君は銀河の青い風  八木真由美 岡山

自然に沿って、自分につながって、
心地のよい光とともに。
竪琴ライア 自然農 ライトワーク ヒンメリ

  

川口由一さん 自然農田畑 2017年9月 前編

2017年09月29日 | 自然農川口由一の世界

 

夏のなごりを残しながらも秋の訪れを感じる 九月上旬
自然農実践家 川口由一さんの田畑をお訪ねいたしました。
田んぼではお米が出穂・開花交配の時期をむかえています。


穂を垂れはじめているのが早生の黒米
うすい赤色の穂が立っているのは赤米です。
その隣は晩生の緑米です。9/11
うるち米は花盛りでした。



田んぼの周囲をゆっくりと歩きながら見せていただくことにいたします。

 


手作業での夏の除草も見事にされておられました。

 


自然に沿って 耕さず 
虫や草草と仲良く40年。
稲の足元はゆたかなゆたかな 豊穣の舞台です。

 

ほんとうに美しいですね。
晩生種の分けつは50~60本。
条間・株間ともにゆったりと植えておられます。
右端は香り米二種です。↓

背の低い方はタイの香米でうるち米とのこと。
こちらの背の高い香米は古代米でもち米だそうです。↓


健やかに清らかに育つ稲穂の美しさ
栽培される人の姿にも重なります。
大和 三輪山を望む川口さんの自然農田、
今年も豊かな実りになりそうですね。

 

 東南の方角から見た田んぼ全体です。↓

 


ご案内してくださいました川口さんは、
自然農40年、今も実践家として 指導者として
田畑と共に生きる姿を見せてくださいます。

この日はキャベツの苗を定植されていました。
鳥たちがやわらかな芽を食べたり
遊びにくるので苗床にはヒモが張られていました。


成長した苗から順番に広い畝に移植されます。

移植先は今夏 スイカを育てられた畝です。
まず植えるラインにヒモを引っ張り
株間を定めて植穴を掘ります。 

畝は耕されることなく、草草もそのままです。

 

田んぼの溝から水を運び植穴に注ぎます。 


水が浸透した後 苗を土付きのまま植えつけます。

周囲となじませまて出来上がり。
周りの草が伸びてきたら刈られるそうですが、
今のところはこのままで見守られるそうです。

草草の中に植わったキャベツの苗。
とっても居心地良さそうですね。

ふりむけば、つるありインゲンのやわらかな緑。 

そして今年最後のスイカの収穫です。
インゲンと朝顔も暮れゆく夕陽に美しく
静かな夏の終わりを感じます。

 

 

さらに田んぼの続きの畑も見せて頂きました。

アマランサスが立派に育っています。

きれいな色ですね。
枯れて黄土色になったら収穫とのことです。
どのようなお味なのでしょう。

アマランサスの隣の畝には
秋そばの種が降ろされ芽が出ていました。
前作はライ麦だったそうです。

そして粟・キビ・唐きびです。
下の写真の右列が唐きびです。

豊かな穂をつけた粟。

キビも素晴らしいです。

そしてゆったりと里芋。
素晴らしい生育でした。
田んぼを畑にされての栽培ですので
湿気を好む里芋にぴったりの環境で育っているようです。

夏野菜のピーマン、シシトウはやさしい佇まいで実をつけています。

バジルの良い香りもしていました。

こちらは夏野菜の地ばいキュウリの畝です。
実りの季節は終わりに近づき、
畝には種取り用の胡瓜を残しておられました。

種取り用です。↓

夕暮れの畑は なんともやわらかな風情。
秋へと少しずつ静まりゆくいのちの舞台で
心も身体も穏やかに・・。

今回は 夏から秋へと移り変わる季節に
川口さんの田畑にてゆったりと過ごさせていただき
自然農の舞台がいずれの季節にも 本当に美しいことを実感いたしました。
自然に添って、いのちの営みをたっぷりと感じることが
どれほど私たちを健やかに育んでくれることか・・。
自然農をとおして感じることは多くあります。
川口さん、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、後編は果樹や畑を中心に、
畑での過ごし方など
楽しいお写真も掲載させていただく予定です。
どうぞお楽しみに。

 

八木真由美 

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自然農 川口由一の世界

自然農 岡山

 

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自然農お米づくり 9月 台風の季節に。

2017年09月17日 | 自然農稲作教室2017年

2017年 9月14日
自然農稲作実習田です。

耕さず 虫や草を敵とせず 
持ちこまず 持ち出さず
自然に沿って お米のいのちに沿って
手作業で育てています。

今日の午後には台風18号が岡山にも上陸とのこと。
ほぼ開花交配を終えていますが影響が少ないことを祈ります。

古代米の黒米は穂を垂れはじめています。
この時期、初々しい色合いがとても美しいです。

稲作教室の皆さんの稲、たくましく育っていますね。↓

↓ こちらは今年初めてのお米づくりにチャレンジされた方の畝です。

 

9/17 午後 台風の風がしだいにつよくなってきました。
ちょっと様子を見に田んぼへ行ってみましょう。

 

風になびく稲たち。美しいです。
しっかりと立っています。


つよい風にふわりと身体が浮きそうになりながら
稲たちのしなやかな動きにしばし見とれます。
あけぼのは開花交配がほぼ終わっていますのでホッとしていますが・・。

緑米は花盛りの時期ですのでちょっと心配です。
が、天に任せましょう。

 

来年度 2018年の自然農稲作教室の募集を始めました。
一年間、お米づくりに取り組んでみたい方、
自然農を学びたい方、ご一緒いたしませんか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お申し込み方法・年間予定・詳細はこちらからです。
田んぼの広さの都合で定員10名とさせていただき、
先着順でお申し込みをお受けしております。
締切は11/30です。

よろしくお願いいたします。
八木真由美

 

 

 

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川口由一さん インタビュー 「宇宙の創造 人の創造」第一話 

2017年09月14日 | 自然農川口由一の世界

無目的なる宇宙創造の営みに照らして人の創造の営みを知る
「宇宙の創造 人の創造 ①」インタビュー2017.4

 

八木 こんにちは。今回は「宇宙の創造 人の創造」の性質についてまずお話しを聞かせていただき、さらに宇宙の創造と宇宙の子である私たち人が創造をする時の在り方について照らし合わせてお伺いできたらと思います。

 

川口 宇宙の創造と人の創造なぁ。そうやなぁ。宇宙本体はいろんなものを創っている。休みなく作り続けている。始めなく終わることなく創り続けていますね。でも計算していないし、それから色々と思慮分別してないし、それから計画を立てるとか、或は修正するとか、そういうことは一切なく誤ることなく休むこともなく創り続けている、生み続けている、同時に壊し続けている、死なせ続けている、生死、育つ、刻々変化する、それらを現し続けていますね。それらはいずれも完全絶妙。生んだいのちがそれぞれに間違うことなく全うできるだけのいのちと智恵と能力を与え、時空をも与える。そういう存在として営み続けています。 

 

 ところで宇宙から生まれてきた人間ですけれども、宇宙と相似て完全絶妙に創造することができる存在です。我が人生を創造する、我が人間性を創造する、家庭を創造する、田畑を創造する、国を創造する、人間社会を創造する、宇宙はそれだけの智力能力を与えているのだけれども、でも宇宙のように常に無目的に無計画に思慮分別することなくその時その時絶妙に営めるかと言えば人はそういう存在ではなくて、それを得ることができる存在として生まれて来ているのですね。ですから成長しないとそれはできなくて、成長するに必要な時間を100年前後与えられているから、そこで自らを養って素晴らしい創造力を育み養って、総合的に偏ることなく、あるいは道からはずれることなく、退廃的な醜悪なものを創造するのではなく美しいものを創造する、そうした幸福に至ることのできるものを身に付けないといけないわけです。それを実現することのできる存在なのですよね。

 

 想い描き想像している時も宇宙に想像している、それを実際に具現化する時も私が生きているその舞台に創っていくわけです。宇宙に具現化しています。いずれの場合もこの舞台・宇宙にですね。宇宙という舞台に創造するには私が宇宙を得ていないとできない、人として育っていないと具現化できません。そして絶対界に立って創るのは相対の世界のものです。このことは宇宙と同じです。与えられている知恵と能力を大いに養い育ませて働かせないと宇宙と同じようには創造できないですよね。ところで宇宙の子である人間ですが、人間には宇宙にはないものが与えられています。人間にしかない人としての情緒、彩りです。さらに智力、意志力を働かせそれらを豊かに色づかせることができればなんとも言えず素晴らしいものを創造できる、人間社会を創造できる、あるいは衣食住を、あるいは芸術作品を創造できる、あるいは政治の舞台も宗教の舞台においても、親である宇宙を超えた人間しかできないものを創ることができる、そんなふうにつくづく思いますね。すでに人類はそうしたすぐれたものを過去からたくさん創ってきています。本当に優れた存在なのだなぁと思いますよね。なんとも言えない美しいもの、善きもの、真なるもの、なんとも言えない絶妙なものを、たくさんのものを、建造物に彫像に絵画に器に、あるいはいろんな装飾品に創造していますものね。

 

 紀元前数千年に遡るとすごいですよね。あるいは紀元後にもごくまれにですが優れた芸術家はおられますものね。無名でも優れた日々を生きている方もあちこちにたくさんおられるのだと思います。そういう人は救われていますよね、喜びの日々を送っておられますよね。100年前後の生の期間、親なる宇宙に劣らず、あるいは宇宙を超えて人としての優れた資質を大いに発揮して、宇宙の道、いのちの道からはずれることなく、人としての道からも外れることなく大いに養って発揮すれば素晴らしい人生を創造できるし、それぞれの分野で生み創ることができますものね。楽しいですよね、そこまで自らを養って創造することができるように育ち創造する日々だったらね。一枚の絵を描くにも一つの器を作るにも、そのように育ったうえでの創作をしている時はなんとも言えず楽しいし嬉しいし納得が入った全うしたものを得ていますよね、今にいて。静かな深い幸せの極みですよね、平安の中で、安定した中で、心平和な中で今に居ることができますよね。

 

  桜の花びらがはらはらと散っていますけれど、わずかな風で。風が起これば枝が揺れて花びらを散らせる、ちょうど今その時期ですが、散り方もなんとも言えない風情をあらわしながら音もなくですね。一つのいのちの一部が終わる新たな変化の時の姿を音なき音にあらわしている、あるいは花びらの舞方にその風情をあらわしています。花びらがひらひらと舞うのは時の流れでもありますが、舞っているところは宇宙空間です。時と空を得て花びらがちょっと風が強く吹けば、あるいは自らの動きで枝が揺れているのではないか、そんなふうな動きをした時にたくさんの花びらがひらひらひらひらと舞い降りてきますね。今を生きていたいのちが次の瞬間に部分の死へ運ばれる、部分ではありますが死に運ばれている姿までやはり趣があって、なんとも言えない存在の悲哀をも表わしますね。悲しいとか淋しいということを超えた趣のある生きている意味にも通じる悲哀ですが、いのちあるものの趣を花びらが舞い降りる時にもあらわしますね。死に運ばれていくその時にも美しい姿をあらわしています。舞い降りている音は音なき音ですが、それでいて静寂ですね。宇宙空間も静かで、そこに舞い降りる花びらも静かに静かにです。



 ところで鶯が鳴いているなぁ。宇宙しじまに空間があるから鶯が鳴けるのですが、時の流れがあるから、いのちの営みがあるから鳴けるのですが、すごいですね。個々個々のいのちも絶妙に我が姿をあらわしているし生きているし、まさしく創造しているわけです。あの鶯もこの桜もやはり図り事をすることなく、生かされるなかで絶対の定めのなかで今を生きて、やがて花びらを落としてゆく、あるがままの姿でそれは絶妙です。人間の場合はなかなか創造するにおいても、死という創造においてもやはり色々と図り事をしたり、死に至るその前に図り事をしたり思い悩んだり、定めの中で定めのままに生きることも死ぬことも自然にとはいかないね。宇宙の子なのですからやはり宇宙と相似て図ることなく絶妙に在りたいですが、それには成長しないとだめなんです。

 

 たとえば一枚の絵を描く時に、どのような絵にしたらいいのかなとか、どのような構図にしたらいいのかなとかね、どういう色づかいにしたらいいのかなとか、あるいは新しいものをとか、個性の強いものをとか、自己足らんととか、それがそのまま自己執着になる図り事ですよね。あるいは死に方においてもどのように死んだらいいのかとか、ね。たとえば禅坊主さんは死ぬときに坐禅を組みながら死ぬとか、死に方に於いてもいろいろと図り事をするのですよね。死ぬことは考えなくても必ず死にますので任せておいたらいいのですけれど、任せられない、預けられない、自然のままに。生まれる時は最善の対応だけれど、生まれたその瞬間からいろいろと図り事をしますよね。だんだん成長するにつれて大きな強力な図り事ができるようになるわけですが、小さな自己本位の意のままになることがあるゆえに図り事をする。やがて我儘になるとか、支配するとか、欲しいままにしてしまうとか、あるべき在り様、或は正しい在り方を見失ってしまうのですね。

 

 他者との関係、他国との関係、宇宙との関係、自然界との関係においても図り事をしてしまう。自らの治め方においても図り事をしてしまうのですよね、意識をなかなか越えられないのです。またしても我が人生を創造するにおいて図り事になってしまうんですね。ところで図り事というのも必要あって人に与えられている能力だと思うのです。ですから図り事もして、それでいて自意識を超えて思いや願いに、思想、哲学等々にも解放された状態で生きられたらいいのですよね。なのに図らないと生きられない存在なんですね。それが小賢しい図り事をするとかね、道から外れた悪い醜い図り事をしてしまうとかね。そこに陥るとだめなんですね。その辺のところは間違うことなく美しくね。図りの中で美しい結果が出せるようにね。図り事も一時の間に合せではなくやがて成長する在り方になったらいいですね。無駄がなく理にかない解放されていないとね。自分が立てた計画から解放されている、それでいて向かうべきところがあるわけですから、そこに向って今を生きれるといいんやね。

 

八木 計画を立てても今の瞬間を正確に位置づけ、向かうところを明確にしつつ柔軟に解放されてやっていけたらいいのでしょうか。?

 

川口 そうやな、やがて年を重ねてきたら計画は要らなくて、その時その時絶妙に答えを出せると思います。もちろん頭の中でああしようかな、こうしようかなと巡らせることがあったとしても最善の答えを、やがては即即即即に、その時その時に最善の答えを出せるようになると思いますね。成長したならば図り事を超える。図り事を必要としなくなって、目的を達成できる、今を生きることができる、ね。ある年齢に達したらそこまでに至らないとね。そこに至るまでは図り事は必要、図る能力が与えられているから大いにそれを働かせる。成長してそういう図り事をしなくて絶妙に生きている時は、図るその能力も入っていると思ったらいいですね、しっかりと正しく図っているんですよね。

 

八木 その状態は大いなる宇宙の創造に近いのでしょうか。?

 

川口 図り事をすることから解放されたら宇宙と相似た姿をする、そう考えたらいいですね。宇宙の子ですからできるはずなんですよね。

 

八木 その状態の時はただ計画どおりにできている喜びとはまた違うものがあるのでしょうね。この瞬間に全存在で生きているという大きな喜びがあるのでしょうね。

 

川口 そうやな、解放され障ることのない大きな大きな深い静かな喜びですね。自らに対する確信ともなるのでしょうね。ところで一人の時はいいんやけど多人数の時にはそれが難しいなぁ。みんなが足並みそろえないと秩序が乱れるしな。でも、それもできると思うな。例えばお城を立てる場合、中心の人が最初は計画を立てるけれど、動き出したらみんながそちらに向って解放された中で作業を進め創っていったら素晴らしいものができる、そうとったらいいんとちがうかな。そういう智力能力を私たち人間に与えられているのです。そういう中で創られたお城は華やかで軽やかで柔らかで捉われがなく強健で美しくなるのだと思います。 

 

八木 ところで、すべてを創造している大元の宇宙には「意識」というものはあるのでしょうか。

 

川口 意識だとか、意志だとか、計画だとか、愛だとか、想いだとか、親心だとか、そのような表現で宇宙にそういう要素があると捉えることはできますが、それはあくまでも人間に与えられている働きのことであって宇宙そのものにはそれはないととったらいいのではないかな。人間本位の捉え方であり人間の方に引っぱり過ぎの捉え方であって、人間は特別な存在なんだということになって正確さを欠きますね。宇宙のことはもっと冷静に見つめないといけませんね。

 

八木 それでは人の持っている意識のようなものよりもっと大きな何かが宇宙にはあるのでしょうか。?

 

川口 いやいや、意識とか気持ちとか愛とか計画というのは人間の行為行動における一つの視点に過ぎないと思ったらいいと思う。それは人間に与えられている一面に過ぎない、ね。宇宙はもっと総合的で一部を現すとかある部分だけを突出して現すとか、そういう言葉ではとらえられない総合的なものです。宇宙の意識や愛や計画で太陽や地球や人間が創られたのではない、そうとったらいいですね。広くとらえれば何もかも無目的なのですね。人類を生むのも、地球、太陽、星々を生みやがて死なせるのも無目的です。自ずから然らしむることごとなのですね。

 

八木 人は何かを創造する時に「智情意」を働かせて生み出しますが、宇宙にはそういったものは一切なく人の考え得るようなそういうところで創造しているのではない、ということですね。

 

川口 そうそう。宇宙の子である私たちも「智情意」が大切で養わなければいけないと捉えますけれど、それも一面に過ぎません。養い成長しなければ宇宙の子として与えられている能力を発揮して完全絶妙な生き方ができないので、人間性の成長に必要とする要素を例えば智情意とそれぞれ分けて人間性を養い絶対の境地を体得していかないといけない存在ゆえに分け認識分析して養ってゆくことになります。でも養った暁にはそうした諸々のあらねばならないところを超えていないとね。そして解放された中で総てが含まれていないとね。いのちの道、人の道からはずれることなく妙なる境地、絶妙な境地で生きないとね。そこに至ることのできる存在ですね。

 

2017年4月 インタビュー 文字起こし 八木真由美

   文中の写真 Tomoka.K

 

 

 

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自然農たのしい稲作教室 2017年9月 出穂期~開花交配期

2017年09月04日 | 自然農稲作教室2017年

自然農たのしい稲作教室9月
9/3 自然農田にもさわやかな風が吹いています。 

お米は出穂~開花交配の時期を迎えつつあり、
稲作教室のみなさんも元気に集合です。


先ずは実習の前に
お一人お一人の畝を見学しました。

田植えのこと、夏草刈のこと、
水管理について、
豊かな分けつを促すには、
草の種類や変化について、
出穂の時期について、
開花交配について、などなど
畦に立ち稲を見つめながら
お話しとQ&Aの時間を持ちました。

実習の畦草刈りです。↑
豊かに張った根を損ねてはいけませんので、
お盆以降は畝に上がらず
溝周囲や畦の草を刈ります。

周囲の畦は定期的に草を刈り、
風通しよく歩きやすいようにしておきます。

畦の大豆と小豆も育っています。
足元の草刈もいたしました。



古代米の黒米は開花交配期を迎え白い花を咲かせ、
すでに色づき始めている穂もあります。


稲作教室のみなさんの水稲「あけぼの」は晩生ですので
幼穂形成期から出穂期を迎えはじめているところです。


それぞれに稲の観察をされながら、
畝に上がらず溝周囲の草刈りをいたしました。

田んぼ全体の風通しがよくなり
爽やかになりました。

今年、これまでをふりかえれば、
気温・日照・水、など天候に恵まれ、
岡山南部では育てやすかったのではと思います。


稲作教室四期のみなさんは、
初めてお米づくりをされる方がほとんどですが、
新鮮な気持ちで熱心に取り組まれておられ、
順調に育っていますね。


年々学びを重ねておられる方は
自然界・いのちの世界を観る力を養われ
余裕をもって心から楽しまれておられるようです。
来月10月は収穫・秋から冬の営みについての勉強をいたします。

元気に育つ稲の前でにこやかに。9/3
稲刈りが待ち遠しいですね。

 

 

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