習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

evkk『うつろな恋人』

2025-03-09 15:41:00 | 演劇
20年くらい前の初演も見ているけど、このブログに記録がない。外輪さんからの指摘を受けて、自分でも確認したけど、もちろんなかった。まだ紙に書いていた頃(習慣HIROSEは僕の備忘録でノートに手書きしたのをコピーして読んでくれる数人に渡してた)の作品なのかもしれない。調べたらやはり20年以上前の作品である。僕がこのブログを始めたのはだいたい20年くらい前だから、ギリギリない。もちろん僕のことだから紙バージョンは紛失して、それももう今はない。何を書いたんだろか、気になる。

確か森ノ宮のプラネットステーション(なんてホールがあった)での公演だったのではないか。先日久しぶりにevkkの前作公演でお会いした土本さんが主演していた、はず。たぶん。(と、ここまでは芝居を見る前に書いた。)

今回芝居を見ながら、これこれ、こんな話だったとお話を思い出した。台本の変更はない。だけど演出はまるで違う。平板だった芝居がこんなにも立体化された。ここには「お話」ではなく、確かな「感情」が提示される。

外輪さんがこの再演をする意味は明らかだ。前回出来なかったことが、今なら可能だからである。外輪さんの(今の)ミューズである澤井里依の存在。それがすべてだと言っても過言ではない。彼女の無邪気な笑顔の下にある恐るべき闇。しだいに病んだ心が明るみに出て来る。そんな女を見事に演じた。それを受け止めてやがて彼女を壊してしまう男を倉田操が演じる。いささかオーバーアクトになり暴走してしまったのは残念だが、澤井の芝居を受けてエスカレートするのは仕方ない。お話自体もそんなふうになっているし。

主人公は倉田が演じる塩瀬という男である。彼は以前の智子(澤井)と同じように心を病んで、今は施設に入っている。近所の喫茶店で働く少女(もちろん智子である)に心惹かれる。恋愛感情ではない。彼女に自分と同じ「何か」を感じた。同じものを持っている、と。澤井里依は少女のような外見を持つ大人の女を見事に演じた。自然に10代に見える20代半ばの女としてそこにいる。アンバランスではなく、自然なまま。それはおかしいことかもしれない。不自然と紙一重。

彼はそんな彼女が抱える闇と向き合い、やがて囚われてしまう。彼女を救いたいという想いが彼女を壊していく。周囲の人たちは彼の自己満足でしかない暴走を止められない。

クライマックスの激しいふたりのやり取りに圧倒される。彼は彼女に恋人は存在しないということを突きつける。だけど彼女は認められない。彼はいる。さっきまでここにいた。なのに塩瀬さんが彼を消してしまった、と。

彼女が燃えてしまうシーンのあまりの美しさに震える。風と火が今回の芝居の小道具であり、外輪さんはその演出をきちんと仕掛ける。役者たちより装置とその段取りに気を配った。だってふたりの役者は信用できるから。

舞台の段差、中央の空洞。シンプルな装置が空白の内面を具象化する。ずっと芝居中、穴に落ちることが暗示される。あのぽっかり空いた空洞がずっとある。
 
こんな怖い芝居を作り上げた。ここにいるふたりの、ここにある闇(病み)を見事に舞台上に提示した。傑作である。


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