Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

独に拘るシューボックス

2019-01-17 | 文化一般
校訂版の楽譜を参考にした。パーヴォ・ヤルヴィ指揮のブレーメンの室内楽団の交響曲一番ハ長調の演奏を聞いた。そもそも印象が悪かった演奏だが、その原因がよく呑み込めた。なるほどアクセントなどは細かく楽譜通りに付けていて、一部ダイナミックスの扱い方に疑問が残るがそれは解釈としよう。しかし何よりも受け入れられないのはアウフタクトの感覚で、あれではベートーヴェンどころかドイツ音楽にはならない。やはりドイツ語も喋らないような指揮者は独墺系の音楽は難しい。

それではベルリンのフィルハーモニカーとのバイロイトの名演奏はどうなるのだ。その差異が徐々に分かって来た。恐らく、これはチューリッヒで観察させて貰う点だが、テムピに関しては与えてもリズムの制御をしていないことになる。あそこではこのようなおかしなことにはなっていなかったからだ。

そこで思い出すのがこの指揮者がNHKで振ったオペラなどの息のつきようの無い拍取りで、オペラ指揮者でないから仕方がないと思っていたが、そもそも楽団が出来ないことにはそのままになってしまうのかなと思った。全ては仮説でしかないが、チューリッヒから帰ってきたら全て明らかになっているだろう。

逆にトンハーレ管弦楽団は交響楽団としてそれほど悪くはない。それこそ評論家の言うように「伝統的ドイツ配置ではない」が、基本的にはドイツ語の管弦楽団であり、ドイツ語を喋るのだ。たとえスイス訛りでもそれはドイツ語を喋らない指揮者とは違う。

なにも今更ロカーリティを語る心算はなくとも、ベートーヴェンでそのアクセントが存在するのは間違いない。ブレーメンだからと思って安心しているととんでもない演奏がなされていたことになる。

そこでヴァイオリンのヤンセンの未明の投稿を見ると、トンハーレ管弦楽団の配置が伝統的ドイツ配置になっている。つまり少なくともモーツァルトの協奏曲だけでなくベートーヴェンも変わりなく、それどころか前半後半で同時に演奏されるメシンアンもこの配置で演奏されることになる。昨年のバイロイトでのベルリナーフィルハーモニカーによる「ヴェーゼンドンクリーダー」もその配置だったから、全曲そのままとなるのは当然であろう。

昨年夏のルツェルンでのペトレンコ指揮演奏会への批評として、「トンハーレもドイツ配置だったらな」ハックマン氏から声が上がったのだが、昨年の就任第一回目は知らないが首席指揮者としてそうした要望に応えて舵を切ったのだろうか。そのような話が出たようにドイツ配置には慣れていないにも拘らず、アンサムブル上も問題がないとしたのだろう。因みに九月にハイティンク指揮で聞いたときはアメリカン配置によるブルックナーだった。さてその結果はどうなるか?



参照:
トーンハレの代替ホール 2018-09-22 | 文化一般
独墺音楽のコムパクト 2018-09-01 | マスメディア批評
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そこに滲む業界の常識

2019-01-16 | 雑感
十日以上走らなかった。パン屋が閉まっていて旅行があったからだ。車にばかり乗っていて体が腐りそうになった。いつものように腸の調子が悪くなり、気分が悪い。少なくともそのような生活をしていると一月もしないうちに病院送りになることを改めて確認して恐ろしいと思った。強迫観念的に運動をするのは幸か不幸か。だからパン屋が再開されたかと思って、前夜からジャガイモのなどを食して走りに出かけた。まだ開いていなかった。準備があるからでどうも木曜日からになりそうだ。

帰路の車中のラディオでは電話インタヴューで指揮者らしい人が話している。ショスタコーヴィッチが奥さんと訪ねて来たとか、直接楽譜の印刷間違いを指摘してもらったとか、そのような話からドイツではショスタコヴィッチには人気がなく、マーラーとは違ってきているという話だった ― SWR2が説明するように戦後の連邦共和国ではフランクフルト学派のアドルノによるショスタコーヴィッチやシベリウスへの糾弾の影響が大きいとなる。その話し声が午前中ゆえか老人のようにはっきりせずふにゃふにゃで惚けた感じだったので、不思議に思った。話しの内容に合って、あり得るのはザンターリンクしかいない筈だが、親父は死んだ筈なのに、ベルリンにデビューとかあってまさかと思っていた。その通り息子の方だった。そしてその話しぶりにこれはあの写真などで見るのは誤魔化しのイメージだと確信した。コンセルトヘボーとか後任の噂に上る指揮者でもあるが、話を聞いているととんでもないと思った。

ハムブルクでのもう一つの目的地はブラームスの生家だった。1986年に訪ねたのだが、今のユネスコの地域から歩いてきて、素通りしただけだった。それでもこの通りに来た覚えがある。それでも今回郵便配達のお兄さんに尋ねたように車を前に停めても見逃しそうになった。目立たない建物ではないのだが、なんとなく目が行かない。当時、写真を撮ったのだと思うが、結局ハムブルクの分は喪失してしまったので、30年以上ぶりに確認しに行くことになった。今回の旅の目的だった。なにか記憶とその曖昧さが重なって、まるでゼーバルトの物語のように実像が滲んでくる。

まさしく私にとってはブラームスの音楽はその音楽構造にあのメランコリックな世界が重なって滲んでしまうようなもので、とてもここは不思議な感じがした。ここに比較するとバーデンバーデンでの下宿屋の方がくっきりとしていて気持ちがよい。

記録をそのネガ諸共紛失したと書いたが、実は今回もカメラの画像を移し替えていて、殆ど消去してしまいそうになって、幸いコピーしたものを再収集してもとへと戻す作業で何とか回復させた。原因はPCで使っているソニーのソフトにあるのだが、まさかと思い、三十年以上も呪われるのかと思った。決して意識していたわけではないのだが、たまたまソフトの問題があったのだ。意識して間違いの無いように扱うべきだった。映像なんてとも思うが、やはり記録は大切で、当時は旅行記などもメモさえしていなかった。そして移住するなんて考えていなかったものだから、あの波止場やブラームスの路地に再び足を運ぶなんて未定だったのだ。実際にこちらからは遠く、出かけるには些か大袈裟に言えば、それなりの覚悟も必要だった。

あの時と同じで今もまともな写真などは撮らないのだが、少なくともどこに立って何処を写したかさえ残っていれば確実にその場所を懐かしく思ったであろう。その意味では波止場でも有名な橋が架かっているザンクトアンネンの廃墟のところは車で通過しても印象があった。あの当時は今ほど整備もされていなかったから精々あの橋からの風景が特徴だったのではなかろうか。兎に角、溜飲が下がったことには間違いがない。どうしても遠方になると、なにもそこに珍しいものがあるわけではないので、よほどの用事がなければ出かけない。

そう言えば、有名歌手トーマス・ハムプソンからいいねが入っていた。その前はルカ・ピサローニというテノールバリトンで伝統の第九を歌っていた。ハムプソンはバーデンバーデンでメルケル首相と「パルシファル」で聞いて、そのあとは何といっても「サウスポール」初演が良かった。体格も良く、声もゆったりしていて凄みもあった。早速インタナーショナルな方でフォローしておいた。基本は何かのコンタクトがないとフォローしないので、僅か20件でも価値がある。それが分かると若手や無名の指揮者なども売り込みに来るようになる。そこで一覧に入ると僅かばかりでも宣伝効果があるからだ。勿論リストに上がっていない超実力者の影の目にも触れる可能性が無くはないからだ。

ハムプソン氏の場合は、バーデン・バーデンでの2013年のガラコンサートでの録画をご自身も気が付いていなかった可能性があり、当然の活動として自身の名前を検索しているうちにあれと思うリンクが見つかったということだろう。要するに業界人にとっては当然のネット活動の一環なのである。



参照:
「南極」、非日常のその知覚 2016-02-03 | 音
エルブフィルハーモニ訪問 2019-01-11 | 文化一般
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リューネブルガーハイデへ

2019-01-15 | アウトドーア・環境
ハムブルク旅行の成果は幾つかあった。エルプフィルハーモニーとシュターツオパーの初訪問については触れた。あと二件の目的地があった。その一件が郊外の所謂リューネブルガーハイデと呼ばれる地帯で、私が関心を持ったのはマルティン・ハイデカーが奥さんに充てた手紙からだった。ハムブルクでカッシラーの招きで講演した際にヘッセンのマールブルクに充てて出した私書である。

丁度今回もハムブルクからヘッセンを通過してマールブルクを掠めて戻ってきたが、ハイデカーと同じようにハイデ地帯とハムブルクの間に二泊した。双方へと二十キロほどで車で20分ほどの距離である。前回ハムブルクの空港に向かった節も途上で近辺を通ったがその地帯に車を乗り入れ立ちいることはなかった。

現象学者は、フィルップ・オットー・ルンゲの絵画から興味を持って、招聘したカッセラー教授のお弟子さんのところに宿泊したとなっている。カスパー・フリードリッヒなどと同様にロマン派の先駆けとされている絵画で、そこに同じように北ドイツの風景を描いているようだ。

地質学的には嘗ての氷河期のモレーンで、アルプス地方などで馴染みがある地勢なのかもしれないが、平坦なところに広がっているのでまた異なる。まさしく荒野である。だから農作などが出来無かったところで工夫して集落をなしているといった地帯である。だからその藁ぶき屋根や特殊な作柄が観光の対象になっている。一番有名なのは春のエリカの季節だろうか。今は明らかに閑散期で誰も訪れないが、湿った場所などに霜柱のような山が出来ていた。何処でも歩いては入れなく、また寒いので適当にして退散してきた。馬車で奥へ進んだり歩いて回らないといけないようだ。

翌日はホテルから直接帰路についた。連日午前様で就寝時刻が遅く、朝のビュッフェの朝食を逃がさずに、チェックアウトに送れずに出発するのが精一杯だった。だから出発したのも11時過ぎで、都合悪いことにハノーヴァー過ぎてからのアウトバーンが工事で閉鎖されていて迂回路で苦労した。迂回路で待っていても渋滞で燃費だけ悪くなるので機転を利かして大回りでアウトバーンの先へと地道を走った。殆どザルツギッターとか殆ど昔の国境線に近づくような印象を持った。如何にも土地勘がないという感じなのだが、何もない村から村へと走り回ると何となく馴染みが出来る。

幸い次の入り口くらいまでは殆ど車もなく走って、燃費も落ちず距離もそれほどでなかった。結局ワイン街道に戻ってきたのが16時過ぎで、八百屋に寄って帰宅すると17時ごろだった。結構な距離で結構な時間で、運動をしていない分腰に堪えた。

ホテルの朝食の子魚など海に近いことも食生活の違いも楽しめたのだが、それでも遠い。ベルリンへとなると更に200㎞ほど余分に走る。車では年に二回ぐらいの往復が限度かなと思う。ミュンヘンやルツェルンとは違うのは分かっていても、パリよりも遠くなると心理的にも本当に遠い。

因みに満タンにした燃料はリュネブルガーハイデの近くの町で給油して ― スタンドの場所を尋ねたらおばさんが「ブクステーデから来ているから一寸難しいわ」と答えた ―、それもこちらで入れた価格より125セントで安かった。そこからハムブルク市内を往復したのだが、問題なくそれで帰宅できた。チューリッヒに出かける前にもう一度満タンにしないといけないが、その価格より下では難しそうだ。やはりエルベの港までの輸送とラインを通っての輸送ではコストが違うのだろう。



参照:
高みから深淵を覗き込む 2006-03-13 | 文学・思想
歌劇とはこうしたもの 2019-01-12 | 文化一般
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一級のオペラ指揮者の仕事

2019-01-14 | 
承前)二幕の始まりでもナガノは楽団を立たすが、まあまあの拍手である。半分ほどの入場者数にしては出ていた方ともいえるが喝采までいかないのは仕方がない。しかし、管弦楽もそれに伴って歌唱も引き締まり、つまり会場も熱が入ってきたのは最初の皇帝の独唱からである。それもチェロのソロとアンサムブルとなるところからで、ミュンヘンでのあのフランス系の首席の弾くそれよりもここの女性のソロがとても素晴らしかった。ここでこの晩の上演のスイッチが入ったといってもよい。

すると指揮の各システム間の不協和などの鋭い対抗や、若しくは多層的に動いたりのシュトラウスの恐らく最もこの作曲家が書いた価値のある小節の数々が構築的な音空間を作り始める。特に立体舞台に対応した対位法の音化などは見事であった。ここはキリル・ペトレンコとの読みと最も異なるところで、ペトレンコの飽く迄も原理原則をモットーとしたあらゆる資料などを研究した上での更なる抑制と、ナガノにおける思い切った管弦楽的・劇場的感覚による読み込みと最も異なるところだ。

その差異が更にはっきりするのは三幕であって、まさしくガイダンスで示唆されたオペラ的なものつまりフランクフルト学派のアドルノの美学からするとあまりにも雑多で雑魚煮的な批判の対象であるものがナガノではオペラ指揮者の長年の経験と感覚として開放される。いつものように繰り返すが、ペトレンコが決してオペラ指揮者でない傍証はこれを比較対象とすれば十分なのだ ― その一方で、南ドイツ新聞などは「この楽劇のその一部で指揮が何をなしたかが将来語られる」としているように、とても好都合な試料であることには間違いない。

つまり、染物屋夫婦の人間的成長に留まらず、最後には皇帝までがオペラ的信条を歌い込む。そうした舞台構造を与えたクリーゲンブルクの演出の勝利でもあるが、どこまでも音楽的な美意識の中で歌い込ませるナガノの腕は第一級だった。指揮者としてはペトレンコとは完全に異なるクラスに属するのだが、オペラ劇場というのはこうしたものなのである。第一級のオペラ指揮者による卓越した演出をオペラ劇場での現実として体験すると、改めてなぜあれほどまでにオペラ通がペトレンコをオペラ指揮者としてそこまで評価するのかが分からない。その効果のヴェクトルが全く異なるのである。

言い方を変えると、もしこのクリーゲンブルクの演出でペトレンコが指揮をしたとしたら、その演出のあまりにものポストモダーンで単純化されたものにミュンヘンではブーイングが飛んだと思う。謂わば、ミュンヘンの劇場はハムブルクのそれよりもハイブローなのだ。
Die Frau ohne Schatten - Richard Strauss


そこでガイダンスを思い出そう。その内容には全くキリスト教的な視点が示されていなかった。寧ろメルヘンのヘレニズムやイスラムを示唆していた - 極東でないことに注意。つまり、なるほど一神教的な視野がその上からの視線となるのかもしれないが、それはミュンヘンでは中々得られない感覚かもしれない。クリーゲンブルクの思考をそこに改めて発見して、なるほどあのミュンヘンでの「指輪」がとなる。嘗てのハムブルクの「影の無い女」との、またそれ以上にヴァリコフスキー演出との最大の相違のように感じた。

プログラムを見ると、それゆえにか頻繁にハムブルクで「影の無い女」が手軽に上演されている。前回は2007年でシモ-ネ・ヤング指揮、そして私の東京で観た1984年フォン・ドホナーニ指揮ホーレス演出は1977年に初日で、なんとルネ・コロ、イヴ・マントン、ドナルド・マッキンタイヤー、ブリギッテ・ニルソンの二組のペアーで上演されている。
Die Frau Ohne Schatten Von Dohnanyi Rysanek Dernesch ― 客席からのアナログテープ盗録の様でピッチコントロール要。


そして不思議なことに管弦楽団のメムバー表は載っていても、歌手プロフィールが一切載っていない。不思議な歌劇場である。それでも不調をアナウンスされたエミリー・マジーの皇后もそんなに悪くなく、会場が小さめのこともあるが声はよく出ていて、一番人気の染物屋のリゼ・リンドシュトロームのヴィヴラートが気になった以外は、ミュンヘンのそれより良かった。1984年はリザネックが歌ったのを聞いたようで、あれはあれでヴィヴラートの芸術だった。その声との合わせ方がこれまたケント・ナガノのオペラ指揮であり、その山を準備している ― しかしなぜまたハムブルクではプロムプターまでが隠れて指揮をするのだ。それらこそがオペラ劇場感覚であって、少々アルコールが入っているような聴衆でも酔わしてくれるのである。それでももはやコッホなどになるとそこには乗ってこなかった。「ペトレンコを唯一の天才」と仰ぐこのベルカント歌手にとってはもはや聞かせどころが変わってきたのだろう。
"O Glück über mir" from DIE FRAU OHNE SCHATTEN - Conductor: Kirill Petrenko


そのやり方は、原理原則からすれば、過剰でありオペラティックとなってアドルノが責めるところとなる。ペトレンコの指揮を聞けばアドルノは賞賛したのは間違いないが、シュトラウスはペトレンコの読譜を評価しつつ、「劇場なんてそんなものだよ」と言うのか言わないのか、これはこの楽劇がそれほど一般的に理解されていないことにも関係しているだろう。しかし三幕でのドライに弾かせるところはペトレンコ並みで、シャープさも加わり、その辺りの安物趣味とは一線を画していて知性的で流石だった。

それにしても戦後民主的な座席配置のあの席ならばミュンヘンならば間違いなく十倍の価格である。そのようにご奉仕価格でも一杯にならないのがハムブルクの大きな問題で、勿論音楽ジャーナリズムの支援が弱く、それだけの気風がない土地柄なのかもしれない。まるで社会民主党の低落を見るようなオペラ公演の現状だった。金があるのかないのか分からないようなハムブルクである。

そのような環境であるがケント・ナガノ指揮のある意味「音楽意訳」的な解釈によって、崩壊の音楽やそのフィナーレまでが大きな弧を描いて演奏される効果は絶大で、音楽劇場はこうあるべきだという姿を示したと思う。コンサートも同じぐらいに指揮できる今や世界でも数少ないオペラ指揮者の一人だと思うが、批判に負けじとコツコツとやることでもう一山ハムブルクで為すとか若しくはキャリアー上でも最後のステップアップがあるのか、ここは腐らずにやって欲しいと願うばかりである。カーテンの隙間から見えた会話する表情は明るかったが、もう少しプロフィールの写真の蒼白の顔色の修正や細かなバックアップをして欲しいと思う ― 一体何処の事務所だ。嘗ての若杉などにも似ている感じがするが、より知的で精緻な読譜も確認された。充実した仕事ぶりに相当する指揮者への喝采としては、そうした一寸したイメージ作りで違うのである。総譜に書き込まれた赤はキューの要チェックだと思うが、ペトレンコのように黄色は無かった。
Krzysztof Warlikowski - Die Frau ohne Schatten - Bayerische Staatsoper München (live/November 2013)





参照:
バラの月曜日の想い 2018-02-16 | 暦
予定調和ではない破局 2018-01-31 | 文化一般
遊園地のようなラムぺ 2017-04-28 | 生活
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意表を突かれた気持ち

2019-01-13 | 
エリブフィルハモニーでの演奏会のことも書き留めておこう。これは翌日ベルリンのフィルハーモニーから中継されたので、それがアーカイヴに上がってそれを観てから総括したいと思うが、ある程度予想がついていたので、その視点から書き留めておく。

先ず座席に着くと、予想していたよりも大分指揮台に近く、ルクセムブルクでの距離感とは異なるものの寧ろ管弦楽の最終列への視界はそれほど変わらなかった。最前列でもなく二列目でも、全く問題はなかった。そして何よりも二席買った一席の方は最初から分かっていたが角ベンチになっているので、前列の人は二人で他人同士が座っていた。だから私は三人分を独り占めするというまるで相撲の桟敷の独占のような感じだった。二人分で僅か20ユーロだった。流石シュピーゲル社の本社屋が波止場の根元に佇み、SPDの牙城のようなハムブルクはなんと労働者にも優しいことか。

音合わせからしてルクセムブルクとは発音が明晰だった。これは会場の音響そのものの差でしかないが、それでも楽員の方も自身の音が粒だって跳ね返ってくるとそのフィードバックから自信をもって音を出せるのだろう。これは風呂場効果とはまた違って悪い面が一切ないだろう。

キリル・ペトレンコが出てくるのが遅かった。一度上手から出かけたようで拍手が聞こえたが再び引っこんだのかもしれない。ペトレンコの場合はどちらかというと間を延ばしてという傾向はなく、ルツェルンでも若干遅れていたがあれはユジャワンが遅らせていたと思った。兎に角出てきて期待感が萎まないうちに早く始める。

最初から指揮振りが自由になっていて、ルクセムブルクでは楽譜に落とされ続けた視線が楽員の方に向けられるようになっていて驚いた。そしてその指揮振りも遥かに自由になっていて、明らかに両者に繋がりが生じていた。まさしくNDRの記者が私と同じように初日から同行していたような書き方をしている。

つまり予想していたように初日には勧進帳のように一人一人の腕試しを兼ねて楽譜にその一部始終を記憶していったのだと思う。ドルトムントではどうだったのか?少なくともここではその音響も影響してか、特に「ウエストサイドストーリー」でフルートソロなどが出てくると明白に且つゆったりと深く歌わせていた。演奏者本人の自信でもあるだろうが、指揮者がそれを認識して振っているともいえる。始まりからして自由度と許容度が拡大して、「共に演奏するというムジツェイーレンのモットー」に近づいてきていて、ペトレンコがプロフェッショナルな楽団でものにする時の在り様そのままなのである。中一日のこの量子的跳躍には驚かされた。明らかにペトレンコが最初から立てた流れ通りとしか思えない。余談であるが、このツアーが始まるときに合わせるかのようにバーデンバーデンではガティの代わりの他の指揮者が指名された。もしやペトレンコとかメータが代わりを務めるかとも思ったが、なにか判断がそこにあったのかなとも邪推させた。勿論バーデンバーデンは大きく期待したであろう。

そうした影響で、ダイナミックスにおける幅が格段に広まった。まだまだ弱音で音楽が出来るだけの抑制は効いていないが、少なくとも楽員として如何に小さく音を通らすことが出来るか、その為にはお互いに聞きながら合わせないと話しにならないことが実感できたのではなかろうか。開演前のサウンドチェックでもこの方向へと練習が向かったことは予想可能だ。それから比べれば初日は勢いの音を強く出す勝負のようなところがあって、全く逆方向へと意識が進んでいた。

それによってバーンスタインの音楽の体臭が初日よりも強く出ていて、いい演奏になっていた。同時にサムバやマムボのリズム的な軽快さが冴えていた ー ペトレンコもルクセムブルクでは歌っていなかったが声がよく出ていたようだ。こうした特徴が次のティムパニー協奏曲で活きない訳がない。弦楽の奏法も余裕をもって正確に丁寧に鳴らされるようになって、一体初日はなにだったのだろうと思わせた。二楽章の嘆きも深く呼吸をして聞かせた。

ソリストのヴェンツェルがアンコールに応えて練習曲を演奏した。ばちを持ち替え引き換え好演していたが、この人の最大の問題は弱音のコントロールだと近くで見ていてよく分かった。ベルリナーフィルハーモニカーの奏者のようだが、もう少し精進してもらいたいというのが正直な感想だ。世界中の一流管弦楽団には沢山の名手がいる。

「春の祭典」は、精度が上がると同時に、ここでもテムポとその拍取りの深さに気付いた。つまり初日にはどんどんと進めていったものが、十分に歌えているところが増えて、イントロダクションも木管楽器に合わせたテムポ設定というよりも拍取りをしていて、それこそ顔を見ながら合わせていた。初日には全くしていなかったことである。装飾音等も綺麗に決まり、同時にそれが音楽的な緊張になるのは流石だった。新聞評にあるように、フィナーレでも体を固くして固く振り若しくはコムパクトに振っていて、初日の技巧よりも更に上の指揮をしていた。そのテムポ運びや音楽づくりは一部の終曲でも秀逸で、ペトレンコのストラヴィンスキーの見事さを改めて思い知らされた。フィナーレの見事なテムポ運びも同様で初日よりも落ち着いている分その迫力は減少したが、「春の祭典」がこんなに音楽的に面白いと思わせたことは未だ嘗てなかった。

批評は一通り出たようだ。何をどのように伝えるか、どのように評価するかなどはジャーナリストにとってもなかなか難しいと思う。それは、可成り技術的それも指揮技術的なことへの造詣を問われるからでもある。更に楽団の特徴からその腕を見極める必要もあるからだ。それをもとに一体何を読者に伝えるかという腕が問われるからである。

いつものように写真を撮っていたら隣近所が湧きだしたのでどうしたのかと思ったら、ペトレンコが楽員をこちらに向かせた。意表を突かれた感じになった。いつも出来る限り見られないタイミングで秘かに撮影するのだが、見つかってしまったか。アンコールの「マクベス夫人」にこそ一番プロとのそれもミュンヘンの座付楽団との差を最も強く感じた。



参照:
エルブフィルハーモニ訪問 2019-01-11 | 文化一般
指揮芸術とはこれいかに 2019-01-08 | 音
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歌劇とはこうしたもの

2019-01-12 | 文化一般
来週はチューリッヒでコンサートなる。車中でモーツァルトは聞けたが、ベートーヴェンの録音は忘れていた。週末にはこれをお勉強しなければいけない。「フィデリオ」はベーム指揮のベルリンでの録音を聞いた。

先ずは忘れないうちに、特に三幕を思い出しながらまたメモを読み返して、「影の無い女」を振り返ってみたい。いつものように調べておいたゲンゼマルクトの駐車場に早めに車庫入れした。17時50分からガイダンスなので、開演一時間前の17時30分を目指して、17時過ぎの車庫入れだ。既に劇場前には寒さに拘わらず人が列をなして立って待っている。時間と熱意のある人ばかりである。ミュンヘンでも道路に列をなして待っているのを見ると、今や主役は68年世代で決して配給待ちなどをした人たちではないのだが、ドイツ人も並ぶのが好きである。

私は馬鹿らしいので、暫く近辺のレストランなどを物色して回り、戻ってくると開場していた。早速地階でコートを預けて、二階カンティーネの会場に入ると椅子を各々並べて陣取っていた。これを目指している人たちなのだ。その内容は、音楽的な説明は殆ど無かったが、演出と文学的な説明は十分にあり、特にクリーゲンブルクの演出に関しては本質をついていたと思う。

つまり、そもそもこの原作がホフマンスタールの作詩としての仕事であり、舞台台本志向ではないこと、そしてそのメルヘンとしての多層性へ夢物語へと話しが進む。つまり、皇帝夫婦と染物屋夫婦の二組の対応とその心理的な流れとして、飽く迄も超越した視線として捉えられていることが重要である。劇場名作の多くがそうであるとは思うのだが、要するに構成であり、ここでの演出はそれを垂直方向へと舞台を拵えたということである。そして最も重要なのは、そうした高踏的な視点だけではなく、当然オペラ上演としてのエモーショルな面を作曲家が留意したという点である。その両面からの各々ホフマンスタールとシュトラウスの葛藤は殊に有名だ。

このガイダンスの明確さに、結果的には今回のハムブルクの公演がなぜミュンヘンのキリル・ペトレンコ指揮のヴァリコフスキー演出よりも成功していたかの回答があった。勿論その時は分からなかったので、あまりにもシムプル過ぎないかとも思い、また講師の女性文化委員の標準ドイツ語の明白さになにか物足りなさもあった。要するに単純化への危惧でもある。

実際、音合わせがあり、先ずこの時点でその楽器配置が所謂ヴァイオリンからヴィオラまで扇方に並び狭苦しい奈落に押し込まれているのを見ると大丈夫かなと思った - 調べてみるとやはりこの楽劇でもペトレンコは対向型配置で演奏させている。そしてナガノが出てくると楽員を立たせと、これまた音楽劇場らしくない。拍手を受けるのはいいとしても違和感があった。ペトレンコなどは演出によっては奈落の壁の向こうに隠れ潜んでいて、手首の体操と業務連絡をしており、照明が消えてからこっそりと指揮棒を取る。

最初の総奏からまずまずだが、オーボエソロなど決まらなく、木管のアンサムブルなどが音色重視で定まらない。前日のペトレンコ指揮の残像があるのでナガノの指揮を凝視するが、どうもそれが音楽に上手く反映されていないようで、事前に聞いていたようにダレがあり、もはやキャリア的に頂点を超えてしまった音楽監督の棒の威力はこの程度かと思ってみていた。なるほどこれだけの編成では、マンハイムなどではごたごたになるが - だからそんな難しいものは演目に上がらない -、フランクフルトよりは少し良いぐらいで、それでもジンタのように如何にも座付風に刻まれるところもあり、これはミュンヘンと比較にならないと思っていた。

指揮自体は、当然のことながらペトレンコ指揮ではないので強拍のアインザッツでしかリズムを刻まない感じなのだが - 勿論抜きは昔よりも鮮やかになっていると思ったが -、例えばゲストのコッホのバラックのドイツ語と何となく齟齬が出てきて歌い難そうだ。ペトレンコの指揮が如何にドイツ語の歌詞の明瞭さには期待出来ないと言われてもそこには違和感はない。そこがナガノがオペラ指揮者としてドイツでは大成功していない原因である。

それでも管弦楽譜のシステムの相違などが明白で、可成り読み込んで指揮しているのは分かった。その成果が、コッホの名唱場面の一幕での「啓蒙への高みへの歩み」での声部間の扱いなどとても効果的に鳴らしていた。ここだけでも嘗てザルツブルクでオペラを振っていた頃のナガノとは異なっていた。(続く



参照:
影を慕ってハムブルク 2018-12-16 | 文化一般
ハムブルク行の計画 2018-12-15 | 生活
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エルブフィルハーモニ訪問

2019-01-11 | 文化一般
エルプフィルハーモニー初訪問だった。駐車場は三時間ほど前に入れたので全く問題がなかった。ハーフェンシティーに入る交差点は最初見逃したが、Uターンでセンターから戻ってきたら矢印が出ていて、信号無しで右折可能だった。長い波止場を入っていくと思ったよりも拓けていて驚いた。1986年に初めて訪れた時にはこんなに新事務所街は無かったように思う。交通量も思ったより多く道幅も神戸の昔の波止場とは大分違う。それでも詰めていくと波止場が細く薄くなっていく感じはした。波止場の匂いもした。

下調べしたように左折すると直ぐに高い建造物が見えた。フィルハーモニーである。タクシーが並んでいるだけでぼちぼちとしか車が入らない。思ったよりも寂しいところだ。車を停めて、自販機を点検している管理人に聞いたりする。二階に停めたが地階まで降りてしか入られないと説明された。なぜそのようになっているかは知らないが、一般向けの領域とは別けてあるのだろう。

先ずは外回りを見学に行く。被っていた帽子が飛ばされそうで、流石に高潮注意報が出ていた時だけのことはある。小雨交じりで寒い。それでも波止場の桟橋まで出て写真撮影をしていると、三脚を抱えた人も写していた。風が強いので限度があるが、私もいつも持参すべきだと思った。

寒いので二時間前の開場を目指して中に入る。自動読み取りをして貰って中に入り、長く遅い昔の大阪フェスティヴァルホールを十倍ほど長くしたエスカレーターで、また普通に階段を上がりプラザといわれるところに辿り着く。誰かが後ろでノイシュヴァインシュタインみたいだとか話していた。ここがまた半開きのような空間で寒い。今はまだ訪れる人がいるが誰も来なくなったらどうしようもなく寂しい空間だと思う。そこが寒いので隣のホテルに入り込んで、コンサート後の居場所を確保しておく。

楽譜を暫し見てから会場入りする。ここで大会場と小会場が別れる。また会場のロビーが今一つの散漫とした空間で決して特別なイヴェントの特別な雰囲気のある場所ではない。広いだけで、その空間を十分に作れていない印象だ。

ハムブルクは、今回の訪問で改めて、大阪に似ていると思った。横には小さな丸ビルがあったり、街中にはポストモダーンのビルがありネオン輝くごちゃごちゃ感とタクシーの上の広告など同じ深堀の街大阪の感じである。



さて会場は高層という感じだが、意外に上下に繋がっていて、ぐるっと回るうちに上下して進める。この辺りもコンセプトとして隔離されたブロックでないのがいい。要するに一番良い席から悪い席までの一体感がある。

地元の人はここと古い会場の二つがあれば、ハムブルクでいい出し物が演奏される限り他所に出かける必要はないであろう。価格も安い席は今後とも入手が難しいかもしれないが、価値はあるだろう。裏側も直接音の比率は減っても籠る感じは一切ないので、殆ど視覚的なものの差であるだろう。但し、NDR関係以外はプログラムの独自性は皆無なので、態々出かけるのはあの周辺の都市からの人々ぐらいだろうか。

終演後は予約した席で軽くサラダとビールなどで落ち着けて - 年長の楽員も来ていたようだが、今度はホテルからエレヴェーターで一気に駐車場へ下りる。そこから支払機のカード支払いを求めてうろうろする。結局は一階かに見つけて支払う。そして分かった、なぜ皆が車をフィルハーモニーに停めないか。39ユーロという夜間割引なしの価格である。食事と入れて80ユーロほど支払ったことになる。入場券は二人分で20ユーロであった。

Elbphilharmonie Slow & Motion




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エルブフィルハーモニーへ 2019-01-09 | 生活
次はシェーンベルク 2018-03-28 | 文化一般
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お見事な司会進行

2019-01-10 | 文化一般
LINUXにMPlayerというアプリを使うようになった。理由は通常のVLCでは暮れに「こうもり」を録音した筈の音声96kHzが出ない。更に4.5GBの大きなファイルで動きが悪い。そこでMPlayerが軽く動くということで試してみた。なによりも音声の出力をDACに出せるのがよい。そもそも音楽映像などは音楽劇場作品を除いて有難がってはいないのだが、オペラなどでもいい音声で録画出来た時はそれなりに使いたい。だからこれを使いやすいSMPlayerというのを使ってみる。

結果96kHzの恩恵には与かれていないが、少なくともDACに直接接続可能で、画像も軽くきれいになった。音もいい。何回も流しているが、音質が向上して録音技術上の問題も顕著になってきた。要するにシュー向きのスタッフがマイクを並べているとしか思えない響きだ。

しかしそれでもシュターツカペレドレスデンの美しい響きは、例年の録画と比較して明らかだ。つまり同じ舞台構成でのティーレマン指揮のシュターツカペレとのジルフェスタ―コンツェルトの響きとは全く異なる。それどころ弦楽奏者も重なっているのが分かる。何たる違いだろうか。

年末にはヴィーンを意識したフィラデルフィアからのイヴコンサートが流されて、録音しながら眠り込んでしまった。そして年が明けてから聞いてみた。一曲目の「皇帝円舞曲」からして、ネゼセガンの指揮が如何にもそれらしく弾かそうとしているのがよく分かり、余計にやり過ぎ感が強かった。あれはヴィーナーでなくては難しく、今回のメスト指揮ぐらいでしか上手くいかない。カナダ人指揮者であり、あの感じはとても難しいのだなと改めて認識した。ここがネゼセガンの駄目なところだ。しかしそれをどのように解決するかが肝心で、例えばキリル・ペトレンコならばヴィーン風に振れても違うところに関心を持っていくだろう。ミュンヘンでの「こうもり」は聞いていないが、新聞評を読むと最初の時は大変なオールスターキャストだったのが分かる。

そしてその新聞評にはカルロス・クライバーを思い出したというのがあるが、今回のメスト指揮程にはじけていたかどうかは分からない。クライバー指揮では絶対不可能なほどの切れの良さとスイング感覚は秀逸だった。

それでもフィラデルフィアのネゼセガンの司会のお喋りはもはや完全にプロ中のプロだった。そしてあのフランコフォーネの英語であそこまでの巧さは天才肌である。子供の時から合唱団で活躍して、家庭も学者の家庭でもあれは天分のもので流石にラトルでもあそこまでは喋れない。結構な企画で専門の司会者なしで完全に鮮やかに進行するのには改めて驚かされた。そして話していることがアルコールの入った席でも白けないながら、本格的な音楽の知的好奇心も満足させる通向きの内容となっている。要するにお客さんであるフィラデルフィア周辺のインテリ層や裕福層のパワーエリートにも音楽を語っていて、少なからず教育的なのだ。



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ヴァルツァーの躍動感 2019-01-02 | 文化一般
一先ず軽快さを満喫 2018-12-05 | テクニック
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エルブフィルハーモニーへ

2019-01-09 | 生活
ハムブルクのお調べに大分時間が掛かった。ナヴィがアップデートされていればこんな苦労はしない。もう少しの辛抱だ。実はルクセムブルクの駐車場から車を出そうとしたらAT変速器が動かない。ちょこちょこと動かして誤魔化したが、帰宅した車庫入れでも苦労した。ネットを調べることにして翌日に回したが、修理するなら朝一で駆けつけて緊急にやってもらわないといけない。

就寝時刻からして難しかった。ネットでも故障の原因とその構図は理解したが、つまりブレーキを踏まないと入らない急発進防止システムへのワイヤーが緩んでいるようだ。つまり直すとなると車を持ち上げて結構な時間が掛かる。何とかハムブルク往復だけはと考えた。

そして思い出したのは、レッカー移動の時のギアーの外し方だ。それを試してみた。エンジンを掛けたままでブレーキを踏む代わりに手動で下のカムを押した。どうもそれで問題なく動きそうである。しかし発信する度レヴァーの横に棒を突っ込むというまるで、原始的な自動車の手回し始動のような感じである。ハムブルク往復だけ先ずは無事に済ましたい。

エルプフィルハーモニーへは宿からは30分も掛からないが、波止場街を走り抜くには調査が必要だった。そこらじゅう橋で結ばれていて、誤ったところに入れば桟橋から落ちそうである。神戸の波止場を知っているのである程度は分かるつもりだが、ハムブルクも結構な街でマンハイムよりは大きい。更にフィルハーモニーからの案内に従ってなんだかんだとエスカレーターに乗ったりと面倒なお話である。そもそも出入りで規制があるようなところは好まない。

ホテル自体は高速の下り口から簡単に行けそうで助かるが、初日に戻ってくる前に食事を済まそうと思うとレストランも調べなければいけない。あのビルの中では可成りとられそうな感じなので嫌なのだが、車を動かすわけにはいかないので調べてみよう。

翌日は街中のオペラ劇場で、同じタイヒ広場から街中のリングに入っていく。歩いたことはあるところだが車では一度通ったかどうか程度なのでこれも調べておかないと心許ない。つまりナヴィ以上に土地勘を持って現地に乗り込むということだ。こちらは場所が場所なので遅い食事も可能性があるか?これも調べておかないといけない。

ブラームスの生家などを覘いている暇があるだろうか?郊外の見学を完全に諦めて昼時から街中に駐車しておくというのなら可能だが、結構な駐車料金になるだろう。市内観光の車利用の不利な点である。郊外はこの時期誰もいないようなところなので、足元さえ悪くなく、車の中で暖かくして楽譜勉強出来るならばよいのだが、これもなかなか難しい。

ルクセムブルクには早めについたので、「春の祭典」聞きながら楽譜チェックをしようと思った。それがクリーヴランド管弦楽団の録音をコピーするのを忘れていた。仕方がないので楽譜を暗いところではやめくりして通したが、これが結構良かった。なんといっても倍速三倍速にするので早い。



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影を慕ってハムブルク 2018-12-16 | 文化一般
指揮芸術とはこれいかに 2019-01-08 | 音
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指揮芸術とはこれいかに

2019-01-08 | 
とても面白かった。もう少し指揮技術が分かるとさらに興味深いと思う。登場した楽器編成やアメリカン配置などを見ていると、その楽団の作り方の方針が分かった。つまりした拵えは指導の指揮者がしっかり準備していてツアー前の練習で演奏を練るということらしい。

それが感じられたのは、予想していたようなアイコンタクトではなく、寧ろ通常以上にペトレンコの目線が楽譜に落とされていた。キューは普通に出しているが、あまり奏者を睨みつけないようにしていた。つまり奏者それぞれがどの程度出来るか把握しきれておらず、奏者が緊張してしまうリスクを避けるためだろう。ユース向けの対応であるとともになにか指揮経験というよりもこの人物のシャイと称される人間関係の作り方を垣間見た感じで面白かった。

それでも「春の祭典」で指立てもパーカショニストに向けられ、いいところは誉めていた。勿論「ウエストサイド」で吹き続けたフルートにより添ったり、「春の祭典」で支えたアルトフルートなども喝采で特別に賞賛された。ファゴットなども一通り立たせており、その辺りも上手にツアーの先を考えていたようだ。しかしこの指揮者のいいところはラトルのようにおべんちゃらをしないところで、オーボエなどは立たせた覚えがない。

予想通り、イントロダクションではそのオーボエも吹かしてしまっていたが、何事もなく先へと進めていて、停滞するようなことはなかった。フルートが二つ目の鳥の囀りを上手くこなしていた。それどころか「ウエストサイド」でも大きく管弦楽が息つくような方向へともって来ていて、何よりも車中で聞いていた自作自演のニューヨークフィルハーモニカーよりもこなれていたところもあった。自作自演のようにアフタービートで何かをやってくるかと思ったら断然西欧的な味付けでとてもバランスが取れていた。この辺の趣味のよさこそが彼をただのユダヤ人音楽家から超越させて、シェーンベルクの言う「ドイツ音楽の超越」の護持者としている。

なるほどユース楽団であるから音は揃わなく、粒だった音は出ないが、指揮の振り下ろしとその反射神経は年長者のそれとはまったく異なる。ラトル指揮ではないが、ペトレンコもまさにスポーツカーの運転のように遊びなく尚且つためを作って指揮していた。それが例えばクラフトのティムパニ協奏曲でもとても活きていた。あれぐらいの反応でないとティムパニーと合わせるのも難しく、中々上手く行っていたと思う。

「春の祭典」の終楽章も快速過ぎて、フルートなど管はとてもついて行けてなかった。あのテムポならばベルリナーフィルハーモニカーでも楽団側がためを作らないと揃わないと思う - まさしくヴィーナーのやり方に近づく。逆にアインザッツも「ウェストサイドストーリー」では活きていて、スイングしていたのは素晴らしかった。とてもいい指揮であった。

テムピは安定した繋がりにして、事故を防ぐ一方、拍子の変化を見るも見事に解決していた。要するにティーンエイジャーならではの演奏になっていて、ペトレンコがシカゴなどビッグファイヴの常任になっていたならばとかを彷彿させた。あれは職人的技術を超えて指揮芸術だと思った。間の取り方や、なにか懐からすっと三拍子が出てくるのにも鮮やか過ぎて目を見張った - なるほど誰かが千手観音と重ねて呟いていた筈だ。指揮技術がもう少し解れば、何が習えば出来るものなのか出来ないものなのかを峻別可能だと思う。何度も指揮を見ていても気が付かなかったような今まで見たことが無いような指揮ぶりだ。飽く迄も演奏者を立てながらもスタンディングオヴェーションになるにはそれなりの理由がある。

帰路にラムシュタインのベースに下りるところで速度制限に気が付いたがブレーキが足りずに記念撮影となった。全く眠気もなく、ラディオから流れる「ラインの黄金」で帰ってきていたが不覚だった。勿論正気であるから、最低の速度違反で最低の送金だけで片が付く点数が残らない駐車違反程度のものだ。それにしても誰のヴォ―タンかなと思った。フィンレーにも聞こえたがフィッシャーディスカウで、管弦楽も下手だなと思ったらカラヤン指揮の制作ものだった。あれならばペトレンコ指揮の生演奏の方が上手い。カラヤンのいい加減な譜読みは今更ではないが、この前夜祭に対するいい加減な指揮は、その復活祭を「ヴァルキューレ」から開幕したように殆どどうでもいい前夜祭だったのだな理解した。一つ一つとこの指揮者の残したメディアの価値が崩れ去っていく。高度成長期のように殆どが無駄な浪費制作に費やしたエネルギーだったことが明らかになり戦慄する。



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冷え性にならないように 2019-01-06 | 女
ルクセムブルクへ一走り 2019-01-07 | 生活
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ルクセムブルクへ一走り

2019-01-07 | 生活
ベルリンの宿を予約した。年末年始である。本当に出かけるのかどうかは、フィルハーモニカーのジルフェスタ―コンツェルトの内容次第である。仮予約で三日間押さえた。これぐらいに先行しておかないと中々腰が上がらない。本当に出かけるとなると途上でもう一泊したい。

流石にルクセムブルクのツアー初日は二三枚を除いて売り切れている。最後の局面になって新聞ラディオ局がローカルに問わず広報すると一挙に捌ける。指揮者の名前もさることながらユース管弦楽団というのでも改めて注目する層もいるのではなかろうか。つまり、我々のように情報を集めていないと、今回のツアーのことすら気が付かなかった人も多い筈だ。

それにしてもルクセムブルクのフィルハーモニーは1500席程度とはいえ、あの価格で一部足代も出したのだろうか。そもそもドイツ国内向きのツアーの筈だから、トリアーにはいいホールがないということでザールのあの辺りを地域的にカヴァーすることになる。ユースでも相部屋も含めて通常の管弦楽団と宿泊は変わらない。あの些かどんぶり勘定のお蔭でとてもお世話にもなっている。

19時30分始まりかと思ったら、19時始まりだった。二時間半を見ておかないといけないから、14時30分に出なければいけない。慣れたといっても距離も200㎞あるので余裕を見ておかないと危ない。地下駐車場にも早めに入らないと一杯になる。

ブランチでゆっくりしていると引き続き出かけないといけない。やはり、握り飯とあま塩鮭である。あとは果物などで、前夜は乾いた血のソーセージを片づけたので、年末年始の食材がこれで一掃となる。バナナ類は一部火曜日に残しておこう。

小銭は、プログラムが無料なので要らないかもしれないが、流石に5ユーロではいけない、週明けのこともあるので銀行の前を通って20ユーロでも下ろしておこう。

イヤーフォンも充電した。タブレットにも今夜の曲目は入れた。二時間しか時間がないので、ティムパニ協奏曲から始めて「ウェストサイドストーリー」を流そう。前者は昔ラディオで聞いた覚えがあり、どうも頻繁に演奏されたのは1970年代なのかもしれない。名前程に記憶がない。「春の祭典」は可能なら駐車場で楽譜を見ながらとなるか。

帰路には脳内反芻並びに必要ならばメモをして、眠気にやられないように「影の無い女」に耳を傾けるだけの余裕があるかどうか?モーツァルトを欲するようなら直に眠くなる証拠だ。せめてベートーヴェンぐらいにしておきたい。



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冷え性にならないように 2019-01-06 | 女
マグナカルタの民主主義 2019-01-04 | 歴史・時事
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冷え性にならないように

2019-01-06 | 
燃料を入れた。満タンではないが、45L入れたので余裕でルクセムブルクを往復可能。喜ばしいことに、前回のミュンヘン往復に比較するとリッターあたり二割程安い。実は価格を見ながら週明けでの月曜日でもよいかと勘違いした。ハムブルク行ばかり気になっているからだ。その前の日曜日の往復に必要だ。月曜日は満タンにしても往復不可である。それどころか移動を考えると二度の満タンが空になるかもしれない。結構な額である。それにホテル二泊。まだ食事のことは考えていない。

夜になってから切符を売ったおばさんからメールが入っていた。それによると、「売ってもらう公演は18時始まりだが、受け渡しのあなたが行く公演は19時始まり、早過ぎないでしょうか、取りに行くのはいつでもいいからどうでしょう」と書いてよこした。これを読んでお会いするのは若い娘ではないと確信した。だからこちらももう少し打ち合わせを書きたいと思っていたが先ず返事に「ご心配なく、大抵地下駐車場に早めに入れて、ガイダンスを聞きに行くことがあります。数日前にリメインのメールを貰えば、お互いに足元が冷えないように携帯番号をお知らせします。」と書いた。

恐らく、日時の誤解がないかとか、色々心配になったのだろう。こちらも当日に売り渡せないとただで放出してしまう可能性すらあるので確実に受け渡すことが肝心だ。冷え性にならないようにで笑いが取れたか?お互いにその気になれば確実にと心配になるのは当然なのかもしれない。勿論同じように都合するならそうした人に売る方が嬉しい。実際、ポータルの決まりがあって、「額面と証明の可能な手数料を加えて売却」とあったから、その購入確認メールを転送しておいた。それで十分だろう。未知の人と売り買いするのに不明確さがあってはいけないが、手渡しするのに細かな手数料2ユーロとかどちらでもよい、そんな話しではないと思う。

旅行の準備だ。先ずは、日曜日のためにクラフトのティムパニ協奏曲と自作自演のウェストサイドストーリーダンスズの音源を落とす。更に「春の祭典」のハムブルクでの録音と「影の無い女」を加えてタブレットにコピーする。また翌週に備えて帰路に車中で聞くベートーヴェンのハ長調交響曲をブレーメンでの演奏から、それにモーツァルトのヴァイオリン協奏曲イ長調、まだまだ道中は長いのでメシアンではなく「フィデリオ」全曲を加える。最後のはベーム指揮のドイツェオパーでのフィルム。楽譜は「影の無い女」、ベートーヴェン二曲、モーツァルトをタブレットに、「春の祭典」は手持ち。

日曜日もパン屋がないのでブランチから夕飯までを計画しておかなければいけない。つまりお弁当である。現状況からすると握り飯になるか。帰宅は11時半ごろか?ヌードルでも食して、翌月曜日に備える。週明けに肉屋が開くので、それも考慮して、燃料を満タンにする。ハムブルク行はルクセムブルクから帰宅してからの事になる。



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売り時にオファーした 2019-01-05 | 生活
マグナカルタの民主主義 2019-01-04 | 歴史・時事
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売り時にオファーした

2019-01-05 | 生活
オファーを出したティケットに問い合わせがあった。ミュンヘンの再演「フィデリオ」の二回目の上演のティケットである。一回目の公演に行って、また最終四日目に出かけるので、二回目を売りに出した。劇場のポータルなどで出すのは初めてだったので、どのような感じかと思っていた。丁度木曜日あたりから余り券の捌きに掛かってたので、つまりあらゆる高額券が出てきていたので、それが品切れになった時が売り時だと思った。額面67ユーロで2ユーロの手数料だから、ミュンヘンに一度車を走らす半分ぐらいの額だ。だから捨てる方が安上がりで、また木曜日の一回目と二回目の日曜日を繋ぐように旅行すれば更に金が掛かる。しかしなによりも満席の一席を捨てても誰かがそこに座るだけで、あふれた人の救済とはならない。またその額でいいホテルに一泊可能となる。そうなると換金して旅行費用に充てたい。

一回目の購入はタブレットが上手く操作出来ずに待ち番号34番を逃したので、二回目を安全のために購入した。第一目標の最終四回目狙いで、だから捨ててもよいつもりで、結局待ち番号220番ぐらいのそれほどいい席ではなかった。それを売りに出した。

夜分に反応があるかとも思っていたが、劇場のシステムを通じた連絡は翌日の午後で、「24日にプファルツから出かけるのでその前に渡す」というように書いてあったメールアドレスに書き送った。三十分もしないうちに返事が来た。真面目な購入希望おばさんのようで、どのような理由があったにせよ買い損ねた人なのだろう。受け渡しの具体性も気持ちも伝わったので早速ネットからオファーを下げた。そもそも煩わしいのが嫌だから手渡しにしたのだ。

当日もちょこちょこと高額ティケットが出て見る見るうちに捌けて行く。まだもう少し出ることは初めから想定済みだ。これは劇場の販促のノウハウで何も悪質でもなく、どれがどのように出るかも大体分かって来た。こちらもノウハウを身に着けてきた。一番出るのは最終日だと思うが、私は待ち番号一番だったのだから、それ以上お得なティケットなどは無い。兎に角、再演にしてはキャストを反映してか価格が最高級だというので、安いオファーは直ぐに話が付く。

おばさんには - 勿論まだ比較的若い女性ということもあるが、書いている感じからするとある程度の年齢だろう -、受け渡し日の数日ほど前にメールして貰おう。あとは携帯電話番号を渡しておけば問題は起こらない筈だ。

「春の祭典」のフィナーレのお勉強が漸く何とかなりそうになってきた。しかしまず何よりイントロダクションが気になって仕方がない。練習は始まっただろうが、ティーンエイジャーの木管楽器奏者などは皆それなりに職業音楽家を目指している人が殆であり ー 楽団の八割がプロの卵らしい ー、それなりに腕に自信があるだろう、そして今のティーンならば、参考にする音源はラトル指揮のフィルハーモニカーそしてブーレーズ指揮クリーヴランドが来るかどうかだろう。だからソリスト的にバリバリと吹いて、合わせるコツさえつかめばと思っていたら、いざ合わせると全く予想と違ったということになっていると思う。その合奏の在り方はアマであろうがプロであろうがペトレンコは容赦がないと思う。まさしくそこに彼の楽譜の読みの基本があるからだ。まだ日曜日までに時間があるが、血の気の失せた楽員もいるのではなかろうか?何となく全体像が見えてきた。もう少しだ。

もう一つの「影の無い女」も何とか全三幕を終えた。ここも難しいのは最初の出だしとか特別に書法が細かくなるところで、更にリズム的な精査が要求されるところがある。要するにフレージングだけでは事済まない。その意味から、この楽劇のミュンヘンからの中継録画は、そこの一部分だけでエポックとなるような演奏と評した新聞があったが、こうして今の耳からするとまだまだ二年目の2014年頃の出来で荒く、誤魔化しの上手いヴィーナーやドレスデンを駆逐してしまうまでの音響的説得力はない。しかしどちらの方向が正しいかといえば作曲家の指揮を聞けば分かるように、容赦ないぐらいで厚塗りとは全く異なる方だ。しかし楽譜自体に批判を受ける要素があることはなにもアドルノの批判を待つまでもない。歌手陣も故ボータはそれなりの存在感もあるが、女声陣も全曲を通してはとても厳しくなっているところがある。この楽劇で歌手が皆称賛されるようなものは無いと思う。その意味から、今回のハムブルクも管弦楽に期待するだけでなくて、何回もアンサムブルで歌っているメムバーにも期待したい。



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影を慕ってハムブルク 2018-12-16 | 文化一般
公平な選り取り見取り 2018-12-01 | 雑感
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マグナカルタの民主主義

2019-01-04 | 歴史・時事
Brexit関連の記事を読んだ。暮れの記事だが気になったので脇においたのだ。見出しは「脳があるなら離脱する」で、残留派の牙城ケムブリッジに取材している。ここに来て国民投票の再実施など残留派の声が高まる中で、学内では僅かな声が離脱として新たに隠されているというのだ。つまり離脱派の発言をするとその学者の地位まで失いかねない状況で、匿名の論文などが出されているらしい。

その発言をする一人はフランスの歴史を専門とするトムブ教授で、もともとが独自の文化保全から全面的なEU派でもなく、ここに来て改めて表明した。氏の出自が所謂指導層や知識層ではなくて、左派リベラルにとって無教養で知能の弱い過半数の国民に属し、その声に耳を傾けない姿勢を批判している。そこには英国特有の歴史があって、大陸のように啓蒙された市民による民主主義ではなく、マグナカルタで保障された英国の民主主義があるという。

つまり、各層の指導者の声がオピニンリーダとなってとなるが - 私がここで昔から言及しているドイツにおけるオピニオンリーダー指導層と変わらないではないか ―、国民がそのようにして選挙をして国民投票で決めた事情を聞かずに、再実施となった場合は英国の歴史で初めてそのシステムの機軸を失うときとなるとしている。そのことこそがポピュリズムであるとしている。

そして英国政府の交渉が自らの道を示すことなく、EUの出す条件との闘争となっているのが問題であり、EUに関しては現在のユーロ圏に留まって更に集権化していく行くのではないかと予測している。

日曜日が迫ってきた。足元が覚束無くなってきた。気を紛らわすためにネットサーフィンしていると、地元紙に日曜から始まる連邦共和国ユーゲント管弦楽団五十周年記念ツアーが紹介してある。ルクセムブルク公演は殆ど券が出た筈だと前夜確認していたので不思議に思って、改めて残券状況を見る。なんと舞台の作り方で今回は出ないと思っていた席が出ている。そもそもルクセムブルクに行くつもりが、途中でエルプフィルハーモニーの券が二枚入ったものだから、どちらでもよいと思っていた。売り出し開始の日に狙っていた席が出なかったので放っておいた。するとクリスマス前に予想通り割安席として出た。オルガンの下の席である。さもなくば最前列を狙っていたのだ。そしてそれが今回出た。要するに齧り付きだ。

しかし、向かい側を押さえたので文句はない。実はエルプフィルハーモニーもそれだったが距離が全く違う。今回はペトレンコの合図のティーンエイジャーへの目線が見所だ。勿論指揮もいつも以上に丁寧なキューが出ると思う、そして「春の祭典」の変拍子の深い拍。また特に初日の事故時の対応が楽しみだ。だから楽譜が頭に入っていないと面白くないのだが、私のような凡人には難しいと思う。オペラ劇場でもフィルハーモニーでも拝めないものを見てきたい。

通常はルクセムブルクの価格は割安なのだが、今回は割高になっていて、その辺りの管弦楽団と同じぐらいの価格で、フィラデルフィアやクリーヴランドより四割だけ安いのだ。だからまだ完売していない。北ドイツから親御さんが来るにも遠い。だから我々のような特殊な関心を持っている者が特殊な席に勢揃いするような気もする。これで同時にエルプへの期待は大分小さくなって、殆ど会場見学と翌日の観光、劇場行に重心が若干移った。初日と二日目のドルトムントの間での変化が三日目に出るのか、最終日のベルリンでなのか?

今し方バーデンバーデンからメールが入った。ランランが曲目変更を申し出て、フィルハーモニカーと復活祭が了承して、キリル・ペトレンコも即座に了承したという。ベートーヴェンの協奏曲三番から二番になる。楽譜をまだ見ていないので分からないが、印象としては三番の方が左手が重要な気がするがどうだろう。ここに来ての申し出だろうか、憶測を呼ぶ。ペトレンコの三番は既にレパートリーとして定着していたので、二番となると急遽更なる時間が必要だ。管弦楽団も指揮者にとっても負担は若干増える筈だ。調べると同様のものを世界中で弾いているので既に決まっていたようだ。どうして今頃になって発表になったのだろう。復帰後の演奏を見ているともう来ていらない。調子を崩して代わりに誰かが入ってくれる方が嬉しい。あの程度のピアノを聞いても自慢にもならないからだ。しかしペトレンコもよく引き受けたと思う。シェーンベルクの日が売れないからとそこまで譲歩する必要があったのか?こちらとしては思いがけず新たなレパートリーとしてベートーヴェン演奏を聞けるのはお得である。



参照:
職人魂に火をつける人 2018-08-27 | 文化一般
興業師からのご挨拶 2018-12-21 | 文化一般
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貧相なエンタメを嘆く

2019-01-03 | マスメディア批評
年末年始の批評を幾つか目にする。なぜか最もエキサイティングで今後とも重要で話題となるベルリンでの第九があまり触れられていない。昨年のマーラー版への反響は就任初めての第九ということでそれなりにあった。恐らく今回のはより楽譜に当たらなければいけなかったかもしれない。どちらにしてもこの二回の第九コンサートの録音は第九の録音の比較ということでこれ以上の喜びは無いものだ。なるほど合唱団や独奏者はライプチッヒのそれには至らないかもしれないが、これほど興味深いものは知らない。

それに比べるまでもなく、その他の催し物の批評を書く評論家には、仕事とはいえながらご苦労さまと言いたい。ヴィーンの新聞はノイヤースコンツェルトはドレスデンのそれを睨みながらとなっている。しかしそれよりもARD対ZDFがドイツのメディアの構造の作り方だ。つまり、ミュンヘン対ドレスデンとなる。ミュンヘンのティーレ氏がそれについても言及している。

New Year's Eve Concert of BRSO


Die Fledermaus Aus Der Semperoper


つまりナレーションでのゴチャルクの実力と腰の曲がらないデョモンでは勝負ありで、寧ろ疑問を呈しているのはプログラミングだ。そもそもそれほどのものかとは思うが、どうも私同様な感想を得たようだ。そもそもこのようなエンターティメント企画だからどうでもよいようなものだが、会場のライティングなどにも言及していて全く私と同じ気持ちが伝わる。そしてそのプログラムで何を示しても、結局キッチュになりかねないという恐れが実はヤンソンス指揮のこの放送管弦楽団にないかということが意識に上ってしまうのだ。

それに輪を掛けてランランが出てくるものだから、そんな高額なソリストが本当に必要なのだろうかと訝る。まさしくモーツァルトの楽章とあの「黄河」まで、アンダンテに続いてアダージョを弾いたランランが示したものだ。キッチュ以外の何ものでもないとなる。

それどころかランランは前日にも出演予定だったのを取り止めて、大晦日だけにしたらしい。代わりは流石にユジャワンではなく、スンジチョウだったようだ。ゴオチャルクもアンコールで長くなるのを見て、次の番組出演に早退したことにも触れている。全体の印象として貧相さは免れなかった。

一方新聞にはヴィーンのノイヤースコンツェルトの申し込みが直に始まり、その桟敷価格が千ユーロを超えていると知って驚いた。社交でその額を払うならもっといい使い道がありそうなものだ。だからNHK単独で8Kで中継録画を試みるというのだろうか?一体どのような経済効果があるのだろう。NHK小役人の容易な企画だろう。

今晩は再びプロムスの再放送で、ユジャワンの弾くプロコフィエフの協奏曲三番が楽しみだ。ラペリもよかったか。シュミットの方は会場の音響がもう一つだったような印象があるが、再度確かめてみたい。



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ヴァルツァーの躍動感 2019-01-02 | 文化一般
花火を打ち上げる奴 2019-01-01 | 暦
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