役割を負うこと
私は今までPTAや日本語ボランティアなど仕事以外の役割をいくつかになってきた。この二つには共通点がある。それは、無料奉仕でありながら、いくらかの責任を負わなければならないということである。公営住宅の役員も同じようなものである。
こういうものは、荷が重くならないようにみんなで分担していきましょうという話になり、一人一人にあまり重荷をかけないようにという気配りが確かにある。だから、「強制」はできないわけである。しかし、個人個人が負担を感じない程度に、自由に参加しようというのでは、結局は人手が足りなくて運営はしていけない。主になる人がまとめて重荷を背負ってしまう。だから、会長などはやはり少し強引にも全員に協力を求める必要が出てくるわけである。それは仕方がないことだ。
~PTA活動で~
以前、人間関係が壊れてしまった苦い経験がある。
私は上の子が高校3年のときにも、PTAで広報委員を引き受けている。そのときは午前中の仕事の日が多かったので、午後は比較的出られる可能性は高かった。しかし、その年の委員長は、委員たちに強行に日程を指定し出席を求めるということをしなかった。その結果、気持ちのある人だけが出るというような形になってしまったようだ。
私も2学期までは出ていたのだが、年末の忘年会のときに、3学期も集まって新聞を作ると聞いていたものの、その後何の連絡もないままであり、こちらからも日程の問い合わせもしないままで、いつしか卒業を迎えてしまった。あるとき、同じ委員の人に会ったときにどうなったのか聞いてみると、その人も知らないということだった。
その後、何ヶ月もしてから委員長から高校の新聞のことで連絡網が回ってきた。子供はすでに卒業しているので、私にはあまり関係がないことのように思えてしまった。そして私は連絡網もすでにどこかにやってしまっていたので、次の人の電話番号を聞いたが、次の人以降も皆電話番号がわからない可能性が高いのではないかと思った。それを言いかけたら、「もういいです」と言って話している途中でバチンと電話を切られてしまった。
その後、スーパーでその人にあったので、「以前は協力できなくてすみません」とあやまって、様々なことを詫びようと話しかけていくと、その人は買い物の足を止めずに移動していった。最初は避けられているとは思わなかったので、一緒に歩きながら話しの続きをしようとしたが、どんどん速度を速めて遠くに行ってしまい、必死に追いかけても追いかけても、離れて行ってしまうのだった。そこでかなり嫌われているということが分かり、話しをするのをあきらめた。
おそらく、3学期はほとんどの人が参加しなかったのではなかろうか。私たちが協力をしなかったために、その人はきっと辛い思いをしたのだろう。本当はもっとみんなで委員長を中心に助けていくという気持ちが必要だったようだが、私たちにはそこまでの自覚がなかった。それで、PTA活動に対する関心の温度差もかなりあったように思う。
もう、私とはいっさいかかわりたくないようだ。以前は親しくしていた人だけに、どうにも残念で後味が悪い。
今のPTA執行部の人は、強硬に出席を要求してくるなあと思うが、かえってそのほうがいいのかとも思う。やはりきつく言われればどうにか協力しようと心がけるわけで、やいやい言われれば関心も持たないわけにはいかない。結果的に運営がしっかりできて、うらみも残らないはずだ。今年の委員長は人を統率するのに慣れている人のようだから、こちらもついて行きやすいといえる。
私は平日には集まれないことが多いので、今回は自宅でできる作業を引き受けることになった。
私は今までPTAや日本語ボランティアなど仕事以外の役割をいくつかになってきた。この二つには共通点がある。それは、無料奉仕でありながら、いくらかの責任を負わなければならないということである。公営住宅の役員も同じようなものである。
こういうものは、荷が重くならないようにみんなで分担していきましょうという話になり、一人一人にあまり重荷をかけないようにという気配りが確かにある。だから、「強制」はできないわけである。しかし、個人個人が負担を感じない程度に、自由に参加しようというのでは、結局は人手が足りなくて運営はしていけない。主になる人がまとめて重荷を背負ってしまう。だから、会長などはやはり少し強引にも全員に協力を求める必要が出てくるわけである。それは仕方がないことだ。
~PTA活動で~
以前、人間関係が壊れてしまった苦い経験がある。
私は上の子が高校3年のときにも、PTAで広報委員を引き受けている。そのときは午前中の仕事の日が多かったので、午後は比較的出られる可能性は高かった。しかし、その年の委員長は、委員たちに強行に日程を指定し出席を求めるということをしなかった。その結果、気持ちのある人だけが出るというような形になってしまったようだ。
私も2学期までは出ていたのだが、年末の忘年会のときに、3学期も集まって新聞を作ると聞いていたものの、その後何の連絡もないままであり、こちらからも日程の問い合わせもしないままで、いつしか卒業を迎えてしまった。あるとき、同じ委員の人に会ったときにどうなったのか聞いてみると、その人も知らないということだった。
その後、何ヶ月もしてから委員長から高校の新聞のことで連絡網が回ってきた。子供はすでに卒業しているので、私にはあまり関係がないことのように思えてしまった。そして私は連絡網もすでにどこかにやってしまっていたので、次の人の電話番号を聞いたが、次の人以降も皆電話番号がわからない可能性が高いのではないかと思った。それを言いかけたら、「もういいです」と言って話している途中でバチンと電話を切られてしまった。
その後、スーパーでその人にあったので、「以前は協力できなくてすみません」とあやまって、様々なことを詫びようと話しかけていくと、その人は買い物の足を止めずに移動していった。最初は避けられているとは思わなかったので、一緒に歩きながら話しの続きをしようとしたが、どんどん速度を速めて遠くに行ってしまい、必死に追いかけても追いかけても、離れて行ってしまうのだった。そこでかなり嫌われているということが分かり、話しをするのをあきらめた。
おそらく、3学期はほとんどの人が参加しなかったのではなかろうか。私たちが協力をしなかったために、その人はきっと辛い思いをしたのだろう。本当はもっとみんなで委員長を中心に助けていくという気持ちが必要だったようだが、私たちにはそこまでの自覚がなかった。それで、PTA活動に対する関心の温度差もかなりあったように思う。
もう、私とはいっさいかかわりたくないようだ。以前は親しくしていた人だけに、どうにも残念で後味が悪い。
今のPTA執行部の人は、強硬に出席を要求してくるなあと思うが、かえってそのほうがいいのかとも思う。やはりきつく言われればどうにか協力しようと心がけるわけで、やいやい言われれば関心も持たないわけにはいかない。結果的に運営がしっかりできて、うらみも残らないはずだ。今年の委員長は人を統率するのに慣れている人のようだから、こちらもついて行きやすいといえる。
私は平日には集まれないことが多いので、今回は自宅でできる作業を引き受けることになった。