まるで児童書のような本。文字も大きいし、ページの余白も広い。読みやすいけど、なんか不思議。図書館の分類は一般書になっている。児童書でもYA小説でもない。話は中学生の3年間を4人の視点から描いた連作。3章仕立て。1章は3話、3人のエピソードが描かれる。魚住陽子の余白とはまるで違うけどこの小説は目に見える余白がたくさんある。ページにあからさまな空白が出来ている。そして主人公4人の心にも。まだ中学生で自分が未熟。だからわからないという白紙がページの空白と重なる気がした。
さらにひとつひとつの話がそっけないけど、やけにリアルというのもこの作品の特徴だ。まるで中学生が書いた文章みたい。それは幼いということではなく、子どもたちの目線から彼らの問題をクールに描いているという気がする。問題提起ではなく、ありのままのスケッチ。そしてそれぞれのお話も明確な答えはなく、いきなり終わる。
4人のエピソード配置もイビツ。1章3人というのもなんだか変。いつもひとり足りない。しかも3章は3話ではなく4話あるし。なのに3人のエピソード。トータル10話にエピローグが付く。各章、ある出来事が描かれる。1章は博物館行きの話。たまたま班分けで校外学習のグループになった4人。何の共通点もない彼らのそれぞれの話である。それにしても、ロボット博物館って? そこでロボットのいる未来を考える話。死んだ祖母をアンドロイドで甦らせたら、と思う。これは中学1年時の話。
2章は球技大会のドッジボールの話。これは中2。1話と同じように3つの視点から大会に臨む3人それぞれの気持ちが描かれる。たかが球技大会。されど球技大会。しかも地味なドッジボール。
だから3章は中3の話になる。ここで取り上げるのは進路。高校受験を巡る話になる。ここでも3人の視点から語られる。4人の話なのに。
いずれも1年の断片が描かれる。ある出来事を巡るエピソード。描かれるのは等身大の中学生である。彼らの気持ち、想いがさらりと綴られる。感情的にはならない。冷静に考えて目の前の現実と向き合う姿が描かれる。こんなリアルは今までお目にかかったことがない。凄いというより、やはり不思議。この力の抜け方も、含めて。今並行して見ている『推しの子』の極端にイビツなアン・リアルとは対照的かもしれない。ふたつは同じように10代が描かれるのに。
彼らは受験を終えて高校生になる。僕が生きたフィールドにやってくる。今も高校生の相手をしているけど、僕はこれまであまり中学生を視野には入れてこなかった。中学時代にはあまりいい思い出がない。好きではなかった。だけどあの頃、僕はこの子たちのように悩んでいたのだろう。未来に対する不安しかなかった。これを読んでそんなことを思い出した。サブタイトルにある『アンドロイドと不気味の谷』というなんだか禍々しい文字の意味するものが気になる。傑作である。