川口由一さん ご講話
成長へむけての学び方について
「学び」というのは、自らを養いたい、成長したいという行為行動ですよね。今日まで生きてきたことによる成長がすでにあります。知識したことも豊富になっており智恵も豊かに養い育んでいます。そして生の期間における死ぬまでのさらなる成長への学びですね。
「学び」をするなかで他と異なり噛み合わない場合、私は私の成長の過程があるわけですから、異なり他と違うものであっても成長過程においてはそれでいい、それは大事にしたらいいと思います。例えば辞書をひも解いても、そこに示されている言葉の意味は一人ひとり読み取り方が違うわけです。私は私の精一杯の理解をすればいい、知識においても智恵においても私の理解できる範囲で指し示す彼方をみとどけたらいい、知識したらいい、蓄えたらいいのです。いつの時代にもすべての人に通じる普遍のことは、やがてはお互いに通じることになると思うのです。その過程のところで通じない嚙み合わないのは、成長過程における誰しものことです。
ところで成長してあるところを超えると、どのような言葉もその言葉の意味、指し示していることも深く深く総合的に理解することができるようになります。それまでは相手に合わせるのではなくて自分の確かなる一歩一歩を踏んでゆく中での成長が大事ですので、噛み合わない場合は噛み合わないものとして確認する、学びの場においてですよ。他の方々もまたまた違った視点で質問されたり確認されたりするなかで、それもよく聞いているなかで、聞く、質問する、答える等を度重ねてゆくと、その学びの場で言っている意味も、その人の言っている意味も理解できるようになりますし、その言葉の指し示していることも察知できるようになります。そこではじめて自立が始まります。さらに学びを重ねているうちにすべてが理解できるだけの智恵が養われて、知識もついて、総合的能力も養われて大きく育ち、やがては人を導くことのできる能力が養われます。そのように育ってゆくと思うのです。さらに優れた大いなる大人に成長する、生きている間は成長し続けることが大切です。自ずからを養い育ち、死に至るまで成長することのできる智恵と能力を与えられている私たち人という存在です。
ところで聞いている時、問いかける時、死に至るまでの成長の過程においては常に基本の姿勢として謙虚であることが重要です。向かっている人に対して、師に対して、先人に対して、書物に対して、謙虚であることが大切です。その心、その目指すところは真理に対して真実に対しての謙虚であるということです。たとえば宇宙自然界生命界の実相実体を知るべく思索し観つめ考え続けている時は、宇宙自然界生命界のことに対して謙虚に問い続ける、観続け思索を続ける。自分の思いを持っていかないことが大切です。話している対象に対しても、あるいは話している人に対しても謙虚である。自らが謙虚に素直に誠実になっている、それが人として成長への基本の在り方です。それはどこまでいっても基本で、古典医学書の傷寒論や金匱要略をひも解くにおいてもそうです。何べんも何べんも同じところをひも解き、謙虚に言っている言葉に耳をかたむけ、示している言葉に思いを馳せるとますます深く理解できる、気づきが深く広くなり、それがそのまま自らを養い成長になっています。言葉をとおして自分なりに思索を重ね、やがて普遍のことは誰にとっても真理なので必ず納得が入っていきます。本当のこと、真理なることが理解できる、本当のこと、真の理りの意味を解することのできる人に成長してゆきますね。
真理を語っていても聞いている人が納得のいかない場合は、その人がまだそれを正しく受け取り理解するだけの智力能力がないのか、語っている人が真理を語っていないのか、その両方がありますね。その別をつけることのできる人に育たないといけません。ほんとうのことがわかる智恵が澄み渡り大いに働けば、必ずほんとうのことがわかり真贋の別をつけることができます。
芸術においても審美眼を養えば、すべての芸術作品を深く観ることができるようになり、美と醜の別を判別することができます。専門とする学者の宇宙観を聞くにおいても、思想書哲学書を読むにおいても、何が本当なのか、そこに焦点を合わせてその作業をし続ければ本当のところにたどり着くものです。本当のことを求めていなければ本当でないことに捉われてしまうのですが、本当のことをほんとうに求めていたならば、たとえ一時本当でないものに共鳴しても、やがて本当でないことがわかり、いずれはそこから離れ、やがて本当のところに至ることになります。
農業でも化学農法、微生物農法、EM農法、有機農法、合鴨農法、マルチ農法、酵素農法、いろいろありますが、化学農業をやっていた人が有機農法にであって共鳴したとします。その農法は自然界の一つの姿ですので一理はあるわけです。そしてそれに打ち込まれるわけです。けれどそれに依存してしまい我が人生をあずけてしまうともうそれ以上の成長がなく迷路に落ちます。たとえ共鳴していてもひたすら本当のことを求めていると、本当のものでない場合は矛盾に気づき自分のいのちが納得しません。さらに目覚めてゆきます。そして、その時はさらに正しいものに出会えるだけの智恵が養われています。真摯に誠実に生きていれば、真理に、本当の世界に至れるのです。年数とは関係なく本当のことを観ることのできる真眼慧眼神眼を養いたい、死ぬまで成長したい、本当のところでほんとうに成長したいとの思いが大切です。そこに至る成長への過程が誰しもにあるものです。
その成長過程において、その時その時、自分が培ってきた今日までのものに執着しないことが大切です。謙虚になるというのはそれらを全部はずしているということで、白紙の状態、素直さというのもそういうことであって、理を解する智恵も澄みきった濁りなき智恵の働きで新たな真の世界に向かって育つべく学びを深めてゆきます。もちろんその時その時、これまでの自分の思いが頭や心に浮かびますが、それも大事にしながらも執着とならないで今日までの思いと並び思索を続け深めます。すでに知っていたことと対比することにもなるわけです。そしてそこで明らかとならず解けない場合は疑問のままで思索を続け、明らかとする智恵が働くまで時を待ち問い続けます。今日までの知識、認識、価値観、捉えたことは簡単には捨てられるものではなくて、大事にしながら、それでもって澄んだ心と智恵で考えで新たな世界を真の世界を求めるのです。なお思索を続けて常に本当のものを求めているのです。今日までのものを絶対視して他のものを受け入れないというところに陥るのは真理に対して謙虚さの欠落です。今まで知識したものにあてはめようとしたり、執着したり自己顕示の心を現すと本当のところにたどり着けません。これまでの得てきたことも大事にしながらも、あわてずにしっかりとさらに求め続け、確認を続け、思索を続け、真実を求め続けることが必要です。本当の真理に出会うと、そこには一点の疑いや不信や疑問は入らず明けく澄み渡って納得が深く入ります。
お話
自然農実践者指導者 川口由一さん
今回の記事は、川口さんのご講話より学び方についてのお話を文字起こしさせていただき、それを元に川口さんに加筆訂正をしていただいたものです。学び方が優れている人の特徴がよくわかり、学び方は生き方における大切なことの一つだと感じました。 編集 八木真由美