村上春樹の短編小説の映画化(「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」)なのだが、上映時間が2時間59分。さすがにそれはないでしょ、と驚く。きっと誤植で1時間59分の間違いではないかと思った。でも、映画はやっぱり3時間だった。
原作のなかの言葉がそのまま出てくる。濱口竜介監督は上映時間5時間の『ハッピーアワー』も撮っているけど今回は西島秀俊主演の(一応)商業映画だ。そんな枠内でも妥協することなく、こんな上映時間の映画を提示する。もちろん面白いし時間の長さを感じさせない。
舞台演出家が主人公だ。彼が広島で開かれる演劇祭の仕事を引き受け現地に滞在する時間が描かれる。オーディションから始まり稽古の日々が丁寧に描かれていく。単調になりそうなところなのに、そうはならない。稽古といっても読み合わせである。しかも、独特の演出法で感情を一切込めず棒読みを強要される。なかなか立ち稽古にはならない。なのに、そんな淡々とした描写が緊張感をもって描かれ、スクリーンに釘付けされる。
映画の前半、東京のシーンでは妻が死ぬまでが描かれる。彼女の死を受け止め、その後の時間を生きることになる。何も語らないけど、事実をちゃんと受け入れられないで戸惑っている。仕事である広島に向けて車を走らせるところでタイトルが出るのだが、その時はたぶんもう映画が始まって1時間くらいが過ぎているのではないか。
チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を多国籍俳優たちで描く。言語はそれぞれの母語を使う。手話を使う役者もいる。映画は西島演じる演出家の姿を追いかけるのだが、それは結果的に公演までの稽古風景を追いかけることにもなる。芝居の立ち上げから公演までの時間をこんなに丁寧に描く映画は今までなかっただろう。しかも彼の演出が独特のメソッドで、こんなかたちで芝居が成立するのか、と見ていて不安になるほどだ。これは公演までを追うドキュメンタリーのような映画だ。だけど、もちろんこれは演劇公演のお話ではない。そこはあくまでも背景となる出来事でしかない。
彼が妻の死を受け入れるまでの日々を、演劇公演までのホテルと稽古場の移動を請け負ったドライバーと、舞台で主演することになった役者(西島の妻の愛人でもある)とのやりとりで描く。こんな地味なお話なのに、3時間があっという間の出来事だった。もちろんそこには派手なストーリーは皆無である。ただそこに流れる時間を切り取るだけのように見える。だけど、目が離せない。終盤広島から北海道まで車で行くシークエンスが劇的な展開になるけど、それだって必ずしもドラマチックとは言えない。特別なことが起きるわけではない。
人は悲しみをどう乗り越えてのか。そんなこと、人それぞれでこうすればいいとかいうようなことはない。だけど、彼らを見ている(演出家とドライバーのふたり)と、そこから「何か」が確かに見えてくる。この3時間を通して、僕たちはこの映画からその答えをちゃんと伝えられる。悲しみを、乗り越えることができる。