Amazonでの配信が終了するので、久しぶりにクエイ映画を見ることにした。今から40年近く前に見た『ストーリート・オブ・クロダイル』が初体験だった。あの不気味な世界は衝撃的だった。何がなんだかわからない。だけど強烈なインパクトを与える。
今回見た3作品は、昔見たような気もするけど、全く覚えていない。相変わらず不気味な映画だった。『人工の夜景 ― 欲望果てしなき者ども』『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』『ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、フナー・ラウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき』略して『ギルガメッシュ/小さなほうき』。タイトルを書くだけで、疲れてしまう。そんな短編3本を見ながら、実は退屈した。10分から20分程度の短編なのに。
これが何を意味するのか、わからないし、あまりわかりたいとは思えない。今の僕はこういうタイプの実験映画には惹かれないようだ。つまらないわけではないけど、わざわざこの意味を考えたくもない。さまざまな寓意があるのだろう。たぶん。だけどこんな見せ方をされて、今の僕にはついていけません。
と、ここまで書きながら,果たしてそれだけでいいのか、という疑問がある。この衝撃をわからないの一言で葬り去るほど僕は退化しているのか? 10代の頃の驚きはわかる,わからないという二分法では収まらない。この圧倒的な悪夢の世界にどっぷり浸かっていた若い僕が眩しい。