山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

役割を負うことについて (PTA)

2005-10-11 23:46:54 | 未分類過去
役割を負うこと

私は今までPTAや日本語ボランティアなど仕事以外の役割をいくつかになってきた。この二つには共通点がある。それは、無料奉仕でありながら、いくらかの責任を負わなければならないということである。公営住宅の役員も同じようなものである。

こういうものは、荷が重くならないようにみんなで分担していきましょうという話になり、一人一人にあまり重荷をかけないようにという気配りが確かにある。だから、「強制」はできないわけである。しかし、個人個人が負担を感じない程度に、自由に参加しようというのでは、結局は人手が足りなくて運営はしていけない。主になる人がまとめて重荷を背負ってしまう。だから、会長などはやはり少し強引にも全員に協力を求める必要が出てくるわけである。それは仕方がないことだ。

~PTA活動で~

以前、人間関係が壊れてしまった苦い経験がある。
私は上の子が高校3年のときにも、PTAで広報委員を引き受けている。そのときは午前中の仕事の日が多かったので、午後は比較的出られる可能性は高かった。しかし、その年の委員長は、委員たちに強行に日程を指定し出席を求めるということをしなかった。その結果、気持ちのある人だけが出るというような形になってしまったようだ。

私も2学期までは出ていたのだが、年末の忘年会のときに、3学期も集まって新聞を作ると聞いていたものの、その後何の連絡もないままであり、こちらからも日程の問い合わせもしないままで、いつしか卒業を迎えてしまった。あるとき、同じ委員の人に会ったときにどうなったのか聞いてみると、その人も知らないということだった。

その後、何ヶ月もしてから委員長から高校の新聞のことで連絡網が回ってきた。子供はすでに卒業しているので、私にはあまり関係がないことのように思えてしまった。そして私は連絡網もすでにどこかにやってしまっていたので、次の人の電話番号を聞いたが、次の人以降も皆電話番号がわからない可能性が高いのではないかと思った。それを言いかけたら、「もういいです」と言って話している途中でバチンと電話を切られてしまった。

その後、スーパーでその人にあったので、「以前は協力できなくてすみません」とあやまって、様々なことを詫びようと話しかけていくと、その人は買い物の足を止めずに移動していった。最初は避けられているとは思わなかったので、一緒に歩きながら話しの続きをしようとしたが、どんどん速度を速めて遠くに行ってしまい、必死に追いかけても追いかけても、離れて行ってしまうのだった。そこでかなり嫌われているということが分かり、話しをするのをあきらめた。

おそらく、3学期はほとんどの人が参加しなかったのではなかろうか。私たちが協力をしなかったために、その人はきっと辛い思いをしたのだろう。本当はもっとみんなで委員長を中心に助けていくという気持ちが必要だったようだが、私たちにはそこまでの自覚がなかった。それで、PTA活動に対する関心の温度差もかなりあったように思う。
もう、私とはいっさいかかわりたくないようだ。以前は親しくしていた人だけに、どうにも残念で後味が悪い。

今のPTA執行部の人は、強硬に出席を要求してくるなあと思うが、かえってそのほうがいいのかとも思う。やはりきつく言われればどうにか協力しようと心がけるわけで、やいやい言われれば関心も持たないわけにはいかない。結果的に運営がしっかりできて、うらみも残らないはずだ。今年の委員長は人を統率するのに慣れている人のようだから、こちらもついて行きやすいといえる。

私は平日には集まれないことが多いので、今回は自宅でできる作業を引き受けることになった。

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女性国会議員

2005-10-11 01:26:13 | 未分類過去
今回の選挙では私と同年代の女性が多く出ていた。片山さつき(46)、佐藤ゆかり(44)、野田聖子(45)、辻元清美(45)、高市早苗(44)
まあ、よくもこんなに40代の女がそろったものである。そして、この人たちすごいな~と思うしかない。
その性格や生き方、主張などに賛否両論あるものの、やっぱりこれだけ活躍しているのは偉いとしかいいようがない。私は尊敬する。

ところで、今話題になっているのは野田聖子である。私は郵政民営化賛成だったので、選挙中は野田聖子は嫌いだった。私は岐阜の彼女の選挙区ではないから彼女のくわしい主張を調べてもいないので、未だに反対理由の詳細は知らないが、若いのに古い自民党のアタマをしているのではないかと思っていたからだ。
しかし、彼女を見ているうちに、彼女が腹をくくって自分の主張を変えない姿は、政治家としては立派だと思えてきた。彼女は意思が強く度胸がすわっており、政治家肌であり、政治家の器を感じた。
そして、彼女は自分を自民党員であると言い、小泉さんを自分の頭とする意思をはっきり示し続けている。彼女は郵政民営化法案に反対しているだけであって、その他の小泉内閣の今までの政策については、私の知るところ反対や批判などはなにもしていない。その点が、すべてについて小泉内閣を否定する亀井氏などとは以って非なる部分である。

選挙の結果が郵政民営化賛成多数となり、自民党全員が賛成する中では、野田聖子が自ら自民党を名乗ったとしても、一人郵政民営化反対でいながら、自民党の中に入れるわけがないだろう。私は野田聖子自身の決定を聞く前までは、彼女は反対で選挙に出たのだから、反対票を投じなければ、選挙民を裏ぎることになるから、当然反対票を入れる。そして、当分の間は無所属でいるが、いずれは自民党に戻るというのが筋だろうと思っていた。

ところが、先日の本人の決定では賛成票に投じるとのこと。その決定は意外であった。しかし、確かに今さら反対票を投じたところで、結果が変わるわけではなく、民営化法案は通るにきまっているのだから、選挙前と後では状況が違っている。有権者もそういうことなら賛成票を入れても納得する人が多いかもしれない。彼女の決定はそれはそれで筋は通っているなと思えた。

それでも、自民党に入れるかどうかは問題だろう。あれだけ、選挙を混乱させたわけだから。しかし、結果として、岐阜は小泉さんを支持する政治家が2人も出たということになる。

どっちにしても、野田聖子は自分の全力をかけて頑張っているじゃないかと思う。
辻元清美なども、あまり好きなタイプではないが、一度失敗した者がまた復活できる姿の一例として、自分にとっても励みになる。片山さつきは自信満々で恐ろしいし、佐藤ゆかりはきれいで外国語べらべらで世界から認められている才女だ。ついでに男性では民主党の前原党首は43歳だ。
みんな、それぞれ自分なりのものに打ち込んでここまで積み上げてきたんだろう。
40代は第一線で活躍する年代だ。

このような人たちを見ていて、道端の石ころみたいな私でも、それなりに頑張らなくちゃいけないと思う。
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学生から受信料をとる矛盾点

2005-10-10 18:23:29 | 未分類過去
NHKは自宅から離れて学校に通うためにアパートなどに住んでいる学生からも受信料をとります。

本来、受信料はテレビ1台につき1件というような考え方のようです、しかし、一軒家でその家の中に何台のテレビがあるかなんて調べられるわけではありませんから、普通1世帯で1件の受信契約です。
また、一人暮らしの人が、居間と寝室にテレビを持っている場合、同時に2台のテレビを見るわけはないのですから、どう考えたって契約は1件でいいでしょう。そうしたら、夫婦で暮らしていても同じことになるでしょう。家族数を拡大しても理屈は同じだと思います。

3世代同居で絶対に2台以上ありそうな家でも、玄関が1つなら1件です。それが2世帯住宅で玄関が2つあると中も別だから、別々に契約されている家も多くなります。でも、屋根の上にひとつだけ衛星アンテナが立っている場合、そのうちの一軒だけが衛星契約をしているというお宅も少なくありませんでした。ずいぶん立派な家で、両方見てるんじゃないかなと思っても、片方の家の分だと言う主張ならそういうことになります。
集合住宅で共同の衛星アンテナがついていれば、全世帯が見ている可能性があるので、一軒ずつ確認に当たることになります。

ところで、アパートに住んでいる学生ですが、私が思うに、学生は収入がないし、本来親と同居しているものです。しかし、遠くの学校まで通えないからしかたなく別の家に住んでいるわけです。そのことによって、本来は親と一緒に1台のテレビを見ているはずの者がしかたなくもう1台のテレビを用意して見るしかないわけです。
自宅から学校に通い、親と同居している学生は、もちろん別のテレビなど用意する必要がありませんが、たとえ子供部屋で別のテレビを見ていたとしてもそんなことは外からはわかりませんから、NHKから子供の分を請求されることなどありません。

しかしアパートは違います。NHKがどんどん押しかけます。住人の入れ替わりも激しいから、定期的に訪問することになります。
アパートの学生は所得がないから、受信料は親が払います。その親は、アパートを借りるだけでもすごい出費なのに、子供にテレビも用意してあげます。子供を学校に行かせるために、それに付随して起こる出費を一生懸命働いて捻出しなければなりません。子供もバイトなどして親の負担を軽くしていることが多いです。

子供が自宅から通っている親は、アパートも借りなくていいし、テレビも買わなくていいし、受信料も払わなくていいのに対して、子供をアパートに住まわせ通学させている親は、それらの出費をよけいに負わなければならないのです。
これはどう考えても不公平で、理に合っていません。

それで、実際には学生のひとり暮らしでは、払っていない人も多いです。NHK側も「学生」ということを控えておき、しつこくはしていないような印象を受けました。学校を卒業し就職したであろう頃を見計らって、再び訪問することはあると思います。
ただ、NHKの請求に反発できずに素直に従う学生もいるわけで、そういう人は損だと思います。

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NHK受信料

2005-10-10 13:11:11 | 未分類過去
ちょっと前に夫が電話でNHKの営業所にBSデジタル放送かなんかの問い合わせをしたところ、突然「ところで、お宅は受信料を払っていますか?」と聞かれたそうだ。
うちは、ず~っと前から受信料をしっかり払い続けている。20数年前結婚を機にこの家に引っ越してきてからすぐ契約が始まり、以後一括一年払いで自動振替えになっている。引き落としは毎年2月で、ちょうどボーナスを使い果たしたころになるため、2月になると必ず家計が赤字になるという、いやなタイミングなのである。
衛星を見始めたのも早かったが、衛星アンテナをベランダに取りつけたとたんに衛星契約しろとやってきたから、衛星に変更してからも、もう15年くらいはたつはずだ。

貧乏人がそこまでして律儀に払いつづけているというのに、「払ってないのではないか」などと疑いをかけられ、「問い合わせをしてきたのは、新たに衛星アンテナをつけたに違いない。それではまず契約を。」などと勘違いされ、非常に不愉快である。

しかも、私、パートタイムでNHKに3年間勤めていました!!!
その前も後も、ずっとずっと衛星契約しているし、親の代からちゃんと払っています。

学生時代、アパートに下宿していたときはテレビ゛がなかったから払っていない。ドアを開けると4畳半の部屋の中が全部丸見えで、疑い深い集金人も「ああ、テレビありませんね」って言って帰っていった。学生時代は友達は質屋で中古を買う人も多かったが、そういうテレビは側面が赤いプラスチックみたいなのばかりだったのでいやだった。それで、会社に勤めてしばらくしてから月賦で11インチのソニーの小さな黒いテレビを買った。当時5万いくらかで、月賦にしたら6万以上はらうことになった。今はもっと安いのにね。
そのテレビを結婚するときに持ってきて何年か使ったあと、大きいのに買い換えた。
テレビのなかった期間にテレビ放映されていたドラマや芸能人のことなどは本当にわからない。

引っ越したりアンテナを設置したりすると、なぜかすぐにNHKが来るので、来られるほうは不気味ですが、集金人もいれば、衛星アンテナやケーブルの状況を調査するパートタイマーなどもいるわけです。わたしはそんな仕事をしていました。

今、NHKの不祥事によって契約が大幅に減りました。だから集金専門で雇われている人は大変です。回収の数が減ってしまったら、収入だって減るし、拒否する人とのやり取りでストレスもたまるでしょう。
でも、また信用を取り戻したり、ほとぼりが冷めれば、契約は復帰したりもするでしょう。減りきったものはいつか増える方向に転じます。受信の未契約者を見つけて契約者にするNHKのパートタイムやアルバイトなどの仕事をする人は、そのことで収入を得ているのです。(今はどうか知りませんが、何年か前はそうでした。)
すでに過密状態になっているものは、もう数が増える可能性がないけれど、それが一旦減ったということは、今後新しく契約を取る可能性が高いともいえるのではないでしょうか。未契約者になっていた人間が引っ越したりして、そこで新たに契約をとれば、純粋な新規契約者にもなります。

受信料を拒否する人が多発したとき、うちもちょうど失業したりしてお金もなくて苦しくて、衛星もあまり見ないから、年払い自動振替の契約を解消しようかと思いましたが、一度解消してもいずれ再契約することになるなら、そのために余計な労力がかかり、そこに支払われる手当てもかかることを考えて、やめました。

受信料徴収制度については、いいとは言えないかもしれません。
私自身、未契約の衛星アンテナとケーブルの受信状況を見つけるだけでけっこういい収入を得ていましたが、こういうことに時間や手間をかけるのは合理的ではありません。
上を向いてケーブルの線を長時間追いかけ、どこの家に引き込まれているかを調べ続けるという作業などは、かなり不自然な体勢で、それも原因で一生後遺症を残す顔面神経麻痺になってしまったのかもしれません。
回収のために馬鹿みたいな労力と人件費をかけていると思います。でもそうしなければ回収率が満たないわけです。そういう面で国勢調査に似ている点が多いとも感じます。くまなく調査をするため、国民全員から回収するためにはそのような方法しかないのでしょうか?

そうやって未契約者を調査したところで、大金持ちでオートロックの高級マンションに住んでいる人がその収入に対して微々たる額の受信料さえ払っていないこともある。地方から出てきているアパートの学生の一人暮らしでも払うのが原則で素直に払っている人がいる。豪邸で大家族で何台かテレビがあるはずの家でも1台分しか払っていない、等等、様々な不平等な状況が改善されるわけではありません。
テレビ朝日の社員は考え方があって多くの方が払っていないようでした。
警察の官舎とは知らず、外のアンテナを見て建物内に入り、郵便受けの部屋番号と名前を見ながら契約状況を確認していたら、不法侵入であやうく逮捕されそうになったこともあります。それで、アンテナ設置者の確認はできないままでした。
仕事中に、そんな矛盾点にぶち当たります。

そのような仕事を、昔、収入のためにしていましたが、もうしたくはありません。

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橋田須賀子ドラマについて

2005-10-10 02:53:00 | テレビドラマ・映画
最近、橋田須賀子のドラマが立て続けに放送された。先週のNHK5夜連続の「ハルとナツ」と昨夜日曜日のTBS「涙そうそう~この愛に生きて~」であるが、その内容には共通点がありすぎ、ちょっとクビをかしげたくなる部分が多かった。

・ストーリーの展開が不自然であること。(ありえないような出来事や幸運)
・ヒロインを拾って助ける他人が登場する。(ナツを拾う牛飼い・志津を拾う美容師)
・自分の育てた子供は失敗作で母親は実子と縁を切るという設定がある。
 (できの悪いナツの二人の息子・できの悪い美容院の実子)
・女手ひとつで事業を大成させるというヒロインが登場。(ナツ・志津)
・土台にされる男の登場。(牛飼い、不動産屋から美容院を買った事業家)
・夫はかならずヒロインより先に消え、短期間で登場しなくなることが多い。
 (ナツの進駐軍の夫と第2の夫、志津の恋人である寺跡取り息子貴志)
・主になる女登場人物には取り巻きのような男あるいは女、使用人がいる。
 (牛飼いやクッキー作りを手伝う2人の男・クッキー工場の女使用人2人・美容院の美容師)
・人の心を理解する主たる人物は実の子ではなく、養子的な存在や孫である。
 (牛飼いとナツ・ナツとハルの孫・ハルと孫・美容院経営者と志津・志津と孫)

このような類似点は自分の人生体験の何かが影響しているのではないのだろうか?
何があっても実子との濃い関係を描くことができない人だと思うし、一生夫婦を全うすることを描くのも苦手なようだ。男は長く登場することは少なく、幸せになるという筋もあまり好きではなさそうである。
このような特徴は今回の二つのドラマだけではなく、「おしん」「春よ来い」などにも見られるような気がする。

今回のドラマで私が一番気に入らなかったこと。

ハルとナツ
最後、ナツは自分が生んで育てた二人の息子とは心を通じ合わせることなく、人間として失敗作のような息子たちを捨てて何十年も会うことのなかった姉のいるブラジルに旅出つ。こころが通じ合うのは、その姉とその姉の家族だけであるかのような設定。
どうして日本で苦労して自分で育てた自分の息子が他人と同様だというような結論にするのか理解できない。私だったら、そんな息子であろうと空港に見送りにくるくらいの母を思う人情は確認したかった。日本がどんなに高度成長を求めバブルに走ったって、そんな救いようのない社会や家族を生んでいるというような決め付けはされたくなかった。

涙そうそう
最後、志津と結婚せず別れたままになった貴志は最後の場面では恍惚の老人となって車椅子に座っている。なんで、志津は元気できれいな老婦人で活躍している設定であって、男はこんな設定にするのか。この男は愛する女が自分の子供を産んだとも知らずに、一生を終えていくのだ。
橋田の意識の中には男はどうでもいいし、眼中にないということの現れである。
何か、根本的な人間性の欠如を感じる。
いつもドラマの最後に残念な思いを残す。

そして、思い出の中の愛が人間に力を与え人をまともに進ませ、目の前の生身の人間(たとえば生きている夫=三浦友和)は悪影響だけを与えるかのような設定。
現実にそんなことあるわけないと思う。あまりにも現実の目の前の人間を軽視しすぎている。(そこで、夫が改心すると手のひらを返したように上機嫌に接する妻(賀来千香子)の応対振りもものすごく不自然な展開)

橋田自身が実子をもたず、夫とも早く死に別れて来たために、自分が体験した以外の心情を理解できず偏った内容の設定しかできないのではないだろうか。
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身なりで判断する店員

2005-10-10 01:07:48 | 未分類過去
私はファッションには疎いほうであり、お金もないから、普段は西友かイトーヨーカ堂といったところで、5000円以下の服を買うことが多い。
しかし、1年中どこへ行くにも同じGパンで過ごすというような身なりにかまわないようなタイプではない。
ところが、そのように思われていやな思いをしたことがある。

ある日、あるブティックの前を通りかかったら、ちょうど同窓会に来て行くのによさそうなスーツが目にとまったため、その店に入った。そのときは、自宅から自転車で近所のスーパーにちょっと買出しに出たときだったので、たまたまGパンとトレーナーとかかとの低いサンダルのような、まったくいい加減な格好をしていた。

それで、試着させてもらおうと9号の服を持って行ったところ、「お客さんはLサイズじゃないですか?」と店員が言ってきた。私は、腿が太いのだが、太いのは腿だけなので、いつも9号を着ているのだ。「いえ、いつも9号ですから」というと、「スカート買ったの何年か前でしょ?」と言うのだ。「いいえ、最近買ったのもみんな9号ですよ」と言い返したのだが、「お客さんの腰の太さだと11号だと思いますけどねえ」などと言って納得しなかった。
試着するとやはり9号で大丈夫だった。そのとき試着室から出て、自分の履いてきた靴を履いて鏡の前に立つと、「お客さん、この服を着るときは、もっとヒールの高い靴を履かなきゃだめですよ。たまにはヒールのある靴もはいてみたらどう?」などと言うのである。
「ああ、今日は、こんな格好をしてますけど、いつもはヒールのある靴履いてますから」と答えたが、どうしたって、この店員は私が一年中ジーパンとトレーナーで化粧もしないで暮らしていて、何年間もスカートを穿いたことも買ったこともなく、何十年かぶりの同窓会のために初めてスーツを買おうとしている人だと思ったようだった。

この店には以前にも何度か入ったことがあり、スーツやカットソーなども買ったことがあるが、それは通勤帰りであり、そのときは丁重な応対を受けていた。そのときの店員と上記の店員とは別の人だった。

ブティックに行くときは、服装はちゃんとしたものを着ていったほうがいいとつくづく感じた。同じ人間でありながら、そのときの身なりで判断されるものなのだ。
日本語学校の帰りなどに立ち寄ると、教科書が入った大きなカバンなどを持っているために、学校の先生ですかと聞かれ、そうだと答えると、ああやっぱりそうですか、そのように見えましたなどとよく言われた。
しかし、私は同時にスーパーマーケットで品出しの仕事もしていた。その仕事のときはジーパンである。
どっちも中身は同じ人間なんだ。服装で判断しないでもらいたい。

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洋服の寿命

2005-10-09 11:19:26 | 未分類過去
秋の長雨が始まって、いよいよ夏物の服は着られない季節となってきた。本格的に冬物と入れ替えなければいけない。

今日、夏物をしまおうと思って見たところ、今年の夏1度も着なかった服が何枚かあった。会社に来ていこうと思っていったんは着てみたものの、なんとなく時代遅れのような気がして着ないままに終わったものもあった。
その中の一枚はベージュの無地のスーツで、洗濯機で洗うこともでき、アイロンは不要で、着やすかったので気に入っていた。しかし、デザインはタイトスカートに、上着は襟がついて前あきボタン、長めの半そでの袖の外側にも飾りボタンがついているというもの。これがなんとも古めかしいのである。だから、どんなに気やすかろうとなんとなく格好が悪くて着る気になれなかった。今年着ないということは、今後も着ないはずだ。
他にも、今年は着たが、ちょっとデザインが古めだという服もあり、来年は無理だろうと思うものもある。
不思議なことに、世間から考えて「デザインがだめ」という判断はある日突然やってくる。どんなに着心地がよかろうと、痛んでいなかろうと、その服を着て歩くことに抵抗感がわいてしまう。

それから、デザインが大丈夫であり、着心地もよく、気に入っている服で、「おや、いつのまにこんなによれよれになってるの?」という服が何枚かあった。
考えて見れば、気に入っているので何回も着た。だから、痛むのも当たり前だ。まだ、時代遅れにならないうちに生地のほうがだめになってしまうのだ。でも考えて見れば買ってから3年目くらいにはなっているから、現在流行のデザインというわけではない。

その中に開襟の淡いピンクのスーツがあって、前身ごろの下のほうにマーカーの黒い点がついてしまったものがある。目立つ場所ではなかったので、それがついていても気にしないで着ていたが、その黒点は日本語教師をしていたときについたものだった。学生と壁新聞を作ったときについたのかもしれない。このスーツで教えている風景が、とある日本語教室の紹介写真に使われたこともあった。
この服をこの夏会社に着ていったら、「今日はエレガントですね」と言われた。私も気に入っていた一枚である。
でも、このスーツともそろそろお別れだ。まだ捨てられないが、来年はもう着ないだろう。

他にもけっこう高いもの(と言っても元値が3万くらい)で、数年前、ある店の店員さんに絶対損はないと勧められて奮発して買ったグレーの地にシンプルなデザインが施されたスーツがある。これは上下を別々に他のものと合わせることができ、便利だったが、いつのまにか着ざらしになっており、こりゃもう寿命だという感じ。確かに元は十分とった。
その店員さんから勧められた服は、最初は私が目に止めなかった服であり、勧められて初めて着てみるという感じだったが、来て見ると意外と似合ってどれも私の好みに合っていた。それで勧められるまま、何枚も買ってしまったりしたことがあるが、どれも着回しがきき、着心地がよく、型くずれもせず、失敗はなかった。
しかし、その店員さんがその店をやめてからは、おなじ店でも自分に合った服を見つけることができなくなってしまった。別の店員さんはとんでもない趣味の悪い服ばかり勧めてくるのだ。前の店員さんの時に買った服が、今年次々に寿命を迎えてしまった。

時代遅れでもなく、生地も痛んでいないのに、突然着られない気分になる服もある。娘と一緒に買い物などに行って、ちょっと若向きのものを買ったりして、去年は着ていたのに、今年になったらやっぱりこれは私の顔と体形にはどうにも似合わないと判断する。それで、娘に上げようかと言うが、娘にはおばさんぽくて、いらないと言われてしまう。
これは、洋服に原因があるわけではなく、私が変化したために着られなくなったものである。

そうやって、けっこう寿命を迎えた服があり、その洋服と過ごしたひとつの時代が終わっていくことも感じた。

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生命と廃墟の関係

2005-10-09 01:32:19 | テレビドラマ・映画
このごろテレビや映画では、死んだ人が再び現れるというような作品が多く放映されている。たとえば、「よみがえり」や「今、会いにゆきます」など。
たしかに、亡くなった人にもう一度会いたいと思うのは誰しもの願いだろう。でも、亡くなった人が帰ってくるなんて、ありえないことであるから、非現実的な物語の中でさえ、一時的にはこの世に戻ってきたとしても、それは短期間のことで、やはり必ず別れのときがやってくるという原則は変えられていないのだ。

しかし、ここに来て、ずいぶんそんな作品が多いのは、なぜなのだろう。
どうせ事実ではありえない内容ならば、いっそのこと、一時的ではなく、本当に生き返らせて、なくなった人に長生きさせてもらいたいと思う。

もし実際、一時的に亡くなった人と再会ができるとしたらどうなんだろうか?
もう一回本当に永遠に別れなければならないとわかっていたら、会うのはもっと辛いし、もう2度と分かれたくはないと思うはずだ。私は今、なくなった父と再会できるとしても、それがつかの間のことだと分かっているなら、会うのはよけいに悲しいと思う。

ところで、「世界の中心で愛を叫ぶ」はよみがえりの話ではないが、やはり亡くなったものを思い続ける人の物語だ。
主人公の2人がどこかの島に行き、そこで亜紀が倒れるというシーンがある。その前の場面は、その島にある廃墟で2人が過ごしている。その建物の中には誰か人が飲んだり食べたりという生命の余韻が残っており、旅行の写真なども残されている。いったいどんな人がそこに息づいていたのであろう。しかし、その時点でその人たちはもうそこにはいない。その場面があった後に、亜紀が倒れたというのは、廃墟を命の終わりを予言するものとして伏線として描いているのであろう。亡くなった人の骨も廃墟のようなものだ。

また、「今、会いにゆきます」では、亡くなったはずの澪が現れた場所はトンネルの先の森の中の廃墟である。
やはり、もはや活動していないものの象徴として廃墟が使われ、そこに現れる澪はすでに命を終えているものであることを表わしている。

私は「廃墟」と言うのはなんかすごく怖い。それはもうすでに終わっているのであって、終わったものは昔どおりに復活することはないものだからだ。でも、確かにそこに営まれていた生命の余韻は残っていると思う。それは懐かしいかもしれないがやはり悲しい。

何でも、現役が一番いい。どんなにおんぼろアパートでも、今住んでいるこの公営住宅は現役である。これを取り壊そうとして、住人をどこかに移動したらここは廃墟となる。その時点で住居の機能はなくなり、建物としての生命の終わりを意味する。

昔、通っていた高校は近所に新校舎が建てられ、そっちに移った。
移ったと同時に無人になった旧校舎はとたんに荒れ果て、廃墟となった。
廃墟となったら、早く解体して別の建物を作るのがいいだろう。


結局、何が言いたいのか、自分でもうやむやなのだが・・・
生きている人間と生きている建物
死んでいる人間と廃墟
というのがセットになっている。
だから、生きている人間と廃墟という組み合わせは不自然である。
私は、今生きている人間、今使っている建物に目を向け、それを大切にして生きていきたい。
終わってしまったものは終わったということ。
そうなったら、いつまでも終わったものにかじりつかないで、生きている人、機能しているものに目を向けるということだ。


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PTA活動について

2005-10-07 22:59:03 | 未分類過去
秋になって、PTAの学校行事が多くて辟易している。

4月の最初の保護者会の日、たまたま仕事が休みだったので学校に行ったら、出席者が5~6人しかいなくて、しかたなくクラスの委員を引き受けることになった。
子供が高校生にもなると、専業主婦の母親なんていうのはごく少ししかいない。子供も大きくなって、小さいときのように学校生活の様子を心配することもなくなるため、あまり出席する必要性もなくなってくる。
そして、出席者が少ないことが初めからわかっていて、出席すれば役員を押し付けられる可能性があることを知っているために、そういうのがいやな人は、皆なおさら来ないこととなる。

今年の新学期に来ていたクラスの人たちも皆仕事があって、だれひとりまともにPTA活動なんかできそうな人はいなかった。こういうときはひたすら、みんなして葬式のように下を向いてし~んとしているのが常である。しかし、いつかは決めなければ帰れないのである。
来ている人の中から選ぶというのも不公平だが、来ていない人に一人ずつ電話をして聞くというのはもっとたいへんである。それで、結局のところ、「みんな忙しいのは分かっているからけっして無理は言いません。できる範囲でかまいません。名前だけでいいです。」などということになり「それならやります」と言ってしまった。

1学期はさしたる活動もなく、やっぱり高校ともなればこんなもんだろうと安心していた。ところが、2学期が近づくにしたがって、文化祭、講演会、公開授業、懇談会など様々な行事が立て続けにやってきて、そのたびにその準備や当日のいろいろな役割で出てくれないかと連絡が来るようになった。
しかも、その連絡は、平日の昼間に出席することが当然のような言い方であり、仕事があっても、前々からわかることなんだから休めばいいでしょうという姿勢なのである。

8月と9月の平日に文化祭の準備があったが仕事で出られなかった。文化祭当日は日曜日にPTAのコーナーに手伝いに行った。(そこに直行して片づけまでいたので、生徒の出し物はいっさい見られなかった。)
10月は毎週のように学校行事がある。保護者会と委員会が同時に行なわれたとき、ちょうど会社が休める曜日だったので1日だけ休んで出たのだが、「あとの3回は全部出られないんですか!!困ったことですねえ」というようなことを言われてしまった。

そりゃあ、いくらなんでも会社は月に1回くらいしか休めないでしょう。毎週私事で休んでいたらクビになってしまう。仕事はそれほど忙しくないといっても、いざというときに会社の中にいなくちゃ役に立たないし、曜日によって絶対にやらなくちゃならない仕事もある。休むからって、自分がするべき仕事を人に説明してお願いしたり、その日担当者がかわることを仕事場のみんなに伝えておくのも大変であり、みんなが私ひとりの都合によって、いつもと違う流れで仕事をしなければならなくなる。そういうことを考えると、すごくいやで、面倒で、気が引ける。できる限り休みたくない。

結局のところPTAは、最初は「できる範囲でいいですからお願いします」などといっても、いざとなると「万障繰り合わせてお願いしますね!」という強気な態度で強制されるようになる。みんなはそれがわかっているから、そういうことに巻き込まれないように学校には最初から足を運ばないのであろう。

PTA活動をしてみて、生徒の親御さんたちと交流を持つことができ、学校の様子もわかって、いい面もたくさんあった。でも、結局は一番暇で熱心な人が活動内容や集合日程を決めて、忙しい人を引っ張っていくかたちとなるために、引っ張られる人はかなりきつい目にあってしまう。

来年は絶対固辞する           


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個人情報の保護意識

2005-10-07 10:20:44 | 未分類過去
今日のニュースでやっていましたが、最近個人情報に関する意識が世間で強まってきたことから、国勢調査をしにくくなっていて、調査員を辞退する人が増えたとのことです。
50件調査票を回収すると4万円くらいもらえるそうで、いい仕事だなあと思うのですが、協力的でない人からの険悪な対応には、お金をもらってもやりたくないという気持ちになってしまうようです。

ところで、個人情報を守ろうというふうに世の中が動いているのなら、調査員の意識もちゃんとして、勝手に封を開くなどということもなくなるのではと思っていたのですが、そうでもない場合もあるらしく、目の前で、ちゃんと記入しましたか?と封を破って見られそうになったなどという話を耳にしました。だから、非常識な調査員に対して信用できないから提出はしないと言う人も多いようです。

うちに来た調査員の人も、用紙を持ってきたときに、「人に知られて困るようなことはありますか?」と聞いてきたので、「いや、別にありませんよ」と答えてしまったのですが、そう答えたということは、封をしてあってもあけてもいいと判断されるかもしれないと思いました。実際、調査員の方一人に見られてもどうということはないので、封はしないで出しましたが、そうなると、もしかしたら人目に触れることもあるかもしれません。
まあ、このように無頓着に個人情報を扱うお年寄りの場合は、何か悪意があるのではなく、単なる親切心で中を見てしまうことも多いようです。

しかしながら、調査員にもいろいろな人がいるはずですから、中には悪用する人もいないともかぎりません。疑いだしたらきりがありません。

そして、自分で自分の情報を厳重に保護しないなら、その情報をどう利用しようとかまわないというように、逆に常識がなくなっているようにも思います。

各種の名簿を作るときにも神経質に拒否する人が続出し、もはや名簿の意味がありません。私はそれが業者の手に渡ったとしても、勧誘の電話がかかってくる程度ならば、断ればいいことなので、住所と電話番号くらいは、抵抗なく書き込んでいます。
しかし、最近は、子供の学校の連絡網なども作ることできなくなったり、卒業時に住所録をつくることもなくなってしまい、いざと言うときに連絡先がわからないことも多くなっています。極度な個人情報保護のために起きる弊害のほうが大きいようにも思えます。
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ブログについて

2005-10-07 00:29:04 | 未分類過去
8月の22日から始めて、毎日書いてきましたが、ちょっとどうかなと思うものを非公開にしました。いろいろ考えると全部なくしちゃったほうがいいようにも思いましたが、とりあえず大部分は残してあります。

先日、知人仲間と話しているときに、最近ネット検索していると、個人のブログがでてきて迷惑しているという話がでました。そんな個人的なことが書かれているもの読みたくもないのに、検索中に出てきてしまうから、いやでも読むことになる。ネットはブログが氾濫している。あんなものを書く人の気が知れない、などとみんなが言っていました。
私は自分がそれを書いているなどと口が裂けても言えない雰囲気でした。個人的なことを書いているブログについてそう思う人も多いんだなあと思いました。

確かに匿名であっても自分自身のことを公開するなんて変なことかもしれません。
そして、自分のことを書きたくなるような人は、どこか頭が変なんじゃないかと思います。
私は人のブログを読むのが好きです。そして、うつ病とかDVの被害にあっている人など、精神的に病んでいるひとのブログもよく読みますが、結局のところ自分も同様な精神的要素があるからです。
ブログの内容にもいろいろあって、当たり障りのないことを書いている人も多いです。
でも、中にはかなり個人の核心にかかわることを書いている人もいます。ある特定の関係者に見られたら大変なことになるかもしれないものもあります。でも、私も含めてそういう人は書かなくてはいられない心理があるんだと思います。
それは、自分の知らないどこかの誰かが自分の気持ちを理解してくれるかもしれないという、発信だと思います。

今まで、個人個人が日常思っていることを知る機会はそんなになかったと思います。ごく親しい人間には自分のことも話したりするでしょうが、それでもいちいち話さないことも多いし、話せないことも多いです。
このブログというものが世のなかにできてから、人々はかつて自分ひとりの世界だった日記を共有するようになったと思います。それは、人類史上初めてのことではないでしょうか。身近に同じ境遇の人がいなくても、どこかに共感してくれる人がいることを願って、自分という人間が生きていることの証として、メッセージを発信しているんじゃないんでしょうか。

大げさな表現になってしまいましたが、そういう行動をすることが病的と言ってしまえばそれまでです。
知人の話を聞いていて、この人たちは健全なんだなと思いました。鬱積しているものや人に訴えたいことがあまりなくて、満たされているんだろうと思います。

私は楽しいブログも好きです。映画や音楽や趣味に関するものでもいいです。ブログで楽しい話題を積極的に発信しようとする人も多いです。
そういうことを意欲的にやっている人もいます。それは問題なくいいことです。
また、何につけやろうとしたものの、発信するものがあまりなくて、続いていない人もいるようです。境遇に関しては特にマイナス要因もなく、プラスの情報や感情もあまりない人です。そういう人はある意味、健全なのかもしれないと思います。

失業して再就職する過程、病気になってからの闘病記録、肉親をなくしての気持ち、など書く人も少なくありません。そういうのも多いんじゃないかなと思います。そして、そういう人は自分も書くし、人のものも読んでいるのではないでしょうか。

私も自分のマイナス要因から出発した者の一人です。
でも、そろそろマイナス面をほじくり出すことをやめて、プラスのものを発信する内容にしなければいけないなあと思っています。
少なくとも、個人として特定されたときに困るような内容のものを書き続けていたらいけないんだろうなと思い始めました。

そして、毎日書くことを優先目標にするのも問題かもしれないし、閲覧数やアクセス数を気にし始めるのもよくないかもしれません。

それから、ブログばかり書いてないで、勉強もしなければと思います。
自分の中のものを出すだけではなく、外から何かを取り入れることに労力を注がなければ成長はありませんね。


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昨日の続き

2005-10-06 18:58:51 | 未分類過去
その団体について、もうひとつ体験がある。
やはり、その講演会を聞きに行ったころのことであるが、そのころ私は失業中で専業主婦状態であったために、誘いがあると素直に受けて、小さな集会などにも出席していた。

あるとき、近所のホールで講演会があるということで、その会場整理係をしてくれないかと言われた。「子育ての仕方」とか「夫婦のあり方」とかそういうような内容の話をする人が数人でる講演だったと思う。
私の役割は会場に入ってきた人を席に案内する仕事だった。

ホールは自由席で、何も案内などする必要はなく、勝手に好きなところに座ればいいだろうと思ったら、来る人が後ろのほうに座らないように前に誘導すること、そして、どこかにかたまって一部が空いたりしないようにまんべんなく会場を埋めるようにするのだと言われた。

それから、案内係は目立たないよう、黒っぽいスーツを着るようにとのことだった。
これは、自分が聞きに行くときとは反対で驚いたが、地味なスーツはたくさんあるので困らなかった。ところが、靴は音がしないようにヒールのないものを履くようにと言われた。私はヒールのない靴などもっていない。どれもある程度の高さがある靴ばかりである。この日一日のために今後も履く予定のないヒールのない靴を買うのはしゃくに障った。それで、なんか比較的ヒールが低めのスーツには全然合わないようなへんな靴を履いていったような気がする。

さて、当日となったわけだが、来客はやはり好きなところに座りたがる人がおおかった。
奥に詰めるように勧めるのはまだしも、右に行きたい人に左にいけとか指図するのもどんなものだろうか。中には途中で退席するから端がいいと言う人などもいた。自分でやっていてまったくうっとうしいとしかいいようがない。
また、講演が始まってからは、遅れた人が一人で歩いて進んだほうが目立たないのではないかと思った。いちいち案内係が先に立って案内して行き、また戻ってくるのであり、そんな人が何人もいるので、おちつかない。それから、なぜか遅れてくる人がひっきりなしで、案内係自身は講演なんか全然聞いているどころではなかった。

不思議なのは、閉演の10分前や5分前になってもぞろぞろと来ることであった。いや、終わりころに駆け込んでくる人がやたらに多かった。
思うに、その団体はたくさんの人に案内状を渡しており、そこに名前が書かれている。招待された人は義理で行かないわけにはいかない。そこで、本当は行きたくないが、顔だけは出して、行ったという証拠を残そうと、終わるころにやってくるに違いない。
普通だったら最後の10分だけを聞きに来る人なんかいないはずである。

こんなことにもうんざりした。
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従えない性格

2005-10-05 23:48:39 | 未分類過去
つい最近、ある道徳推進運動のようなことをしている団体の人たちが数人、秋の大会に来ませんかと私を誘いに来た。
この人たちはいい人たちで、その中にはそのこととは関係のないことで知り合った知人もいるために親しくしているが、私はその会の活動に参加する気はないので、いつも断っている。

実は、何年か前、その大会というのには参加したことがある。正直言えば、そのときをきっかけにして、もう2度と行きたくないとおもってしまった。

普通、講演などを聞きに行くときは、私はその時刻に間に合うように勝手に行きたいのであるが、行くと返事をしたら、その団体で決められたすごい早い時間にその団体の決めた場所に集合して、その団体のみんなと一緒に行くことになった。

その日、10月なのに真夏のように暑かったため、私は半そでのスーツを着て集合場所に行った。すると、10月に半そでは非常識で目立ってしまうから、まだ時間もあるし長袖に着替えてきなさいと言われた。
それで、もう行くのをやめようかと思ったが、そこでへそを曲げるのも他の人がいやな思いをすると思ったので、家に帰って長袖に着替えてきた。
しかし、あとになると、どうして半そでではいけないのか、ずっと納得がいかなかった。
そのとき、半そででいけないという理由は、どんなに暑くても秋だからだということだった。そして、その会の会長などを含む講演者が壇上から客席を見たときに、統一感があったほうが気持ちがいいからだということであった。
そもそも何日も前から、黒・紺・グレーなどの暗い色の服は舞台から客席を見たときに暗いから、避けて明るい色を着るようにと言われていた。私は長袖のものは皆地味な色しかなかったので、その日暑くて幸いと思い、明るい色のスーツを着ていったのだった。
私は仕事に行くときなども、いつも比較的きちんとしたスーツを着ていくことが多い。どこに行っても恥ずかしい格好であるとは思っていないのに、それが半そでであるというだけでだめと言われたのは、全く心外だった。

遠くまで行くのと、あまりにも早く集合する取り決めだったために、その日は早朝から家を出なければならなかった。私は絶対に眠くなると思ったので、講演が始まる直前にカフェインドリンクを飲んで目を覚ましておいた。
ところが、講演も半ばをすぎたころ周りを見渡すと、8割くらいの人間は眠りこけていた。
貴重なお話が聞けるということで、気合を入れて誠意を尽くして早々と会場にもつかなければいけないと言い、率先していたそのような人たちが皆寝ているのだから、おかしな話しだ。
なんだか馬鹿らしくて、もう2度と行く気はない。
会員はその会の幹部や講演者をまるで神様のようにあげ奉っているが、講演の内容はそれほど貴重なものだとも思えなかった。

私は人に強制されるのは嫌いだし、みんなから偉いと言われている人のために尽くすのも好きではない。
その不従順で謙虚さが足りないところがいけないらしいが、この性格はどうにもならない。
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国勢調査

2005-10-04 23:12:54 | 未分類過去
町内会長さんだか地区長さんだかが、先月、用紙を持っていらっしゃったが、かなりのお年のようだった。エレベーターもない団地の家を一軒一軒まわるのはかなり大変そうだ。留守の家などは何度も行くのだろうか?
そして、10月1日以降に取りに来られると言うことで、気にしていたがなかなかいらっしゃらず、心配していたところ、今日取りに来られたそうで、たまたま昼間、家族が家にいたから渡すことができた。留守の家はまた何度も回られるのであろうか?
町中の隅々まで調べるとなると、結局は、人間が歩いて回るのが一番確実なのかもしれないが、ずいぶん骨を折られるのではないかと思う。手当てなどもらえるのかなあ。
回収にいらっしゃったのは、今日が初めてではないのかもしれない。
1日以降、留守が多かったので、玄関のドアにでもかけておこうかと思ったのだが、関係ない人に見られたり持っていかれたりしたらいやだから、それはやめた。
あのような原始的な形式でアンケートをしていると、個人情報も簡単に漏れそうで、勤務先など書くのも気になった。もう少し別な方法はないものだろうか。

ところで、アンケートの中で気になる質問は、「この一週間に何時間仕事をしたか」と言うものである。今の仕事は毎週勤務報告を上司に提出するためにしっかり把握しており、簡単に書くことができたが、夫は24時間勤務や夜勤などがあり、そこから仮眠時間などを引いて計算するのかなと思っていたら、そんな面倒なことしてられるかとシフト表も見ないで、「7かける5ということにして35時間だ」などと、全然現実とは違う数字を適当に言う。しかたなく言われたとおりに書いておいた。
5年前の国勢調査のときは、私は日本語学校で非常勤講師をしていた。多くの日本語学校は、9月の末は学期の合間で10月まで授業はない。それで、勤務時間ゼロということになった。普通は毎週何時間も働いているのに、9月の末に限ってはそうなってしまうのだから、ゼロと書くしかない。変なもんである。しかも、毎回9月の末の実態を調査するのだから、日本語教師という仕事をしている人は勤務時間が非常に少ないという結果になるのではないだろうか。他の職業でもそういうのがけっこうあるかもしれない。

この調査は外国人も対象になっているそうだ。日本語ができなくてもかけるのだろうか。

日本全国くまなく調査する厳密なもののようであって、実は記入する人はいい加減かもしれないし、提出しない人もけっこういそうだし、個人情報は簡単に漏れそうだし、なんだかすっきりしない気持ちも残る。


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子から教わる

2005-10-03 01:25:13 | 未分類過去
今日は、大学生の娘とファミレスにパフェを食べに行った。いつもパフェかなんか食べに行きたいねえと言っているのだが、言うばかりでなかなか食べたことがない。外食はよくするのだが、私と上の子は基本的に甘いものは苦手なほうで、いざ店にはいるとフライドポテトやピザなどが食べたくなってしまうのだ。しかし、今日はめずらしく気が変わらないで本当にパフェを食べた。しかもいつもはパフェが高いと思って、それなら、コーヒーゼリーにしようとかサンデーにしとこうかとか思うことが多いのだが、本当にパフェを食べた。

ところで、昨日は同年齢の主婦仲間4人で昼食を食べに行った。ランチセットで1500円くらいのものだが、スープ・パン・メインディッシュ・デザート・コーヒーだった。
メインの料理が終わってお皿が片付けられたあと、ボーイさんが不思議な器具でテーブルクロスの上に落ちたパンの粉をきれいにしていった。その器具は薄いステンレスのようなものでできていて、ちりとりのようなものだが、それをテーブルの上に滑らすだけで、パン粉は簡単に薄い板状の部分の上に乗って、その中に入っていき、テーブルの上のパンくずはきえてなくなるのだった。そんなものを見たのは初めてだったので、パフェを食べながらそのことを娘に話すと、娘も宴会場のバイトでそれを使っていたとのことだった。
私が生まれて初めて見たものを娘が使っていたとはとちょっと驚いた。

昨日は、その器具でパンのかすがきれいにされた後、デザートのお皿が並べられた。このデザートは、ケーキに冷たい生クリームが添えられたようなものだったが、それが全員分並べられたので、私は食べようとフォークを手に持った。しかし、他の人たちはぜんぜん食べようとしなかった。
おやっと思って、フォークをもったまま手をつけず、ちょっと待ったが、一向に他の3人はフォークを持とうともしない。
あれっ、どうしてかな?と思い、
「みなさん、どうして食べないの?もしかして、コーヒーと一緒に食べるもの?」と聞くと、「うん、コーヒーが来るのを待ってるの。なんとなくコーヒーを一口飲んでから食べたいじゃない」ということであった。
持ったフォークを置くのも変だから私だけ食べ始めたが3人は食べずに待っていた。ちょっとすると、コーヒーが出てきた。

そのことを思い出して、コーヒーがくる前にケーキを食べるのはマナーが悪かったのかなと思い、それも娘に聞いてみた。

すると、娘はイタリアンレストランでバイトをしていたときに、冷たいデザートと暖かいコーヒーを同時に出してはいけないと教わったそうである。娘が働いていたレストランの場合は、冷たいデザートを食べ終わったのを見計らってコーヒーを出すようにと言われていたそうだ。
また、結婚披露宴などでも、まずデザートを出し、そのあとでコーヒーという順番になっているという。
そういえば、披露宴などではたしかにそういう順番だなと思って、コーヒーが来る前にデザートに手をつけるのはおかしくなかったと安心した。

それにしても、子供も成長したなあとつくづく思う。あの生まれたばかりで何もできず、親が手取り足取り教えて大きくなってきた子が、今では親よりいろいろなことを知っていて、親に教えてくれるようになってしまった。すごいもんだ。

それから、お客さんとしてレストランに行かなくても、バイトをすればマナーが覚えられるものなんだなというのも再認識した。
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