プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

佐藤一誠

2014-11-01 19:38:12 | 日記
1964年

スイングは荒いが、リキのある左バッターとして国鉄が、第二の高山に育てたいと期待しているルーキーの佐藤一誠外野手(神奈川大中退)が、十七日の大洋戦から登場した。佐藤は十一日の巨人戦で町田が腰を痛めたため、十三日の阪神戦から一軍に入る予定だったが、町田が軽傷だったのでオジャンになっていたところが、この日金田が登録外となったため代わって待望のベンチ入りをした。三回の裏から別部に代わって右翼に入ったが、九回三打席目に峰から左翼線にタイムリーを飛ばし、プロ入り初ヒットと初打点を記録した。翌十八日は三振と遊ゴロだったがうわさ通り荒っぽい。しかし、思い切ってスイングするところは中々いいというのが、ネット裏の共通した勤務評定?だった。佐藤は、「それほどデビューを意識しなかったので堅くはなりませんでした。打ったのは外角のシュートだったと思いますが・・。今度は、もっといいところで一発を打ちたいですネ」とバッティング同様、荒い?ハナ息だった。国鉄の左バッターは星山と平井だけで、平井はもっぱら守備、代走専門だから、研修明けルーキーとしては出場チャンスに恵まれるだろう。イースタンでは1割9分5厘(82打数16安打)で三振27とパッとしなかったが、本番に強いタイプもいる。この佐藤あたりも起用が増せば、徐々に地力を発揮するような感じのバッターといえそうだ。
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村上宏通

2014-11-01 19:08:39 | 日記
1963年

ウエスタンに三村上がいる。一人は南海、もう一人は阪神、三人目が阪急。いずれも昨年入団した投手だが、南海、阪神の両村上がサウスポーであるのに対し、阪急の村上は右腕投手である。三村上とも、ことしは第一線出場のチャンスに恵まれ、大いに期待されている。阪急の村上は、対阪神定期戦に先立つ新人戦で完投、4安打の1点に押えて首脳陣を喜ばした。村上は東北高出身、1㍍83、阪急では梶本につぐ長身の投手。その村上が、阪神相手にストレートとカーブだけで完投したのだから、荒巻コーチら首脳陣が驚いた。「ことしはやるだろうと思っていたが、いきなり完投勝利とは幸先いい話だ」と予想外の好投に手放しのほめよう。捕手の住吉も、「よかった、よかった・・」と村上の肩を叩いて、自分のことのように喜んでいた。村上は、東北県人らしくのんびりしている。いうこと、なすことが一つずつテンポがずれていて、それがかえって村上の一種独特な持ち味となっている。「きょうはストレートとカーブだけでやった。シュートを使う必要がなかったからだ。寒いので肩が容易にぬくもらず、結局試合が終わるまでぬくもらずじまいだった。これで暖かくなって肩がぬくもれば、もっとやれる自信があります」といって、シャアシャアした顔つき。この心臓には捕手の住吉もあきれていた。が、阪急の選手にしては珍しく根性のある投手と、毒気に当てられた報道陣のほうが、かえって村上を激励する始末だった。
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松尾格

2014-11-01 06:30:27 | 日記

1972年「長崎海星高校時代、夏の甲子園出場時」
・松尾は恵まれた体格を利した重い速球で正面から打者と勝負する本格派。立ち上がりの制球が悪いのが気がかりだが、低めに伸び、高めでホップするその球は高校生ではなかなか打ち込めないほど威力がある。

1979年ファーム成績「ロッテ」
2試合・0勝0敗・3イニング・防御率6,00

1980年
・今年からバッティング投手になった入団8年目の松尾格「いたる」投手。1972年のドラフト3位で入団したが一軍のマウンドを踏む機会はなく終わった。「契約更改の席で、どうしてもバッティング投手が必要だと説得されたんです。もう野球をやめて故郷に帰ろうかと考えたんですが、好きで入った道なので、引き受けました」と寂しそうだ。魚釣りを愛し、ギターの弾き語りを好む温厚な性格の持ち主。その性格がプロの世界では裏目と出た感じだ。しかし、たとえ選手登録はなくとも、チームのばく進のために明日も投げ抜いてくれることだろう。
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