山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

オドメーター走行記録

2014-09-27 16:34:44 | 車・運転・道路・駐車場2014
車を買ってもうすぐ5年ですが、やっと1万kmを超えたので、最近撮影してあった画像を載せておこうと思います。

まず、7000kmの記念。

2012年10月30日。



次に、2013年5月14日。

7777kmです。



それから、8000km台は撮らなかったのか、ちょっと見つからないのですが、

最近の9999kmです。

2014年9月13日。



駅前に停車して撮影。



帰りの交差点で信号待ちをしていたとき、ふと見ると10000kmになっていました。

この機を逃したらと思い、急いでパチリ。

帰宅すると、



10001kmになっていました。

信号待ちで撮っといてよかった~。

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音楽が苦手

2014-09-27 10:21:52 | 日記
私は音楽の成績は高校まで10段階の10です。音符も読めるし演奏もできます。若いころは、曲を聴いて楽譜にすることもできました。
しかし、今、音楽を聴くことは好きではありません。それどころか、音楽が聴こえると、他のことができなくなってしまいます。音楽が流れていると、他のことに集中できないのです。

先日、夫がパソコンの調子がおかしいと言いだしました。普段デスクトップの画面に出ている表示が消えてしまったのだそうです。
それで、どれどれと夫のパソコンを調べようとしたのですが、そのすぐわきにステレオのスピーカーがあり、そこから女性の英語の歌がガンガンと流れているのです。
それが、英語であろうが日本語であろうが、一定以上の音量で歌が流れていると、私はもうパソコンの不具合を調べるどころではなく、まずその歌を止めてくれないといられません。しかし、夫は音楽を聴き続けたので、歌を止めることはしません。
音楽とパソコン画面とは関係がないので、止める必要はないということです。

同様のことで、例えば、何か記入する書類などがあって、そこに必要事項を書き込まなくてはならなかったりするときに、私は、そこに音楽が流れていると、全く集中できないのです。うわのそらになって、記入内容を間違えてしまいます。いや、間違えるどころか、書く内容を頭に浮かべることさえできにくいです。

これは耳のせいなのか、例えば、テレビを見ているときに、洗濯機の音や、換気扇の音でテレビの音が聴き取れなくなります。ビニル袋のバリバリする音でも全然台詞が聴き取れません。夫は、隣の自分の部屋で好きな音楽を流しながら録音しつつ、キッチンのテレビで別の番組を見たりしていますが、私は夫の部屋から流れてくる音楽がうるさくてテレビの音が聴き取りづらいのです。夫のほうが、隣の部屋に近い場所にいるのに、平気でテレビをみています。

この間は、銀行に行って銀行の人の説明を至近距離で聴いていたとき、遠くから館内放送みたいなのが流れてきました。その間、表向きは説明を聴いていましたが、実は銀行の人が話していたことが、自分の中で全部すっ飛んでしまい、何を言っていたのか全くわかりませんでした。それで、もう一度説明してください、などと言ってしまいました。今説明したばかりなのに、何なのこのおばさんは、という感じです。

いつだったか、テレビでアスペルガ―症候群のことをやっていましたが、その人も関係のない音が邪魔をして、物事に集中できないという悩みを訴えていました。
私は、アスペルガ―ではありませんが、似たようなところがあります。

運転中も、音楽をかける気にはなれません。
とにかく、BGMがダメです。BGMがBGMでなくなってしまうのです。
BGMが意識の中心になってしまうのです。

今日は、夫が休日で、隣の部屋で音楽を聴いていますが、歌詞が聴き取れるほど大きな音で流れてくるので、音を小さくしてもらいました。
こんなに離れていてもうるさくてしかたがないのに、聴いている本人の場所ではどんだけ大音量なんだろうか?そんな中で、くつろぎながら何かをしているわけです。信じられません。

私にとって、音楽は邪魔です。音楽を聴きながら何かをするなんて到底無理です。
音楽は、私から行動を奪うものです。
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茂木健一郎と赤毛のアン

2014-09-27 07:11:04 | 日記
今日は、「花子とアン」の最終回だそうだ。
逃さず見なくては、と思っている。

ところで、昨日、とんでもなく下手な演技の脳科学者が出版社の社長役で出演していた。
なんで?と不思議に思っていたのだが、理由がわかった。



茂木健一郎氏は2008年に「『赤毛のアン』に学ぶ幸福になる方法」(講談社文庫)を出版していたからだった。

何か理由がなければ出るはずがない。

「赤毛のアン」のよさを本当に知っている人を使ったというわけだった。

だったら、あのどうしようもない演技でも許せるというものだ。


最近は、「『赤毛のアン』で英語づけ」という単行本も出版したようだ。

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