兵庫県下では高校時代鳴らした選手。飾磨高校時代投手で四番を打ち近鉄、阪急、阪神の間で激しいスカウト合戦がくりひろげられた。当時別当氏が近鉄の監督、飾磨高の監督が同氏の実弟だったことで近鉄入りが有力視されていたが、阪急が強引に入団させた。プロ入り後は鳴かず飛ばずの生活をつづけていたが、野手に転向後、一軍でもときどき代打として登場していた。腕力もあり鍛えれば将来が楽しめると見られていたが、やる気をなくしたことがつまづきのもと、心気一転やる気をもてばまだプロの世界でも十分通用するだけの素質はある。
1970年
中日の神原隆彦捕手(プロ十年目、愛知学院大、広島県出身、三十二歳)は、名古屋の愛知学院大から西鉄入り、その後中日へ移籍しただけに、地元で知人も多く、新たに名古屋市内で喫茶店をはじめた。経営者兼マスター。
中日の神原隆彦捕手(プロ十年目、愛知学院大、広島県出身、三十二歳)は、名古屋の愛知学院大から西鉄入り、その後中日へ移籍しただけに、地元で知人も多く、新たに名古屋市内で喫茶店をはじめた。経営者兼マスター。
1963年
四月二十一日、青く晴れ渡った鹿沼市御殿場球場の対東映戦で、最近当りがだしてきた大洋の渡辺不二男選手が四回、この一戦の勝敗を決めた満塁ホーマーを放った。渡辺は、プロ入り三年目だが、公式戦でホームランを放ったのはこれが初めてということもあって、その喜びようもひとしお。それでも、「いやあ、まぐれですよ。あんなの」・・・無関心だね、といわんばかりの表情なのである。「満塁でしたから一点は入れようと思いましたね。一塁を踏んでから、入ったことに気がついたんですが、外野フライだとばかり思ってました。まさか入るとは・・・」と終始笑顔で語ってくれた。やはりうれしさは、隠せなかったようだ。渡辺は、昨年あまり振わなかったが、ことしはプロ入り三年目だと目ざめ、バッティングに守備に、一日四時間以上も練習に励んでおり、合宿でも、一番よくトレーニングすると折り紙をつけられるまでになったのである。この日のホーマーは決してまぐれではない。というのも、宮崎二軍監督の適格なアドバイスにより、研究に研究を重ねてきたのだから、当然の結果なのである。「ポイントをもう少し前に置くようにしてみろっていわれたんでそのとおりやったんです。ことしは、何か気分的にもすごく楽な感じがしますね。このごろは、食事もずいぶんすすみますしね。体重も少し増えたんですよ、いま69キロです。でも70キロ越すとだめですね」体重がふえた。これは体が快調であるりっぱな証拠。彼は、元来いくら食べても太らないほうだといっているが、それがふえたのだからなおさらハッキリしている。翌二十一日、同じく対東映2回戦。「元気がねぇぞ!」とスタンドからヤジが乱れ飛ぶような試合の、しかも延長戦そろそろ飽きがきた観衆が帰り支度をはじめようかと思っているところへ、無死満塁絶好のチャンス。ここで登場したのが渡辺だ昨日満塁ホーマーを放ったことを知っている観衆は、ここ一発を期待したが、見事、左翼へのサヨナラ安打で幕とした。桃栗三年・・・・のたとえではないが、入団三年目にして渡辺は好調の波に乗りつつある。
四月二十一日、青く晴れ渡った鹿沼市御殿場球場の対東映戦で、最近当りがだしてきた大洋の渡辺不二男選手が四回、この一戦の勝敗を決めた満塁ホーマーを放った。渡辺は、プロ入り三年目だが、公式戦でホームランを放ったのはこれが初めてということもあって、その喜びようもひとしお。それでも、「いやあ、まぐれですよ。あんなの」・・・無関心だね、といわんばかりの表情なのである。「満塁でしたから一点は入れようと思いましたね。一塁を踏んでから、入ったことに気がついたんですが、外野フライだとばかり思ってました。まさか入るとは・・・」と終始笑顔で語ってくれた。やはりうれしさは、隠せなかったようだ。渡辺は、昨年あまり振わなかったが、ことしはプロ入り三年目だと目ざめ、バッティングに守備に、一日四時間以上も練習に励んでおり、合宿でも、一番よくトレーニングすると折り紙をつけられるまでになったのである。この日のホーマーは決してまぐれではない。というのも、宮崎二軍監督の適格なアドバイスにより、研究に研究を重ねてきたのだから、当然の結果なのである。「ポイントをもう少し前に置くようにしてみろっていわれたんでそのとおりやったんです。ことしは、何か気分的にもすごく楽な感じがしますね。このごろは、食事もずいぶんすすみますしね。体重も少し増えたんですよ、いま69キロです。でも70キロ越すとだめですね」体重がふえた。これは体が快調であるりっぱな証拠。彼は、元来いくら食べても太らないほうだといっているが、それがふえたのだからなおさらハッキリしている。翌二十一日、同じく対東映2回戦。「元気がねぇぞ!」とスタンドからヤジが乱れ飛ぶような試合の、しかも延長戦そろそろ飽きがきた観衆が帰り支度をはじめようかと思っているところへ、無死満塁絶好のチャンス。ここで登場したのが渡辺だ昨日満塁ホーマーを放ったことを知っている観衆は、ここ一発を期待したが、見事、左翼へのサヨナラ安打で幕とした。桃栗三年・・・・のたとえではないが、入団三年目にして渡辺は好調の波に乗りつつある。
1968年
大阪経大を出て俊足と長打力を買われていた西脇は荒削りの打撃が禍いしてついに球界を去ることになった。新婚早々だけに、悲劇的な結末だが、東田らの台頭で片スミへ押しやられ、トレード先も見当たらなかった。五年間の通算打率は・二一七、まだ身の振り方は決まっていない。体質改善をはかる西鉄では、いくつかの悲喜劇を生みながら、若手選手の新陳代謝もまたいっそう激しくなったようだ。
大阪経大を出て俊足と長打力を買われていた西脇は荒削りの打撃が禍いしてついに球界を去ることになった。新婚早々だけに、悲劇的な結末だが、東田らの台頭で片スミへ押しやられ、トレード先も見当たらなかった。五年間の通算打率は・二一七、まだ身の振り方は決まっていない。体質改善をはかる西鉄では、いくつかの悲喜劇を生みながら、若手選手の新陳代謝もまたいっそう激しくなったようだ。