Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

思春期のホルモンの様

2016-10-16 | 雑感
カトリック教会の不祥事が再び話題となっている。個人的には分かり切ったことであり興味がないのだが、以前から話題になっていた高名な雀合唱団への体罰としてラッチィンガー教授のお兄さんが今回は名指しされているのが大きい。彼のレーゲンスブルクのシュパッツ合唱団指導の神父だったことから当然のことであるが、体罰など具体的な被害が指摘されている。そこで催された音楽会に臨席してしたので、体面で話しこそ出来なかったが、その雰囲気を覚えている。その時はまだ教皇の兄弟で無かったこともあり、弟さんがあれ程の高位にいるとは知らなかったので、最前列の招待席のど真ん中での威厳と周りのザワツキが分からなかった。ただの前任指導者ではなかったのである。調べてみるとヨハネ・パウロから公証人の栄誉を受けていて、通常の位とはまた異なる格があったようだ。なるほど衣装もその辺りの司教ぐらいの感じだった。因みに氏の指揮した録音は安売りで結構出ている。

そもそも少年合唱団というのが思春期の声変わり前の少年を集めていて、現在の感覚からすれば明らかにペドフィリアの範疇に収まる集団行為である。カストラートの代わりであるから当然性的な存在なのだが、年齢が低い無邪気な少年を対象とするために、これへの愛好はそのものペドフィリアとなる。勿論体罰は良くないが、カトリックに拘わらずあの手の教育は体罰とは切り離せない。家庭の躾変わらない。善悪を明快にして、ペドフィリアを完全否定するならばこのような少年合唱というようなものも、少女の踊りのようなものも、恐らく十代のフィギュアスポーツのようなものも禁止にすべきである。なるほど80年代のような緑の党の少年少女の性の解放を訴えるのは明らかに行き過ぎであったが、現在のようなアンチペドフィリアのような状況も歴史的に批判されるに違いない。

クロームキャストオーディオを使うようになって、興奮が冷めないので、ホルモン異常になってしまっているのではないかと心配になる。次から次へと流す貯めてあるNASに音源に感動してしまうのだ。同じようなことを繰り返し記すのも気が引けるのだが、心の安定のためには書き落としてしまわないと健康に悪い。

今回興奮してしまったのは2014年バイロイトに「臨席」した時の、メルケル首相も訪れた「神々の黄昏」のMP3録音である。誰が録音したかは知らないが、今まで思っていたよりも聞けるのである。MP3でこれだけの音楽が聞けるとは思わなかった。流石に圧縮してあるので臨場感などはないのだが、コンタクト無しにクロームキャストを通してUSB-DACにデジタル信号を送り込むと魅力的な音楽として鳴り響く。ライアンの歌うジークフリートのひっくり返りそうな歌もよいが、なんといっても2015年とは異なる2014年のペトレンコ指揮の演奏が粗削り乍ら刺激的過ぎる。最近の「マイスタージンガー」演奏などでも分かったが、演奏者がそこまで細部までを弾けるようにまでは原石のような荒々しさがあるのだが、それが磨かれて行くというような経過は交響曲演奏でも共通している。要するに楽譜の読み方と再現意欲は全く変わらないでもアンサムブルの精緻や一節の精妙さは繰り返されることで初めて実現されるのである。まさしくあの年の「ジークフリート」から「神々の黄昏」へはあのがさついた舞台と共に、それはとてもとても刺激的な上演だった。

動画では、評判の悪かったミュンヘン音楽監督就任初新制作「ティートスの寛容」上演も決して悪くはない。なるほど劇場では管弦楽の演奏場所などから充分に鳴らなかったかもしれないが、マイクロフォンで捉えられた音響はとても活き活きとしてとても魅力的である。来春にはそのハフナー交響曲がバーデン・バーデンでプログラムに載っている。



参照:
なんと、96kHzのキャスト! 2016-10-13 | テクニック
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
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篭り部屋での最初の夜

2016-10-15 | 生活
2015産リースリングを二種類前後して開けた。一本目はファン・フォルクセム醸造所の「アルテレーベン」で、二本目はシェンレーバ―醸造所の「フリュータウ」である。価格的にも同じクラスであるが前者が天然酵母、後者が培養酵母の相違が一番大きい。土壌はそれほど差が無いように感じるが、後者の方が岩が多いだろう。生産地の相違は2015年ではそれほど差が無いように思われる。太陽は充分過ぎるからだ。アルコールで12%で同じようなものだ。

結論からすると現時点では前者の方が万人向けで、飲みやすく楽しめるのに対して、後者はまだまだ鉱物的に硬い、それでも何とも言えない甘みのようなものが固まっているので大きく開くだろう。リースリング通には後者となるだろうが、それでも前者の清潔さでは2014年とは大分異なる。

外気温摂氏六度ぐらいだった。走る事よりも出かけるのが億劫になるが、前日に長めに走っているので、短めにスピードランニングを心掛けた。自己記録の前回よりは数パーセント遅いが、長めに時速10km走法が出来たようで、今後の体感速度になりそうだ。あの中距離的な苦しさを今までは自らで超えることはなかったのだが、何回かやっていると癖になりそうである。それほど心拍数は上がっているようには感じないのだが、健康のために一度は計ってみる価値はあるかもしれない。

ここ暫くまた奥歯の炎症部分が再び腫れ気味である。なにが切っ掛けに悪くなって、また治まるのかなどの因果関係はよく分からない。歯磨きで圧を掛けると悪化する傾向があるので物理的なものもある。五月の時のように酷くはなっていないので、収まるとは思うが、時々、なんら明白な原因も無く、調子悪くなるのも落ち着かない。歯医者に行けば抜かれるだけだ。

足元から芯々と冷えてきたのでそろそろ寝室に籠る準備をしようと天気予報をみる。週末から一週間ほどは、天気は悪くとも気温は上がる。雪の降るような情勢ではない。もう少しヒーター抜きで過ごせる可能性が出てきた。北向きの部屋に篭ってしまうと基本的にヒーターが開け放しになる。この十日ほどの差は小さくないだろう。燃料代もであるが、暖房に慣れると薄着で外出が難しくなる。精々栄養をしっかりと飲み喰いして風邪引きに注意したい。そして最初の篭り部屋での夜を迎えた。淹れたての煎茶が美味い。

熱と言えば、部屋に来ているお湯の熱気やお湯の残り気や、炊事の熱、そしてPCとオーディオ装置の熱である。これらで如何に暖を取るか。充分過ぎる電気代を払っているのだからこの熱を利用しない訳にはいかない。しかし陽が出たらそちらの方へ移動したくなる。あまりにオーディオが良かったのでクロームキャスト2などを調べてみるが、どうもこれに関してはラズベリーパイが圧倒的に優れているようだ。オーディオに関しては音を出せば出すほど感動させられるので、未だに興奮冷めやらぬといった塩梅だ。モニターも然り、こうした優れたものを使い始めるとなぜもっと早く使っていなかったのかと後悔することが多い。まさしく、ラズベリ―パイがそのものに違いないが、新しいものを導入するにはそれだけの心理的な余裕も欲しい。マイクロSD10HCも一枚余っているので、本体と電源とケースのスターターセットを購入するだけなのだ。



参照:
なんと、96kHzのキャスト! 2016-10-13 | テクニック
冬場に楽しめる生活 2016-10-09 | 生活
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ガス抜きの指導をする

2016-10-14 | 生活
食後にネットラディオなどをモニタースピーカーで流していた。呼び鈴が鳴って、誰かがノックする。同じ屋根の下の住人だと思ったが、何事かと思った。先日管理会社から「安眠時間は静かに」のチラシが入っていたので、PCオーディオなどが気になっていたのだ。正直、制作CDとは異なって、生中継録音録画などは音量のコントロールが難しい。そして夏場は開き放たれていたので、可成り音が出ていたのは想像できる。それでも誰が文句を言って、誰が文句を言われているかは敢えて伏せたままだった。そして仕事のこともあるので出来る限り音出しに関しては事を荒立てないように留意している。要するに出す時は出すの環境を整えておく方がベターなのである。

しかし状況からするとそれとは異なることは分かっていた。若干疑心暗鬼に皆がなっているとは思う。開けると階下の三十代の住人だった。独り者で自転車で走り回るぐらいなので不愉快な人物ではない。寧ろ、夏の間に結構な音を出していたぐらいだ。正直あの手のバスドラムのぼこぼこの音圧は不快であるが、そもそも本人があんな音圧の下に一日中居れる訳がないので、精々あの手の音出しは二時間が限度だ。

「暖房が来ているか?」と訊ねる。全然暖まらないようだ。夕方に寝室が温まっていたことを思い出して、「来ている」と答える。その日は朝からお湯が止まっていたのでその影響と思った。そして長年の経験から「ガス抜きをしたか」と訊ねると、要を得なかったようなので、専用の螺旋回しを貸してやった。そして十分ほどして戻って来るが、駄目だと言う。

地階のところでは来ているということなので、フロアーのどこかにガスが溜まっていることぐらいしか考えられない。自身の十年間に亙る経験を話した。そして、メーターが付いている元栓のところにもガス抜きがあるから、もう「一度やってみろ」と言った。そしてしばらくして戻って来て、「ポコポコと音がして時間が掛かったがお湯が来た」と語った。

自転車を自分で分解して整備するような男性が、ガス抜きが初めてだったと知ると驚く。集合住宅に住んでいると、特に上階に住んでいると必ず問題になる筈だが、なるほど最上階に住んでいないとこの問題に直面することが少ないということだろうか。ドイツにおいて、持ち家で育って持ち家に住んでいる人は西欧でも最も比率が低い。要するに集合住宅に住んでいる人の人口比率はとても高いということになる。その場合は方式や窯のシステムは多少違っても集中暖房システムであることは変わりない。

そして外から見ているのと違わず、ドイツは機械やテクニックに興味ある人の比率は他国よりも高く、マイスター張りに手を動かす人も少なくないのである。それでも暖房のガス抜きをやったことがない人がこうしているのである。不思議なこともあるものだ。

まあ、ご本人も暖房が無くて「摂氏8度の部屋で寒かった」と安堵した様子だ。一昨年も同じような経験をしていたので気持ちはよく分かる。なによりもこうして近所付き合いをすることで、少々の音出しもそれほど不快に思わせないようにしておくのが肝心なのである。出す時は出すので、お向かいのお役所などにも同じように了解させておかなければいけないのだ。



参照:
スキャンダラスでないお話し 2015-10-15 | マスメディア批評
窓拭き終わり暖かくなった 2015-10-29 | 生活
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なんと、96kHzのキャスト!

2016-10-13 | テクニック
気温摂氏七度で、結構いい走りが出来たと思う。残念ながらGPSが上手く働いていなかったので数値的には分からない。それでも最初から前傾が掛けられて足が浮くようなことが無く走れた。それでも体幹走りが出来るまでに何百メートルかは進んでいた。そしてフォームが固まると往路後半の薄い登りもパースが落ちない。折り返し後も二キロ越の再び登りになるところまでは走れた。流石にそこからは厳しかったが、まあまあだったと思う。

お待ちかねの光学ケーブルアダプターが届いた。東ドイツのデッサウからの郵便が五日以上掛かっていて、不思議に思ったら、なんと地域ポストが引き渡し引き渡しで届いたようで、初めてのケースである。どのように引き継いでくるのかは分からないが、途中に七件ほどの地域ポストが存在する筈だ。次から次へと渡して行くのであろうか。恐らく一日に一回は隣の地域との受け渡しがあるのだろう。するとこれだけの日数が掛かるのは想像可能だ。欧州は昔の駅馬車の伝統があるので意外に上手くいくのかもしれない。なんといっても売値が2ユーロだから、中共の人でない限り可成り経費を抑えないと商いにならない。中に流石に保険屋のチラシも同封してある。

ビニール小袋を開けて、アダプターを取り出し、早速ソケット側にトスリンクを差し込んでみる。確りと挟まれて、否応にも期待が高まる。そしてアダプターのミニの光学のプラグを、クロームキャスト円盤の黄色いケーブルのミニステレオプラグを抜いた穴に、差し込む。徐にUSB-DACの入力をトスリンク2に切り替える。いよいよ音出しである。ノートブックのクロームブラウザで「マイスタージンガー」の録画画像を流す。開演前の会場の響きがなかなか良い。拍手の高まりから前奏曲である。ディスプレーには48kHzと正しくサムプリングレートが表示される。耳を疑った。いつものバランスと何か違うように感じたからだ。どうも今までのUSB接続よりも優れていると気がつき出した。そして確信した。

そして、ハイレゾリューションの96kHzのベルリンのフィルハーモニカ―の音源をタブレットから流してみる。なんと、出た最高速が、96kHz!である。そして響きは今までこの装置で聞けた最もピュアーなサウンドである。USB接続では低音が膨らんでバランスが悪かったのだが、自然なバランスで響く。本格的なスタディオサウンドである。驚愕で腰が抜けそうになる ― その音色にではなく、このシステムにである。

そこで、こうなれば、もはや我慢が出来ない。とっておきのグラスファイバー材のメートルのトスリンクに取り換えて接続してみるしかない。そして、ネットでストリーミングされたラディオ中継録音を聞いてみる。今まで六月から聞いて来たPCオーディオの音とは異なるのである。今までは、すかすかしていて、中低音が確り出なかったのである。どこに原因があるかは分からなかったのだが、USB接続による所謂ジッターなどの影響だったのだろう。であるから飽く迄もCDの落ち着いた音とは比較にならない音質と認識していたのだ。それでもこうしたハイレゾリュウーション音質ならばスタディオサウンドクラスでCDでは体験が難しいのを改めて感じる。先日の「最後の四つの歌」も「ロンターノ」も素晴らしいが、昨年のバイロイトの「指輪」も綺麗に第一ヴァイオリンが聞こえてビックリする。要するに定位感や音場感も圧倒的である。

そもそも、日本のオーディオのサイトなどを読むと、クロームキャストは正式に48kHzしか出ないとグーグルが答えたとある。理由はトスリンクへの変換で96kHzには対応していないからということだ。それならば一体、このディスプレーの数字は間違っているのか ― どうも192kHz!は出ないということで、96kHzが限界ということだろう。そして、同軸ケーブルに比較して、トスリンクはHiFi向けではないというのが日本では定評のようだ。恐らく、立派なオーディオ機器同士の接続の場合は同軸が優れているのだろう。しかし、粗末な電源を使っているような機器通しでは電気的に切り離す方が良いのだろう。

USBの接続に関しては、なるほど高価な接続ケーブルの市場が出来ている筈だと、今回思った。要するに影響が大き過ぎる。デジタル接続であっても、電気的、磁気的な影響が途轍もなく大きいということだ。一体、六月から聞いて来たPCオーディオって何だったのだろうと思わせるほどの驚愕である。詳しくはもう少し聞きこんでみないと分からないが、PCオーディオを語るならばこのクロームキャストオーディオを試してみないとはじまらないだろう。



参照:
滋味溢れる響きの経路 2016-10-12 | 文化一般
キャストによるデーター転送 2016-10-08 | 暦
トスリンクケーブルの差? 2016-06-15 | テクニック
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滋味溢れる響きの経路

2016-10-12 | 文化一般
クロームキャストの光学ケーブルのアダプターが待ち遠しい。それで、冬籠りのオーディオ関連は、なんとかなりそうである。それでもアナログ接続の良さは、別途にUSB-DACに電源を入れなくてもそれなりの音は鳴るのでとても便利だということになる。反対にスタンバイモードが無いために常時2Wの消費になるらしい。差し込みなど使い方を検討しなければいけないだろう。さて内蔵コンヴァーターを使うアナログ出力と高級コンヴァーターへと繋ぐデジタル出力の音質の差が明白に出るのかどうか。勿論、出なければ、どこかおかしいのである。

クロームブラウザーで再生不可な動画のキャストには、PCのためのVLCプレーヤー3.0以降が使えるという。まだ正式版ではないので安定していない。実際に試してみるが殆ど上手くいかない。それでも直接クロームキャストに送れるようになっているので、正式にリリースされればこれで全てが解決されるだろう。ただアンドロイドの方は、通常の動画のクロームキャストとは異なって、動画音声のみを送信する可能性がほとんど見つからないことであろうか。週末はアナログ出力乍らBGM代わりに鳴らして、音質的にそれほど苦にはならなかった。それどころか、この経路で五時間掛かる「マイスタージンガー」動画を通して何回鳴らしただろうか。

繰り返し観ると音楽を除外しても、様々な点で上質な演出上演であることが分かって来る。なによりも優れているのはドイツの聴衆に全く違和感なくマイスター達が舞台に登場することであろう。登場人物が殆ど自らの身近な人々になって、その設定も皆が住んでいるその町そのものなのである。この効果は終幕の意外性を余計に際立たせる。まさしくそこで初めて劇場効果が万遍なく発揮される。

カメラが指揮者の笑い顔を捉える。第三幕二場で、ユンカー出身のフーテンのヴァルターに靴屋の親方のザックスが、真面な衣装を着せてやる場切れである。こうした喜劇的芝居が高品質で、イタリアのそれなどとは異なり殆どフーテンの寅さん並のハンス・ザックスになっている。ある意味、日本でいう所の昭和の風景をドイツにそれを思う風景そのものなのである。この制作は音楽を抜きにしても定着するのではなかろうか。

来年の日本公演はどのように計画されているか知らないが、現在のドイツの音楽劇場を示す制作として、楽劇「影の無い女」よりもこの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の方が優れているように感じだした。もう一つは予算さえ適えばオペラ「サウス・ポール」であろう。

それにしてもべルカントのヴォルフガンク・コッホのザックスは現代におけるヴァークナー歌唱の頂点で、これほど喜劇的で素晴らしいハンス・ザックスの歌唱はなかなかなかったのではないかと思う。まさか、こんなに素晴らしい滋味溢れる管弦楽の音色でこれほど立派なヴァークナーの音楽が響くなどとは考えてもみなかった。まさしくドイツの響きそのものである。

歌手陣に不満があっても、何度繰り返して流しても飽きるどころか、どんどんと音楽の深みに吸い込まれてしまうのである。晩年を迎えようとしている楽匠ならではの深みある音楽喜劇なのである。



参照:
ミュンヘンのマイスター 2016-10-10 | 雑感
キャストによるデーター転送 2016-10-08 | 暦
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脳裏に浮かぶ強制収容所

2016-10-11 | 歴史・時事
ケムニッツの捜査が気になる。実は先週捜索前に新聞では話題になっていたのである。明白に書かれていたのではないが、内務省の発表としてシリアからの難民が流れて来ているということで、スイスの国境から入って来ている違法な数が掴めていないという事だった。国境線沿いでは抜き打ちの探査しか出来ていないからである。その500名ほどの危険人物の把握の中に今回の捜査対象も含まれていた。攻撃対象はベルリンの空港だっただろうとあり、警戒線が引かれている。ミュンヘンなどを対象に選んでも駄目だ。精々バイエルン州の政治に勢いをつけるぐらいで、共和国全体への影響は少ない。狙うならベルリンのソフトターゲットに限るだろう。充分にパリ並にややこしい地区が多いので幾らでもなんでもできるのではないだろうか。自宅前の道をそれらしい人が通ると以前は無関心だったが最近は顔を覗き込んでしまう。如何にもトルコ人やクルド人風であれば関心も持たないのだが、アラブ系となると覗きこんでしまうのである。疑心暗鬼は以前とは比較にならないほど広がっているのではなかろうか。

昨晩から暖房を入れた。火入れ式である。充分に食事をして、一杯ひっかけても寒かったからだ。ここで我慢をして風邪を引いて暖房を余儀なくされると余計に温度調整が儘ならなくなる。だから素直に暖房を入れた、薄くだが寝室にも入れた、風呂場にも入れた。夜中だけでも違う。朝までぐっすりと眠れた。風邪引きの危険は払拭されないが、まだ栄養を補うなどして備えることは可能だろう。

週の最後の峠攻めでまた一サイクル終えた。気温はそれほど低くはなかったのだが、湿っていて流石に上着なしでは移動も出来なかった。ショーツはそのままで上にフリースを羽織って走った。週明けも月曜日だけは六時間の陽射しが予想されているが、火曜日は摂氏3度まで下がる。風邪を引きそうなボーダーラインに近づいている。篭り部屋の準備も進んだ。

独日協会の仲間が一人八月に亡くなったことを聞いた。日系米国ドイツ人である。要するに純潔二世がアメリカンアーミーとして冷戦時に西ドイツに派遣されていたのだった。そもそも父親が宣教師で、プロテスタントには違いなかったが、日本語もその教養などを別にすればアクセント無しに話した ― 明仁陛下の皇太子時代に通訳したという親戚の二世などとは違って、日本での生活経験は殆どなかったようである。親戚の兄弟二人が戦時中に京都で医学を学んでいたのとは違って、亡くなった方はその時子供として強制収容所に入っていた。そしてその思い出話を冷静に語るには、子供だった本人にとっては、あまりにも大きな人生の時だったように感じていた。

製紙業で修行して、その後BASFの製紙関連部署で働いていたことから、四半世紀以上の付かず離れずの付き合いであった。そして上のことが故人の人格の大きな柱になっていたと考える。我々からするとガス室がある訳でもない強制収容所などはあまりなんとも思わないのだが、やはり本人たちには人生そのものなのだろう。民間人で収容所に入れられた日本人は、日系米国人と戦後の沖縄県人しかいない。

正月の新年会にあった時が故人との最後となった。本人は「間違った日本人」であり続け、築地で学んだ韓国人の寿司職人のそれが美味いと言って、本当の日本食はどうもよく分かっておらず、その韓国人に泣いてお別れをしていたのを覚えている。最後の最後まで故人の脳裏には、「足元に隙間のあるような有刺鉄線の向こう側で遊ぶ子供たちを眺めていた」、その情景が強く残っていたと確信している。



参照:
美しい世界のようなもの 2016-03-28 | 音
遥か遠く福島への認識の侵食 2011-03-28 | 文学・思想
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ミュンヘンのマイスター

2016-10-10 | 雑感
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」生中継を観た。立見席で背伸びして見ているのとは大分違う舞台光景だった。配役ゆえの違和感は強かったが、総論すると、第一幕は初日シリーズでは出来なかったことが叶っていた。この幕での短い音型などなかなか難しいそうな部分を管弦楽団が克服して遥かに上手に演奏している。幕前や序曲での演奏風景を見ていると、どうしてこの楽師さんたちはこんなに楽しそうに公務を行っているのかと不思議に思うぐらいだ。なにかまだ欧州ツアーの興奮が続いているようで恐ろしい。それでもツアーには見かけなかった顔も多いのだが、やればやるほど報われている様子は可成り早くからピットの中でコンサートマイスター陣が熱心にさらっているのでも分かる。如何に課題を与えられているかということでもあるのだろうが、実際に上手くいくようになって結果が明確だから、また余計動機付けがされる。恐ろしく好循環に入っている。

第二幕では、アイへがベックメッサーを歌い、コッホのザックスやヨーナスのヴァルターと互角に演じていたのだが、その後に代わったマルティン・ガントナーは、それを全く埋められずも、バイプレーヤーとしての喜劇的な役作りの慣れた歌唱としていたので、芝居の流れが大分変わっていた。特にこの幕では演出が充分に活きていなくて、既にここで終幕の自決への合理性をあまり感じさせないと危惧させた。

しかし第三幕は更に演奏が良くなっていて、コッホの歌唱も益々磨かれて来ていた。ここに来て明らかに今回のエファー役のエムマ・ベルは、声や見た目はともかく、前任者よりも丁寧な歌で場の盛り上がりの一助となっていた。有名な五重唱までの山場が益々前へ盛り上がりが長くなってきて、演奏の完成度が更に高くなっていた。そのほかでもポーグナー役のゲオルク・ツァッペンフェルドは、その声の力以上に素晴らしい歌唱を披露していて、完全に主役級の歌唱になっていた。マグドレーナのマーンケなども新配役で好転しているものも少なくなかったが、ヴァルターの役柄は格落ちしてしまっていた。その体格はどうしようもないが、ユンカーというよりはその辺りの田舎者という感じで声も体通りで、あれならば日本人などが歌っても良いと思わせる。芝居と演出からしても、もしこのロベルト・キュンツュリの歌うヴァルターにアイへを争わせていたら結果が逆転してしまうかもしれないと思わせる。パン屋のコートナー親方役のシュルテと肩を並べていては話にならない。それにしても飽くなき発展を実現させていく音楽監督キリル・ペトレンコの手腕は殆ど半神と呼ばれるに相応しいと思わせる上演中継だった。アクセスが集中したのか前奏曲で一か所固まったがその後は完璧に受信出来た。三幕を合わせて30GBのmp4になった。

Trailer DIE MEISTERSINGER VON NÜRNBERG – Conductor: Kirill Petrenko


土曜日の新聞に名門醸造所フォン・ケッセルシュタット醸造所の奥さんレー・ガルトナ―夫人の訃報が載っていた。顧客ではないので、一度しか会ったことはないが、それほどの年齢では無かった筈だ。従業員一同と家族の名前で二通りの死亡広告が載っている。これならば見落とす人は少ないだろう。ザールの山奥乍ら個人では大手の醸造所である。



参照:
社会的情念の暴力と公共 2016-06-01 | 音
生放送ものの高解析度ぶり 2016-05-23 | 音
シーズン前に総括される 2016-09-25 | 文化一般
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冬場に楽しめる生活

2016-10-09 | 生活
寒くなると赤ワインが美味い。それも牛肉にボルドーを合わせるととても暖まる。みそ仕立ての鍋も作ってみたが、暖まり方が違う。最初に開けたのはサンテミリオンのグランクリュで先日2016年物が数本眠っていたのを見つけたのだ。

地下の鍾乳洞並みの大きな蔵に樽に寝かしたワインである。流石にグランクリュだけあって当たりがきつかったのだが、二十年経って丁度良い感じで熟成している。それでもまだがっちりしているので流石にグランクリュだと思った。そしてアルコールも12%と低い、だから繊細さも欠けない。

ドイツのリースリンググローセスゲヴェックスも20年の飲み頃を目指しているが、これだけしっかりした感じで熟成するのかどうか?あと数年したら結果が分かる。飽くなき可能性を求めて、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所は瓶詰までにPCで最低一年寝かせる。その結果急激な酸化を避けて長持ちになるのだろう。勿論瓶づめして落ち着けば、初めからバランスの取れたリースリングが楽しめる筈だ。

二回目に開けたのはオーメドック1998年物で、クリュブルジョワクラスなので期待はしていない。その割にはこの年度の酸が美味く退屈さを避けてくれた。食事にはローストビーフ用の肉をスライスして貰って、ステーキブラーテンとした。ステーキでは旨みが出ないが、焼いた後にアルミフォイルに包んでいる間に、準備した玉ねぎと一緒に少し温めると充分に赤ワイン用のいい料理になった。塩ジャガイモを付け合せ、ピーマンなどをそこで焼き蒸した。これで暖まれば何一つ文句はない。風邪引き防止になっただろうか?久しぶりに入浴とする。

ミュンヘンからのライヴストリーム中継がある。七月のテロ騒動でパブリックビューイングが中止になった楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の中継である。残念ながら初日シリーズの配役とは異なる。痛いのはベックメサー役のマルクス・アイへが歌わないことで、芝居共にこの演出では最も成功していた配役だったからだ ― そもそも初めての役柄であそこまで上手くいくとは本人もマネージメントも思っていなかったのだろう。フォン・ロルツィング役のヨーナス・カウフマンはなんとかなるが、ハンス・ザックス役のヴォルフガンク・コッホと並んで要な役だった。あとの女声陣などは良くなっているかもしれない。もう一つ全体的には、もう一つ音楽的に、運びがしっくりいっていなかった第一幕がどれほどよくなっているかが聞きどころだろうか。

発注していたクロームキャストが届いた。最初の10分ほどで音出しまで行った。光学ケーブルのアダプターがまだ届いていないので、それに付属しているDAコンヴァーターからのアナログ出力で試す。これだけでもHiFiサブシステムには使えるほどだ。またPCからの配信も全く問題がないが、キャストを使えるクロームでは再生不可なファイルがあることも分かった。基本はWAVやMP4は問題ないのでサウンドだけや音楽ヴィデオ類は全く問題がない。問題になるのは映画やCDファイル類だが、研究してみないと分からない。また、当方のWiFi内でのNASからのタイムラグは最小のもので違和感はそれほどない。音がなかなか出ないのは高級な管弦楽団らしい、その程度である。映画もフランス映画や寅さんではそれほど違和感がない。更なるタブレットの難しいファイルを再生キャスト可能なキャストアプリケーションを探しているとオペラ開演時刻に迫っていて慌てる。



参照:
社会的情念の暴力と公共 2016-06-01 | 音
キャストによるデーター転送 2016-10-08 | 暦
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キャストによるデーター転送

2016-10-08 | 
陽射しが足りない。冬支度加速である。このような天気が続くと、篭り部屋へと移動したくなる。先ずは作業着に白衣を羽織って、化学実験ならずPCに向かう。応急処置である。

そこで当面気がかりなのは、ドッキングステーション化したノートブックとPCオーディオの可能性だ。様々な可能性をネットで調べてみた。いづれにしても、ノートブックとUSB-DAC間の距離が延びるので、夏場のようにコードを延長する訳にはいかない。だから高品質の音楽情報を飛ばすしかないのだが、WiFiのデーター転送ならば既に実証されているので、それを使いたいということになる。一つは導入予定のラズベリ―パイを挟む方法、もう一つはキャストストリーミングということになるらしい。

前者は通常のDACではなくてDACの基盤に繋ぐ形で使うようで、通常のDACへの転送には問題があるようだ。後者もいくつかの種類があるようだが、アップル以外の機器との相性ではグーグルクロームキャストが優れているらしい。そのオーディオ専用が使えそうだ。但し、アンドロイドでの再生に比較するとPCからには制約があるようで、クロームキャスティング扱いにしなければいけないらしい。試しにやってみると動画のみならず音楽ファイルも問題なく再生可能なので、これらが問題なくキャスティング出来れば全く問題が無い。但しノートブックに映る動画とキャスティングのオーディオでのタイムラグが厳しいらしい。動画ソフトならばシンコニゼーションの調整機能もあるがクロームでは出来ない。どうもこれが最大の欠点のようで、場合によればタブレットでの再生もあり得るのか?所謂ミラーリングということになるのだろう。試してみなければ分からない。価格は33ユーロが最低価格で、更に通常のトスリンクに接続するミニプラグ用アダプターが2ユーロほどする。〆て35ユーロで使えるなら試してみる価値はありそうだ。DACアムプでヘッドフォンで音を聞くよりはBGMとしても快適であればそれでよい。

一昨日リンクを張ったチャイコフスキーの交響曲五番の動画が消去されている。理由は劇場からのクレームということになっている。それでもシュトラウスの方は消去されていないことを鑑みると、高度な判断がそこにあると思われる。先ずは事実として当夜のコンサートの前半と後半では制作の目的の差異が考えられたことで、前半はある目的を以て制作されていて、後半は通常の中継の延長よりは手間を掛けていたが、カメラのスイッチングなど比較的場当たり的な映像だった。ネットの技術的影響かどうかは分からないが、後半は映像の質も大分落ちていて、本格的なHD映像は前半だけだった。その前半の制作意図も定かではないが、記録として残されるものであって、そのように初めから計画されたものだっただろう。そして後半はそれに当てはまらなかった。シュトラウス作品のYouTube映像にはスポンサーに関する断りも無いので、劇場の意志が明白で、当然のこと演奏者の承諾が得られていたということになるのだろう。

森の中は17.5度だった。前日よりは暖かい。曇っていて放射冷却が無かったからだ。それでも下りて来て年金受給者の爺さん婆さんと擦れ違いざまに「暖かい」と笑った。普通の人にとっては厚着の季節だが、こちらはTシャツ、ショーツ姿は真夏と変わりない。それでも丁度坂道を走るのによかった。汗を掻き出したのは下りで頑張って走った時だ。最高速を出した場所を挟んで長くランナー並みのスピードを維持する努力をした。残念ながらGPS測定が綺麗には出来なかったので速度は正確ではないが、降りて来て15分24秒は記録である。そう言えば、スポーツ用の小ぶりの眼鏡をかけ忘れて、平常の眼鏡で走ったが、気がついたのはシャワーを浴びる前だった。どう考えても上体の振れが少なくなったとしか考えられない。



参照:
感動のエコノミー症候群 2016-08-26 | テクニック
はっとするレアリズム 2016-10-06 | アウトドーア・環境
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ラムプが切れて冬支度

2016-10-07 | 
車を走らせると警告が出た。ラムプが切れているということだ。接触不良で度々起こるので、左の車幅灯を蹴ってみたが点かない ― いつかそのような姿を見られて「恨みでもあるのか」と言われたことがあった。仕方ないのでガレージに入れてから球を外そうとするが固くて外れない。二週間もすればインスペクションが決まっているので、我慢しようと思って付け直すと、今度は点灯した。出来るだけ自分で直すところは直しておかないと、特に今回は積もり積もって金額が跳ね上がる。もう一つ切れているフォグラムプは、下に寝転んで調べてみても、開け方が分からなかった。これは苦労して自分でやっても汚れ仕事になるので、エンジンオイル、ブレーキパッドやタイヤなどを交換するときに序にやらせよう。

恒例のCD落穂拾いである。週末に試みたのだが叶わなかった。理由は先方のソフトが不都合で割引が使えなかったからで、お詫びのメールが入った。それでも一度お手つきした特売品はレギュラー価格になってしまっていた。SWRフライブルク・バーデンバーデンの録音で、ハンス・ツェンダ―指揮の自作とその他の二種類なので、あまり売れる商品ではないのだ。そのシリーズのミヒャエル・ギーレン指揮のシェーンベルクが良かったので、スクリャビンなどの曲集を発注した。シリーズからもう一枚はその次の常任指揮者カンブルラン指揮のベルリオーズ歌曲集で、これは寧ろ解散したシュトッツガルトのヴォーカルアンサムブルの歌唱に興味があった。双方とも七割引きである。

最も目を付けていたのはヒリヤード・アンサムブルのルネッサンス集なのだが、そのうち二枚はヴァージン盤の廉価版として所持している。しかしその他の四枚を合わせて六枚12ユーロなので、四枚組と考えてもまだ価値がある。最近はこのアンサムブルの色々なボックスが出ているようだが、個別に目ぼしいところは購入しているのでどうしても重なり勝ちとなる。

これだけでは最低割引有効額30ユーロに至らないので、面白そうなものを新たに探す。端合わせにはテオーベとバロックチェロのプラッティーという作曲家のバイエルン放送局録音のオーム盤が評判が良く3ユーロしないので付け加えた。

そこで見つけたのがカスパー・キッテルという早世のザクセン公の楽師さんでシュッツのお弟子さんの曲集である。ルネ・ヤコブスがバーゼルで纏めて録音したもので、音楽資料として価値がありそうだ。触りを聞くとなによりもイタリアバロックの影響が明白ながらもドイツ語でカンタータとして作曲しており、勿論バッハなどの新教のそれとは全く異なる歴史を歩んでいる。36歳で亡くなっているので、僅かな作品しか残されていないようだが、可成りの才能が窺われる。

これでやっと30ユーロになった。そこから割引6ユーロを引くと、24ユーロでCD10枚ということになる。二枚重なっていてもまだ充分に安い。冬籠りの季節になると、PCオーディオが容易に使えなくなる。HDモニターが充分に使えないのは構わないのだが、冬籠りではどうしても篭る時間にオペラや映画なども観たくなる。すると前者はどうしてもPCオーディオの音質が欲しくなる。使えるノートブックが一つしかないので可能性は限られる。



参照:
マニキュア落としの効果 2016-07-07 | 雑感
dffファイルを再生する 2016-08-14 | テクニック
賞味期間の表示を廃止? 2016-04-02 | 生活
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はっとするレアリズム

2016-10-06 | アウトドーア・環境
朝晩は冷え込むようになって来た。東ドイツでは雪の降るところあるらしい。今年はあまり暖まっていないので、寒気が来ると急激に冷えるかもしれない。月曜日から長袖パジャマに着替えた。それまでの二週間ほどは夜中に目が覚めるので不思議に思っていた。どうも山小屋でと同じように寒いために尿意を催すことになっていたようだ。就寝の時は室温が低い方が脳細胞も復活させやすいので医学的にも冷却効果は証明されているのだが、尿意を催して睡眠を中断するとこれはこれで健康に悪い。睡眠条件を整えるのもそれほど容易ではない。その様な訳で寝入りには半袖半ズボンぐらいが快適だったのだが、時期が過ぎていたようだった。お蔭で火曜日の目覚めはとても良く、体調も良かった。

そして、森の気温は摂氏5.5度にまで下がるようになって来た。ショーツとTシャツで走る私はやはり可成り逝ってしまっているように見える。冷却の悪い身体にはこれぐらいが出力を上げるに好都合なのだが、これ以上冷えると身体に来る。それでも3.6kmほど走ってくると汗を掻く。往路は体幹走行を志すが傾斜がハッキリしたところのようには前足に体重が乗っていかない。色々と試してみるが、前傾と手の振りなど微妙なところがあって、なかなか難しい。それでも、いつものような浮いた感じにはならなかった。時速10km越で1.2kmほど走っていた。そのまま継続して登りまで速度を落とさなければ12分走のクーパー計測で結構いい数字が出る筈だ。このスピード感で更に前足に体重が乗るようになればもう少し楽に早く走れる筈だ。

準備体操前に、比較的大柄の奥さんで可成り走れる人が戻って行ったので挨拶した。あのおばさんぐらいに走れるようになればと思っているのだが、もう少し時間が掛かるかもしれない。クーパー走でせめて2.5kmぐらいの実力はいつも身につけていたいと思うのだ。ランニングフォームが徐々に洗練されて来ていると感じるので、これだけ走り込んでいればそれぐらい走れないといけない。

月曜日の夜は新演出に備えてショスタコーヴィッチ作曲「ムツェンスクのマクベス夫人」の第一幕一場を流した。久しく聞いていなかったが、こんなに単純な音楽を書いていたとは今まで気がつかなかった。まさしくプロレタリアートのレアリズムの極致で、あのような単純明白な創作に驚いたのだ。なにか今回のお勉強でショスタコーヴィッチの創作を超えて、明快になりそうなものが早くも感じられて気を良くした。

それにしても、このLPも原典版の最初の録音という事で、また演奏者のロストロポーヴィッチ夫妻も亡命してきたところという事で、ありのままの音楽に耳を傾けるには遠かった事を思い起こす。少なくとも当時十代の私にとっては、彼の「ショスタコーヴィッチの証言」の影響無しにこれらの作品に接することすら不可能だったのである。そうした状況下で、この全曲録音から聞こえたのはとても一筋縄ではいかない音楽で、充分に鬱陶し過ぎて、行間を読むしかなかったのである。それが今こうして耳にすると全く異なったように響くのである。要するにバイアスが掛かっていたのは、鉄のカーテンの向こう側の人たちだけではなくて、こちら側の西側の人たちも全く変わらなかったという事にはならないか?最近は20世紀の歪さが実感として見えだしてきたことから、こうした事象もありのままに見えるようになって来るのかもしれない。これは、ハリー・クッパ―の新演出も楽しみになって来た。ヴィデオを観ると齢を取ったのか、その面影がフォルストのゲオルク・モスバッハ―醸造所の先代に似ていて笑った。先日のYouTubeの続き、チャイコフスキーの動画が大分質は落ちるがアップされている。残りは「ロンターノ」だけだ。(続く



参照:
使えるような体幹を 2016-09-27 | アウトドーア・環境
瞳孔を開いて行間を読む 2006-10-22 | 音
お目当てのヴィデオ 2016-10-01 | 文化一般
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酔狂の二本のリースリング

2016-10-05 | ワイン
2015年産テュルムベルクを自宅で開けた。試飲してとても良かったので、さてどうだろう。先ずは鼻に来る焦げた匂いが女性には問題となるかもしれない。ミネラル所縁のものだろうが、あまり気がつかなかったものである。それでも味筋はとても果実風味に溢れていて、こなれた酸と万人向きの味筋である。結局このミネラルの豊かさをどのように評価するかによる。特に香りは特に女性などにとっては判断の大きな分かれ目になる。個人的には果実風味が更に開いてくるだろうから、匂いは他の喜ばしい香りが溢れて来ると予想している。二年後が楽しみだ。アルコール13%でこれほどの軽さとミネラル風味が楽しめれば文句はないのである。最近は「グーツリースリングが美味過ぎる」ようで、我々通気取りの酔狂者は、なかなか「分からないだろうなー」と、余計にこうしたものに目が向くのである。

平行して土曜日に開けた2013年産ホーヘブルクを試す。価格では上のものに及ばないが、ミネラル感では全く引けを取らない、そして糖が落ちた感じでこなれた食中酒として最高である。最初は酸も効いていたが、流石に四日も経つとぺトロール香が出てきた。ビュルクリン・ヴォルフ醸造所のリースリングとしてはとても珍しいことであるが、これだけ冷蔵庫に寝かせしておけば仕方ないだろう。但し、全く全体が崩れないのは幾ら貧弱な2013年としても大したもので、その糖の落ち方から飲み干し時となっている。そもそもリュパーツベルクのホーヘブルクを購入したのは初めてだと思う。そして売れ残りがこれだけ辛口でミネラルが際立つのには驚愕した。何故ならばホーヘブルクは砂と泥の土壌で決して高品質なミネラルではないからだ。それでもナッツ系の雑食砂岩の美しいミネラルが味わえて、食事が進む。そしてロベルト・ヴァイル醸造所の前者とその土壌の傾向では、スレートと雑食砂岩の違いこそあれ質として似ているのだ。そもそもこの地所のリースリングは重みがあって繊細さが無いから好まないのだが、こうして熟成するとこんなに楽しめるのである。

ドイツェバンクの話題が世界を賑わしているようだ。新聞は、第二のドレスナーと第三が合弁したコメルツバンクの業績が良ければ協力がありえただろうが、片方も人員整理とネット化での合理化案が俎上に上がっていて、それどころではないとので、他の方法を模索すべきだとしていた。最も興味深いのは残金も限られていることであるから、投資部門を切り捨てて、昔ながらの堅実な金融機関として再建しろという事のようだ。そのための資金としての残金は充分である。但し博打ですってしまうと幾らあっても金が足りない。そもそも歴史あるドレスナーバンクが駄目になったのも子会社だったゴールドマンサックスの問題だった筈だ。そのようなことで業界筋は騒いでいるらしい。

本来の金貸し業から、株式市場で金融工学での儲けへと一旦進んでしまうと苦労の多い金貸し業などは誰もやりたがらないようだ。これが世界の趨勢のようで、たとえいくら紙幣を印刷して大量発行しても、実業への投資へと資金が回らない責任の一端はこうしたメガバンクのビジネスモデルの変化にあるのだろう。

そのようなことならば、ドイツ第一の金融機関が大きな変革をすれば、更に堅実な産業へと資金が回って来る可能性があるのだろう。先日のバイエル社のモンサント社吸収の時にドイツェバンクが役立たなかったことが例として挙げられている。



参照:
お目当てのヴィデオ 2016-10-01 | 文化一般
12本選択するとすれば 2016-09-26 | 試飲百景
フェアートレードなあじ 2015-05-28 | 雑感
通にしか分らない質と価格 2014-09-16 | 試飲百景
海外と日本のワインのお値段 (ドイツワイン探訪日記)
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DLしたファイル形式ts.

2016-10-04 | テクニック
ネットを探していると、更に高品質なヴィデオが見つかった。今年の一月に臨席した世界初演当夜のArte生中継のデジタルTV放送の映像だ。二時間ほどのオペラ「サウス・ポール」が10.35GBの大きさになっていて、ファイル形式はts.と称するもので、上のデジタル放送を録画するときに使われるようだ。画像は1280x720, 9000 kbps, 50.000 fpsで、肝心の音声はAC3, 448 kbps, 48 kHz, 6 chと画像付きとしては最高域の質だ。画像に関しては、今まで保存していた3.2GBよりは良いことは明らかで、質感のようなものが違う。これほど高品質で解像度が上がるとブラジャーをしていないソプラノ歌手の乳首が気になる。当日の天井桟敷で見聞きしていたよりも迫力がある。音に関してはこれならばCDと変わらないと感じた。調べてみると、既にリュリのオペラも18GBのを落としていた。その画像には気がついていたが、クリスティー指揮の音は聞き直さなければいけない。

再生に関してはMPC-BEで全く問題ないので、音もWASAPIでそのまま楽しめる。但し天井桟敷一列目で覗きこんでいたのと比べると自由な視角が欠けるので、あれだけの細やかな管弦楽は中々体感としては得られない。この辺りが音楽映像の限界だが、これを以て音声をマルチチャンネルにするよりは画像をマルチにするべきだと確信する。勿論ファイルの大きさは数倍になる。しかし五年前にギガの映像でもあり得ないと思っていたが、もはやそれでも物足りないと感じるようになって来たから、まだ先数年は可能性があるだろう。因みにワイン街道では休日中グラスファイバーを新設を完了しているので、もしかすると近々ネット環境も向上するかもしれない。

週に三回走って、一回のボルダリングとなった。なによりも走りが良くなった。下りで時速13kmを超えた。加速のコツが身について来たようだ。大体200mほどは早く走れるようになって来た。それでも加速を入れて50秒ほど掛かっている。まあ中距離走ぐらいの走り方となっている。足場の悪さからするといつでもここまで加速できるようになれば充分だろう。但し現時点では長い距離は難しい。このスピードで、下りで長く走れるようになると飛躍的に早くなる。先ずはこれを長くするのが効果的だろう。

ここに来て体幹を使えるようになって来たので、意識してみた。なるほど臍で走るようになると、足の動きが自由になるだけでなくて、肩が揺れ無くなった、手を効率的に振れるようになった。体幹という言葉は使ってきたが、これが身に付くまで走り始めて数年が必要だった。特に下りで加速できるようになったのは大きいが、上りも大分楽だ。今履いている靴が壊れるまでに自己記録を更新したいと思う。気温が12度前後からあまり下がらないうちが勝負だろう。

下りで敢えて視覚を狭めて走っていると合流点などのカーヴも気がつかないで走り抜けていた。また、走行中の首が落ち着いてきたので、以前のように走り酔いすることも少なくなってきたかもしれない。そして、首が座って、顎があまり上がらないようになると、前傾姿勢で前足に体重が乗るようになって来た感じだ。準備体操の柔軟も効いているようで、小さなことの積み重ねなのだろう。ざっと計算するだけで総走行距離が2000kmに近づいてきているので、これでなにか身に付いてこないとおかしい。スキーや初心者の自動車運転と同じだ。



参照:
音楽体験の機会を奪う動画 2016-06-19 | 音
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
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英国製の高価な買い物

2016-10-03 | 生活
月末調整ではないが、幾つかの発注した。それでも最後の一つとか、お得品とかは中々入らなかった。ネットショッピングすら上手くいかないとなると本当に嘆かわしい。慰めは出る筈の金子が手元に残るということぐらいだろうか。そして結局入手したのは英国製の高価な買い物だった。

一つは、皿洗い機を使っていないので、ここ暫くは古い野菜水切り器の入れ物を流しの桶代わりにして水の節約をしていたのだが、これが壊れたので、それに代わるものである。ネットで探してもそもそも皿洗い機を使わない家庭は珍しいので、そのような用途のものが少ない。そして流しの栓をすれば水は節約できるのだ。

小さな流しでもそこに水を溜めるとなると大層で、水の節約にもなりそうにもならないことから、最近は桶を使っていたのだ。だから必要な桶の大きさも流しよりは小さく、一番大きな皿でも水に浸かるものでなければいけない。その条件からすると長方形では駄目で、丸形が最も使いやすく、その直径は30㎝強ぐらいが丁度よいという事で探すと、英国のメーカー製でメードインGBしかなかった。そもそもこの手の桶の相場は知らないが安い物だが、9ユーロを超えた。但し、分厚さとか、底が水が通るようになっていたりで考えてあり、強度もありそうなのでそれにした。色もワインレッドで悪くはない。

実際に使ってみると、今までとは違って、表面が汚れにくそうで、野菜を入れて洗うのにも気持ちが良い。洗い水でなければ溜めたものを使えるほどである。今後油ものなどを洗う範囲で、また熱いフライパンなどでどのように壊れていくかだが、少なくとも水の節約にはとてもよさそうだ。

この手の桶を買った記憶はあまりないのだが、一度日本の下宿の台所のために西友ぐらいで買った記憶はないことも無い。何か月並みなものなので記憶がないのだが、今回こうした「希少」なものを購入すると初めての購入といたっ感じで特別な気持ちである。

もう一つの購入は、その横にある食器乾かし台である。こちらの方は十何年か前にIKEAで購入したと思うが、錆も酷くなり、足当てには黒カビが付くので掃除すると折れてしまった。直ぐに使えなくなるわけではないが、このまま使っていても仕方がないと思った。錆が皿やナイフなどにつくだけでなんらいいことはないからである。そこでネットで探すとこれも上と同じ理由かあまり選択の余地はなかった。あるのはプラスティック製のそれで、汚れが落ちにくいと評判が良くない。メタルのものは錆との勝負以外にも、その大きさや形状などが選考基準になる。

そして40㎝角ぐらいで探すと、結局高価な英国製しか対象にならなかった。これも形状などが違えば十数ユーロであるのだが、これは33ユーロもする。のちにIKEAでも同じような価格だが、形状などが今まで使っていたように使いやすくはない。要するに選択の余地はこれも無いのである。流石に二つで40ユーロを超えるので躊躇した。先ずは発注して大きさなどを点検することにした。

到着して設置してみると、想定通り、今までの物よりは一回り小さいのだが、更が綺麗に立って場所を取らないで収まる。限界はあるだろうが、今までよりも整理整頓しやすいのだ。なにも細かな作りが増えている訳ではなく、一か所に皿置きを寄せてあるのだが、これが絶妙の間隔と角度で納めやすいのだ。どうもその影響が大きいようで、場所が決まる反面場所に余裕が出来るらしい。グラスなども立てやすく、ナイフフォークなども端に収まりやすい。

購入者の評価によると、錆は遅かれ早かれ来るとしても、殆ど五星の高評価で効果乍ら皆が満足している。ドイツの購買者であるから英国製でも高級風でも価格に対して厳しい評価をするのだが、贅沢品ではなく機能的という事のようだ。

まさかこの二つで40ユーロ以上投資するとは思っていなかったが、先ずはとても良い使い勝手で喜んでいる。メードインチャイナならば五分の一から十分の一で入手可能かもしれないが、英国製はとても高価である。



参照:
サラダの水切りのように 2014-09-07 | 生活
私のサラダブログ記念日 2010-08-06 | 料理
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釣べ落としの秋の競争曲

2016-10-02 | 
アルプスから帰って来て、石切り場以外では、初めてボールダーに向かった。四週間近くご無沙汰したのは、左右の足の爪を痛めていたからでもある。痛くはないのだが親指の爪の内側が真っ黒になっているので、生え変わるまで時間が掛かる。そのような状態ではただでさえ小さいボールダー用の靴を履くのは憚られた。今年の秋は天候が良いとはいっても、徐々に陽射しも陰って来るので、思い切って夕方に登りに行ったのだ。

なによりも懸案の庇の下の足の使い方と、同時に体幹を重視した登り方を推し進める課題を選んだ。最初の通常の課題も足に大分立てるようになっていた。理由は重心の落とし方などが徐々に身について来たからだろう。アルゴイで長い距離をリュックサックを担いで同じようなスポーツクライミング感覚で登れたので、重心のスムーズな移動と同時に二年間痛めていた肩の不調の間に高めた技術が全開したからだろう。技術的にとても良い練習になったのだ。

三年前とは完全にグレードアップしただけでなく、安定したボールダーの基礎が身について来たかのようだ。そして靴も大分慣れてきているので足が大分使えている。その勢いで全く足が掛からなかった庇下に足を掛ける練習をした。これも膝の角度も調整しながら、進行方向さえ確りと定めれれば足の支えが効くように工夫した。これも体幹以外の何ものでもないのだが、結局手の力が尽きて、本日終了とした。

不思議なことに夕方には風が出てきたが、晴天で気温も摂氏25度近くまで上がったにも拘らず誰にも会わずだった。それどころか通常ならば尾根筋の道路を走り回る自転車やバイクや車もほとんど通らなかった。理由は全く分からない。どうも風が強く気温が21度ぐらいになると残暑気分の人は出かけないらしい。

自身の頭の中は車の燃料のことしかなかった。それほど減っていない筈なのに残り一リットルの表示が続いていたからである。そして財布を所持していない。だから何としても自宅まで帰り着くか、車の中の小銭2ユーロを途中で給油するかである。帰路のスタンドの位置などを頭に描き、それに集中する。それでも無事に帰宅して、ガレージの鍵を探すとないのである。車中を探して、不明になっていた靴ベラまで見つけるが、鍵はない。夕暮れは迫っている。懐中電灯も無い。

車のキーを取り出すまではあったので、そこから後のところだ。なんとなくポケットが軽くなった気配はあった。さてどうしたものか、先ずは急いでスタンドで給油するしかない。そして、新月の暗闇になるまでに鍵を落としたであろう経路を手探りでたどるしかないのだ。燃料は想定通り一リッター少しを給油する。急いで森へと戻る。

日没との競争である。スピード違反すれすれに駆け抜ける。駐車していた場所に近づく。探す順序を頭に描く。キーを取り出したところまで最悪戻らなければいけないが、森の道の無いところで、更に岩の溝などがあって枯葉が乗っていると、そのままの形で見つけない事には発見不可能だ。更に鍵がないので自宅には戻れないから、車のヘッドライト頼りである。時間に余裕はない。そして駐車スペースに近づく。手前に黒いものが枯葉の上に落ちている。その方向に光を向け乍らアプローチする。車を降りて近づく。紛れもなくケースがそこに横たわる。止めていたトランクから数メートルの距離で、歩いて進入する経路だったところだ。

幸運だった。車中で考えたように、交通が多ければ親切な人はそれを持ち上げて分かりやすい場所に移すか、警察に届けて居たかも知れない。何故かこの晩は今まで経験したことがないほどに交通が無かった。

助かった。鍵が無ければ、鍵師を探して電話して、自宅であることを証明して開けて貰い。更に手数料と新しい鍵が請求されていた。Tシャツの疲れた体で食事が出来ても夜の10時を過ぎていただろう。ボールダーの成果どころではなかったのだ。



参照:
皆目わからない感じ 2015-02-28 | 生活
雑食砂岩での怪我の功名 2016-09-10 | アウトドーア・環境
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