、そこで注ぐ手も止まり、ほろ酔いどころではなくなってきた。

ケミカルしか考えられない。あのシュロース・ザールシュタイン醸造所の親仁ではないが、「亜硫酸含有量が多いほど持つので悪いことではない」と嘯くのを聞いて、このような似非VDP醸造所とは付き合えないと思った。丁度あそこのグレーシーファーなどのうまさと同じものがこのグリューンホイザー醸造所のリースリングにはある。要するにケミカルなのだ。そして天然酵母の自然発酵に拘っている分余計に操作をしているに違いない。

いずれにしても一時どうしようもない経過を見せていた2008年のアルツブルク辛口であったが、ここに来て完全な飲み頃になっていた。通常ではないほどの遅咲きなのだが、ケミカルならば何でもありだ。

このリースリングを買えばどうしても飲み頃を待ってしまうのかもしれないが、そこで待っていたものがケミカル漬けのリースリングだとすると、何とも悲しい。なるほどSWRで取材したスタッフが、「あそこの醸造所は必ずしもワイン造りへの拘りではなく全く異なった考え方で経営している」と語っていたが、なるほどこういうことかと感じた。価格が安いなら文句はないが、それなりの価格で、たとえ飲み頃となったとしても気持ちよく酔えないようなワインは欲しくない。流石に二日目には糖が徐々に浮いて来た。

この手のワインを自宅で開けるのは久しぶりだったので、正直驚いた。数多くある醸造所の中で態々VDP以外の醸造所のワインを購入する必要が無いのはこうした理由である。「下らないワインを飲むには人生は短すぎるのだ」。



参照:
嬉しい誤算と定めた予定 2011-10-22 | 生活
歳月を重ねて熟成するとは 2009-12-07 | ワイン
真直ぐに焼け焦げた軌道 2009-09-29 | 試飲百景
ゲーテには難しい青粘板岩 2012-05-13 | 試飲百景
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アクセスをインタープリート

2016-02-08 | 文化一般
最近の記事でアクセス数が多かったのはブーレーズの追悼記事であった。指揮者としては馴染みがあって、誰でもその名前は知っていてもその生涯の業績を一望出来ている人が少ない。パリからの文化番組などを見ていると、インテリ面したゲストたちは皆、いついつのどの曲が良かったとか話すのだが、ドイツでシュトックハウゼンのこれこれとかいう人は不思議に思われるが、ブーレーズの場合はある程度トレンドになっていたことが窺える。ある意味では1968年の市民革命の流れもあるのだろうが、日本で同じように武満とかいうのはあまり聞いたことが無い。武満がそもそも商業主義の中にいたからだろう。

日曜日にレジデンスを目指してミュンヘン市内で車を走らせていた時である。お好みコンサートと称するバイエルン放送クラシックの番組で、ヘラクレスザールからの2007年の中継録音が流れていた。シューベルトの鱒を放送管弦楽団の面々とランランが弾くというものだった。恐らく企画自体は、このピアニストに室内楽で少しでも音楽を教えていやろうとするものだったのだろう。しかし、流れてくる楽章からは到底学習不能としか思えない弾きぶりだったが、それ以上にとても不器用だと思った。鱒の動きの感じが出なくてそれがトムでもジェリーでもどちらでもよいのだが、室内楽のピアノとしてどうしようもないタッチで弾いていた。

どこかで習っている筈だけど、一度あのようなピアノを売りしてしまうと、まともなピアノの弾き方が出来なくなるらしい。あの程度で音楽学校の卒業免許がもらえるならば、マンハイムの学校にも韓国人やらなにやらあの程度のピアノを弾くもの幾らでもいる。なんら疑問を持たずに「あそこまでチンドン屋をやれる知性」というものが備わる人がなかなかいないから、彼の業界での存在理由であり、そうした商業主義の恐ろしさはどんなイデオロギーよりも恐ろしいと思う。

ハムブルクでフクシマを舞台にした細川のオペラの新聞評などを見た。ケント・ナガノがインタヴューにも答えていたが、何らかの芸術的メッセージをそこから読み取ることは出来なかった。なるほど細川の音楽の日本的な素材などは最近の特徴であるが、正直我々はそこから何をどのように受け止めてよいか分かり難い。19世紀には移民をしていて、それでも僅かに三・四世だとか、不思議なナガノ家であるが、本当は外から見た日本の音楽をしっかりとインタープリートして貰わないと困るのである。もしそれが正確に出来ないとしたらそのような曲を紹介する価値すら疑わしくなってしまう。ケント・ナガノがなぜミュンヘンで成功しなかったかはそこにあって、その音楽ほどに知的な雄弁さが全く感じられないのである。

色々と調べていると、キリル・ペトレンコによって代われれたのはケント・ナガノだけでなく、最後のヴィーンでの小澤のチャイコフスキーもペトレンコが振っている。想像するに、小澤やナガノの演奏の完成度以上に精密な演奏が出来て、更にそこに芸術的な価値が加わるということで、必ずしも偶然の人選ではないということだろう。



参照:
ピエール・ブレーズ追悼記事 2016-01-08 | 文化一般
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
きっとアームストロング 2016-01-15 | 音
不可逆な無常の劇空間 2016-01-18 | 文化一般
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思ったよりも早く失せる

2016-02-07 | 雑感
金曜日の夜に満タンにすると、46Lで55ユーロだった。前回入れたのが30Lで36ユーロであったので、一時からすると20ユーロ以上安くなっている。ミュンヘン往復で、駐車場料までは出ないかもしれないが、軽食ぐらいの予算の相違はある。とても助かる。

そして帰って来て清算すると、天候のためか予想通り燃費が大分悪かった。帰りの飛ばし方も少々粗かった。帰宅して初めてパン屋に向かう。暫くすると問題の振動が戻って来た。落ち着いて停車していれない。町外れのスタンドの高めの価格を横目に通り過ぎる。そして出口のランナアバウトで、エンジンラムプが灯り、いよいよエンストしそうになる。ロータリーの中で押さなければいけないかと思ったが、何とか復帰してスタンドまで戻れた。

またまた燃料欠乏だ。要するに通常ならばパン屋に行くことが出来たのだが、今回は気象条件のためにそれが叶わなかった。ミュンヘン往復に安めの燃料を多めに消費したことになる。満タンで720KM以上走破出来なかったことになる。前回は740KM以上走った。

20L充填すると再びエンジンが快調に動いたが、いつものことで数回はエンジンラムプが点くことになる。それで消えるようになれば今回の一連の問題は燃料にエアーが入ったとしてある程度解決することになる。以前は同じような場合、燃料計が0Lになったが、今は1Lまでにしかならない。その時点で燃料を充填しないと同じようなことを繰り返すことになる。実際に20L入れても燃料計が15Lしか示さないのは予備燃料分を使い果たしていることになる。

森の中を沢の往復をした。霧雨勝ちだが、気温が高めなのでそれ程苦にならない。犬連れの新顔を見た。復路にいつもの広告会社の社長がその男と犬を擦れ違いさせていた。暗いうちに出かけると、彼らよりも早く終えることが出来る。

ここ暫く、頭痛と腸の具合が悪い。聞くところによると、逸っている軽いインフルエンザの症状のようだ。腸の具合が気持ち悪いので直ぐに直したい。整腸作用のある食事はないだろうか?最近はヨーグルトも買っていないので、久方ぶりに購入しよう。

ヘルベルト・フォン・カラヤン音楽賞がバーデンバーデンからザルツブルクへと未亡人の希望で移されるという。財団の銀行筋や色々とあるのだろうが、地元ザルツブルクへと戻るのは良いだろう。もしかするとこの背後には再び指揮者ティーレマンがいるかもしれない。本人自身も含めて先ずは音楽賞が欲しいということではないのだろうか?今までの受賞者を見ると、キーシンやゲルギエフ、グルベローヴァ、バルトリ、クヴァーシュトッフなど商業主義の音楽家が殆どで、バーデンバーデンももう少しまともになればこうした影響が無くなってしまう方がコンセプトが明白にし易い。支配人が言うように足場が定まって来て、キリル・ペトレンコとベルリンのフィルハーモニカ―が目玉になればもはやそうした今までのカラヤンの名前は、不必要なだけでなくて、芸術的に似合わなくなる。

音楽的にもカラヤンの暖簾が一流ところでは掲げられなくなって来る端緒となるかもしれない。本人が望んだようにはならないだろう。シナなどにおいても、もはやそれほど語られることはないと思われる。予想よりもその影響力は短命だった。



参照:
エアーが入ったかエンジンに 2016-01-27 | テクニック
ハリボ風「独逸の響き」 2015-07-27 | 文化一般
鉛筆への文化的な熱い想い 2015-10-11 | 文化一般
問われる近代の歴史 2015-09-13 | 歴史・時事
いつものおばさんの戯言 2016-02-05 | マスメディア批評
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ナヴィで目指すところ

2016-02-06 | 雑感
山スキーの準備のために、ネットから山小屋へのアプローチのKMLファイルとGPXファイルをDLした。それなりのGPS機器ならばそのまま使えるのだろう。但し我が安価なGPS時計ではそれをそのまま扱えなかった。どうしようかと色々やっていて、ググルアースにあるツアーと称する機能で、駐車場から山小屋前のハイキング道が出たので、それをDLしてみた。するとそのKMZは、時計のソフトウェアーで読み込めて、しっかりとウェーポインツが99個も読み込めた。なるほど山小屋からの情報ではこのウェーポインツが読み込めなかったのだ。

ナヴィゲーション機能に関してはもう少し使ってみなければ何とも言えない。GPSも12時間程しか使えないので、今回は小屋へのアプローチともう半日の滑りぐらいで使ってみようと思う。使えそうならば、今後はUSBコードさえ持参すれば、毎日ログを取ることが出来るが、今回は使いこなし試験である。

BLOGをグーグルに登録をしてから明らかに今までとは異なるアクセスが集中しているようだ。面白いのはブレマーハーフェンの潜水艦Uボートの写真などがフランスで紹介されているようで、フランスのミリタリーオタクには興味ある写真のようである。

そうしたアクセスのためか、急にBLOGやその編集面などの動きが悪くなった。それほど爆発的なアクセスがある訳ではないが、50件ほどが集中するのはロボットが読み込んでいるのだろうか。面白いのは掲示板で紹介されると急にアクセス数が伸びるようである。

アルストム・GEの工場閉鎖に続いて、マンハイムでは大型家具店として郊外に君臨していたマンメーベルが予告なしの全員解雇を行ったとして騒ぎになっている。百人少々の人数のようだが、東ドイツに移転することで全くの失業者になってしまう。ここに移り住んだ当時は評判を聞いて何度も通ったお店である。

当時はライヴァルとなるIKEAが無かったので、車で行って簡単にピックアップして持ち帰ったり、車をレンタルして往復したりという形式が目新らしかった。現に今も使っているソファーベットがあるが ― これは小さな家具屋さんの購入だった、その重量や価格の割には比較的早く記事が破れてしまった。確かにIKEAに比べると展示も高級家具屋風であり、デザインも悪くはなかったのだが、例えば件のソファーベットにしても注文して持ってきてもらったのを思い出す。勿論一人では到底持ち運べない重量なので、現在も屋根裏部屋の重しになっている。

そのような中途半端さからより安く手易く購入しようとする顧客はIKEAに取られてしまった筈だ。それならば高級家具でとなると、どれほどの購買層に訴えかけれたかは分からない。個人的な感覚としては、特別なデザインや様式のものならばなにもああした大型販売店で購入する必要もなく、注文生産ならばネットカタログと展示ルームだけで充分だろう。

しかしライプツィッヒなど東ドイツに目を付けたのは何故だろう。それなりの高級志向の市場があると市場調査に出たのだろうか。個人経営のお店だろうが、それにしても突然解雇で、職場に入れない様にブロックアウトするなどのやり方は、そもそも労働争議などの問題があったのだろうか。



参照:
記録的な高気温になる予感 2015-08-08 | アウトドーア・環境
汚物形状の市民の銘菓 2007-01-19 | 暦
骨董化した空間のデザイン 2005-04-03 | 文化一般
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いつものおばさんの戯言

2016-02-05 | マスメディア批評
山スキーのドイツ山岳協会の教則本と共に、キット・アームストロングのCDを注文した。先日のリゲティとバッハのプログラムをどのようにソニーが録音しているか聞いてみたかったからである。なによりも制作CD一枚8ユーロなら文句は要らない。ブックレットを見ると、最後にリゲティのリツェルカーレの6曲が押し込まれ、バッハの本人の編曲のファンタジーを挟み、コラール前奏曲とパルティータ変ロ短調が収められている。ベルリンの教会での録音で、76分近くの演奏時間となっている。ゆっくりと聞いてみたい、楽しみである。

火曜日の新聞に予定通り日曜日のミュンヘンの「サウスポール」世界初演のいつものおばさんの評が載っている。勿論その内容は批評するには値しないが、幾つかの興味深い点を挙げておこう。

一つは、私と同様にミュージカルという言葉を二回も使って、テキスト発声のマイクでの増強や、拍手に答えるスタッフ陣のオーガナイズにどうしてもこの言葉を使いたかったようである。そしてなぜ私自身がそれを使ったかというと、やはりオペラという形式から離れたところでの音楽劇場のE-MUSIKを語らなければならなかったからである。実は同じことを正反対から感じているのかもしれない。このおばさんにすると、自身定義損なっているドイツ音楽云々というものが、ペトレンコよりも愛するティーレマンにあるのだという願いと、その結果からの大敗北に未だに打ちひしがれているようで、現に「極致への到着の成否」は、ベルリンの選考同様、大酒のみ大会やF1レースのようなもので、それもスポーツの実際だと暗にそれとは違うものを語りたいらしい。

なにかここまで書くと、あの日本の文化勲章受賞者吉田秀和の否定の否定で描き切れないブラックスペースのような定義できないものに、限定された明白に定義されたものよりも遥かな価値があるとする信心があるようで、フランクフルターアルゲマイネ新聞がまるで彼の朝日新聞のような低級な大衆紙になったような思いにさせられる。だから、極致への思いが描かれるところで神の居ないオラトリオ形式などという発想が生じているのだろう。これは、そのもの私自身がオペラではなく音楽劇と呼ぶもので、21世紀のオペラと呼ぶことの裏返しでしかないだろう。

そして、作曲家への喝采とその終わり無き熱狂を、ロージュや最前席から立ち上がって拍手するソサイティーの人たちに帰している。これ自体は事実であり、それがチェコの外交官筋なのか、オーストラリアのそれなのか、はたまたドイツ山岳協会の名誉会員なのかは説明が無い。なぜ、このおばさんがそれを冒頭に上げて語らなければいけないかは、まさしく、おばさんがいうように、「支配人バッハラーのプロパガンダが成功した」という証明のつもりのようだ。なるほどどの社会も様々な関係があるが、少なくともそのような影響を忍ばせることが音楽評論なのか?どうもあのバイロイト祝祭劇場の連中と繋がっていると穿った見方しか出来なくなるようで、高級新聞としては情けないことである。

そして最後にこれでもかと、嘲笑するかのように、「(キリングの場面から)これでもはやコーミッシェオパーの問題ではなくなったとはっきりする」と、まるでドイツェオパーベルリンのティーレマンでなくて、コーミッシェオパーのペトレンコが問題なのだと掛け合わせて表現する。未だにそこまで拘らなければいけない背景をよく知っているということなのだろう。そういえば「サウスポール」世界初演のプログラムにもザルツブルク復活祭のチラシが入っていた。内容を見て直ぐに捨ててしまったのが、積極的に売券を行っているようだ。そもそもザルツブルクはミュンヘンの聴衆が殆どだからだが、集客に苦労しているのだろうか?いづれバーデン・バーデンに皆挙って聴衆が移動してしまうと目も当てられなくなるだろう。ドレスデンで再び騒動が起こるのだろうか。



参照:
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
予定調和的表象への観照 2015-09-29 | 音
秘義とはこれ如何に 2015-09-09 | マスメディア批評
創作の時をなぞる面白み 2015-08-11 | 音
ハリボ風「独逸の響き」 2015-07-27 | 文化一般
きっとアームストロング 2016-01-15 | 音
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雪崩救助用ショヴェルを購入

2016-02-04 | アウトドーア・環境
雪崩救出用のショヴェルを入手した。サレワ社の台湾製のようだ。ここ二十年ほどは真面な商品を出していないドイツのブランドであるが、名前だけは世界的に有名だ。先ず何よりも、山岳協会支部で借りるよりも何グラム軽いかである。

支部で借りれば一日1ユーロしかかからないので、43ユーロならば43日借りなければ元が取れない。支部のプログラムからすれば数年間掛かる。冬場は車のトランクに入れて置く価値はあるが、最終的に重さだけの問題なのである。支部で借りるものは、耐久性、信頼性に優れる製品が殆どなので、重いのだ。

それに昨年借りたクラムポンとゾンデを合わせて、使わないでもリュックサックに入れておくものが小さくなく結構邪魔なのである。登りのみならず、滑降時にはそこに雪のついたシールが加わる。水筒や行動食やカメラなど入れると折角の軽身の滑降でもこれだけのものが背中にあるとやはり体の自由度が狭まる。少しでも軽量にしたいのだ。

計量すると568gで先日送り返したものよりは20gほど重いかもしれないが、パイプの差し込みやスライド機構は流石に信頼性がありそうだ。問題は袋が付いていなかったので適当な入れ物を準備しないと当たりも悪く、具合が悪いかもしれない。なにと共有できるか考えてみよう。

対抗製品として、BCAのB1 Extendableと称する物があって、実効販売価格も同等で場所に依ってはこちらの方が推薦されている。重量もほとんど同じなのだが僅かに多い。

日曜日には走る時間が無かったので、月曜日に続いて週二度目の峠を攻めた。走り初めにはライヴァル婆さんの親子と擦れ違った。降りてきたところだ。こちらは体調が悪いながらも峠を上り始める。時刻は遅めなのだが、なにか体が重く、実際に走ってみると胸も押されて、足にも直ぐに来る。まるで走り慣れていなかったときのような感じである。風邪気味なのは知っている、それにしても調子が悪い。前夜の古いワインが良くなかったのか、やはりVDPの醸造所のワインでなければ不安が払拭されない。

それでもスピードを抑えながらなんとか峠に達したかと思うと、下り道から上がって来た爺さんが居た。初めて見る顔かも知れないが、どこかで見ているかもしれない。丁度同じときに峠に達したのであるから、先に登り始めたか、後から登り始めたかは何とも言えない。下り道は約2KM、上り道は2.4KMで、後からとすると可成りのスピードである。確かに足取りは年の割には全然悪くはなかった。

後で調べてみると登りに20分以上掛けていたので、あの足取りならば後から出発しても峠で落ち合えたのではないだろうか。そこで下って、どちらが先に駐車場に着居ているかが気になった。片方の方が距離は長いが車が通る林道なのでスピードは出る、もしかすると爺さんの方が先に着いているかと思ったが、こちらが靴ひもを緩めて手を洗ってトランクを締める頃に戻って来た。駐車場では犬の散歩のご婦人が待っていた。なかなか年の割にはスポーティーである。またまた要注意の人物が現れた。土曜日は大抵は走っていないので新たなライヴァルに今まで気が付かなかった。



参照:
これからの予定に備えて 2016-01-28 | 生活
初めてのスキンを装着 2016-02-01 | アウトドーア・環境
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「南極」、非日常のその知覚

2016-02-03 | 
オペラ「サウスポール」初演、折からの霙交じりの劇場の柱状玄関には南極からの音がサウンドデザイン化されて流されていた。ミュンヘンは厳冬らしくない気温であったが、その音響は寒々と響いていた。王のロージェ前には南極基地が築かれていて、白瀬隊長などが、足に着ける細い板と当時のスキーを呼んだものなどが展示してあった。

第一部、第二部と休憩を挟んで略一時間毎に二部に別れていて、二つの隊が同時に描かれる。作曲家ミロスラフ・スロンカは、「二つに分かれたドッペルオペラ」と書き込んでいるようだが、さてどういう意味か?多次元的な展開や音楽構造を期待した向きには肩透かしだったかもしれない。ただ一人ブーイングを発した人物の批判点はそうした構造的な面での批判だろうか。

しかし、その結果として、なるほど管弦楽書法のあまりにもの細かさがその内容に係わらず神経を張らせる事になるのだが、なぜここまで多くの聴衆の喝采を浴びたかといえば、やはりその音楽劇的な書法が歓心を得たということでしかない。

「ルル」から「ディゾルダーテン」、「アシシの聖フランシス」そしてアンティオペラ「グラン・マカーブル」などと20世紀のオペラの試みを眺望すると ― オペラ劇場を焼き払えのブーレーズのスローガンもそこに含まれる ―、ここではもはや否定されるのは「オペラ」ではないとなるのかもしれない。未だかつて終演後に指揮者のキリル・ペトレンコと並んでそれ以上に大きな喝采を受けた芸術家が他に居たのだろうか?

フラジオレット奏法からありとあらゆる20世紀中に組織化された音響の大パレットを惜しみなく用いて音楽劇を創造するとなるとどうなるかという好例であって、その氷の結晶のような冷たい音色から、殆どニルヴァナに近づく柔らかな現実離れした響きまでがそこに結集する。そしてそこにしっかりとした劇の構図の音楽構造が聞き取れるという意味においては、必ずしもブーイングには値しない。パレットの借用では元音楽監督リヒャルト・シュトラウスそのものであり、劇的な巧さはベンジャミン・ブリテンの折衷そのものだろう。

探検のロギスティックの運動量とエネルギーの倹約からのポニーと犬と射殺の場面はキリングと名付けられていて、当然のことながら歴史を知っている私たちはその死がスコット隊の死の伏線になっていることは予測できる。そして、レースにおける極点での敗者の失望とその後の転落への道、一方で家庭、女性、夢想と、現実と非現実が同時に異次元で寄り添うシュールリアリズムな劇場的な音楽構造が二律背反する訳ではないのと同時に、殆ど非現実的な非日常の極点の自然環境がそのリズムをベースに存在する構造とすれば、なるほど二つのオペラという意味をまた異なった次元で把握するべきだろう。

まさしく我々の日常こそがそれであり劇場空間でもあるのだ。当日の演出家ハンツ・ノイエンフェルツこそは、ベルリンのオペラでモハメッドの首を舞台に掛けたとして連邦政府を揺るがし、当時のラッツィンガー教皇の態度にも大きな影響を与えた。要するにイスラム過激派のブラックリストの頂点に今でもリストアップされているであろう人物なのだ ― そしてその大家の仕事ぶりはやはりとても手堅い。そのことを到底ここでは書けなかったのも、テロの危険を恐れるからであり、そうした非日常な次元は同時進行しているのである。

あまりにも神経質なと書いたが、その一方ヴィオラの音程を基軸とした歌の進行線はとそこに付けられる音楽と共に音楽劇場のなせる極限の繊細な響きとなっていたことは間違いなく ― 当日の中継録画がARTEで観れるが、その音響はなかなか捉えきれないであろう、今までのオペラと称する形態がモンテヴェルディ、モーツァルトのそれなどを含めて如何に大雑把な音響しか奏でていなかったかと思わせるに十分である。

超オペラという言い方を何度かしているが、キリル・ペトレンコ指揮の近頃世界最古と呼ばれるミュンヘンの座付の管弦楽団が奏でる音響はそのようにしか形容しようが無くなってきている。なるほど放送管弦楽団が同じ楽譜を奏でればよりアカデミックな音響となるのだろうが、この創作自体がそうした座付の劇的な構造無しには不確かなものであり、ヴィーンやドレスデンの座付管弦楽団からはもはや期待しえない領域に達している。

新作オペラの初演というとどうしてもマンハイムでのデトリフ・ジーメンスの新作やバーゼルの劇場でのマウリツィオ・カーゲルの新作の初演、ザルツブルクでのケント・ナガノ指揮の初演などを思い出してしまうのだが、到底このような精緻な演奏は二流の交響管弦楽団や座付管弦楽団では不可能でしかない。

巨大な氷がきしみ、崩壊して、鋭い響きをかき鳴らし、絶えず冷たい嵐が吹き荒れるその環境をどのような舞台音楽として表現するのか?それはアウトドーアスポーツに関心のある向きならば決して容易ではないことが直感できるだろう。それは、先に触れた日常性と非日常性にも係わっていて、劇場空間での体験を難しくしているからである。その意味からは、サウンドデザインの企画は成功していて、そのこと自体がある種の疑似体験として聴衆に影響することで、寧ろ音楽としてのそれが抽象化されている分更に核心を突くことになっているのだ。この辺りの全体のプロデュースはインテンダントのニコラウス・バハラーや作曲家や音楽監督だけの企画力では無い筈だ。その人材をみても、この劇場は侮れない。

音楽的な頂点は既に触れたようにスコット隊の失望の時への流れにあった訳だが、テレグラムのリズムの台本上の活用も重要な音楽的な素材となっていて、グラモフォンとその実体の無い響きそのもののそのシュールな世界、それは音楽的にも最も重要な素材となっていた。

その夢想の身体感や肌触り感はまさに知覚として音響化されており、恐らくアウトドア―の知覚をそのままくすぐるものであろう ― 同時にこれはセクシャリティーの行き着く極でもある。勿論、こうした心的、身体感覚を言語表現することが出来れば文学としても一流なのだが、音楽によってこうした表現を成すことが所謂E-Musikがあり続ける自明でもある。それが劇場における劇構造の枠組みにあってもなくても、その意味するところは変わらない。所謂レパートリーと呼ばれるようなオペラが通俗化するにつれて、U-Musikにおけるミュージカルなどと差異が無くなるところで、こうした音楽劇作品が初演されたことを特記しておくべきだ。

しかし、現実的に考えて、現在の世界のオペラ劇場と呼ばれるところで、これだけの音楽的な成功を収められる劇場などは殆ど見当たらない。音楽監督の資質の差異と断言してしまえばそれで終わりだが、二十一世紀の音楽劇場の幕開けということでもあろう。若い人が充分に多かった。理由は分からないが、このオーストラリアの台本家ホロウェイと二人の小劇場での成功との再会か、また定期会員やそうしたものから離れて、如何にもアウトドーアに関心ある向きの聴衆もちらほら見えて、新しい聴衆への語り掛けも少なくなかったのかもしれない。初演シリーズは流石に完売している。当日も空いていたのは招待席らしい平土間真ん中の前方の数席だけだった。恐らく有力者の招待席だったのだろう。

「自分が音楽を十分に理解したかどうかは分からないが、素晴らしいオペラの初めての体験」と語るトマス・ハムプソンの身体的な存在感と、真の成功者のペトレンコ以上に喝采を送られたその作曲家スルンカに最も強く長い喝采を送っていたのは平土間前部の聴衆だった。

Trailer SOUTH POLE – Conductor: Kirill Petrenko


参照:
South Pole, Welturaufführung mit Rolando Villazón & Thomas Hampson, 31.01.2016 (150 Min.), ARTE
冷え切った雰囲気の実測 2016-01-24 | 雑感
ロバート・スコットの南極 2016-01-22 | 文化一般
八秒と長めの露光時間 2015-11-07 | 生活
イドメネオ検閲の生贄 2006-09-29 | 音
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エネルギー消費を再審査

2016-02-02 | アウトドーア・環境
電気代の清算書が届いた。2015年分である。結果からすると、2014年の2199kWhに対して、2316kWhと増えている。超過料金21,93ユーロである。月掛け70ユーロになる。

さて、何が増えたか?約5%の伸びである。先ず最初に考えられるのは、夏場の高温による冷蔵庫の電気だ。それに相当するだけの冷却がされたかどうか?次に考えられるのは、2014年9月から使い始めた炊飯器である。前のものに比べて少なくとも消費電力で五割ぐらいは増えている筈だ。だから一年を通して使い始めた2015年にはいくらかの負担を考えた。それ以外ではPCや洗濯機などもあるが、増減はそれほどないだろう。照明機器類はもはやドイツの一般家庭並に夜は真っ暗闇の中で過ごしている、照明に纏わる消費電力は落ちる一方である。先日の記事の「明るいナショナル」の生活、そして24時間営業への道こそが、日本人を痴呆にしたのである。

さて、今年はどうなるか?少なくとも一昨年並みに減らしたい。先ず下がるのは篭り部屋のアクティヴスピーカーを夜中には電源を切るようになったので、電球一個分は消費を抑えられる。一年中電源が入っていたのだから点けるまでは入らない、夏場は殆ど電源が入らないので電気炊飯器分ぐらいは減らせれるだろう。

冷蔵庫は、暖かくなる前にもう一度気密度をチェックする必要があるかもしれない。新製品を購入しても結局はモーターや冷却機構以上に気密度が大切だろう。その他では四十年ほど使っている赤井のタイマーがあるが、その変圧器と電流も時計が完全に壊れてしまったら使わなくなるので、消費電気を下げれるかもしれない。ここまで使っているので無理して壊す必要も無い。

要するにもはや限界にエネルギー節約も近ついているのだが、まだまだ通常の家庭からすると倍ぐらいの消費量である。たとえ事務所として使っているにしてもデスクトップPCやHiFi機器の消費が如何に大きいかということでもある。

因みにここで挙げられている連邦共和国国民の標準的な電気消費量を挙げておこう。四人家族で、年間2200kWhならば優秀で、3300以下ならば良し、4400以上ならば多いで、5500を超えればあまりにも多過ぎるになる。

ミュンヘンから戻って来た。今回は前回以上に疲れた。時間的には短く、正午に出て午前一時半に戻ってくるというゆったりした行動だったが、眠い。前夜も二度寝はしたが十分に睡眠をとり、駐車場でも30分以上横になっていた。天候は大雨にはならなかったが雪交じりで、復路も突風が吹いて燃費に影響したかもしれない。



参照:
風に吹かれて喉が痛む 2015-02-03 | 生活
我が町のエネルギーミックス 2014-02-15 | アウトドーア・環境
節約の結果としての公共料金 2011-02-13 | 生活
一日17時間稼動の労働コスト 2010-02-24 | 生活
大掃除の戦利品の響き 2015-12-06 | 暦
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初めてのスキンを装着

2016-02-01 | アウトドーア・環境
スキーのシールが手に入った。最初に発注したものは送り返した。理由は、配達遅滞の知らせを受けてキャンセルしたからで、送料5ユーロだけ高いものを発注したからだ。そして調べてみると、2014年モデルとしてあるものは足元が少しだけ幅広くなっていたのに気が付いた。後で発注したものを比較すると明らかで、個体差ほどだが2015年モデルは細くなっているようで、2014年モデルのシールではエッジが隠れないぐらいになっている。いざの時エッジを掛けたいときにはその違いは出るだろうか、更にエッジが引っかからないぐらいに雪を切ってくれる方が雪のシュプールが壊れない。偶々の二度発注だったが比較する価値があった。もし遅滞知らせが無かったならば送り返してはいなかっただろう。そして一緒に送り返した雪崩救助用のスコップも軽いのは良かったのだが、ちゃち過ぎた。非常用に一度だけ使うにしても竿を組み立てる球が凍り付いたら中々戻せないか壊れてしまうであろう。20ユーロの価格で何回も使えない代物だ。

さて、シールはK2社のためにスイスでバックサイドと称するブランドで製造されている今時珍しいメードインスイスである。家内工業のような仕事が残っているのがスイスの工業である。留め金は穴に差し込むタイプで今まで使ったことはないが、十分に張力は掛けられそうで、少々板面が凍りだしても何とかなるだろう。シールつまりクライミングスキンもしくはシュタイクフェレ、ペアーズアッセンションのモヘア―交じりのナイロンの毛並みは良さそうで、新しいこともありブレーキがよく効くだろう。金具部分を付ける糸に縺れがあったが、瞬間接着剤で固めて短く解れを切っておいた。

子供の時から分からなかったのがこのシールと呼ばれる存在で、自分自身が山登りに打ち込むころには山スキーとクライミングは全く別のジャンルになってしまっていた。しかし、日本でも昭和の始め頃は山スキーは登山の一部だったので昔の山の随筆などを読むと必ず出てくるのがこのシールだった。アザラシの皮を使っていたころだろう。そして今は合成繊維が使われていて、軽くて凍り難い。

そして分からなかったことがなぜこれを着けると斜面を登れるようになるかで、同時に滑るのかが分からなかった。特に現行の製品ではその毛並みが綺麗に整えられているので、前にはいくらかは滑るようになっていて、後ろにはブレーキが利くようになっている。それをシールの裏面に付いている合成接着剤でスキーの板に張り付けるだけである。滑降するときにそれを外せば僅かな時間で何時間もかけて登って来た高度をフリーライドで滑り降りれるのである。

つまり、シールは山スキーの醍醐味である処女斜面を大滑降するには無用で、リュックサックに仕舞い込むのだが、登りに軽く上手にブレーキが効いてくれることで無駄な力を使わずに急斜面を登ことが出来るのである。山スキーには無くてはならないアイテムなのだ。

今なぜ再び山スキーが、南極探検などや冬の大岩壁へのアプローチなどででなくとも、冬山においてはなくてはならない活動としてトレンドになったかは、そのスキー靴の改良、締め具の改良、板やシールの軽量化で、嘗てでは考えられないスピードで雪山を移動できる必須の道具になったからである。スピードからするとトレイルランニングと比較できるようになってきているからである。



参照:
滑り降りるぞくぞく感 2015-02-08 | アウトドーア・環境
道具に拘ってみたい動き 2015-02-17 | アウトドーア・環境
降誕祭贈答品の装着 2015-12-26 | アウトドーア・環境
これからの予定に備えて 2016-01-28 | 生活
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