Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

広島訪問と米日関係のあや

2016-05-16 | 歴史・時事
オバマ大統領の広島訪問に関して、ミュンヘンの外交研究家が電話で答えていた。SWRの女性アナウンサーが質問する。広島訪問の両国での受け止めらられ方はどうかと、つまり米日の友好関係はこれでもって良くなるのかどうかとの問いである。それに対して、米国内には「侵略戦争を始めたのは日本であり、それを犠牲者を最も少なく早く終了させるためのベストな投下であった」とする当初からの説明の言明は今も通っており、一部強硬派は広島訪問に反対していると答える。

同様に日本においては、米国関係は終戦後に何よりも天皇を中心とする国体を温存することが最優先におかれて、そのことで米国との戦後の関係の基礎が築かれたことから、米日の友好を軸として、アジアにおける日本の戦争責任をうやむやにすると同時にその後の日本の立場を確保しており、その継続を外交の基本としている。それどころか、戦犯から公職復帰した岸首相を祖父に持つ現安倍首相の政治的な立場はまさにそこにあるとする。

こうした状況で、広島の被爆者たちは、広島における非人道的な事象がこうした政治的な道具にさせられることを問題としないかとの問いかけに対して、教授は「こうした外交上のことは全て多かれ少なかれ政治道具化されることである」と答えた。

先週末のレートナイトコンサートのことをまだ書いていなかった。結局大管弦楽演奏は二曲しかなかったのだが、2014年にドナウエッシンゲンで初演されたステーンアンデルセン作のピアノ協奏曲は面白かった。なによりもそのきまじめな拍節と二枚の鉄版での音響効果であり、視覚的にも音響的にもピアノとそれを模したもう一人のピアニストの映像がとても優れていた。その映像ピアニストのエキセントリックさは最終的にピアノを破壊することへと結びついていくのだ。ピアノ破壊自体は、フルクサス運動の前にもハリウッドの映像として存在していて、その意味からの歴史の継承と拍節の西洋音楽の継承が重なっている。こうした曲においては、もし日本人の作曲家ならば当然のことのごとく拍節感が無くなるように枠を外してしまうような創作をする筈だが、時代もその意思の明晰さも全く異なるのがこの曲である。兎に角、映像のピアノの超速のトリルや打鍵と、その合間に二度ほど会場に見せる顔が笑いを誘った。

内田光子のソナタ全集CDを購入した。モーツァルトのそれを買うなどは思ってもいなかったが、バーデン・バーデンでの協奏曲で彼女のピアノに感心していたら、五枚組で20ユーロ以下だったので「買い」と思って急いで飛びついた。彼女のリサイタルは恐らく知らないが ― ベルクのソナタを聞いたような聞かないような ―、 協奏曲では何回か聞いていても、今回のような確信を持つには至らなかった。上記の映像のピアニストではないが些かエキセントリックな面があって、特にモーツァルトでの演奏実践には疑問を感じていたからだ。そして今現在の演奏トレンドが、20世紀のそれとは違ってきていることから、こちらの聴覚のスペクトルにようやく収まってくるようになったのかもしれない。なぜ、まだ日本の文化勲章を貰っていないのだろうか?

今週も三回走れた。但し腰に違和感があり、若干控えた感じで運動不足で体重増加中である。外気温摂氏五度、Tシャツ、ショーツでは目立ち過ぎるが、流石に寒いが冬ほどではない。蹴りを意識して走り通せた。足が治って来て強さを感じると同時に蹴りを強くするように努力する。それでピッチが長くなり、速度が上がり、呼吸器に余裕が出来る筈だ。特に12分過ぎ辺りからも蹴りが弱まらないように努力していこう。左膝はまだ前回ではないが、大分体は柔らかくなってきた。



参照:
首を垂れないケリー長官 2016-04-14 | 歴史・時事
被害者意識からの覚醒 2015-08-07 | 歴史・時事
ジョンハーリンルート核心部 2016-04-01 | アウトドーア・環境
陰謀論を憚らない人々 2016-03-29 | 暦
シェフにお任せの斬新性 2016-04-15 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「亀の甲より年の功」な健康

2016-05-15 | テクニック
先日DLしたFoobar2000を遠隔操作できるFoobarConをタブレットにインストールした。最初は、PCの本体の方が正しくインストールされていなかったので、上手く作動しなかった。そこでPCとタブレット双方に正しくインストールし直して、更にWASAPI のプラグインも入れ直す。勿論PC側のファイアーウォールの許可を与えなければいけない。すると予想以上に上手く動き驚いた。

普通はこの手のソフトウェアーではWiFi経由でLANの全体にはなかなかアクセス出来ないのだが、これはあらゆるファイルをリストアップしてくれる。それどころか外付けのHDにもアクセス自在だ。これがスパイウェア―とすると完全にやられそうで恐ろしい。それでも本格的な遠隔操作で、タブレットからPCからのデジタル出力による音楽ファイルを好き放題に再生可能となるとUSB-DAC接続試聴には欠かせなくなりそうである。現在自宅で使っているあらゆるリモコン操作を凌ぐ扱いやすさである。

そこでもう一つの同様のアプリケーションFoobarControllerを試してみた。こちらはPCにインスト―ルする必要が無い。もう一つ優れているのは早送りなどが出来ることだろうか。グーグルプレーではこちらの方が圧倒的に評価が高いが、実際に使ってみないとその評価は分からない。これを使い始めたことでFoobarConの方にもこれのプレーリストも読み込まれた。

もう一つ、ラディオのストリーム再生であるが、これも基本的にはMP3などの提供をしている恐らく所謂PODCASTと呼ばれるものが読み込めるが、音質を考えると録音にはやはり役に立たない。但し、乍らでのラディオ視聴などには充分で、これを使えばタブレットから幾らでも放送局を選べるので便利である。

序に見つけた指揮者ブロムシュテットのミュンヘンでの練習風景を映画化したものを観るとついつい見続けてしまった。それもベートーヴェンの交響曲であるのにも拘らずだ。来年初めてこの指揮者の実演を体験する予定だけでなく、ネットで東北地震避難民の演奏会への招待とかそのアドヴァンティストな宗教的な姿勢以上に、90歳近いとは思えない心身ともに健康そうな人間性にも興味があるのだ。

第四交響曲のコーダーで一寸した作曲上のトリックを語るそのやり方に感銘を受けた。流石にバイエルン放送局はそこを見逃さずに第二ヴァイオリンの女性にインタヴューしている。「クール過ぎでなく、うまく言えないけど、構造というかそれが分かるのが素晴らしい」と、完璧に楽員たちに演説無しに面白みを伝える手腕は「亀の甲より年の功」である。楽師さんは昔と違って皆高等教育を受けていることになっているが、肉体労働者とまでは言わなくても頭脳労働者であるよりはスポーツ選手や職人に近い、そうした人たちに重要な点を感覚的に認識して貰うにはそれなりのコミュニケーションの技術が必要になる。そうしたことが叶ってこそ初めて音に出来るものがあり、その音を聴衆も理解することが出来るのである。益々、この指揮者の実演が楽しみになった。

週三回目を走ろうかと思って、パン屋に行く前に銀行へと車を走らせると、バスターミナルの向かい側に例の宿無し婆さんが居た。久しぶりに見る。こちらも対向車線の車から見たので、彼女も気がついたかもしれない。これは帰り道に声を掛けないといけないかと思ったが、幸か不幸か二つ前の角を曲がる用事があった。彼女が物乞いをしているのは見たことが無いのだが、その座っていた場所からするとそれ以外にはないと感じた。もう一度顔が合うとどうしても小銭では済まないところだった。



参照:
スギ花粉アレルギーの時 2016-05-12 | 暦
高額であり得ぬ下手さ加減 2016-03-25 | 文化一般
「自由な選択」のファーネス 2015-03-16 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳴り響く中世の街の影絵

2016-05-14 | 
承前)楽劇「マイスタージンガー」三幕と相成った。相変わらずフルトヴェングラー指揮の実況録音を改めて聞くと感動してしまう。最初の前奏曲のハンス・ザックスの諦観の動機そしてコラール動機と続くと、完全に遺作となる舞台神聖劇「パルシファル」の世界へと片足を突っ込む。この台本からそこまで「深い心情」が語られているのかどうか疑問になるほどの音楽がそこにある。しかしそれが決して物思い以上に深刻なものとは響かずに、狂言回しのようにもしくはトリスタンにおける牧童のような徒弟ダーフィットが場面を立体的にするこの劇効果は舞台芸術として超一級のものになっている。

それがヨハネの歌へと結ばれて、ニュルンベルクの街並みのシルエットが響き渡り、第二場のヴァルターとザックスの友情のディアローグが連なる時、これはなかなかヴェルディのオペラではなしえなかったインティメートな音楽進行となっていることに気つく。そのようにあらゆる音楽的素材を準備してきていて、そこを目指して各々が生成してきたような面があり、驚かされると同時に感動させられて仕舞うのである。

友情の動機が耳につくが、悪役ベックメッサーが登場して、第三場の無言劇が展開する一方、ヴァルターの歌、靴職人の歌が交差する。ベックメッサーの狂言回しとザックスの対応がいよいよ歌合戦へのムードを盛り上げたかと思うと、エファーの登場する第四場となる。この情景はこれまたドイツの舞台劇でも最も繊細な心情が描かれる大場面となっていて、音楽愛好家はモーツァルトのオペラブッファと比較するしかなくなるのである。エロティックな靴の場面からヴァルターが登場して愛の動機が流れ、諦観の動機が下支えするときに感動無しにこの舞台音楽を認知できるだろうか?そして、とんでもなく素晴らしい演奏をしているフルトヴェングラー指揮のバイロイトでの上演には、辛酸を舐めた傷痍軍人たちが集まり聴衆とそこに座っているかと考える時、まさしくこのバイロイトの祝祭劇場で行われている啓蒙思想を土台とした西欧文化の精華がそこにあったことに、アドルノが言う「アウシュヴィッツのあとに詩は綴れない」としか付け加える言葉も見つからない。

しかしこうした感興もいよいよの大詰め三幕最終場面「祭りの歌合戦の場」となって大きく動く。音楽的な素材からすると、やはり総決算となって其々の素材が最終的な完成形として表れてくるので、構築されたフィナーレが鳴り終わるときに、再び最初の前奏曲に戻りたいような気持にさせるのもブルックナーの交響曲と同じである。実際に再びもう少し録音比較試聴をしてみたい。実在のハンス・ザックスのルターへの詩を引用は、第四場での自作のトリスタンの引用同様にその創作作業を垣間見せて面白い。

そして終曲のザックスの演説に至る過程をも含めて、またもやこの戦時中の演奏はなぜか上手くいっていない。いつものことで緊張が途切れてしまっているのはあまりにも最初から室内楽的な充実を強いられたことのつけがここに回ってきているからだろうか。この上演のその状況に思いを馳せると、流石に理想主義の芸術家にしても現実に立ち向かわなければいけなかったということでもあろう。その作曲家もここに付け加えるにあたって大変苦労したヴァルターの優勝の歌から後の部分にこそ「問題」が生じている。

結局こうして音響資料などを使っても、今一つこの楽劇の音楽的な成果がこれといった形で表れていないとしか思われない。とても手の込んだ創作であり、完成度も高いのであるがそれが正確な演奏実践をよけいに難しくしているようだ。(終わり)



参照:
思わず感動するお勉強 2016-04-29 | 音
バイロイトの名歌手たち? 2016-03-11 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富の再配分より機会均等!

2016-05-13 | マスメディア批評
新聞のトップ記事の写真がよい。バーデン・ヴュルテムベルク州のクレッチマン首相が女性に頬を寄せていていて、二人とも幸せな顔をしている。その女性ムテレム・アラスは、今回州議会長に選ばれた、初のモスリムで、五十歳になる会計士である。

アナトリア出身で幼児の時にドイツへと移住してきた。成功物語でもあるが、それ以上に人気ある緑の党の地方議員である。今回の選任にAfD議員の殆どは賛意を示さなかったようであるが、この写真が語ることは、そのような一部の人の考え方以上に、連邦共和国の大多数としての大きな声を反映している。

クレッチマン首相は新聞インタヴューに答えて、「AfDを悪魔化して見せることは間違い」であり、「その支持者の一部は悪魔的な極右かもしれないが、その他はそうではなくて、その声を聞かなければいけない」とするのは正しい。AfDをして、難民問題で声が大きくなったポピュリズムの東欧などにおける右傾化の動きと共通して捉えたり、トラムプ旋風や大阪のやくざ政治集団と同一視するのも的外れであるが、この視線はその意味からもとても真っ当である。

更に続けて、「そうしたAfDの支持者は、自分よりも立場の弱い者を貶めることで気を吐いている」として、例えば「生活保護を受けている人たちは共同体の一員としての意識を十分に持っておらず、彼らこそが共同体に取り込まなければいけない存在である」として、インテグラツィォンという統合化は移民者だけに適用されるものではないと名言を吐いている。

そうした考え方から、任命した社会相は共同体相と呼びたいともいい、そもそも緑の党においては「富の分配よりも、機会均等をその社会政策としている」と繰り返すことで、我々が最初の写真に共感を抱くその理由を教えてくれる。

つまり、新議長の成功話も、ムスリムの顧客が少なくないことから大きな事務所を持ち得たであろう我々社会の現実がそこにあり、そうした顧客層も連邦共和国の社会で、共同体で大きな意味をもつ現実が、またそこから政界へとの流れの中で、共同体における機会均等を証明しているからである。それが読者にとっても自負と共感として捉えられるからであるという説明である。

明らかに緑の党の政策や人選が決して人気取りに根差したものではなくて、現実に根差しているということを別な観点から首相は語っている。つまりAfDの宗教的な主張は、連邦国民の主流派を分断するものであって、統合化に逆行する趣旨であるとの見解を示す。同時に今回のCDUとの連立政策は、SPDをパートナーとするよりも、その保守政党の社会における根の下し方や経済界における影響からして有利に進展するだろうとして、国民政党CDUの現代化を更に期待する。そして、連立協定では内省安全をCDUに譲り、環境問題ではCDUに現代化を求めたということである。



参照:
Ministerpräsident Winfried Kretschmann (Grüne),
Einmal ist immer das erste Mal,
Muhterem ARAS – Erfolgsgeschichte, FAZ vom 12.5.2016
スレート土壌女史の対決 2016-03-16 | 雑感
国政を予想させる選挙予想 2016-03-14 | 歴史・時事
取るに足らないAfDの自由 2016-04-25 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スギ花粉アレルギーの時

2016-05-12 | 
雨降りに拘わらず走りに出かけた。前日から立ちまわる場所など考えていたので仕方がない。色々と逆算して考えている。濡れると嫌なので殆ど裸で出かけたら、帰ってくるとTシャツが生臭くなっていた。洗濯したばかりだが湿気には負ける。

最も短いコースをゆっくりと駆け上がったが、結構いい運動をした。左足などがもう一つ疲れているので、解すことが目的だったが、偶々靴ひもを締め忘れたので違う走り方が出来た。短いコースではスピードを目指しているが、少しは早くなってきただろうか?

シュヴァルツヴァルトでは、スギ花粉が酷かったようだ。クシャミや目の周りが乾くなどしてしていたのだが、車のリアウィンドーを見るまでは気がつかなかった。まっ黄色の花粉がついていた。道理でおかしかったのだ。

小雨の中を走って戻ってくると喉や気管の調子もおかしくなってきた。花粉のアレルギー反応が関係しているのだろう。そのようなことが無くても夏時間になって三時過ぎに目が覚めるようになって困っている。サマータイムについての議論はあるが、これがもし冬時間ならば九時には床に就いて二時には目が覚めることになる。午後九時ならば外で運動が出来る明るさとなる。

相変わらずUSB-DAC導入の準備を進めている。ノートブックのWin8には既にDACのソフトをインストールした。もう一つ気になっているのは、本当にハイレゾリュウション再生が出来るのかどうかである。今まで録音したPCのDirectSound経由で録音したもので、CDに焼き付けたものよりも高品質なものがどれぐらいあるかだ。そもそもの放送のドルビーデジタルの実力が分かっていない。

それでも準備だけはしておかなければ、もしくは次に迫る録音で更に良い条件で記録する方法はないかと考えて、調べてみる。まず最初にオーディオファイルを再生するにしてもPCからDACに送るときに損失があってはいけないので、ハイレゾリューション向きのプレーヤーを調べる。現在使っているVLCでもメディアプレーヤーでもそれほど変わらないようだが、この面で評判の良いフーバー2000と称するものをダウンロードしてみる。

調べてみるとWASAPIというAPIでウィンドーズのDSのミキサ―部分をバイパスできるのだという。再生出力にとっては有利であり、入力自体はストリーム再生不可のようなので従来の録音ソフトを使わないといけないが、少なくとも再生には効果がありそうだ。そこでフーバーでアーカイヴしているサウンドファイルを流してみる。

当然のことながら音質の良し悪しはPCでの再生では分からないが、再生ファイルの伝送レートとかビット数が表示されることで、やはり2015年バイロイト祝祭劇場からの生中継録音などが伝送レートが1500kbsととても高かった。同様に録音していて、そのソース自体はボードのDS出力なので、その差異だけDS入力の情報量が高いということなのか?これならば間違いなくハイレゾリューション録音再生になる筈だがどうだろう?意外に伸びていたのが月初めのヴィーンの楽友協会からの実況録音だった。

正直なところ、半信半疑のアーカイヴとただのノートブックでいかほどのハイファイ再生が可能なのかと思うのだが、少なくともこうして数値的に確認するところ何らかの成果は得られるかもしれない。この機能だけでもインストールした価値があった。



参照:
一望するのは難しいけれど 2016-04-21 | 雑感
自然治癒する花粉症 2005-05-18 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨハネの日のそわそわ感

2016-05-11 | 
承前)楽劇「マイスタージンガー」二幕は短い。場面は七つもあって、オペラブッファ的に闊達な物語が進む。あのヨハネの日のなんとなく落ち着かない風景はドイツの昔からの風物詩なのだろう。それは今でも変わらない。我が家は、五月の竿は工事中のために教会広場には掲げられなかったが、直にワイン祭りになる。ヨハネ祭の動機などにその後の音楽的展開が想像できるわけだが、逆に幕のフィナーレのフガートに代表されるように誰にでも分かるようなあざとさを用意しているのが面白い。それが、花冠動機の歌われる第一場に続く、第二場でも銀細工親方ポーグナーのモノローグで最終的に雰囲気を設定することになっている。長い昼からその黄昏感と第三場のザックスのにわとこの独白へと、これまた臭覚まで刺激しようとする。それに続くヴァルターの青春の歌へとの繋がりは、この幕の特徴的な流れである。

またまたあざといポーグナーの娘エファの動機が、そしてシューマイスターザックスとディアローグの第四場に続く。この場の叙唱のための音楽は楽匠の中で最もインティメートなものではなかろうか。参考資料のサヴァリッシュ指揮の演奏は喜劇的な面に重心が置かれ、フルトヴェングラー指揮では達観やそれ以上の内面劇となっているが、双方とも楽譜を充分に音化していない。ここがもしかするとペトレンコ指揮の今回の演奏では大きな山となるかもしれない。この場が充分に演奏されるようなことならば大成功間違いない。

第五場ではヴァルターが登場して、マイスター達との確執を歌い、ロ長調からへ長調への夜警の歌へと落ち着いていくのだが、そしてまたここから第六場そしてフィナーレへと一気に流れ込んで行く。短いながらも充実した印象を受ける幕ではないだろうか。

1866年の秋に三幕まで書き進められることになる。バイエルンの政治情勢だけでなく内外的に落ち着かない状況にあったようで、それ故に余計に創作上にも達観のようなものが色濃く表れている。技法的に定旋律など明らかな部分以上に、その自身傑作と認めるような出来が、この二幕の楽譜にあり、中々演奏を難しくしているかもしれない。

この楽劇をしっかりとみていくと、この楽匠と呼ばれる作曲家は、勿論その台本も書いている訳であるが、一般に思われている様に哲学的な思考をしている訳ではなく、飽く迄も芸術家としてのショーペンハウワーなどへの傾倒の中で、エンターティメントを忘れることなく寧ろ人生哲学的なものを色濃く反映しているようにも思える。それでも芸術家としての眼差しが清澄していて、中々の魅力となっている。

繰り返すが、二幕での靴職人ザックスは益々その存在感を発揮するとともに、最も創作家の内声を伝えているようでありながらも、とても客観的な描かれ方もしてあり秀逸である。そして、作曲家自身も創作の終わりに近づくにつれ「信じられますか?」と問いかけるような、いよいよ三幕へと創作を完成させていく。(続く



参照:
五月の週末の過ごし方 2016-05-09 | 生活
「聖なる朝の夢」の採点簿 2005-06-26 | 文化一般
真夏のポストモダンの夢 [ 生活・暦 ] / 2005-06-25
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全然飲み飽きないワイン

2016-05-10 | 試飲百景
金曜日にレープホルツ醸造所に向かった。翌日はフライブルクに行かなければならなかったからだ。いつものように裏口から入ると静まり返っていた。挨拶してどうしたことかと思っていると、試飲の瓶はいつもと違うところに並べられていた。理由は試飲本数が18本しかなかったからと分かった。収穫量の問題があったのだろう。

リースリングから始めてみる。予想通り酸の効き方が弱いのか苦味がいつもよりも強い。それでも問題のある苦みではなく、酸が弱いことのアンバランスである。個人的には酸が弱いと苦味を感じやすいので、酸が効いてくれているのに安心して、リースリングしか飲まないのだが、少しバランスが変わるとブルグンダーのようになってしまう。

それでも「オェコノミラート」から「フォムブントザントシュタイン」となっていくとバランスが良くなって来る。どうしても糖を落としたリースリングであると酸が効いていないと物足りない。我家のスタンダードリースリングである「オェコノミラート」単体で試飲会で美味しいと思ったことはないのだが、これが丁度食事時となると止まらないのである ― これをVDP支部長のレープホルツ氏は「全然飲み飽きない」ワインと呼ぶ。

例年ならば酸が強すぎると感じて、それに拮抗する深浸けの味とミネラルを楽しむリースリングであるが、2015年産に関してはバランスが若干異なるということだ。それでも2015年の酸は2003年に比較するようなものではないということである。その代り、若干甘みを感じるムスカテラー、青いソーヴィニオンブラン、苦味のゲヴルツトラミナー、グラウブルグンダー、そしてヴィスブルグンダーなどはそれどころかヴァニラの味がする。

さて恒例の講話である。2010年ロゼのゼクトから始まる。60ヶ月の熟成を経てのゼクト化である。肌理もそこそこで悪くはなかった。これと2015年ブランデュブランの比較、1990年の単純なリースリングと2015年のオェコノミラートと、1990年を一つの比較対象としている。要するに2015年の酸はそれほど悪くはないということである。2009年フォムロートリーゲンデンと2015年との比較でも、2009年よりは質が違うのだ。2012年ムスカテラーと2015年との比較、2012年ヴァイスブルグンダーと2015年の比較、そして2013年産シュペートブルグンダーで締めた。

ご本人にも褒めたが、こちらが最初の試飲で気になっていたことを全て答える感じで比較対象試飲が講話として行われて素晴らしかった。これで個人的にも我がスタンダードワインを今年はどれぐらい楽しめるだろうかという疑問を解いてくれた。2015年の成果として、加糖には一切関係してこなかったレープホルツ醸造所が自信を持ってアルコール11.5%の超辛口を提供しているのである。



参照:
素晴らしい変わり者の味 2014-06-02 | 試飲百景
忙しかった週末を回想 2013-05-14 | 試飲百景
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五月の週末の過ごし方

2016-05-09 | 生活
眠かった。零時半頃に帰宅して、軽く食事をして、ビールとワインを飲んで就寝した。金曜日も試飲会で、木曜日のボールダーから週末まで続いた。天気が良いから活動的でないとおかしいが、朝のランニングも体を解すためにも無理をしてでもゆっくりと走った。途中から擦れ違うジョッガ―などと挨拶しているうちにスイッチが入った。復路では競歩かランニングかわからない人に擦れ違った。あの速さで競歩だとすると本格的だ。もしかすると追い付かれるかもしれないと思うとひやひやした。流石に競歩に負けると心が折れる。しかし世界記録などを見ているととんでもない早さなのである。日曜日の予定を考えながら走り出したのだが、途中で忘れてしまった。先ずは、楽劇「マイスタージンガー」二幕のお勉強を終わらせたい。先ず最初にハーヴティをたっぷり作っておこう。

ベルトドライヴターンテーブルのハードチューニングで覚書をしておかないといけない。終了宣言のつもりだ。限が無いからである。既にテーブルの軸受けの掃除はしたのだが、どうもまだテーブルを乗せるプラスティックの小テーブルの回転がもう一つ安定性が無いように感じた。引き抜くときに抵抗があるサイドがあって、どこかにささくれのようなものがあるのかも知れない。理由は分からないのだが、製造行程での個体差があるのだろう。そこでもう一度綿棒とアルコールでグリスを綺麗に拭ってみる。更に小テーブルの方を水洗いして、特にベルトが掛かる部分を油気がつかないように綺麗に拭る。グリスをつけて差し込むとささくれはあっても以前よりは摩擦抵抗が少なくなっている。そしてなによりもベルトが掛かる小テーブルのこばの抵抗が強くなっていることに気がついた。これは駆動部であり想像以上に重要な部分であることに気がついた。ゴムの方は耐久性を考えて精々埃を拭うぐらいにしておく。

結果、予想以上にターテーブルの回転が見た目にも落ち着いて来た。要するに独楽のように動かなくなってきた。それは音質においても更にゴロ音が隠されて、針音とテープヒスの差異が薄らいでいく。しかし同時にCDに比較すると接近マイクロフォンならばまだまだ演奏上の奏者の動きまでは浮かび上がらなく、無指向性のマイクロフォンならばまだまだ録音会場の近くの交差点などの暗雑音が充分に分離して聞こえない。日本に長岡鉄男というオーディオ評論家が居て、試聴の経験からかB級録音として暗雑音の沢山入っている録音などを推薦していた。なるほどデジタル時代になってからは容易であるが、LP時代においては遮音性の高い大ホールを使った録音などでは最寄りの交差点の信号の変わり目まで認識するのは至難の業であったろう。レコードプレーヤーとしてのチューニングが行き届いていないと難しい。

もう一度ピューリーを外して、清掃後その回転精度を見る。ピューリーを綺麗につけたいのだが、その高さや締め具合などなかなか職人的な感覚が必要だ。モーターシャフト自体がどうしても動くのでピューリーの回転を綺麗にするのも難しい。出来る限りシャフトの根元の方で綺麗に固定するしかないのである。45回転レコードもまともに鳴るようになったところで終了。これで新ケーブルでSN比が向上すると嬉しい。それが叶わないと、音が音楽がしっかりと前に出てこないのである。なにも今更アナログプレーヤーに精を出す必要などは毛頭ないのだが、大分CDとLPの差異が縮まって来て面白いと思った。新しく入手したCDの内田光子のピアノソナタを流していると、LPかと勘違いするようになってきた。



参照:
打ち消すコリオリの力 2016-05-04 | 雑感
今こそターンテーブルの時 2016-05-03 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花崗岩の標高700mの風

2016-05-08 | アウトドーア・環境
夏日和が続いていて、快適な五月よりは陽射しが強く感じられる。お蔭でフライブルクでのレートナイトコンサートの前にザイルを垂らすことが出来た。結局十分な時間はなくて、前回の視察に続いて、若干登っただけだが6級プラスは触れたので良かった。

久しぶりで、自己確保の態勢などもあまりにも心もとなく、木曜日からの疲れもありお茶を濁しただけとなったが、ここはついでさえあれば通える岩場だと感じた。花崗岩の質も丁度手頃でそれほど粒子が大きくないので指が痛い思いすることも少なく、チョークが役立ちそうだ。

流石の晴天の土曜日の午後となると賑わっていた。一組先着さんが居て、そのあとに二組ぐらいが来ていて賑わっていた。技術的困難度もまあまあ揃っているので子供連れから開拓に近い人までが来ていた。それでも山道を標高700mまで登ってこないといけないのと、そもそもこの町がシュヴァルツヴァルトの峰の中に位置するので地元の人ばかりのようだ。

前回訪れたのが2014年秋で、記憶も十分に鮮明ではなかったが、間違えずにグリル場がある駐車場まで問題なく辿りりつけた。時間的にも二時間掛からないのだが、そこから少し歩かなければいけないので、夏場は南向きであるから汗を掻く。その分岩場も風もあり乾きが早い、そしてバーデンバーデンの岩質のように熱がこもらないいのもよい。

夜のコンサートまでには時間があるが、出来れば友人のレストランで早めに一杯ひっかけてと思っていたが、16時に飲み始めるのは難しそうだった。急いで駐車場に戻るがこれが結構長い。登りは、破れたパタゴニアのリュックサックを直して担いでいるととても軽快で良かったのだが、降りとなると気温も高くなっていてやや汗ばんだ。

そのまま車に乗り、友人のところまで峠を越えて降りて行った。誕生日のパーティーが入っていて一杯だった。アルコール飲料を諦めてアルコールフリーのビールで喉を潤す。熱気が静まったところで、洗顔をして着替える。比較的乾燥しているので夏のように蒸さないので気持ちはよいのだが、広い谷の中の湿り気も感じる ― この点ワイン街道は空気が軽い。

17時も過ぎて徐々に夕餉の時刻となり、マスを注文する。塩胡椒を掛けなければいけないほどに味が抑えられているのは、調理のフランクが太ったコックではないからだ。若干の問題点もあるが自身認識していることばかりだろうから批判はしなかった。批判と言えば、食堂への入り口の床が高くなっていて、皆が躓く、私なども二度も躓いた。以前の床の上にフローティングしたのだろうか。

水を一瓶貰ったのだが、スリークオーターということだったが0.7Lとしか書いて無くてそれを指摘すると驚いていた。業者がいつの間にかインフレ価格としていたのだろう。まるで昔のモーゼルワインのセコイ商売のようだ。

最後にシュヴァルツヴェルターサクランボケーキを注文すると。親爺がたっぷりとそこにキリュッシュヴァサーを掛けていたようだ。何か時間が掛かっておかしいと思っていた。アルコール抜きの筈が結構な量のシュナップスを口にして、通い慣れたフライブルクに向かった。



参照:
黒い森の花崗岩を吟味 2014-10-07 | アウトドーア・環境
持続可能な環境の誕生会 2014-10-11 | アウトドーア・環境
体が焼けそうな花崗岩 2014-10-20 | アウトドーア・環境
初めてで破れたリュック 2015-10-16 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

指先もどこもかもが熱い

2016-05-07 | アウトドーア・環境
腰が痛い。三時間ぐらい同じ課題を繰り返していた。その間に若い男女が試してくれて見せてくれた。二通りのヴァレーションがあるようで、その一つは知らなかった。それほどの実力の持ち主ではなかったが、少なくとも若いので体が軽い。こちらは天気が良く、摂氏21度を超えるような条件だったので、遣り過ぎた。結局指先の力も、まともに朝食を摂っていないこともあり疲れ果てた。昼食抜きで早めに帰って来ようと思っていたのだが、拘って遣り過ぎたのだ。なによりも直射日光が当たって、痛くなる足が、靴のゴムが柔らかく伸びて長く履いていられたのが大きい。

それでも結局前回解決した時よりも上手くはなっていたが、最初の出だしが初めてで、続けて克服はならなかった。それでもこれは完璧に解決できることが見えてきた。今までの解決法ではやはり本格的ではなかったのだ。お蔭で、現在はシュトュツガルトに在住の地元の若者にボールダーのトポをメールして貰うことが出来て、今後の問題解決への動機付けとなった。クライミングのより一層の上達にはボールダーは欠かせないとの意識が新たになった。

腰が痛いだけでなく、指先も掌も手を洗うと熱い。腹筋も背筋にも来ている。その他擦り傷も作った。ここ暫く休んでいたとしても、まだまだ動かして鍛えなければいけない部位があるということであり、鍛え上げればある程度の成果が出るということでもある。それでボールダーが上手くなればクライミングの実力も上昇することは間違いない。但し、昼食抜きのエネルギー切れにしても、昨今はそちらの方が問題になるケースが増えてきた。体重を落としながら、筋力を付けて、更に持久力を付ける、この矛盾する課題を克服するのは難しい。

夕食前にビールを飲んで、夕食の鶏飯ときんぴらゴボウに、前日開けたレープホルツ醸造所の2014年フォムブントザントシュタインを合わせる。アルコール12%で通常ならば二年待つリースリングであるが、ひらっきぱなしの傾向があると思い半ダース購入していること、そして新たに試飲購入の可能性があるので、先ずは試してみた。予想通り決して悪くはなかった。今の状態で、明らかに最初から良かったミュラー・カトワール醸造所のビュルガーガルテンを抜いている。同じ価格帯で、よかったファンフォルクセム醸造所のアルテレーベンやこれらが落ちてくる一方、まだまだ2014年の本格的ものが評価されていくのはこれからではないだろうか?流石にミネラルも十分で、塩気が嬉しい。その前に空けたキュンストラー醸造所のドムデカナイもミネラル豊かで塩気もあったが、雑食砂岩と石灰系のそれとの差は大きい。さて、2015年産はどうだろうか、試飲会に出かけて、初めて判断できると思う。



参照:
打ち消すコリオリの力 2016-05-04 | 雑感
一挙に五課題を再解決 2016-04-22 | アウトドーア・環境
窓拭き終わり暖かくなった 2015-10-29 | 生活
反動で動き出す週末 2015-09-21 | 試飲百景
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルカントで歌うこと

2016-05-06 | 
どうして難しかった、「マイスタージンガー」の一幕の構造を把握するのは。通常の指示動機の関係だけでなく対位法にも関係するため、その手練手管まで覗きこまないとなかなか把握できない。それでも叙唱や経過節などはどっちつかずで楽匠の創作意思までは見通せないところも残る。

有名な前奏曲からしてそれほど単純ではないと改めて感じた。どこからどこまでが対位法的な意図で以て準備されているかまでは、対位法というものを勉強した者でないとなかなか予想がつかないかもしれない ― フィナーレにもブルックナーの影響が感じられる。なるほど名曲に相応しく、同時にこの楽劇を充分過ぎるほどに前奏している。マイスタージンガーの動機、行進、芸術、ヴァルターの情熱、苦悩、愛の動機、徒弟の踊り、これだけの動機付けがなされていて、その動機の原型から当然のごとく組み合わされることになる。

幕初めのコラールのパロディーから、ユンカーのヴァルターの熱情、苦しい情熱と前奏曲から上手に続けられる形になっている。それに続く徒弟ダフィトの動機がまたマイスタージンガーの動機に続くことになり、そしてヴァルターへと戻される。そして第二場に入ると、規則尽くめの歌としてフランスバロックオペラもしくは古典的べルカント歌唱のパロディーとなると、一般的に言われているようなベックメッサーことハンスリック一派への反撃というよりも、もっと大きな美学的視点でのパロディーになっている。言葉を代えるならばまだまだここまでは充分なプレゼンスはないもののザックス親方がそのものベルカント唱法を土台として登場することも理に適っているのである。

それが記録係の動機となり最後には花環の動機となって第三場へと進むと組合の動機と呼ばれるこれまた特徴的な動機が繰り返され、それにヨハネ祭の動機が組み合わされると、この幕がどのような結末を迎えるかが見えてくるのである。実際に、ヴァルターの動機、ベックメッサーの動機、靴屋の動機、友情の動機と多層的に組み合わされることが充分に見通せて来るようになれば、続く二幕、三幕へと大きな道筋が引かれることになる。前奏曲、一幕とたっぷり時間を掛けてお勉強しなければいけない理由がそこにある訳で、これであと十日ぐらいのうちに何とか最後まで辿り着けるだろうか。

蛇足になるが、やはりフルトヴェングラー指揮の1943年バイロイトでの実況録音を比較対象とした。驚くべきことにあの状況でもなかなかの演奏を管弦楽がやっていて、なによりもフルトヴェングラーの指揮がとても音楽を解り易く正確にしている。再三の繰り返しになるが、なぜか戦後は何もかもが変わってしまった。当時は各々の歌手のまるで台詞芝居をしているかのようなアーティキュレーションの素晴らしさを披露していて、統一とか何とかを言う前に、舞台に本当に生きているかのような親方たちなので、指揮者が云々言うまでもなかったのだ。そして、それを指揮する音楽は決してアウフタクトから次のアウフタクトへ流してしまうような方法ではなくて、四分の四拍子などだけに限らずしっかりと拍を刻んでアーティキュレーションしている。問題は、なにもフォン・カラヤンの責任ではなくて、参考資料のサヴァリッシュ指揮にしてもそれは同じであり、敢えて言えば今でも人気のアンドリス・ネルソンスなどにもみられる傾向かもしれない ― 商業的なプログラミングの市場でこうした傾向が時代遅れ的に残存しているのに注目してもよいかもしれない。奇しくも、ヴィースバーデンでの「ディ・ゾルダーテン」の新制作の新聞批評で、その曲の初演を不可能として断ったのが、略同世代の指揮者ギュンター・ヴァントとヴォルフガンク・サヴァリッシュだったとあった。なるほどと思い、ここでも複雑系の処理が出来ていないのは致し方ないのかもしれない。超一流との差異と言えば元も子もないかも知れない。(続く



参照:
思わず感動するお勉強 2016-04-29 | 音
芸術的な感興を受ける時 2016-03-15 | 音
ペトレンコ指揮に音をあげる 2016-04-04 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

廃炉、最終処分の費用分担

2016-05-05 | アウトドーア・環境
ミュンヘンからメールが入っていた。初日が迫る楽劇「マイスタージンガー」の最終稽古が始まったというリメンダーメイルだった。このシリーズ入場券を持っている人は皆早くから準備をしていたので忘れそうになる人も居るのかもしえない。サイトを尋ねると、写真で舞台を少し見せている。この演出では、ニュルンベルクはドイツの往年の賑わいの無くなった小さな都市を舞台とするようだ。所謂日本で言うところのシャッター商店街の親方と、その夏祭りだろうか?コンセプトとしては、政治的であるよりも社会歴史的な視点であるようだから、過去から現在、そして未来となるのだろう。私個人的にはパン屋のコートナーが気になる所である。しかし、主役のヴォルフガンク・コッホの舞台姿を見ているとどうしてもバイロイト祝祭劇場でのヴォータンを思い出してしまう。少なくとも声に関しては、あそこで若干の違和感とは違ってここでは完璧であろう。

有名登山家の遺体が見つかったということで、新聞記事を読む。16年ぶりに見つかったのはアレックス・ローウで、シシャパグマをスキー滑降中に雪崩にすくわれたようだ。カメラマンと三人で活動中で、助かったコンラード・アンカーは二日間捜索したが見つからなかったという。そしてこの享年40歳の一流登山家を見つけたのがこれまた超一流のウリ・ステックとダーフィット・ゴェッターだったようで、新ルート開拓中にもう一人のデーヴィッド・ブリッジとローウの二人の遺体と推測された。ローウの未亡人は、これでお別れが出来ると語っている。事件後に帰国したアンカーは未亡人を助けて2001年に結構して、三人の子供をもうけている。未亡人と子供達は、この夏にティベットを訪れてそこで亡骸を埋葬することにしているようだ。

先月末にベルリンで開かれた19名の諮問委員会で脱原発の費用負担が決められた。その結果、国と四大エネルギー会社(エーオン、RWE、ファッテンファール、ENBW)が脱原発費用を分け合うことになった。諮問委員会は、労働組合、産業界、環境団体や教会から組織されて、CDUのフォン・ボイスト、SPDプラツェック、緑の党トリテンが代表を務める。企業側が198億オイロ、充分でない引当金の半分がそこに含まれる。それをもって即廃炉の費用と、核廃棄物最終地下貯蔵の権利を獲得する。中間、最終処分に、企業からは233億ユーロが計上されて、2022年までに支払らう。172億ユーロの引当金と特別費として61億ユーロが公的な最終処分基金から支払らう。連邦政府に対して、このように年内に立法化することが諮問される。諮問委員会は、これで廃炉への長期にわたる財政が、納税者、企業に公平に負担されるだろうとしている。元ハムブルク市長のフォン・ボイストは、これは民主的な良き解決方法で、議論のドイツの成果だとしているが、これによって株価を落とした企業側はこの諮問結果を先ずは拒絶した。



参照:
合理的に物事を処理する時 2015-07-15 | アウトドーア・環境
若い仲間たちへのエレジー 2015-08-09 | 雑感
思わず感動するお勉強 2016-04-29 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

打ち消すコリオリの力

2016-05-04 | 雑感
グリーンピースがEUとUSA間のTTIP交渉の秘密文書を約250ページ公開した。TTIPはTTPと同様のものでその英文は広く参考になるだろう。国会議員はメモしか許されない状況で条文を観覧しているようだが、既に多くの問題が明らかになってきている。その中でも環境問題などは全く受け入れられないものとされていて、当局はそれらの文書は決定稿ではないと説明している。オバマ政権を引き継ぐクリントン政権がこれを締結まで持ち込むにしてもまだまだ前途多難のようである。TTIPやTTPに賛成している声は、関連各国で少数派でしかないのは当然だろう。

コリオリ力というものがあったなとターンテーブル調整時に頭に浮かんだのだが、その名前が浮かぶには大分時間が掛かった。似たようなオイラー力とかならば流石に名前が違うので思い出すのだが、普段あまり関係ないコリオリさんはなかなか出てこなかった。ボールダーの課題の下でマットを広げて寝ている時にやっと浮かびだしたのだ。ターンテーブルとプーリーを結ぶベルトの掛け方によっては、遠心力がズレル方向へと進むので、出来る限りてこが掛からないようにプーリーをモーターに近づけて、同時にベルトも出来る限り低い位置で作動するようにしたのだった。結果は、ターンテーブルの支え自体の防振効果以上に、回転が安定するようになった。プーリーが下がり過ぎてモーター本体と接触するようなことがあれば回転が落ちるので耳で分かるから、出来る限りてこが掛からないようにしたのである。所謂モーターのゴロ音が可成り収まって、LP盤自体に起因する変調音域に収まって来た。これで、シールド効果の効いたフォノケーブルで低域ノイズが消えれば、嘗て使っていたダイレクトドライヴ並にSN比が上がるのではなかろうか。ベルトドライヴは、テーブルが鳴らないので音が良いといわれているが、ハードチューニングをしてみて、昔べルトドライヴを使っていた時のシステム全体のSN比が大分悪かったのだろうと納得した。

ボールダーは久しぶりの斜面の上の屋根下を試したが、いつものことでしばらく休んでいると掌も痛く腕の力も入らない。肩も使ったので無理はせずに、先ずは近くの簡単な課題を片付けることにした。以前解決してから、そこに嵌め込められていた石が落ちてしまっていたので、それ以降はもう一つ上手く行かなかったが、今回は上の岩頭の手掛かりに掌を被せるようにして、身体を固めて、足掛かりを上部へと持ってくることで、今までの中では最も豪快に完璧に登れた。左肩が使えるようになったのと同時に身体全体を使えるようになってきた。その後、課題ラヴィオリエクスプレスの隣の難しい課題を試したが、大体身体の動かし方と手掛かりは分かって来た。腕や肩の力は徐々に使っていかないと出てこない感じだが、やはり故障が治ってきて以前よりも上手になっていることに気がついた。左膝の故障は若干違和感がまだある。それにしてもまだまだ体が重すぎる。



参照:
ÖFFENTLICHES GEHEIMNIS,
TTIP Leaks (Greenpaece)
二度と繰り返せない制覇と達成 2014-11-17 | アウトドーア・環境
今こそターンテーブルの時 2016-05-03 | マスメディア批評
怪我後初めてのジョギング 2016-02-19 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今こそターンテーブルの時

2016-05-03 | マスメディア批評
ヘッセン州やバイエルン州では前のあるイスラム過激派に無線足環を義務付けるようだ。性犯罪者に使われているものは仕方がないと思うが、これで事件を起こさないようになるのかどうか、その効果が問われる。両者に似ているところは、通常の理性ではどのようにしても矯正できない犯罪傾向があることだろう。欧米の無差別爆撃などがイスラミストを過激にしていることは間違いないだろうが、性犯罪者は政治犯ではないにしてもイスラミストは政治犯ではないのだろうか?それとも狂人なのかは分からないということか?二重国籍を持った者は、軍事行動準備をしたことで、国籍を剥奪するとすることは構わないだろう。

こうしたAfDの主張にも応じた政策がとられる一方、マンハイムなどではモスクではドイツ語が説教等に使われているとラディオは伝えていた。マンハイムはドイツのイスタンブールとしても有名であるが、そのモスクは古く最大規模といわれる。ドイツ語しか喋れない者が多く、トルコ語もアラブ語も出来なければ当然のことだろう。ドイツ社会との融合が進められていて、モスクへの招待や隣人との交流などが盛んに勧められているという。それどころかAfDの政治家などを招聘しての意見交換会なども企画されているというから本格的である。なるほどマンハイムのダイムラー社の支店に出かけてもトルコ系のマイスターも活躍しているのは当然といえば当然である。まさか彼らが過激な思想に染まるなどは考えられないのである。

先週は寒さに拘わらず三回は何とか走ることが出来た。距離はいつもと同じだったが、スピードは比較的出た方ではないだろうか。理由は分からないがショーツで走り切っていることが大きいだろう。日曜日は峠登りで、登りで20分を切っただけだが、なぜか駐車場に戻って33分24秒は感覚よりも大分早かった。降りがけに考え事をしていると足を取られて痛めた左足首を捩じったが、今のところ大事には至らなかった。

日本のネットを見ていると面白い。日本テトラポットが蓋付きの入物を開発したとか書いてある。私の記憶する限りスーパーで購入するミルクの蓋付き以外には記憶が無い。それ以前は蓋がついていなかったことなど記憶にないほど昔からある。一体どこが違うのだろうか?どうも日本のニュースは国内外ともの内容に眉唾物が多い。因みに私の購入している生ミルクは油脂3.5%と贅沢品で、リッター70セントぐらいである。

フォノケーブルを交換するのでその前に点検調整をした。トーレンス社の中級品レコードプレーヤーの最大の問題点は、回転系の雑音である。ネットを見るとモーターを外してばらして調整しているが、時間が無いと難しいので、先ずはターンテーブル周辺を審査する。気がついたのはレコード盤に沿って針先が上下する周期が悪いようで、先ずはシートを薄くして、出来るだけ高さを減らすようにする。それ以上にターンテーブルがベルトに引かれるように若干動いているのがいけない。これを矯正するために、ベルトの掛かっているモーター軸に固定されているプーリーを外して、付け直す。今まではプーリーが軸受に触れないように十分な高さを取っていたのだが、出来る限り低く固定する。そしてジョン・ケージの弦楽四重奏曲を流すと、感じていたMCカートリッジのか細さが補強された感じで力強く響いた。ベルトの位置が下がったことで、ターンテーブルの振動の抑えが効くようになってSN比が向上したのだろう。問題の雑音も目立たなくなってきた。更にターンテーブルの受けを掃除して脂を塗り替える。

今度は武満徹が1970年代にアンサムブル「タッシ」のために作曲した曲集を流す。静音も多く、テストには都合が良い。気がつくのは当時の録音もサーノイズが多いものと、ノイズリダクションが掛かっているような二種類があって、ノイズが少ないものは余計に低いところでの回転音が目立つ。録音空間の暗雑音か、ターンテーブル上の振動かが分からなくなるぐらいに抑えられれば満足としなければいけないだろう。先日もdbxについて触れたときも同じような感じを抱いたのだが、デジタル録音に慣れるとノイズ成分が気になるようになってきていて、如何にそれから沸き立つ音楽信号を捉えるかにアナログ再生の真骨頂があるようだ。様々な雑音が聴空間を含めて音楽再生には隠されていることは確かなのであるが、何をその楽音に求めるかの相違である。武満のこれらの曲は当時のネオロマンティズムのジョージ・クラムあたりの作品よりもよいのかもしれない。



参照:
取るに足らないAfDの自由 2016-04-25 | マスメディア批評
同軸RCAラインケーブル 2016-05-02 | 音
雨降りの日の室内生活 2014-05-02 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同軸RCAラインケーブル

2016-05-02 | 
同軸ケーブルが届いた。発注してから周辺の掃除などをしていた。コンヴァーターやフォノケーブルが届くまではあまり役に立たないのだが、先ずはCDプレ―ヤ―を繋ぐケーブルを取り換える。2mの同軸のものを入手した。同軸が良かった訳でも、ケーブル交換で音質が良くなるとも思っていないのだが、現在の延長コードよりは悪くならないということで交換した。そしてコンヴァーターを繋ぐターミナルの方のRCAプラグのオスの差し込み穴の中まで綿棒で掃除しておいた。先ずは掃除をしておいて、現在の最高の状況にしておかないと交換しても対照比較が難しくなるからだ。

フォノケーブルと違ってライン出力では短いケーブルの音質差などは殆ど無い筈だが、先ずは同軸によってノイズが減りSN比が下がったかどうかをチェックしてみる。もともとそれらしいノイズは無かったのだが、比較してみると高域は涼しくなっただけだが、低域のサブウファーが出す低域ノイズが変わった。予想に反して、ノイズ域の周波数が上がって下が無くなっていた。理由は定かではないが50Hz電源による誘導由来のものだろうか。それが消えて、逆に上のものが残っているのは分かった。これはサブウファーアムプ由来なのだが、少なくともノイズは減った。それよりも何よりも延長ケーブルを止めたことでの安心感というか心理的なものが大きい。これだけで十分な価値があった。結論からすると、ライン出力のケーブルの差は間違いなくあるが、少なくともMP3を素材に云々するような程度ものではなく、最低CD音質以上の差異での話である。その意味からは音付けとか何とかいうのもスピーカーケーブル程でもないのではないか。

2mの75オームRCAラインケーブルで10ユーロであるから、充分に許容できる買い物であろう。要は全体のバランスであって、同じように完璧ではないターンテーブルに高級のフォノケーブルを取り付けても意味がない。フォノアムプにバランス出力も付いているのだが、これもライン出力と同じで余程長いケーブルでも引き回さない限り効果はないであろう。なぜ入力がバランス接続になっていないのかが理解できないのだが。

実際にお勉強中の楽劇「マイスタージンガー」のCDを流してみると、トュティの分離がよくなり、音場感が大分ゆったりしてきて、ホルンの息遣いなどがよく分かるようになった。今までは良質録音の筈なのに団子気味になっていたので、管楽器や内声部が大分聞き取れるようになって演奏の印象が大分変わった。

それにしてもこの曲がこれだけ難しいとは気がつかなかった。「トリスタン」はもっと梃子摺るかと思っていたが、この曲に比較すると「ジークフリート」や「神々の黄昏」などはお茶の子さいさいである。日本の解説にあるような指示動機のおさらいぐらいでは到底理解できない動機間の関連を抑えていくと徹底的なアナリーゼをするまでもなく頭を悩ませることになる。解説されているような指示動機を頼りに楽劇を聞いているだけでは、「ジークフリート」の後半から「神々の黄昏」、それ以降の創作はいつまでも把握できないに違いない。そうした作業を見込んで揶揄するかのような楽匠のユ-モア溢れるその筆捌きを見ていると、自らの修羅場を芸術に変えてしまう強かな人間性に触れる想いがする。

寧ろ今回問題に感じたのは、この録音が可成りの製作費を掛けて可成り限界域での仕事をしていることで、折角劇場から出てマイクロフォンをセットしているに拘わらずマルティマイクロフォンの位相合わせがもう一つ詰められていないことだろうか。演奏水準に合わせたとするとその通りかもしれない。



参照:
同軸ケーブルを物色する 2016-04-26 | テクニック
思わず感動するお勉強 2016-04-29 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする