桜の花びら
見上げて 咲いた タンポポ
ひかる 光る
大地に咲いた お日様・・。
桜の花びら
見上げて 咲いた タンポポ
ひかる 光る
大地に咲いた お日様・・。
田んぼでの作業を楽しみにしていましたが、
雨音でめざめる月曜日です・・・・。
雨の日も大好きな私は、それはそれでうれしくもあり
傘をさして 長ぐつをはいて
美しき緑の世界へと足を踏み入れます。
ただながめているだけでも
しあわせなんですね~
この風景・・・・。
緑の冬草でふんわりとおおわれ
いきいきしています。
下の写真は 私の畝です。
この冬草の草原が 夏草に変わる頃 田植えが始まります。
そして 夏草のお米の舞台となってゆきます。
ふと見ると Tさんの畝あたりに鳥がいますよ。
望遠レンズで こんにちは。
自然農にいのち宿りて
自然農でお米を育てれば
一反でだいだい七~八俵の収量です。
温暖地で晩成種の生育期間の長いものならば十俵。
気温の低く夏の期間の少ないところや
高い棚田等では五俵くらいの収量で、
特に多くも少なくもなく 普通に育ちます。
そこに 科学肥料や有機肥料を使えば
一反十俵になるかもしれない
収量が二~三割増えるかもしれない
・・ということは考えられますが、
その二~三割の収量を増やすのに投入している経費を差し引きすると
収量が増えた分だけ 経費として消えてゆきます。
専業農家としては 収入の増加にはつながりません。
人類の食糧問題を考えますと
お米のいのちに生かされる私たち
野菜のいのちに生かされる私たちですが
そのいのちの量は 今日私たちが目安にしている量とは
全く別のものです。
今日では量を重さや升目(大きさ)ではかりますが
そのいのちの量とは別のものです。
姿が大きければ いのちの量が多いのか
あるいは重ければ いのちの量が多いのかというと そうではありません。
いのちの量は ものの世界を超えたところにあります。
例えば
耕して化学肥料農薬を用いて実った一反十俵のお米で
十人の人を一年間養えるとするならば、
一方自然農で実ったお米は八俵で十人の人を養えることになります。
こうしたいのちの世界におけるいのちの量は
ものの重さや量ではなく、
一粒一粒に宿された生命力の違いです。
この自然界において 私たちに与えてくれる自ずからの量が最善の量です。
自然農にいのち宿りて 地の巻 p74より抜粋
「収量といのちの量」
自然農にいのち宿りて 川口由一 著
山桜がふんわりと 空をそめる四月・・・
内野久美子さんの著書 「潜在意識を支えるもの 植物の力」を
なつかしく読ませていただいています。
今の私に ぴったりとくる内容です。
山桜に会いに行った日に 本棚からとりだして読みはじめました。
桜のお花といっしょに
ほんの少し ご紹介したいと思います。
以下 「植物の力」
第一章より
山や森をみると
まなざしがやわらかくなるのに気がつきませんか。
それにつれ 心がゆるみ
脳波が変わります。
少しぼんやりした気分になり
そうなると 無意識との距離が近づきます。
自分の外側にきっちり引いていたラインも消え
感覚が広がります。
気持ちも 受け止めようという体勢に
自動的に変化しますし、
そうなった分だけ
受け止めてもらえます。
やさしい気持ちになります。
植物との間には
そんなコミュニケーションが成り立ちます。
自我という意識状態が
休息に入ったわけです。
人間にとって
植物は無意識を体験できる場を与えてくれます。
特に樹木は 一本あっただけでもほっとしますが、
たくさんあれば 私たちの日常抱えている自我の頑張りを
笑い飛ばしてしまうほどになります。
文 内野久美子さん
山桜を見上げるとき
宇宙に抱かれていることを想い
光をはなつとは こういうことなのだ・・・と、
咲く ということの 豊かさを いのちから感じさせてもらっています。
まゆみ
自然農にいのち宿りて
野菜もお米を中心とした穀類も果物も
何もかもいのちの世界における いのちある生き物です。
いずれも 気候風土に応じた営みですから
それに添うしかありません。
ところで 適地適作 適期的確には幅があり
いずれも 広い地域で育っています。
米 麦 小麦 イモ トウモロコシ等は主食になるものですが
地球上のあちこちで栽培されています。
野菜 果物 いずれもです。
あるいは 最近は海外からの種が
かなりたくさん日本の各地に入ってきています。
ヨーロッパから 中国から 暑い国から いろいろですが
多くのものが育っています。
遠く離れた異にする地域といえども
同じ地球生命圏であり 同時に地域の違いです。
気候風土や作物の性質に応じての作付けが必要ですが
幅があり ゆとりがあって
それほど窮屈なことではありません。
気候風土に応じるしかなく
自然に応じることが最善であり基本となるものですが
例えば寒いので気温をあげて 夏野菜を育てるべく温室を作る時
大きな施設を用意し 多くのエネルギーを投入しなければならないほどに程度を超えると
大きな無駄遣いになります。
自然の恵みをもらっての工夫は大切ですが
限界を超えると大きなマイナスになります。
基本は 私たち人間もその土地に生かされるいのちですから
その気候風土で育てることのできるものを育てたならば
人々のいのちは約束されます。
ここに立つことが大切です。
地の巻 p72~P73より抜粋
写真は 川口由一さんの自然農田。
田んぼの一角に 籾種を降ろされています。
六月の田植えまで この畑苗代で元気に育ちます。
自然農にいのち宿りて 川口由一 著