世の中、人間のみならず、お地蔵さんや仏像や、渋谷の忠犬ハチ公や、三越のライオンにまでマスクをつけるのは止めてください。
彼らは新型コロナには感染しません。
息が苦しいと言っております。
世の中、人間のみならず、お地蔵さんや仏像や、渋谷の忠犬ハチ公や、三越のライオンにまでマスクをつけるのは止めてください。
彼らは新型コロナには感染しません。
息が苦しいと言っております。
このごろは、マスクのことを「顔パンツ」と言う人がいるが、ほんとうにそのようになってしまった。
マスクをしていないと、まるでパンツをはいていないかのようになってしまい、マスクが無ければ人前に出ることも、家の外にでることもできなくなってしまったのだ。
政府でさえ、外を歩くときはマスクは不要と言っているにもかかわらず、なぜか99%の人が屋外でもマスクをつけて歩いている。
マスクをしなければいけない科学的根拠がないにもかかわらず、マスクをしていない人間は野蛮な人間のようになってしまい、マスクをするのがマナーだから、禁煙のところでタバコを吸っている人以上に人に害を及ぼす人間のようになってしまったのである。
私は、店内などでは、マスクをしろと書いてあるので、マスクをしているが、屋外ではマスクをしないで歩いている。
100人のうちの1人に当たる変人である。
この頃は、自分でもおかしいと思うのだが、喫煙所でタバコを吸っている人たちが自分の身方のように思えてしまい、あんなにタバコが嫌いだったのに、許せてしまうのである。
なぜなら、タバコを吸っている最中の人たちは、マスクをしていないからだ。
それで、喫煙所のそばを通るときは、なぜか嬉しくなってしまうのである。
道を歩いているときも、たまにマスクをしていない人に出くわすと、きっと向こうも嬉しく思っているに違いないと思ったりする。
今日、職場でオミクロン5に感染した人に会ったのだが、その人がしっかりマスクをしており、コロナは何度でもかかると言っていた。
変異するたびにかかる可能性はあるだろうが、オミクロン5にかかって2か月くらいしか経っていないのだから、自分が感染することも人に感染させることもない時期ではなかろうか。
世の中にはそんな人がたくさんいるのに、相変わらずほぼすべての人間がマスクをしているのが不思議だ。
私は、1度オミクロン1にかかったので免疫を獲得したと思うが、その後、その免疫の出番がないと、廃れてしまうのではないかと思う。だから、ちょっと戦う機会を設けないとダメだ。
というわけで、鍛錬しているのですよ~
しかし、そんなことを言ったらバカだと思う人もいるんだろうけど・・・。
3か月間隔でワクチンを接種して、身体中にスパイクタンパクを増殖させ、副反応と戦う人ってどうなの? コロナにかかってるのと同じだ。
武漢とオミ1の2価ワクチンなど、私は要りません。
ワクチン打つよりマスクをはずす方が体によさそう。
リモートワーク体制のために、紙書類(数百ページをファイルしたもの)を電子データに変えるというのも、私の仕事の中の1つである。
これが時々、とんでもない紙資料があって、ものすごい時間がかかってしまう。
ホチキスや付箋をはずすことや、サイズの大きな書類が織り込みになっていたり、逆に小さい書類が書類の一部に貼り付けてあったりするものの対処も面倒だが、裏紙というのもかなりやっかいである。
今では裏紙は全く使わなくなったのだが、何年か前には紙の節約のつもりで裏紙を使っていることもあった。するとその関係のない裏側の内容までスキャンして電子データになってしまうのである。
全部の書類に裏紙が使われていたり、すべての書類が片面だけのものであるならば、片面のみをスキャンすれば良いのだが、裏紙使用・裏白・両面使用など、めちゃくちゃに混じっているのが困りものだ。
その場合は、スキャナーを「両面(白紙を除く)」という設定でスキャンして、あとで裏紙である不要な内容を削除することになる。
元々、裏紙を使うときには、多くはバッテンなどをして関係のない内容である印をつけているのが常識だと思うが、今日スキャンした書類は、裏紙に何もしていないのだった。
それでも、多くは逆さまになっているので、スキャン後に逆さまのページを削除していけばよい。
しかし、中には逆さまになっていないものも混じっているのだった。
そうすると、今度は内容を見て、明らかに違うものを削除するのだが、スキャン画像を見てもなかなかわからないので、実物を照らし合わせて判断することもある。
紙書類を見ればだいたい無関係のものかどうかは判別できる。
(実は今回の書類は、自社のものではなく、他社から引き継いだものであり、かなりひどい状態であった。とりあえずコピーしとけば分かるだろうという感じで裏紙を使って綴じていたらしい。)
・・・
近頃は、リモートワークが増えているので、このようなスキャン作業を必要とする会社が増えており、書類の電子化作業を専門業者に頼んだりすることもあるようだ。
しかし、外部の業者に頼んでも、このような裏紙への対応は、難しいだろう。
自分の会社の書類でさえ、不要な裏紙なのか関係書類なのか、判別しにくいことがある。
そうなると、外部に委託した場合は、とりあえず裏紙もそのままスキャンして、保存しておいてもらうことになるだろう。
全部保存しておいても特に問題は無いだろうが、やっぱり不要なものは除外したい。
それは、社内の人間だからこそ判別できる作業。
しかし、この効率の悪さ。何年も前には裏紙使用がこんな弊害を生むとは想定できなかったことであった。
いつも読ませていただいているブログに学生運動のことが書いてあり、そのことで思い出した。
学生運動が盛んで、東大の入試が中止になったのは、1969年、私が小学校3年のときのことだ。
静岡県のド田舎の小学生にとって、はるかかなたの東京の超エリート国立大学のことなんか、関係ないはずなのだが、この時の担任によって強烈な記憶が残っているのである。
その年、私の担任の先生の息子が高校3年で、東大を受験しようとしていたのだった。ところが入試が中止となり、自分の息子は受験ができなくなったと言って、授業中に延々と小学3年生の子ども達にその話をしていたのであった。
今となっては、父親として期待する息子が東大を受験できなくて残念で仕方がなかったのであろう。(受けたからと言って受かるとは限らないけどね。)
だが、小学校教員として、授業時間をつぶして3年生の子ども達にそんな話をするのはどうなのかなと今になって思う。
その先生は何かと自分の2人の息子の話を授業中にしており、長男は沼津東高校、次男は韮山高校に行っていたとのことだ。いずれも静岡県では偏差値の高い高校であるが、私の町からはかなり遠いところで、アタマがよくてもわざわざ電車通学をしてそこまで通う人は珍しいのだった。それだけ教育に力を入れていたのであろう。
長男はどの大学に行ったのか覚えていないが、東大ではなかったような?早稲田だったかもしれない。
それで、次男は結局どうしたのか、浪人して翌年東大を受験したのか、現役で別の大学に入ったのか、次の年は担任ではなかったし、別の小学校に転任していったので、不明である。
まあ、あの先生は今になってみると、その他の様々なことを含めて、あんまり良い先生ではなかったなと思う。
なぜか授業よりも、息子の話ばかり覚えていて、先生と子どもと一緒に扁桃腺の手術を受けに行き、手術の仕方はどうのこうのと、詳しく話していたものだ。
夏休みの自由研究を提出したのに、返してくれず、ダンボールに放り込まれたまま教室に隅に置かれ、最後には捨てられてしまった。
だが、あの先生が東大入試中止の話をしたものだから、今になってもそれがいつ起こったのか思い出すことができたので、実は役にたっていたのかもしれない。
私は歴史上の出来事や年数を覚えることがなかなか出来ない人間なのだが、これだけは自分の学年と関連付けて覚えることができるのである。
とはいえ、学生運動とはいったい何だったのか、意味不明である。
今、調べてみると、学生運動全盛期の1968年、全国の医学部の学生と研修医が処遇改善を訴えていたが、活動拠点だった東大で、全共闘が安田講堂を占拠し「東大紛争」が起きたそうだ。
機動隊が突入し、武装が解除されたが、その影響で、翌1969年の東大入試が中止となったそうである。
なんか物騒な世の中である。今では考えられない。
あの担任の先生は、今、存命だとしても100才くらいになっているだろうし、先生の息子さんたちはとうに70歳を超えていることになる。
どんな人生を送っているのでしょうね。
実家から帰宅するとポストに車検証と車検ステッカーが届いていました。
これは、届く予定になっていたものです。
台風の中で配達されたせいか、レターパックの隅の方が濡れていたので、もしや中の車検証が・・と思いましたが、ディーラーの人がクリアファイルに挟んで入れてくれていたので、濡れずに無事でよかったです。
車検証とステッカーの渡し方も、そのたびに変わっています。
今回は、レターパックで郵送され、同封されている受け取り確認の書類にサインをして返信用封筒に入れて送り返すという方法で、これは今までになくちゃんとしたやり方だなと思いました。
ステッカーについては、車を買ったばかりのころは、ディーラーで貼ってもらうものだと思っていましたが、その後は自分で貼るようになりました。
一番ひどかったのは、宛名もなく封もしない封筒に、車検証とステッカーが入れられて、自宅の新聞受けに放り込まれていたことがあります。
パンフレットが入っているような紙封筒に入っていたので、無頓着な家族などが同居していたら、そんなに重要なものとも思わずに捨ててしまう可能性さえあります。
おそらく、家を訪ねてディーラーの人が来たのですが、留守だったので、新聞受けに放り込んで行ったようです。これはあらかじめ届けるともなんとも言っていなかったし、届けられたあとも何の連絡もなかったので、あまりにもずさんだなと思いました。
この時の担当者は、若い新人の女の子でした。これについては、別の機会のアンケートに苦情を書いておきました。
もしかしたら、今までのような適当なやり方だと、届いてないとか気づかなかったなどと言う問題があったのかもしれません。
前回は、自分で貼るのも位置決めなどに神経を使うので、貼ってもらうことにしました。しかし、シールが曲がっていたので、気に入らないです。曲がるくらいなら自分で貼ったほうがマシです。
それで、今回は送付してもらうほうを選びました。
すると、いつ頃送付されるので、受け取り確認を返送してくださいとの説明があり、その通りに送られてきたので、きちんとしていました。
店長さんが変わったりすると方法も変わるのかもしれませんね。
仮に貼られている保安基準適合標章というのをはずし、かわりに車検ステッカーを貼るのですが、なかなか難しいです。
ステッカーは、あらかじめそのまま貼れば良い形態にしてくれているので、位置だけおかしくならないように気を付けて貼りました。
・・・
そういえば、コロナ禍になってから2回目の車検で、本当にコロナの時代が長いなあと思います。
次回の車検はどうなるんだろうか?この車はまだ乗り続けられるのか?
そのときは、マスク・アルコール消毒が不要になっていますように。
昨日、大雨の合間にお寺に行ってきました。
お盆には猛暑と新型コロナ感染爆発のために、お寺に行っていなかったのを実家母が気にしており、お彼岸は行かないわけにはいかないと思っているからです。
お盆や彼岸にはお寺に御菜料というものを持っていくのですが、お盆に行けなかったので彼岸はちょっと多めにというのが母の考えでした。
あと、お墓が草ぼうぼうになっているのも心配でした。
それで、今回は彼岸前のシルバーウィークに帰省することにしたのですが、考えてみたら、お墓参りにしては早すぎたってことです。
彼岸は23日だと思っていたので、その前に行くならシルバーウィークだと思っていたところ、調べてみると23日が彼岸の中日なので、彼岸自体は20日から26日までなんだそうです。だったら今週末で充分遅すぎることはなかったのですね。
だから、あんな大雨の合間を縫ってお寺まで行くこともなかったわけで、確かに誰もまだ墓参りなんかしてませんでした。
九州に接近上陸した台風の影響で朝から大雨が降っていたので、お墓参りも草取りもできないものの、お墓の前まで行って様子を見ると、不思議なことに草が何も生えていませんでした。
この夏の間に草が生えないわけはないので、誰か(お墓の掃除の人でも雇ったのでしょうか)がきれいにしてくれたといしか思えません。
うちのお墓のみならず、墓地が全部きれいになっていたようです。
自宅の墓を撮影して母に見せました。彼岸花がつぼみをつけていて、咲くと良い感じになりそうでした。
お寺に御菜料を届けて、さっさと帰ってきましたが、そういえば本堂と位牌堂にお参りするのもすっかり忘れていました。
雨がいつ降ってくるかもわからないので、できるかぎり早く帰ろうと思っていたのでした。
・・・
実家母と一緒に行くときは、母が杖をついてゆっくり歩くので、片道30分もかかり、往復で1時間以上かかるので、余計に疲れてしまいます。
今回は断続的大雨の合間で、私1人でタクシーでお寺まで往復して来ようと思っていたのですが、運よく雨が上がっていたので歩いて行ってきました。
1人で歩くと片道10分くらいしかかからないので、お寺に寄る時間を含めても往復30分で済みました。
帰りにスーパーに寄っている間にちょうど大雨が降っており、買い物を済ませて出るとちょうど雨が上がっており、うまいぐあいに、ほとんど傘を使わずに行ってくることができました。
帰省する目的の1つは、お寺とお墓の義務を果たすためのようになっています。
とにかく彼岸の務めはクリアしたので一安心ですが、本日敬老の日に実家にいられなかったのは、母には申し訳ないです。
姉もたまには帰省してくれれば良いのですが、病気老齢のペットの介護に明け暮れ、外出することもままならない状況で、どうにもならないそうです。
実家母は足が弱ってきていますが、アタマはボケてもいなくて、何の支援も受けずに一人暮らししています。
今回は、いざというときのために総合感冒薬と解熱剤を持っていき置いてきましたが、そんなものは要らないと言っていました。
それから、私がコロナにかかったときに東京都が送ってくれたレトルトのおかゆとゼリーを持っていきました。(自分が食べないので)
これは、夫の分も含めてまだ自宅にも大量にあるので、非常食的に置いてあります。
あと、足の筋肉・骨を強めるためのロコモア。
そして、スーパーで色々食料や飲料を買ってきましたが、なかなか母の好みには合わないので、次回行ったときに、結局私が飲食するはめになるかもしれません。
まあとりあえず、元気でしたが、年齢が年齢なので、少し心配です。
JRとロマンスカーの接続が悪く、小田原の駅ビルで時間をつぶしてました。
車のことで思い出したのだけど、先日の車検のときに、夫が新車を見たいといって一緒に乗っていった。
帰るときに、車のカードキーをディーラーの人が運転席近くのインパネの上に置いてあった。
普通は、ズボンのポケットに入れておくのだが、そこに置いたまま車を走らせていると、夫がキーはここに置いたままでいいのかという。
運転中なので、ポケットに入れるのが大変だから入れず、降りるときに忘れないようにしようと思っていたところだったので、そのままでいいよと答えた。
すると、こんなところに置きっぱなしでは・・・と言う感じで、夫が手に持ったと思ったら、なんと助手席と運転席の間にあるアームレストの蓋を開け、そのボックスの中にしまったのだ。
えっ?なんてことをするの!
本当に信じられない。そんなところにキーを収納してしまっては、本当に降りるときに忘れてしまい、キーの閉じ込めをおこしてしまう。
いったい何のためにそんなところに入れるのか理解できない。
きちんと収納しておき、降りるときに取り出すつもりなのだろうか?
しかし、そんなの忘れてしまうだろう。
すぐに元に戻すように言い、信号で止まっているあいだに自分のズボンのポケットに入れたのだが、座っているとポケットの入り口をこじ開けて奥まで入れるのは難しいのである。
それにしても、夫によって私の見えないところに収納されてしまってはたまったものではないのだ。
なんでこういう行動をとるのか全く意味がわからん。
家でも、私が忘れないように見えるところに出しておくと、夫が見えないところに収納してしまい、無きものとなって支障をきたすことが多々発生している。
本当に困ったものである。
先週、車検に行ってきました。
早いもので、車を買ってから13年になり、私も車も「高齢者」になってしまいました。
あの頃はピカピカの新車だったのに、いつの間にか、艶もなくなり、型も古くなり、ヘッドライトも白内障になっています。
あっという間の13年でした。
その間、私の運転技術は全然進歩しないので、新青梅街道をまっすぐ走ってばかりです。
走行距離もまだ3万kmにも足りません。1年に2000kmしか走りません。
それでも、車があるおかげで、行動範囲が広くなりました。
・・・
車は13年も経つと、車検では発見できない故障が突然起きたりするそうです。そんなことをディーラーで脅されるのですが、今のところ調子も良いので、少なくともあと2年は乗りたいです。
近い将来年金生活になると思うと、新車を買ったり維持したりはできなくなると思います。
・・・
ところで、今回は特に故障もなく、基本的な点検の金額だけしかかかりませんでした。
あとは、バッテリーが3年経っているので、念のために交換しました。
今のところ、まだ大丈夫だそうですが、これから寒くなるので、新しくしておいたほうが安心とのことでした。
・・・
ディーラーでは、時によって言うことが一貫していないことが多く、その場の気分かなと思うことがあります。
例えば、ヘッドライトの曇りが気になってきたのは、今から3年前で、その時は私から透明にする方法はないものかと聞いたところ「ヘッドライトシールドコート」(3300円)というので、きれいにしてくれたのでした。
しかし、その翌年に車検があり、その時に、接客の担当者が、ヘッドライトが曇っていると車検に通らないことがあるので、きれいにしませんかと勧められたのです。
「いえそれは、昨年きれいにしたばかりなので、必要はないと思います」と言って断りましたが、いったいヘッドライトの状況を見て言っているのでしょうか?
そうして、それからさらに2年経ったら、最近また少し曇ってきてしまったなと思っていました。それで、今度は修理の人に「以前、曇っていると車検に通らないと言われたのですが、大丈夫でしょうか」と聞くと、全然大丈夫だとのこと。古くなるとどうしても劣化して曇ってしまうそうですが、それで車検に通らないなんてことはないそうです。
ヘッドライトシールドコートをした翌年に「車検通らないかも」なんていうかと思えば、それから3年も経ってるのに「全然大丈夫」って、おかしいですよね。
今回はバッテリーを取り換えるということで、採算がとれたのかも?
また、次回の点検なのですが、しきりに3月の上旬を勧めるので、おかしいなあ、前回は4月だったのに、なんで前倒し?と思うのです。
これは、数年前も同じで、なるべく早め早めを進めていたのですが、近年は、別に急がなくて大丈夫ですという感じになっていたものの、今年になったらまた早めを勧めるようになりました。
店長の方針とかあるのでしょうか?
実は、うちの会社も、上半期末や年度末の締めのために、前倒し前倒しの仕事完成で請求を早めろ、としきりに言っていたときがありましたが、前倒しにすると、結局そのあとが落ち込むので同じことなんじゃないか、と思ったのでした。
それでも、売上の目標達成が危うい場合は、締め日までになんとか売り上げを増やす必要があり、車の点検日を前倒しにするのも一つの方法なんでしょうね。
新型コロナ禍になって、リモートワーク体制が進み、私の勤務先では、ほとんどの人間が通勤しなくなりました。
それで、がらんどうの職場に、わずか数人が出勤するばかりで、フロアーに私1人のこともあります。
そんな状況なので、ついにはもう社員の机は大部分必要ないということになって「フリーアドレス」っていうものになるそうです。
ということで、近々、自分の席を明け渡さないといけないので、机の引き出しの中などを片づけなくてはならなくなりました。
私は、会社の机は、自宅とは違ってすごくきれいに片付いていると思っていました。それは、とりあえず机の中に物がちゃんと入っているからです。
ところが、いざ、机を空っぽにしろと言われると、これがまた自宅で片づけをするのと同じ状況が発生し、片づけようとすればするほど、色々なものが机の上に出てきて、収集がつかなくなります。
何で片付かないんだあ?印刷物は全部捨てちゃえばいいんじゃないか?
おそらく、全部パソコンの中に入っているもので、それを印刷したものばかりだと思うのです。
だから、ペーパーレスで、必要なときは、パソコンの中の資料を見れば良いはずなのです。
でも、いったいどこに格納してあるのか、わかる自信がありません。
紙媒体のものは、主に仕事上のマニュアルや、昔使った資料や、仕事上で起こった出来事の記録などがファイリングしてあるんですが、物体だったら、パラパラめくって内容を探すことができるものの、パソコンの中だと簡単には探せないような気がします。 どんなタイトルをつけたっけ?
・・・
紙になっている資料をシュレッダーにかけて廃棄してしまった場合、もしその資料の内容を知りたいと思ったときは、なかなか探せなくなってしまうので、だったら、やっぱりその紙資料はそのまま残しておいた方が良いでしょう。
しかし、会社には置くところがなくなるので、つまりは自宅にとりあえず持ち帰っておきます。
そもそも、在宅勤務が基本なので、仕事で必要なものはすべて自宅に置くというのが自然になるのかもしれません。
だが、しかし、そうなると、狭い自宅がますます狭くなり、物がいっぱいになってしまいます。
それでも、捨てる決断はつかず、結局持ち帰ってきました。
これがもし退職するのであれば、すべてスッキリ捨てることが出来るわけだなと思いました。
今後使うこともないわけですから、簡単です。
でも、会社勤務を自宅勤務にするっていうのは、これは問題です。
これまでの会社の自席のスペースと同じ容量が自宅に必要じゃありませんか。
無理です。
しかも、私は自宅では集中力散漫で仕事にならないので、最近は通勤ばかりしており、それで体調も絶好調なのに、これからは会社に行っても自分の席がないなんて、落ち着かないです。
仕方なく自宅で仕事をしないといけないことになるのでしょうか。
通勤したい人は席を設けるということはできないんでしょうか~
今後は、通勤する場合はフリーアドレスの席を予約登録しないといけなくなるらしいのです。
なんか面倒くさいなあ。
これは9月3日に草取りをしていて刺された足の9月5日の状況。
9月3日には虫に刺されたことも気づかず何もなかったのに、4日になって初めて現れた。
右足脛の内側だが、外側も同様。左足も同様。
いったい何の虫に刺されたのであろうか?
刺されてから1週間でやっとかゆみがおさまった。
10日以上経った今現在もまだ、跡は残っている。
・・・
一昨日刺され、昨日痒くなった腕も、多数箇所が腫れていたが、
これよりは広範囲に散らばっており、普通の蚊だったらしく、今日はもう大丈夫だ。
・・・
虫刺されの反応は、即時型反応と遅延型反応があり、
即時型反応は、刺された直後から生じるかゆみ、発赤、蕁麻疹などが出現する反応で、
遅延型反応は、刺されて1〜2日後にかゆみ、発赤、ブツブツ、水ぶくれなどが出現して、数日から1週間で軽快するという反応だそうだ。
一般的には、赤ちゃんなど若い人が遅延型反応で、大人になると即時型反応になり、老人になると何も反応しなくなるそうである。
じゃあ、私は赤ちゃんなのであろうか? 老人体質でなかったのは喜ぶべきかもしれないが、老人のほうが痒くなくて良いということだ。
即時型反応は、虫の唾液を異物としてマスト細胞というのが反応するので、痒くなるらしい。
遅延型反応は、刺された箇所に、白血球などの炎症細胞が集まってきて腫れやかゆみが起きるらしい。
即時型には抗ヒスタミン剤、遅延型にはステロイドが効くとのこと。
うちにある薬はウナコーワクールαでぶり返すかゆみに効くと書いてあり、ステロイドも入っているらしい。
足は、かゆくなるたびに何度も塗ったが、やはり治るまでに1週間かかった。
虫嫌だ~ 痒いのも嫌だが、これだけの虫が自分の身体にたかっていたかと思うとぞっとする。
この頃、おかしな症状が起こっている。
9月3日に、草取りをしたら、その翌日になって足首がものすごくかゆくなり、見ると何十か所も虫に刺されていたのだった。
少し丈の短いズボンとソックスの間の足首のところに皮膚が出ていたらしく、そこを襲撃されたようだ。
片足20か所で両足40か所くらいであり、時々ものすごくかゆくなり、そんなことを繰り返すうちに、1週間たってようやく治ったのである。
今はかゆみはないが、まだポツポツ跡が残っている。(これは蚊ではない虫のようだった。)
・・・
それが治ったばかりだというのに、昨日は外でまた別の場所の草刈りをしていた。
今度は足首をしっかりと覆った。
途中で、蚊がぷ~んと飛んでいて、振り払ったりしながら草取りをしていたが、適当なところで切り上げた。
その時は何でもなかった。蚊は飛んできたが、刺されはしなかったと思っていた。
ところが、今夜になって、急に両腕のあちこちがものすごい痒さに襲われた。
みれば、あっちこっち虫刺されで膨れているのである。
しかも両腕の上から下までという広範囲で、かゆくてたまらない。
だが、これは絶対に今日刺されたものではないと思う。
一昨日神社の境内で刺されたか、昨日草刈りをしていて刺されたかのどちらかだ。
刺されたときは何でもないのに、1日以上経って痒くなるなんてことがあるだろうか。
ためしに、パソコンで検索してみた。
すると、本当にあったのである。それを遅延型反応というそうだ。
普通は、虫に刺されたらすぐにかゆくなり、そしてその日のうちに直るそうで、それを即時型というらしい。
蚊に刺されたときは後を引かない。
ところが、今年の虫刺されはどうしたことか、最初は何も反応しないのだ。
これは、ボケ老人の特徴だろうか?
24時間以上経ってから急に痒くなり、掻いてみるとあちこちが赤く盛り上がっている。
いったいどうして遅延型になってしまったのだろう。
💉のせいで免疫が狂ってしまったのかな。
これは、所沢市の比良の丘ひまわり畑を見に行ったことを書いた最後の行程になる。
帰りは、新秋津から武蔵野線で西国分寺まで行った。この路線はトンネルばかりで本当に驚いた。
埼玉県と東京都の山の下を通過しているのだろうか。
この時、地下鉄東西線が信号故障で不通になっているという情報が流れていた。
そのため、中野三鷹間の東西線乗り入れ区間も走っていないとのことだった。
これは、中央線に乗るうちらには関係のないことだった。
ところが、西国分寺でJR中央線東京行きに乗り換えたところ、なんとお茶の水かどこかで人身事故が発生し、中央線が運転を見合わせているというのだ。
その後、東京新宿間は止まっているが、新宿から西側では折り返し運転がされ始めているとのことだった。
乗った電車は、しばらくここで運転見合わせになっているとのこと、運転再開は4時20分の予定という放送があった。
その時の時刻が3時40分だったので、ええ~っ、このまま40分待つのか?とショックを受けた。
もともと座席には座れなかったので、そんなに長く車内に立ってはいられないからすぐに電車を降りた。
他にも何人か降りていた。
これはいったいどうしたらよいのだ?どうやって帰る?
アタマによぎったのは、やっぱり西武線で所沢から帰ればよかったなということだった。もう一度秋津に戻るか?
それともバスとか、なんか帰る方法はあるのだろうか?
とりあえず改札のほうに出て行き、こういうときは途中で下りたら切符はどうなるのだろう?又は引き返して西武線に乗り換える場合、切符はどうなるんだろう?と思った。
改札のところの駅員さんに聞くと、電車が不通になっているのは新宿・東京間なので、新宿からこちらは関係ないから、ここで降りようが引き返そうが、乗車券代は全部お客が支払うことになるそうである。
40分も止まっているなら秋津に戻って西武線に乗ろうかと思うのですが・・他に方法はありますか、というと、電車はすぐ動くはずなので乗っていた方がいいですよというのだ。
「えっ、だって動くのは4時20分を予定していると車掌さんが言っていましたよ」と言ったのだが、「いや、まもなく動きますよ」とのこと。
4時20分まで動かないと聞いて降りて行った人はたくさんいて、あるおばさんは西国分寺から国分寺まで歩くことにしたので、駅員さんに道を教えてほしいなどと言っているのを聞いた。
私たちは、改札の駅員さんがすぐ動くと言うので、電車に戻ることにした。
確かに自分でまた切符を買って秋津まで戻るのはお金もかかるし、時間もかかりそうだと思った。
40分間どこかのお店で時間をつぶすのも面倒である。
夫はまた、今日はついていない不吉な日であることを主張し始めた。
「だから最初からずっと嫌な予感がしたんだ。今日は最後の最後までついていない」とのことだ。
そしてすべては、私が変な計画を立てて夫を誘い出して出かけたことが不運の始まりだとのことである。だったら来なきゃよかっただろう。
ちなみに不明な虫に刺されて重症化しているはずの腕は何にもなっていない。ただの蚊だったに違いない。
電車に戻ると、多くのお客が降りていたので、席が空いていて座ることができた。
そして、車掌さんが、まもなく発車しますと言っている。
4時20分まで動かないというのはいったい何だったのか?新宿から先のことを言っていたのかもしれない。
それにしても人身事故とは飛び込み自殺なのだろうか。本人は生きているのが辛くてそんな行動を起こしてしまったので気の毒だが、これでどれだけの人が影響されてしまうのだろう。
中央線の飛び込みは今年になって14件目だそうだ。あまりにも多すぎる。
ツイッターを検索してみると、これから目的地に向かっていたが間に合わないとか、バイトに遅刻するとか、公演か上映かなんかを観に行こうとしていた人が、もう開演に間に合わなくなってしまったなどとツイートしていた。もし飛行機に乗るとか重要な予定がダメになってしまったらどうするのだろう。
新宿から先、どうやって行こうかと困っている人もいる。そういえば、普通は中野から東西線に乗り換えればどうにかなるが、東西線も止まっているのであった。
電車は動いたが、次の駅でまたしばらく停まったり、三鷹の手前では線路上で止まったりして、ゆっくりと進んで行った。
電車が当分動かないと思って、今ごろ西国分寺から国分寺まで歩いているであろうオバサンのことを思うと気の毒である。
そして、電車は多少の時間はかかったものの無事に目的駅まで運んでくれたし、空いていたのでゆっくりと座れた。
この日は、色々と大変な出来事にぶち当たりはしたが、結果的にはそれほどの難はなく、事がうまく進んだと思う。
実は、数日前に谷保天満宮に行ったときに、おみくじを買うと、「吉」だったが「旅行 利なし 控えよ」とのお告げだった。
これは旅行というほどのものでないが、確かになかなか大変だったなあ、おみくじの言ってることはこのことだったか、と思うのである。
私は来月の遠出のことを気にしていたのだが、このおみくじの内容が「比良の丘ひまわり見物」の旅行のことであるならば、来月の旅行には当てはまらないのかなと思うので、おみくじのお告げはこれにて済んだということで、むしろ次の旅行は大丈夫かもしれない。
私は神秘十字が手のひらにあるので、ご先祖様が守ってくれているみたいだ。
色々困難はあったが、利がなかったわけではなく、色々得るものがあったと思う。
最後にひまわり写真を載せておきます。
(これにて「比良の丘ひまわり旅行」の記録は完了です。)