君は銀河の青い風  八木真由美 岡山

自然に沿って、自分につながって、
心地のよい光とともに。
竪琴ライア 自然農 ライトワーク ヒンメリ

  

神秘的な体験① すべてのものにいのちがある

2024年03月29日 | 神秘的な体験
 先日のブログにて、娘家族との同居のお話を書かせていただきました。その同居の少し前の出来事について、今日はふり返ってみようと思います。✨

私にとって右脳優位で取り組むと俄然面白いことの一つに、整理整頓があります。そのことも以前のブログで書かせていただきましたが、自分では特別なインスピレーションを受けて行動をしている自覚がないこともあります。

 その日も、娘たちが引っ越してくる前にお部屋の片づけを進めておきたいと思い、気になっているあれやこれやを眺めながら、『この椅子たち、どうしようかなぁ、どこに片付けようかなぁ』と、五脚の椅子たちの片付け先を思案していました。

その椅子は、六人用の丸テーブルで使っていたもので、わたしが19歳の頃に両親がダイニングテーブルとして購入したものです。もうずいぶん古いですが、しっかりとした作りで気に入っており、最近はリビングで私が一人で使っていました。ですから椅子は一脚で足り、かつて娘たちが使っていた部屋に移動していました。

同居にあたって、再び娘たちの部屋を使ってもらうことになり、その椅子たちをどこに片付けたら良いか珍しくアイデアがわかず、とりあえず保留にしながら他の片付けに勤しんでいました。

母屋の収納部屋に入れておく、と言うのもなんだか違うなぁ、などとつぶやきながら、同居の日が近づいてきます。

いつまでも保留にしておくことはできません。

そんな折、ふと「丸テーブルも今後は家族六人で使うことになるのだし、元通りテーブルにセットすれば良いのでは。」と、ごく当たり前の考えが自然にわいてきたのです。最も自然なことなのに、なぜ気が付かなかったのでしょう。

そこで、一脚ずつ、二階から一階のリビングに運ぶことにしました。


運んでみるとテーブルに椅子がぴったりと納まり、なんだかとても美しく見えます。再び、丸テーブルを家族みんなで使う時がきたのだな、と爽やかな喜びがわいてきました。

そして、実はこの日、とても美しい体験をしたのです。

椅子を運んでいる頃から、わたしの左側(左の頭の横あたり)にうごめく美しい螺旋の光がキラキラと輝いているではありませんか。そっと横目で見ながら、『なんて美しいのだろう、これはいったい何だろう』と、その光とともに椅子を運びながら観察しました。

その光は、歩いても立ち止まっても、目を閉じても、目を開けても、きらめき輝き続け、まるで生命を宿しているように思えました。その美しさを静かに感じていると、ふいに涙があふれそうになりました。

目を閉じても見える、ということは、目で見ているわけではない・・ということですね。

『あなたは、だぁれ』と、問いかけてみたりもしたけれど、ただただ美しく光っているのでした。

いろんな色の光が輝き変化しながら螺旋状に動いていて、後から思うのに、DNAの螺旋の様でもありました。


幾何学模様に例えると、リース型ヒンメリの左側半分(もっと緻密)が、色彩豊かにいのちある姿できらめき動き輝く様のような、そんなふうなイメージでした。

ところで、この輝くものは、いったい何だったのでしょう。
同じような体験がおありの方は、ぜひ教えていただきたいです。💗💗

今のところ、私が思い至っているのは、もしかすると丸テーブルとイスが喜び輝く光ではなかったのか、と。いのちが宿っている、そのことも伝えてくれたのではないのかなぁ、と。

この丸テーブル、今では孫がお絵描きをしたり、娘が事務仕事をしたり、私が裁縫をしたり、お茶を楽しんだり、以前よりずっと活気がでています。

このような神秘的な体験を、自分なりに意味づけ、魂の成長につないでゆけたらなぁと思います。

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ライア教室 岡山県倉敷市 八木真由美

2024年03月21日 | ライア教室 岡山 ご案内 八木真由美
ライア教室のご案内 2024年 倉敷

【ライアについて】
ライアはひざにのせて奏でる小さな竪琴で、リラともよばれています。神話の中にも登場する楽器で古代メソポタミアや古代エジプトから伝わり、ギリシャ神話では太陽神アポロンから人間に贈られた楽器ともいわれ、神事や癒しに関わることにも使われてきたそうです。

この小さな竪琴は英語「lyre」 ドイツ語で「leier」とよばれています。 現代においては、ドイツのルドルフ・シュタイナーの意志を継いで1926年ごろ考案されたもので、心と身体の癒しに深く関わるものとして生まれてきました。シュタイナー教育の現場や音楽療法に用いられ、またライアを愛する人たちによって各地で演奏されるようにもなっています。

【ライアの音色】
ライアの魅力は美しく深く透明なひびきでしょう。 人の心をとおして奏でられるその円やかなぬくもりは、心地のよい子守り歌のようでもあります。若葉がささやくように、感じるままに表現するのもすてきです。私の奏でているコロイライアは「風光る」という言葉がとても似合います。 ライアの深く透明なひびきを全身で感じていると、天からの光にそっと包まれているような、なつかしさや深いくつろぎを感じるかもしれません。

【レッスン内容】
(基本)(応用)
・ひびきに耳をすましハートで感じる。・言葉にメロディーを感じ奏でてみる。
・楽器に親しみながら基本の奏で方を学ぶ。・自作の曲を創作する。
・練習曲を奏で楽しむ。・表現し分かち合う。
・お気に入りの曲を奏で楽しむ。・癒し・ヒーリングを意識して奏でる。
・アンサンブルでひびき合いを楽しむ。・基本的な音楽理論を学ぶ

ライアレッスンでは、基本の奏で方を習得しながら、自分の内側にある美しさに出会い、セルフヒーリングにもつながる時間にできればと思っております。


ライアという楽器をとおしてどのような体験をされたいでしょうか。夢や目標などがおありでしたら聞かせてください。初めて楽器にふれる方、なんとなく心惹かれてという方もおられることと思います。それぞれの方のご希望にあわせて進めてゆきたいと思います。

例えば・・、
◎楽譜が苦手ですが、ライアを楽しみたい。
◎気に入っている曲の伴奏のつけ方を学びたい。
◎難しい曲をシンプルにアレンジして奏でてみたい。
◎オリジナルの曲を創作して奏でてみたい。
◎弾き語りをしてみたい。
◎演奏会などに参加してみたい。
◎基本的な音楽理論を学びたい。
など、ご希望がございましたら取り組むことができます。

■おすすめの教則本・曲集もございます。

【レッスン日】
主に平日(午後)をレッスン日とさせていただいています。
希望されます日時をご予約くださいませ。
土日もご相談可です。

■個人レッスンをさせていただいています。
お時間、内容、レッスン代などはお問い合わせくださいませ。


【レッスン会場】
岡山県倉敷市の自宅練習室にて。
お問い合わせいただきました方に詳しいご案内をさせていただきます。
◎駐車スペースございます。


お気軽にお問合せフォームよりご連絡くださいませ。
こちらからの返信メールが数日経っても届かない場合は、お手数ですが迷惑フォルダーなどをご確認ください。



岡山県倉敷市 八木真由美💕
どうぞよろしくお願いいたします。
 
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困難を乗り越えて自然農を続けてこれた、ある価値観とは。自然農 川口由一の世界

2024年03月20日 | 自然農川口由一の世界
自然農
川口由一の世界

川口さんが、多くの困難を乗り越えて自然農を続けることができた、ある価値観とは・・。

真(まこと)なるものが僕の力になる
善なるものが僕の力になる
美なるものが僕の力になる

真贋 美醜 善悪において
贋なるもの(にせもの いつわり)は僕の力にならない
醜なるものは僕の力にならない
悪なるものは僕の力にならない

真であり善であり美であることが、
生きる上で大きな力になるのだ、
すごいエネルギーになるのだ、
と思います。

自然農は真(まこと)の在り方でしょう。

いのちの世界、自然界から外れていないでしょう。

人にとって安全なものを作るというのは、正しい在り方でしょう。

それに付加価値をつけるのではなくて、お金儲けの農業ではなくて、正しく食料を作るというところで、これは善なる在り方ですね。

あるいは、
人としての美しい在り方でしょう。それ故に、そのへんのところでの確認があるので、僕は続けられたのだと思います。

今日の問題を根底から変えることのできるものは、真であり善であり美であると思います。それが今日の常識だとか過ちだとか曖昧さだとかを解決するエネルギーになる、それが最も大きな支えになる、とつくづく思いますね。これはすべての人に通じる答えで、ここにしか人類の平安はないと思います。


おことば 川口由一


■自然に沿った農 いのちの農 自然農。おのずからしからしむる営みに沿った農は、人としての生き方を問わずして真に取り組めるものではない。元より真なる善なる美なる自然界を舞台にして、人のいのちを育むにおいて、これほどまでに農の本質に叶った在りようが他にあるだろうか。わたしはその魅力を魂レベルで深く感じ続けており、一理あっても真理ではないものに微塵も心が揺れることはない。それは自然農における真善美の在り方が私の力になり続けているからだ、と思う。
八木真由美





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新しい暮らしが始まりました。2024年3月

2024年03月16日 | 子育て 孫育て 自分育て
三月から、末娘家族との同居がスタートしました。大人5人子ども1人、そしてムク(柴犬)とコタロウ(猫)、にぎやかな笑い声がひびく毎日になっています。その中心にいるのは、二歳の一作(いっさ)くん。


おままごとセット、ミニカーに絵本、おもちゃも一緒に引っ越してきました。


引っ越しで我が家に運び込んだ荷物は、一週間ほどかけて納まる場所に一先ず落ち着き、以前よりも快適な暮らしが実現しています。



整理整頓は、できるだけあるもので工夫して使いやすく美しく、潜在意識レベルで快適に感じることが大切。思考錯誤もしつつ、ひらめきを待つ。頭で考えるよりも、身体で感じる!です。



そして今日は、新しい暮らし方に馴染んできたので、なかしましほさんのレシピでマフィンを焼きました。😊

フレッシュな氣がめぐり、空間に活気が生まれ、なんだか住まいがよろこんでいるなぁと感じる嬉しい春になっています。

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右脳 左脳 全脳について⑤ 身体感覚・無意識

2024年03月14日 | 右脳 左脳 全脳
今日は、右脳と身体のつながりについて書いてみます。

😊眼鏡が消えた(50代)

もともとの視力は1.5、近くも遠くも良く見えていましたが、50代になる頃から近くが見えづらくなり眼鏡をするようになりました。

そんなある日。
眼鏡がない・・と気がつき、まずは心あたりを探して、それから記憶をたどりました。でもさっぱりわからないので気分を変えることに。

右脳優位に切り替えて身体に尋ねます。

とりあえず眼鏡のことは気にしないで、純粋に今を感じながら、『何がしてみたい?』と身体に尋ねました。

すると身体は『古代黒米の籾種をポケット入れて、田んぼに行ってパラパラと蒔きたい。』と言うではありませんか。ええっ!なぜに・・。

思考が『もう籾蒔きは終わっているのに、どうして?』とささやきます。でも、そのささやきはポイっと空間にゆだねて、身体の声に従うことにします。

エプロンのポケットに少しの籾を入れて、自然農の実習田に歩いて行き、田の入り口で再び身体に尋ねます。『この籾をどこに蒔きたいの?』。

すると身体が『あの辺りにパラっと蒔きたい』と遠くを指さします。

その声に従って初夏の田に入りました。草をかき分けてその場所に近づくと『ここです』と声が聞こえたので、手のひらからモミをパラパラと落として、その草の中を見つめると、なんとそこに眼鏡がふんわりと草に包まれていたのです。

眼鏡を落とした瞬間を、わたしの身体は知っていたのでしょうか・・。

直観的な右脳と身体はこれほどにまで繋がっているのか、と思いました。身体の声を聞くということは、右脳をひらくということでもありますね。




😊カメラのレンズのフタが消えた(60代)

ああっっ、やってしまった。
カメラ(Sonyα6400)を購入してワクワクしていた矢先、レンズのフタを落としてしまいました。この時は、田んぼで紛失したのだろうと予測がついたのです。

前述の眼鏡を落とした同じ田んぼでしたが、左脳さんが『探すのは無理』とつよく申しまして、右脳の出る幕はなく、潔く同じものを購入することにしました。

何しろレンズのフタはとても小さくて、田んぼは広く、ましてや自然農の田は一面の草原ですから・・・・。




しかし、それから数日後。
稲作教室の実習時、一輪車に農具をのせてみんなで運んでいる時のことです。いつも一輪車を置くのは畑の北側のスペースなのですが、その日に限って私は『中央の畔をどんどん行ってね、そうそう、どんどん行ってね。それからその畔を西に曲がってね、そうそう、もう少し先まで行ってね、ああ、そのあたりにとめてくださ~い。』と、絶好調の口ぶりで一輪車を押していた方にお願いしたのです。

なぜ、ここのなのかなぁ・・? 
わたしの口が勝手にそう言ったのですから、わかりません。

でも、その理由はすぐにわかりました。
一輪車から農具や荷物を降ろそうと足元の田んぼに目をやったとき、小さな黒いものがポツンと・・、そうなんです、レンズのフタがすぐそばに落ちていたのです。

なんだか、可笑しいですよね。潔くあきらめたのに、こんな見つかり方をするのですから・・・。身体感覚ってすごいな、と思いました。無意識領域のなせる業ですね。

ワタシはある時期、探し物というテーマで右脳&身体感覚を鍛えていたのか、と思うほどですが、最近はそのテーマを卒業しています。😊 楽しかったなぁ。

それでは今日は💗このあたりで・・。
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右脳 左脳 全脳について④ 考えると感じるの違い

2024年03月13日 | 右脳 左脳 全脳
今日は『考える』と『感じる』の違いについて、書いてみたいと思います。😊

日常生活や慣れている仕事において、たいていのことは自動的にやれていますし、少し考えるだけで足りることが多いですね。それはそれで良しですが、考えても考えてもわからない時にはどうしましょうか・・・。

例えば、失くし物をした時、記憶をいくらたどってもわからないことがありますね。心当たりを懸命に探しても見つからず、顕在意識レベルではお手上げの時、みなさんはどうされますか。?

あきらめる、というのも一つの方法ですよね。
そのうち見つかる、ということもありますから・・。

わたしは、失くしものが見つからないと、ず~っと気になるので、見つけるまであきらめず、または心が落ち着くまではあきらめないでいます。ここ数年は、とくにその傾向にあります。

なぜなら、その体験を通してわかったことがいろいろあるからです。

探し物をする時の段階として、まずは時間を遡る方法がありますね。これは誰もが使うと思いますが、緻密に分析をして、あの時にこうして、それからこうしてなど、行動をふり返って見つけようとします。

それから、記憶はあてにせず目につくところをすべて探す、という方法もあります。少々疲れますが、見つかるとほっとしますね。

その二つを試しても見つからない時は、お決まりの方法があるわけではないのですが、私は『考える』ではなく『感じる』を優先します。

まずはものへの執着から離れて、右脳優位のスイッチを入れます。

そのスイッチは、どうしたら入るのでしょうか・・。

私の場合は、とりあえず、この状況から気持ち的に距離を置いて、頭を使って考えるのをすっかりやめます。手あたり次第動き回って探すのもやめます。すると、自分の周囲にやわらかな時空が漂い始めます。見つけたい気持ちはもちろんありますが、執着のない平和な気分になってゆきます。

さらにその感覚を継続しながら、自分の周囲に広がり(空間)が感じられはじめると、現象界に左右されずに存在している喜びが満ちてきます。これが右脳優位になるスイッチが入った状態です。一言でいえば、考えるのをやめる、力づくで解決しないのがコツと言えるでしょう。

◎◎しなければならない、どうあるべきか、◎◎するしかない、もう限界だ、というような考えで頭がいっぱいの時は、おそらく思考で解決しようとしていて、『どうしたい?』『どう在りたい?』『もっと別の方法を自由に選んでも良いとしたら?』など、質問を変えるだけで気分が変わりますね。私たちはもともと自由で無限の可能性にあふれている存在なのですから・・。

それでは、その状態の体験を書いてみます。若い頃の話です。

😊水筒をしまった場所がわからなくなった時。(40代の頃)
使わなくなっていた水筒をしまった場所がさっぱり思い出せなくなった日のこと。おそらくお台所近辺にしまっているはず、と頭で考えて探すも全然見つからず。そこで、あらゆるお部屋を隈なく探して、ぐったり疲れてしまう。実際には、こんな所にあるはずがないと見過ごしていたのですが、左脳さんがもう無理、って言うので一休み。ソファでお昼寝をすることにしました。

ぼんやり、うとうとしながら『探し物はお昼寝の中で見つけよう~』と、のんびりした気分になり軽く目をつぶり、『そうだ、寝ころんだまま家中をスキャンしてみよう』とふっと思うのでした。

目を閉じて、お家の隅々を思い描きながらスキャンしてゆきます。手が届かない高いところも、つぶさに見ることができます。しばらくスキャンしているうちに、ある場所にきた時に『あっ、ここにある』とわかりました。ソファーから起き上がり、その場所に行くと水筒がありました。

これは、日々生活をしている我が家という限られた空間ならではの方法だったと思いますが、視覚的に詳細をイメージで見るという能力を使えばラクに探せることに気づきました。ありありと五感で感じるのは右脳が得意とするところですから・・。

😊自転車が消えた(40代の頃)
子どもたちが小学生の頃、朝の交通旗当番の日。月に一度、自転車で交差点まで出かけるのですが、その朝、乗っていく直前に自転車が家の軒下から消えていて、びっくり。ちょっと慌てましたが、走って交差点まで行き、当番をすませて歩いて帰りました。

家族に伝えると盗難届を出したほうがいいよ、と言われましたが、なんだかなぁ、とぼんやりした気分です。家の軒下に置いていたのに、こんなことがあるのだなぁ、すごいなぁ~、なんて思っていたのです。

ぼんやりとした気分のまま、台所で水仕事をしながら、『自転車は乗ってもらって走るのが喜びだよねぇ・・、私は月に一度しか乗ってなかったから・・、もっと走りたかったよねぇ・・、ごめんね。乗りたい人が乗ってくれたのだから良かったね。』と、自転車の気持ちに思いをはせていました。

すると、自転車のある場所がパッとわかってしまったのです。見えてしまったという感じで、『◎◎駅の南口の駐輪場に居るよ』とのこと。

そこで、『これから自転車を迎えにいくので、◎◎駅まで車で連れて行ってほしい』と家族に頼みました。◎◎駅は少し遠いのですが、私はその自転車に乗って帰る心づもりまでしていたのです。

駅に着くと、ひらめいた場所にきちんと自転車は置かれていました。ハンドルを握って挨拶をすると、エネルギー的にもいつもの穏やかな感じです。帰り道は何事もなかったかのように軽やかに、なんとも爽やかな朝の出来事になりました。

この時も無意識に右脳優位になっていたのだろうと思います。ぼんやりとしながら(トランス状態で)思い巡らせていましたし、脳波はθ波に近づいていて、本来はすべてと一体であるゆえに、自転車や乗っていった誰かさんとも一体であり、情報を自然にキャッチしたのかなと思います。

現象にとらわれず、心はニュートラル、起きている出来事は中立であることを知っている状態ですね。

最近はほとんど失くし物をしなくなりましたが、次回も右脳優位になっ時の面白いエピソードをお届けいたしますね。いつか、変性意識状態についてのお話にも触れてみたいと思っています。

それでは、今日はこのあたりで・・。😊




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自然農 春 種の譲り合いの会 2024.3.3

2024年03月05日 | 自然農から農を超えて

3/3  自然農稲作教室のなかまで種の譲り合いの会をひらきました。なつかしい方々にもお会いでき、和やかで有意義なひと時になりました。

この会は、稲作教室のお米づくりにご参加しておられる恵子さんが、企画と準備をすべて担当してくださり実現しました。

当日は9人の方が来てくださり、事前に種を郵送してくださる方々もおられましたので、とても豊かな会になりました。ありがとうございます。💗




それぞれ持ち寄ってくださった種のことや、近況を聞かせていただき、自然農仲間のありがたさを思いました。

今後もいろんなことを(農を超えて様々に)楽しみながら、みなさんと繋がってゆきたいなぁ、と思っています。よろしくお願いいたします。


当日3/3
恵子さんがポラロイドで
写してくださいました。

・・・・・・・・・・・

川口由一さんの文章
『種子のこと いのちのこと』を下記添付させていただきます。♪
種のことはほんとうに大切ですね。



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