君は銀河の青い風  八木真由美 岡山

自然に沿って、自分につながって、
心地のよい光とともに。
竪琴ライア 自然農 ライトワーク ヒンメリ

  

自然農 綿のうれしい収穫 

2022年10月22日 | 自然農 綿
自然農畑 

今年も綿の収穫をしています。
白・茶・緑の三種を育てました。



お花も葉っぱも綺麗ですね。



お花が実になって
はじけるとふわふわの綿です。


綿には、
和綿 洋綿があると聞きました。


収穫した綿から
種をのぞいたものです。
やさしい白色に癒されます。


頬ずりしたくなるような
ふわふわ。
見て触って喜んでいます。


右手前の箱には ↑
種を集めています。


今のところ
このような感じです。

天然布が大好きなので
綿を育てる夢が
叶いしあわせです。

いつも小さなきっかけ(種)と
大きな喜びを与えてくれる
周りの友人たちに
感謝しています。

来年は、三年目になるので
種をたくさん降ろして
綿畑を増やして
しっかりとした綿の木を
育てたいと思っています。


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自然農 麦 おいしいね

2022年10月18日 | 自然農 岡山 麦 
自然農麦クラス
小麦大麦の製粉を終えて
おいしい💗お写真を
見せていただきました。


わかこさんのパン
強力粉の南部小麦です。
香ばしいかおりが
漂ってくるようです。


製粉してふるって
全粒粉とふすまにわけています。


さて、こちらは
大麦のはったい粉ボール


はったい粉が大好きな
寿美子さんの手作りです。
和菓子風ですね。



啓子さんのはったい粉ボール

みなさんのお写真に
うっとりしています。

そしてわたしも
作ってみました。



はったい粉ボール
お団子ですね。
材料は
はったい粉
さとう
きな粉
豆乳です。
ちょっと甘くなっちゃった。


そして来月には、もう
麦の種降ろしです。


春には
麦のやわらかな緑にであい
ワクワクするのでしょう。


四月


五月


一年は美しく
かけがえのない時の
つらなりです。
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2023年自然農稲作教室の募集を終了しました。米・麦・大豆 岡山県倉敷市 

2022年10月10日 | 自然農稲作教室のご案内とお申込み 岡山県倉敷市

🍀自然農稲作教室 米・麦・大豆🍀 
2023年募集を終了いたしました。 

ありがとうございました。


・・・・・・・・・・・・

岡山県倉敷市にて

自然農稲作教室を開いています。




お米づくりの実践を中心に

麦・大豆の栽培も学びにとり入れ

田畑にて実践をしています。



                                                       
自然農は
自然に沿うあり方で
耕さず、農薬・肥料などを持ちこまず
虫たち 草草を敵にせず

作物のいのちに沿い応じ従い任せ
手作業で栽培いたします。

適期的確に作業を行うことで
健やかな大地の恵みをいただきます。


 


自然農を知りたい
学びたい、体験してみたい

自然農でお米を育て

味わいたい

いのちを育む安心で安全な
大豆や麦を育てたい

宇宙自然界のことわりを学び
それらを察知する力を身につけたい

農的暮らしに憧れている
自給自足をめざしている

など・・・、

自然農に関心がおありで

一年間実習に通える方でしたら
どなたでもご参加いただけます。


 

  

一年間の作業について】

麦の種降ろし
田畑の畝の整え
竹取り
麦畑の草刈り
稲の苗床作り

稲の籾まき
苗床の手入れ

鳥よけ
麦の収穫
稲の田植え
大豆の種まき
田の水管理
夏草刈
畔の整え
麦の製粉
稲刈り
脱穀・籾摺り
大豆の収穫

等々。

ご自分で育てられた作物は
それぞれお持ち帰りいただきます。


【教室の期間と日程】

2023年1月~12月

土曜日を中心に実習いたします。
(日曜日になることもあります)

麦は2022年11/19はじまり。

【場所】

岡山県倉敷市
耕さず21年目の自然農田です。
お申込みをいただきました方に
詳細をお伝えさせていただきます。

 


【ご準備いただくもの】
のこぎり鎌・スコップ・クワ
川口由一さん監修

「自然農のお米づくり」創森社

 

【栽培の広さ】

稲作は水田にて
お一人あたり約40㎡

畑は人数にあわせて
ほどよい広さの畝を
分かち合います。



田畑では
米・麦・大豆を育てます。

🍀🍀🍀



【それぞれの内容】



ゆたかな自然農実習田にて
手作業で稲作の実践をします。
一年かけて丁寧にとりくみ
自給自足につながる学びです。







秋に種を降ろし
初夏に収穫いたします。
実習は秋から初夏にかけて行われ
涼しくなって後 製粉します。
自然農岡山県産小麦を
ぜひ味わってください。



小麦は製粉いたします。


大豆

初夏に種を降ろし
晩秋に収穫いたします。
10月に枝豆としてもいただけます。
味噌づくりにもいいですね。








 ライ麦 ヒンメリ
ヒンメリWS一回を含みます。



シンプルなヒンメリを一点つくります。


2022.11.12
募集を終了いたしました。
ありがとうございました。

八木真由美
岡山県倉敷市


【自然農稲作教室ブログ】
2021年
2020年
これまでの記録です。
🍀






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読書の秋 数学者 岡 潔さん 春宵十話

2022年10月07日 | 読書記録ノート

涼やかな季節になってきました。
道々、彼岸花やコスモスがやさしい彩です。

空気が澄んでくると 
わたしのいのちも静まり
その感覚で素晴らしいものに
出会いたくなります。

ずっと以前に
自然農の師である川口由一さんから
数学者の岡潔さんのお話しを
伺ったことがありました。

関心を抱いてはいましたが、
ご著書に出会うことなく年月が流れ
なぜか今「読ませていただきたい」
との想いが湧き
手にした「春宵十話」、
わかりやすく面白かったです。

「自然が人間にさしだしてくれるもの」を
上手に受け取るための心の構えが、
「情緒」なのである。と書かれており、
そこで示されていることは
深く納得のゆくものでした。

 🍀

本文より
ほんの少しですが抜粋させていただきます。♪


春宵十話  岡潔 

本当の智力というのは、
本当のものがあればおのずからわかる
という智力で、
いわば無差別智であります。
自分が知るというのでなく、
智力のほうから働きかけてくる
といったものです。
これにくらべれば、
こちらから働きかけて知る分別智は
たかの知れたものといえましょう。

 

数学の目標は真の中における調和であり、
芸術の目標は美の中における調和である。
どちらも調和という形で
認められるという点で共通しており、
そこに働いているのが
情緒であるということも同じである。
だから両者はふつうに考えられている以上に
よく似ている。


職業にたとえれば、
数学に最も近いのは百姓だといえる。
種をまいて育てるのが仕事で、
そのオリジナリティーは「ないもの」から

「あるもの」を作ることにある。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

数学の本質を明らかにされながら、
教育・芸術の分野におけるお話しも
とても興味深いものでした。

読書の秋に 今の私にとって
とても良い一冊となりました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こちらの記事は
数年前に掲載したものを
再度投稿させていだきました。
2022.10.7
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かわいい♪おさるのジョージとあそぶ

2022年10月06日 | 子育て 孫育て 自分育て

おさるのジョージと
遊ぶ一作くん
赤ちゃんせんべいを
どうぞ😊って。
ご満悦な表情です。

ジョージも一作も
ほのぼのと可愛いね。



孫の一作は今月
一歳二か月になりました。



いろんなことに
興味を示すようになり
好きな遊びは
つみきを重ねたり
本物のお鍋やボールで
おままごと。
絵本も大好きね。


もらった指人形の中で
どうやらおさるがお気に入り。
なんだかジョージに似てるよね。


指人形でお話をするのは
大人も子どももワクワクね。


夢のなかでも
一緒かな。



もう少し赤ちゃんのころから
感じていたことですが
一緒にいると
存在に静寂を感じる
魂に静けさを感じる
と言いましょうか、
とらわれのない
ピュアなエネルギーの快さを
思い出させてくれます。

ですから赤ちゃん扱いをして
大人がおおげさにあやすのは
なんだかなぁって
恥ずかしくなります。

赤ちゃんに癒されるのは
ただかわいいから
だけではないのだと
つくづく感じますね。

💗

昨日のブログで
光の存在オリンのメッセージより
『他人のエネルギーを感じる』
という内容をアップしていますが
まさにまさにそれです。

幼子や動物たちに
快いと思ってもらえる
そんなエネルギーを
わたしも発していたいです。

💗
写真byマリナ

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パーソナル・パワー 光の存在オリン 人間関係とテレパシーを語る サネヤ・ローマン著

2022年10月05日 | 読書記録ノート

ある日、長女につきあって古本屋さんへ行ったとき、ふと目にとまった一冊。求め探していたわけでもないのに、目の前に現れる必然に、ページをひらくと光の存在オリンからのメッセージが美しい音楽のように聴こえてきました。あの古本屋さんの日から、15年。その後、本棚のよい場所にいつも置いておきたい光の存在オリンのシリーズはすべて求め、大切な学びの書となりました。


パーソナル・パワー 光の存在オリン 
人間関係とテレパシーを語る 
サネヤ・ローマン著


他人のエネルギーを感じる
多くの人は自己感覚を維持し、自分に合わない一般的集団思考を避ける能力を発達させています。エネルギーは気流のようなものですが、それはしばしば自分のまわりに流れ来ては、通り過ぎて行きます。それをまわりに漂う芳香と考えることもでき、それに影響されるかどうかは、自分がそれに対してどう反応するのか、あるいは、それをどんなふうに認識しているかによって決まります。

そして、自分自身をよく知れば知るほど、外部に影響されることは少なくなり、反対に自分自身について無知であればあるほど、また本当の自分に意識を向けることが少なければ少ないほど、エネルギーにますます影響されることになります。

程度の差はあっても、すべての人々は自分の感情や思考に気づいています。あなたも、自分が幸せなときと落ちこんでいるときがわかるはずです。つまり、自分の考えが否定的か肯定的かがわかると思います。

そして、もっと内面を深く見つめて、かすかなエネルギーの流れに気づき、それがどんな影響を自分に与えているのかを学ぶこともできます。そうすれば、まわりのエネルギーを観察することができ、エネルギーに反応するのではなく、エネルギーを自由自在にできるようになります。

人々はみんなたえずエネルギーを発しています。そして、それぞれの肉体には特有の体質があるように、人々はそれぞれ独自のやり方でエネルギーを発します。エネルギーは信号と同じだと考えられますが、二つとして同じ形の雪の結晶がないように、同じ信号もありません。だから、あなたが一緒にいる人々は、それぞれ少しずつ違った影響をあなたに与えています。

誰か特定の人といるとき、自分の体に注意を払ってください。あなたは背中を丸めていますか。それとも、まっすぐにしていますか。前で腕を組んでいますか。それとも腕を後ろへまわしていますか。また、なで肩になっていますか。それとも、いかり肩になっていますか。腰から上は前かがみになっていますか。それとも、後ろへ傾いていますか。それとも背筋が伸びていますか。身体は、自分が人々とどうつき合っているかについて、いつも手がかりを与えてくれます。

もし前かがみになっているなら、自分のエネルギーをどんどん出して、他人の領域に侵入しようとしています。反対に、後ろに寄りかかっているなら、相手が自分に向かってくる力が強すぎるので、そりエネルギーを避けているということです。


まっすぐにすわるか立つかして、肩をまっすくにしているときは、最も力に満ちています。なぜなら、それは明らかにバランスがとれ、自分の中心にいる姿勢であり、そのおかげで、まわりのエネルギーをコントロールできるからです。両方の足の裏をぴったりと床につけて、リズミカルに呼吸をし、肩をまっすぐにしているときは、自分のハイヤーセルフを招き入れることができます。

そばにいる人によって、自分がどんなことを考え始めるかに気づいてください。たとえば、ある人と一緒にいるときは、いつも愛や変化や宇宙の美しさについて考えていることに気づくかもしれません。また、他の誰かと一緒にいるときは、物事がいかに大変かとか、人生がどんなに困難かとか、これからやらなくてはいけない仕事がどれだけたくさんあるかとか、そんなことばかり考えているかもしれません。

それから、他人といるときだけでなく、一人でいるときも、自分がどんなことをかんがえているか調べてみてください。なぜなら、一人のとき、自分がどんなふうに考えているかを知らないかぎり、他人が自分の思考に与えている影響について知ることはできないからです。

あなたは自分の時間やエネルギーは他人のものだと思っていたり、また他人があなたの人生に関わりたいと望めば、彼らの面倒を見る義務があると思っているかもしれません。しかし、人を愛することは、自分の気持ちよりも他人の気持ちのほうを大事にするということではありません。高度に進化した存在の人生を学ぶと、多くの愛し方があることがわかるはずです。思いやりや愛がありながら、ぶっきら棒なものの言い方をする場合があることがわかるはずです。愛情表現にはそっけない態度をとったり、相手のつまらない振る舞いに我慢しないことも含まれています。

時間とエネルギーは、あなたが今まで与えられたものの中で、最大の贈り物です。そして、それをどう使うかによって、この人生がどれだけ進化するかが決まります。

・エネルギーの流れや質を身体はかなり正確にとらえ感じているのだなと実感しました。姿勢が良くて中立のところに立ちエネルギーが通っている人に憧れるのは道理なんですね。
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幸せになる勇気② 岸見一郎 古賀史健

2022年10月03日 | 読書記録ノート

幸せになる勇気②です。すべての年代に通じる大切な内容にふれて、日々日々自覚的に今を過ごしたいと感じています。


幸せになる勇気 岸見一郎 古賀史健 2016.2.25

「わたしであること」の勇気
他者からほめられ、承認されること。これによって、つかの間の「価値」を実感することはあるでしょう。しかし、そこで得られる喜びなど、しょせん外部から与えられたものにすぎません。他者にねじを巻いてもらわなければ動けない、ぜんまい仕掛けの人形と変わらないのです。ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっとほめられること」を求めます。その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に求め続ける生を、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。

「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自ら決定すること。これを「自立」と呼びます。幸福な生がどちらの先にあるか、答えは明らかでしょう。


自分の人生は、自分で選ぶことができる
われわれは「他者の指示」を仰いで生きていた方が、楽なのです。むずかしいことを考えなくていいし、失敗の責任をとらなくてもいい。一定の忠誠さえ誓っていれば、面倒事はすべて誰かが引き受けてくれる。家庭や学校の子どもたちも、企業や役所で働く社会人も、カウンセリングにやってくる相談者も。

親、教育者は、どうしても子どもたちに過干渉になり、過保護になる。その結果、何事についても他者の指示を仰ぐような、「自分ではなにも決められない子ども」を育ててしまう。年齢だけは大人になっても、心は子どものままで、他者の指示がないとなにもできない人間を育ててしまう。これでは自立どころではありません。

だからこそ、教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかなければならないのです。

「それは自分で決めていいんだよ」と教えること。自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料、たとえば知識や経験があれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。


人生は「不完全」からはじまる
人間は、個々の成長よりも身体の発達の方が遅い、おそらく唯一の生きものです。その結果、人間の子どもたちは心理面での「やりたいこと」と、肉体面での「できること」のギャップに苦しむことになります。周囲の大人たちにはできるのに、自分にはできないことがある。この無力感、もっといえば「自らの不完全さ」を経験する子どもたちは、原理的に劣等感を抱かざるを得ないのです。もちろん子どもたちは、人間として「不完全」なのではありません。しかしながら、大人たちは身体的な条件だけを見て、「子ども扱い」をしてきます。子どもたちの心を見ようとしないのです。

この劣等感はハンディキャップではなく、常に努力と成長の促進剤となってきました。もしも人間が馬のように足が速ければ、馬車を発明することはなかったし、自動車の発明もなかったでしょう。鳥のように空を飛ぶことができれば、飛行機は発明されなかったでしょう。白熊のような毛皮を持っていれば防寒着を発明することもなく、イルカのように泳ぐことができれば船も羅針盤も必要なかったでしょう。文明とは、人間の生物的な弱さを補償するための産物であり、人類史とは劣等生を克服する歩みなのです。

さらにいうならば、人間はその弱さゆえに共同体をつくり、協力関係のなかに生きています。

狩猟採集時代のむかしから、われわれは集団で生活し、仲間と協力して獲物を狩り、子どもたちを育ててきました。協力したかったのではありません。もっと切実に、単独では生きていけなかったほど、弱かったのです。

人間にとって孤立ほど恐ろしいものはありません。ひとりでは生きていけないことを本能的に熟知しているのですから。ゆえにわれわれはいつも、他者との強固な「つながり」を希求し続けている。

甲羅のないカメなど想像できないように、あるいは首の短いキリンなど想像できないように、他者から切り離された人間などありえない。共同体感覚は「身につける」ものではなく、己の内から「掘り起こす」ものであり、だからこそ「感覚」として共有できるのです。

人間は、身体的には弱い。しかしその心は、どんな動物にも負けないほど強い。仲間内での競争に明け暮れることが、どれだけ自然の理に反したことか、よくおわかりになったでしょう。共同体感覚とは、雲に浮かんだ理想ではありません。われわれ人間に内在する、生の根本原理なのです。

・真の自立について、そして共同体感覚の根本原理をわかりやすく示してもらい、非常にすっきりとしました。




 
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幸せになる勇気① 岸見一郎 古賀史健

2022年10月02日 | 読書記録ノート

読書記録の自分用メモです。岸見一郎さんのアドラー心理学『嫌われる勇気』に続く『幸せになる勇気』より、まずは三篇、抜粋させていただきます。


幸せになる勇気 岸見一郎 古賀史健 2016.2.25

尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと
教育、指導、援助が「自立」という目標を掲げるとき、その入り口はどこにあるのか。答えはひとつ、「尊敬」である。「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかう事である」エーリッヒ・フロム。

目の前の他者を、変えようとも操作しようともしない。なにかの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認める。これに勝る尊敬はありません。そしてもし、誰かから「ありのままの自分」を認められたなら、その人は大きな勇気を得るでしょう。尊敬とは、いわば「勇気づけ」の原点でもあるのです。

子どもたちは敏感に「嘘」や「打算」を察知します。「この人は嘘をついている」と思った瞬間、そこに尊敬は生まれなくなります。



「変われない」ほんとうの理由
自分の言動、そして他者の言動を見定めるときには、そこに隠された「目的」を考える。アドラー心理学の基本となる考え方ですね。

過去にどんな出来事があったとしても、それでなにかが決定されるわけではない。過去のトラウマも、あろうとなかろうと関係ない。人間は、過去の「原因」に突き動かされる存在ではなく、現在の「目的」に沿って生きているのだから。

たとえば、「家庭環境が悪かったから、暗い性格になった」と語る人。これは人生の嘘である。ほんとうは「他者と関わることで、傷つきたくない」という目的が先にあり、その目的をかなえるために、誰とも関わらない「暗い性格」を選択する。そして自分がこんな性格を選んだ言い訳として、「過去の家庭環境」を持ち出している。

われわれは、いつでも自己を決定できる存在である。あたらしい自分を選択できる存在である。にもかかわらず、なかなか自分を変えられない。変えたいと強く願いながらも、変えられない。いったいなぜなのか。ほんとうは変わりたくないから。そういうことです。

「いまの自分」を積極的に肯定しようとするとき、その人の過去はどのようなトーンで彩られると思いますか。? 答えはひとつ。すなわち、自分の過去について「いろいろあったけれど、これでよかったのだ」と総括するようになる。あなたの「いま」が、過去を決めているのです。



悪いあの人、かわいそうなわたし
いかなる人間も、順風満帆な人生を歩むわけではないでしょう。誰にだって、悲しい出来事もあれば挫折もあり、歯噛みするほど悔しい仕打ちにも遭っている。それでは、どうして過去に起きた悲劇を「教訓」や「思い出」として語る人もいれば、いまだにその出来事に縛られ、不可侵のトラウマとしている人がいるのか。? これは過去のトラウマに縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。

「悪いあの人」「かわいそうなわたし」、カウンセリングにやってくる方々は、ほとんどがこのいずれかの話に終始します。いま自分がなにを話しているのか自覚することは、なかなかむずかしいものです。しかし、けっきょくこのふたつしか語っていないことがよくわかります。「これからどうするか」そう、われわれが語り合うべきは、まさにこの一点、「これからどうするか」なのです。

・いろいろあったけれど、これでよかったのだ、と思えている今は、幸せになる勇気が少なからずあったのだとふりかえり思いました。尊敬の意味について、あらためて日常で感じてみたいです。


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