NHK朝の連続ドラマを珍しく見続けている。
そこで感心するのが、花子の書斎の風景で、机に向かって背筋を伸ばし、きちんと座り、仕事をしている姿だ。たくさんの書物もきちんと重ねて整理されて置かれている。本を大切にしている。書物に向かうときは、そういう姿勢でなくちゃいけないんだろうと思う。
そして、今日、格好いいなあと思ったのは、戦争が終わって、出版社の人が、今すぐ出版できる原稿がないかと言ってきたときに、部厚い原稿を2作も差しだした場面だった。
1つは戦争になるまえに書いたもので「ストー夫人」とか言っていたように思う。ストー夫人とは「アンクルトムの小屋」を書いた人らしいが、その人の伝記なのだろうか?(←追記:翌日の放送で「アンクルトムの小屋」のことだとわかった)
それから、もう1つは戦争中に翻訳した「赤毛のアン」であった。
多くの人が職業を失っていた戦時中に、こつこつと翻訳を続けていたのだ。自分が情熱を傾けるものに対して、決してぶれることなく継続してつき進む人は素晴らしいと思う。
テレビで、花子の書斎の風景をみるたびに、私の机もなんとかしなくちゃ、本を整理整頓しなくちゃ、もっと真面目に本と対面しなくちゃと思うのだが、なかなか実行できない。
放送大学の教科書も、先週末に届いたのだけど、箱に入ったまま、万年床の上に転がっている。
この教科書を、とても大切なものとして、きちんと端から端まで読むべきなのだ。書物に対して、もっと、書いた人の精神を尊重しなくちゃいけないなあと、花子を見ていていつも感じさせられた。
そして、手書きで書かれた原稿は、本当に貴重なものだ。現代は、パソコンで打って、削除したり、追加したり、前後を入れ替えたり自由自在にでき、データを保存し、いくつでもコピーもできるが、昔は違った。
ものを大切にすること、真剣に取り組むことは、現代では難しいことなのかもしれない。
でも、花子のように書物を愛し、きちんととりくみたいなと、あのドラマを見るたびに思う。
私は、「赤毛のアン」は、題名は聴いたことがあるが内容を知らないので、読んでみたいと思う。
そこで感心するのが、花子の書斎の風景で、机に向かって背筋を伸ばし、きちんと座り、仕事をしている姿だ。たくさんの書物もきちんと重ねて整理されて置かれている。本を大切にしている。書物に向かうときは、そういう姿勢でなくちゃいけないんだろうと思う。
そして、今日、格好いいなあと思ったのは、戦争が終わって、出版社の人が、今すぐ出版できる原稿がないかと言ってきたときに、部厚い原稿を2作も差しだした場面だった。
1つは戦争になるまえに書いたもので「ストー夫人」とか言っていたように思う。ストー夫人とは「アンクルトムの小屋」を書いた人らしいが、その人の伝記なのだろうか?(←追記:翌日の放送で「アンクルトムの小屋」のことだとわかった)
それから、もう1つは戦争中に翻訳した「赤毛のアン」であった。
多くの人が職業を失っていた戦時中に、こつこつと翻訳を続けていたのだ。自分が情熱を傾けるものに対して、決してぶれることなく継続してつき進む人は素晴らしいと思う。
テレビで、花子の書斎の風景をみるたびに、私の机もなんとかしなくちゃ、本を整理整頓しなくちゃ、もっと真面目に本と対面しなくちゃと思うのだが、なかなか実行できない。
放送大学の教科書も、先週末に届いたのだけど、箱に入ったまま、万年床の上に転がっている。
この教科書を、とても大切なものとして、きちんと端から端まで読むべきなのだ。書物に対して、もっと、書いた人の精神を尊重しなくちゃいけないなあと、花子を見ていていつも感じさせられた。
そして、手書きで書かれた原稿は、本当に貴重なものだ。現代は、パソコンで打って、削除したり、追加したり、前後を入れ替えたり自由自在にでき、データを保存し、いくつでもコピーもできるが、昔は違った。
ものを大切にすること、真剣に取り組むことは、現代では難しいことなのかもしれない。
でも、花子のように書物を愛し、きちんととりくみたいなと、あのドラマを見るたびに思う。
私は、「赤毛のアン」は、題名は聴いたことがあるが内容を知らないので、読んでみたいと思う。